表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

終末ワインシリーズ

【終末ワイン】 スーサイドプランナー (54,000字)

作者: まさかす

需要もないままにシリーズ13作目です。文字数は54,000字なので長いです。

 寿命。人の命の長さ。それを人は知る事が無い。知る事が出来ない。知らないからこそ、明日を未来を信じ、生きていく。自分が明日、死ぬという事がわかっていたら? 死ぬ事が決まっていたとしたら、人はどういう行動を取るだろうか。


 6月30日 厚生労働省終末管理局

 月末の今日、1カ月毎に実行される『終末通知』の葉書を作成するプログラムが起動した。今月は、9001通の通知葉書が作成された。作成された終末通知葉書は、管理局職員により機械的に郵送の手続きが粛々と行われた。


 ◇

 

「それでは、あなたの希望を教えて頂けますか?」


 そう口にしたのは、清潔感ある綺麗に整えられた黒く短めの頭髪に、ノーネクタイのスーツ姿という20代後半の男性。皺ひとつ無い真っ白なワイシャツと、皺ひとつ無い濃いグレーのスーツ。一見地味ではあったが、一切の虚飾を排している事で、その分清潔感が増していた。


「親に極力迷惑を掛けないように、出来る限り目立たないようにと、そんな感じですかね。それで以って全てを終わらせたいです……」


 そう口にしたのは、寝癖も残るやや耳にかかる長さの頭髪に、不精ひげも目立つ40代前半の男性。洗いざらしでヨレヨレのアイボリー色のシャツに、青いジーンズパンツと履き古されたスニーカー。俯き加減にテーブルを見つめるその男性は、背が低い訳では無かったが、何故かとても小さく見えた。


 平日の午後1時。とあるカラオケ店での1室にして密室。部屋の中央に置かれた低めのガラステーブルを挟む様にして、赤いレザーのロングソファ2つが置かれていた。ムードある薄暗い照明の中、2人の男性は向かい合うソファに、それぞれ浅く腰掛けていた。

 2人の間に鎮座するテーブルの端には、水色の小さいプラスチックの籠が乗っていた。その籠の中にはカラオケで使用する銀色のマイクが2本と、曲をリクエストする為のタブレット端末2つが入ったままで、使用されている形跡は一切無かった。


「分かりました。では、その方向で思案しますね」


 20代の男性は柔和(にゅうわ)な表情を絶やさず、目の前の男性の顔をじっと見つつ、ゆったりとした口調で答えた。


「私なりに頑張ったつもりです……まあ、他人からすれば足りないなんて言われるのかも知れませんけどね。それでも自分なりに頑張りました……今はもう、いつまで生きてなきゃいけないんだろうって、ずっとそれだけを考える毎日でしてね……考えるだけならいいですが、それは生きる事ですからね。生きて行くには働かなきゃならない。けど何で働かなきゃいけないんだろうって。それは生きる為だろうってね。そんな堂々巡りでして……だからもう、これ以上はいいかなって……」


「そうですか。もう良い事とか楽しい事は、無さそうですか?」

「どう……なんですかね……まあ、もしかしたら良い事も、楽しい事も、沢山あるのかもしれないけど……もう全てどうでもいいかなって……はは」


 40代の男性は俯いたままに力無く笑った。


「毎晩寝る前に思うんです。寝ている間に死なないかなって。それで終わりにならないかなあって。楽に死ねないかなって……まあ、そうそう思い通りにはならないですよね。今までの人生もそうでしたけど……はは」


 40代の男性はただただ疲れているように見えた。希望も、展望も、未来も何も無い。もう何もやる気が無い、何かをする必要が分からないと、そう顔に書いているかのようだった。

 それを聞く20代の男性は、柔和な表情を絶やさず、相手の言葉を遮らず、否定せず、特段何を思うでも無く、ただただその男性の言を聞いていた。


「親と言う存在の元にこの世に生まれ、学校と呼ばれる場所に於いて20年近く学んで、社会という場所に於いて、労働と呼ばれる時間を提供し続けてきて、その結果、私には何が残ったんですかねぇ……」


 40代の男性は自らを嗤うようにして、俯いたままに話し続ける。


「将来の為に勉強し、将来の為に働き金を貯める。その将来ってのは、老後の事だったんですかねぇ。だとしたら、私は老後の為に産まれてきたって事なんですかねぇ。楽しい老後を送る為に生きてきたと、そういう事なんですかねぇ。それに何の意味があるんですかねぇ。その為にギリギリまで働く必要があると、そういう事なんですかねぇ……」


 俯いたままに話し続けるその男性に対し、20代の男性は優しい笑顔で以って見つめるだけで何も答えず、部屋の中には沈黙が流れ始めた。


「あの……」


 40代の男性はおもむろに視線だけを上げ、伺うようにして口を開いた。


「はい、何でしょうか?」

「あの……具体的にあなたは何をしてくれるのでしょうか?」

「手法や準備等を含めたあなた専用の自殺プラン、自殺プロセスを私の方で作成し、それをあなたに提供させて頂きます。私物の破棄のあれこれや、色々と契約なさっている事柄だったりの整理とか、受理するかどうかは別として、移転先無しの転出届の送付とかね。人が亡くなるとそれなりに諸手続きが必要ですからね。立つ鳥跡を濁さずってのを推奨しています。全く迷惑を掛けない訳には行きませんが、それを最小限にするって事でね。まあ、誰にも気付かれない様に消えたいって人もいますからね、それならそれでそういう意思を尊重し、その方向で思案しますけどね」


「そうですか……」

「あ、それとですね、遺書は残して下さい」

「遺書……ですか? いや、その……別に遺書なんてそんな物……」

「先程、親に迷惑を掛けたくないと仰っていましたし、あなたもそれなりに気を使っての事ですよね? であるならば、最後の気持ち等を書いたものを残した方がいいですよ? 宜しければ、それを私の方でレビューさせて頂きますしね」

「遺書のレビュー?」

「ええ。最後の言葉なんですから、正しく伝えたいと思いませんか? 感謝でも恨みでも何でも良いです。生まれた事が不幸だと思うなら、そういった想いの全てを書いて下さい。本当に最後なんですから、全て書いて良いと思いますよ? 今までは口に出来なかった事もあったでしょうからね。そういった想いの全てを書いて残して下さい」


「なるほど……。そうですね。だったら最後に、親に対して『ありがとうございました。こんな自分でごめんなさい』って、伝えておきたいって所ですかね……」


 40代の男性はそう言って、再び俯いた。


「それが良いと思いますよ? ちゃんとレビュー含めて、私がお手伝いしますから。それでは後ほど、あなた用の自殺プランをメールでお送りしますね」


 20代の男性が柔和な表情で以ってそう言うと、40代の男性はおもむろに顔を上げた。


「あの」

「はい、なんでしょう」

「いや……自分からお願いしているのに、こんな質問するのはおかしいと思うんですけど……本当に、止めないんですね」

「止めない?」

「あ、いや、何ていうか、その……私は自殺したいって言っているの、止めないんだなって……」

「ああ、その事ですか。止めて欲しいんですか?」

「いえ、そう言う事ではありません……ただ違和感があったというか……。こういう時って、その……普通、そんな真似するなよとか、自殺なんて考えるなよとか、そんな言葉を言われるのかなって、正直、思っていた物で……」

「ああ、なるほど。そういう事ですか。そうですね、確かに私は止めませんね。そりゃ死なないというなら、それはそれで良い事なんだと思いますよ? 単純に私は個人の意思を最大限尊重したいと思っているだけです。その手伝い、自殺したいという人の手伝いをしたいだけです。勿論強制はしません。数日後にはあなた用の『自殺プラン』を書いたメールをお送りしますけども、それを実行せずに生きる道を選択したのであれば、それはそれで尊重します。その際、私への気遣いは不要です。生きるという道を選択し、それを助けるというか、相談に乗るというか、そういった支援をする団体や組織も存在しますしね。生きるという選択をした上で何か不安等があるというのなら、今後はそちらに御相談すれば良いと思いますよ。そういった団体は私の様なアングラな存在では無く、それなりにちゃんとした団体のはずですしね」

「そう……なんですか」

「ええ。そうなんです」


 それから数時間後の同じカラオケ店での同じ部屋。ソファには先の20代男性の姿。その向かいのソファに先の男性の姿は無く、代わって30歳を超えているであろう1人の女性が座っていた。高めのヒールと少し派手目の真っ赤なスーツを身に纏い、腕を組み、足を組み、ソファに深く腰掛け背を預けるその女性。艶の無い長い黒髪の下、荒れた肌を隠すかの如く濃いめの化粧が施されたその顔の、大きく見開いたその眼は、ギラギラと血走っていた。


「では、あなたの希望を教えて頂けますか?」

「男に復讐したい。そいつが慌てふためく様を一瞬でも良いから見届けて、それから死にたい。もしくは、そういった様を確信出来ればそれでも良いです。それだけです」


 柔和な表情で優しく質問した男性に対し、女性はきつめの口調でそう言うと、おもむろに横に置いてあったハンドバッグを手に、中から携帯電話を取り出し無言のままに操作し始めた。男性がその様子を黙って見ていると、女性は無言のままに携帯電話を男性に差し出した。男性は前かがみに手を伸ばし、その携帯電話を受け取った。


「復讐したい相手とは、こちらの男性の事ですか?」

「そうです」


 携帯電話には、明るいグレーのスーツを着た1人の男の写真が表示されていた。少し長めの茶色い髪をした若い男。いかがわしさを感じさせる店内のソファに一人で座り、足を組み腕を組み、挑発的な笑みを浮かべながらに映るその男。


「そうですか。といっても、私は直接の暴力等には一切加担しません。あくまでも、社会的制裁に持ち込めるかもしれないという事に対するお手伝い程度ですが、それで宜しいですか?」

「構いません。それだけで充分です」


 男の写真を見ながら優しく尋ねる男性に対し、女性は相変わらずきつめの口調で答えた。


「ではこの写真を後で下さい」

「いいですよ」

「後は遺書ですね」

「遺書?」

「ええ、遺書です」

「遺書なんて必要ありません。一瞬で良いから、その男が苦しむ姿を見れればそれだけで良いです。それ以外はどうでもいいです」


 後の事など知る必要は無いとで言いたげに、女性はきつめの口調で言い放った。


「であれば逆に必要です」

「何で必要なんですか?」

「何も無いと相手の男はただの被害者になる可能性だってあるんですよ? 対してあなたは単なる加害者で、下手をすれば妄想した末に暴走したバカな女なんて呼ばれるかもしれません」

「……」

「といっても、あなたがそんな風に呼ばれる頃には、既にあなたはこの世に居ない可能性が高いですがね」

「……」

「あなたからの情報で以って、それなりの社会的制裁を加える何かを起こしたとしても、そういった物があるほうが説得力は高い。ですから、あなたが復讐する理由を遺書としてちゃんと残した方がいいです。それも論理的にキチっとした遺書がね。そして後々それが改竄された物だなんて言われないよう、メールだのワープロ等改竄可能な物で無く、直筆で紙に書いて下さい。本当なら公正証書として残す位の物にすれば完璧なんですがね」


「で、でも……」

「そうでないとその男は『何も知らない』『そんなのは捏造だ』『その女の妄想だ』と、あなたが一方的に悪いと言って言い逃れるだけですよ? その人の関係者も『そんな事実は無かった』と言うだけですよ? それもあなたが亡くなった後にね。その時あなたは何も言えない。当然ですよね? あなたは亡くなっているのですから」

「……」


「ニュースでも聞いた事無いですか? どこかの学校の生徒さんがいじめを苦にして自殺した。その際遺書を残していた。その中にはいじめをした人物の名が記載してあるけど証拠にはならないなんて事。『単に自殺した人が勘違いしただけ』『そんな事は知らない』『自分は関係無い』『調べたけどそんな事実は無かった』って結論付けられますよね? 学校の教員も遺書に記載された人物も何ら落ち度は無い、証拠は無いなんて事、よくありますよね? あなたもそうなってしまいますよ? 憂いを残さない方が安心出来ませんか? それでも『自分が死んだ後の事は関係無い』と言われるなら、私も無理強いはしませんけどね」


「そ、それはそうかもしれませんけど……。で、でも……そんな論理的な遺書なんて、私どうやって書いたらいいか……」


 男性の話に少し落ち着いたのか、女性は小声で以って少し困った様子を見せた。女性は自分が死んだ後の事等どうでもいいと思ってた。しかし男性の言を聞いて、自分が死んだ後の事とは言え自分が勘違い妄想女、若しくは被害者意識を持った加害者等と呼ばれる未来、復讐したいと思っている男が被害者面するような未来が存在するのかも知れないという事を想像するに、それはそれで悔しいかもしれないなと思い始めた。


「当然、私がお手伝いしますよ。何度でも私がレビューします」

「そ、そうですか……。分かりました。じゃあ、頑張って書いてみます」


 最初は厳しい表情だった女性の顔が、和らぎ始めていた。


「それとあなたの言葉を今すぐ100%信じる事は出来ませんので、あなたの話をもう少しお聞かせ頂き、その話を私の方でも少し調べて、あなたの言を私が正しいと思ったら、お引き受けします。単なる勘違いと言う事もありますのでね、一応双方の状況を私なりに軽く調べます。そして推定有罪(・・)、疑わしきは被害者(・・・)の利益にという考えで進め――――」


 ガチャッっと、その部屋のドアが不意に開いた。部屋に居た2人は突然開いたドアへと同時に顔を向けた。その開いたドアからは、明らかにカラオケ店のスタッフとは様子の異なる、私服姿の男4人がドカドカと、不躾に入ってきた。


「どうも、こんばんは」

「……」


 部屋に入ってきた男達のうちの1人、一番の年長らしき中年の男は、ソファに腰掛ける男性に対し、カードサイズよりも少し大きめの黒い手帳を提示した。


赤村(あかむら)英知(ひでとも)さんですね?」

「……警察の方が、私に何か御用でしょうか?」


 柔和な表情で以って話しかけるその中年の男に対し、赤村は一切の動揺を見せずソファに腰掛けたままの姿勢で以って、自分を見下ろすその男の目を真っすぐに見返し聞いた。すると、中年の男はA4サイズの紙1枚を、赤村に見せた。


「あなたには逮捕状が出ています。罪状は『自殺ほう助』です。身に覚えがありますよね?」

「さあ、どうでしょうね」


 赤村は「逮捕状」と書かれたその紙を一瞥すると、ソファに深く腰かけなおし背を預け、ゆっくりと目を閉じ俯いた。その顔には笑みが零れていたが、それは目の前の男達を嘲笑しているかのようだった。


「そうですか。まあ詳しい事は警察署でお聞きします。とりあえず裁判所より赤村さんに対する逮捕状が発行されましたので、現時刻を持って逮捕状を執行します」


 その言葉を合図に、一緒に部屋に入ってきた男2人がスッと、赤村の両脇近くへと移動した。その内の1人が「立ってください」と、そう赤村に向かって言うと、赤村は面倒臭そうにしながらも、大人しく立ち上がった。続けて「両手を前に出して下さい」との言葉にも、大人しく両の手を前に差し出した。


 手錠を掛けられた赤村は2人の男に両脇を抱えられ、半ば強制的に部屋から連れ出された。そして店のスタッフや客からの奇異の視線を受けながら、そのまま店の横に併設されている駐車場へと連行された。


 20台近くが停められそうな駐車場には、10台程の車がまばらに停められていた。その中に紛れるようにして、2台の覆面パトカーは横並びに停められていた。赤村達がその内の1台の傍まで来ると、車両付近で待機していた1人の男の手により、後部座席のドアが開けられた。赤村とその両脇を抱える2人の計3人は、その状態のままに足を留める事無く後席へと乗り込んだ。そして関係者全員が2台の車に乗り込むと、それらの車は静かに駐車場を後にした。


 走り始めてから凡そ20分。2台の車は道路に面したとある敷地内へと入っていった。そこには20台以上の車が停められそうな駐車場が広がり、車はその中を奥へと進んでゆく。


 車が進むその奥には、箱型にして無機質の、灰色をした4階建ての建物が建っていた。その建物玄関の軒先には、艶の無くなった金色の、桜を模った標章が掲げられ、車はその玄関前に横付けされた。すると、赤村を歓迎するかの如く、建物内から複数名の男達が駆け付け、赤村がいる後部座席へと群がった。その内の1人の手によりドアが開けられると、赤村はすぐに引っ張り出されるようにして車から降ろされた。そして出迎えた男達により両脇を抱えられ囲まれ、そのまま建物内へ連れ込まれた。


 灰色一色にして無機質の、事務用の椅子と机だけが置いてある取調室。赤村はその部屋の上座に位置するパイプ椅子に、手錠を掛けられた状態で座っていた。そして事務机を挟んだ赤村の対面のパイプ椅子には、カラオケ店で赤村に逮捕状を見せた中年男性が座っていた。


「とりあえず時間も遅いので、本日は簡単な聴取だけとします。本格的な聴取は明日に致します。宜しいですか?」


 中年男性が赤村の目をまっすぐに見つめながらにそう聞くと、赤村は半笑い気味に「分かりました」と直ぐに返した。


「まずお聞きしますが、弁護士はどうなさいますか?」

「弁護士? ああ、不要です。裁判になったら国選で付けて下さい」

「宜しいのですか?」

「ええ、全て話しますよ。別に隠す事も弁護して貰う事も無いですしね」

「そうですか。では改めて逮捕要件について確認します」

「はい、どうぞ」


「先月、男性、○○さんに対する自殺を手助けした。間違いないですか?」

「ええ。よく覚えています。間違いありません」

「先々月、男性、○○さんに対する自殺を手助けした。間違いないですか?」

「確かそんな名前だったかな。覚えていますよ。間違いありません」

「同じく先々月、女性、○○さんに対する自殺を手助けした。間違いないですか?」

「はいはい、その方の事は覚えていますよ。間違いありません」


 既に時刻が遅くなっていた事からも、その日の取り調べは逮捕要件の認否のみの確認という簡単な物で終わった。

 その後赤村は、署内上階の留置場へと連行された。そこでようやく手錠が外されると、鉄格子を正面に6畳一間といった大きさの留置室へと入れられた。


 留置場は既に就寝時間を過ぎていた。全10室程あるそれぞれの留置室内では、赤村以外の被疑者達が照度を落とした照明の下、床に敷いた布団の中で、既に眠りについていた。赤村は「やれやれ」といった表情で、留置室内の端に畳んで置いてある布団を自分で敷くと、早々に布団に潜り瞼を閉じた。


 翌朝9時。赤村は手錠を掛けられた状態で、昨日と同じ取調室の同じパイプ椅子に座っていた。そして赤村の対面には、昨日とは異なる中年男性が座っていた。先日の男性と同じく私服姿ではあったが、恰幅の良いその男性は先日の男性よりも格上に思えた。


「では、昨日も質問されたかとは思いますが、改めてお聞きします。弁護士はどうなさいますか?」と、張りのある声で男性が問うと、「先日も言いましたが不要です」と、赤村は笑顔で答えた。


「分かりました。では、改めて聴取を始めます。昨日と同じ質問を繰り返すかもしれませんが、それも捜査の一貫ですので、ご了承ください」

「分かりました」


 特に名乗る事も無く始まった事情聴取に於いて、男性は至って真面目な顔で質問していたが、赤村はどことなく笑顔であった。


「先月、男性、○○さんに対する自殺を手助けした。間違いないですか?」

「はい。間違いありません」

「先々月、男性、○○さんに対する自殺を手助けした。間違いないですか?」

「はい。間違いありません」

「同じく先々月、女性、○○さんに対する自殺を手助けした。間違いないですか?」

「はい。間違いありません」

「こちらで把握しているのはこの3人だけですが、他にも自殺を手助けしたなんて事はありますか?」


 赤村はおもむろに天井を見上げた。


「そうですね~。今まで15人位の方の自殺を手伝いましたかねぇ」

「じゅ……15人? そんなに?」


 赤村のその言葉に、男性は目を大きく見開いた。


「ええ、確かそれ位だったと」


 赤村は『それがどうかしたのか?』とでも言いたげに、さも当然といった様子で平然と答えた。


「私の家やパソコン等を詳しく調べれば、それなりに情報が出てくると思いますよ? まあ、完全に消してる情報もあるから、調べるのは大変かもしれませんけどね、ははは」

「なるほどね……。それで『スーサイドプランナー』なんて名乗ってるんですか」

「お? そんな事まで知ってるんですね。っていうか名乗ってる訳じゃ無いですよ? 言っておきますが自分で言い始めた事では無いですからね? 勝手にそう呼ばれ始めただけですから」


 赤村は「ばれてしまって恥ずかしい」とでも言うようにして答えた。それは赤村が「自殺ほう助」と呼ばれるアングラな活動をしている際の偽名。といっても赤村は常に「匿名(アノニマス)」という事で活動しており、自らがその名を名乗る事は無い。周りが勝手に言い始めただけであって、それを赤村も「まあいいか」と否定しなかった。が、自分の素姓がばれているこの状況に於いて改めてそう呼ばれると、「少し恥ずかしいな」と、赤村は少し顔を赤くした。


「そうなんですか?」

「ええ。自分でそんな風に名乗っていたら、ちょっとイタくないですか? ははは」

「なるほどね。で、相手の方と面会する場所はカラオケ店ばかりですか?」

「そうですね。一応密室に出来るし、かといって人気の無い場所でもないから、お互いに安心感も生まれますしね。おまけに安いし、飲食も出来ますしね」

「へぇ。じゃあ時には歌ったりもするの?」

「それはしませんね。私も歌う気は無いし、相手の方も歌う気分にならないでしょうしね」


 淡々と、笑顔を交えながら話す赤村に、一切悪びれた様子は無かった。そんな様子を目の当たりにする中年男性は、何か現実味の無い人間を相手にしているような不思議な感覚を覚えていた。

 それからも赤村は記憶の限りを尽し、自殺を手伝った人物についての詳細を、饒舌に供述していった。


「まあ、過去には結構な人数の自殺願望を持つ人を殺害したなんて事件もあった位だからさ、赤村さんみたいな人が居ても不思議じゃないけどね。まあ、あなたの場合には殺人でなく『ほう助』だけどさ。しかし、そんなに被害者がいるとはね……これの裏どりする我々の身にもなって欲しいって感じですね」

「ははは。それだったら今回の事に目を瞑って見逃してくれても構いませんよ?」


 中年男性はやや困り顔で言い、赤村はそれを茶化すかのように言った。


「ははは、そんな訳にいきませんよ。それにしても自殺の手伝いなんてねぇ。どうせなら自殺抑止の活動とかしていれば、それなりに称賛も受けて、真逆の人生だった可能性もあったでしょうに。何でまた、こんな真似したんです?」


 赤村は再び天井を見上げた。


「そうですねぇ。簡単に言えば……需要があったから、ですかね」

「需要……自殺の需要って事ですか?」

「ですね」

「それを止めようとは思わなかったんですか?」


 天井を見上げていた赤村は、おもむろに視線を男性の方へと戻した。


「思いませんでしたね。その需要に答えようと活動していた訳ですしね」

「なるほどね……。それでも赤村さんが止めようと思えば止められた方、死なずに済んだ方がいらっしゃったかもしれないとは思いませんか?」

「さあ、どうでしょうね。というより、止める必要を感じませんね」

「そうですか?」

「基本的に個人の事情には興味ありません。ただただ死にたいと、そういう希望を叶える為の手助けをする。死にたい人が何かを恨んでいる場合、その恨みを解消してあげる手伝いをする。それにより少しでも溜飲を下げた状態で死ぬ事が出来る。出来るだけ憂いを残さず、苦痛を与えないような死の手伝いをする。ただそれだけです」

「憂いに苦痛ですか? どうにも、私には理解出来ませんね。ああそれと、これは噂だけど赤村さん。あなた名誉毀損でも訴えられそうですよ」

「名誉毀損?」

「ええ。あなた、自殺した人から依頼されたって言ってるけど、その人達が恨んでいた人物とか組織とかの情報をネットとかで晒しまくったでしょ? それに対する名誉棄損だそうですよ」

「ああ、その事ですか。受けて立ちますよ。むしろ望むところです。告訴するなんて反省も見えないようですので、更に相手を追い込むとしますかね」


 赤村は不敵な笑みを浮かべた。


「まあ、これだけの人数の自殺ほう助で起訴されればね、恐らく実刑は免れんでしょうからね。あなたが追い込むなんて事は、相当難しいと思いますけどね。恐らくですが、名誉棄損で告訴された時、あなたは刑務所にいる可能性が高いでしょうからねぇ」

「なるほど。確かに刑務所に居ては難しいか。そりゃ残念」

「他にもハッキングみたいな事もしてたらしいじゃない? 不正アクセス禁止法違反が加わりそうですよ? まあ、これはうちの所轄じゃないけどさ」

「しましたね。依頼人が復讐したい人物や組織の事を調べる為に、出来る限りの事はしましたよ。そういった事で得られた情報を拡散して社会的制裁を加えるというのが私のやり方ですしね。あくまでも情報のみで直接の物理的攻撃はしない」

「自らは物理的に人に危害は与えないって事? まあそれはそれとしてハッキングなんて事、そう簡単に出来ないでしょ? そんな事が出来るって事は相当に頭が良いはずなのに、なんでこんな誹謗中傷みたいな真似したんですか?」

「誹謗中傷とは思ってませんよ? ちゃんとそれなりの証拠があるなと、論理的に判断した事だけを公表してるまでですよ? ただし司法と違って推定有罪(・・)、疑わしきは罰する(・・・)、疑わしきは被害者(・・・)の利益に、というスローガンの下にですけどね」

「スローガンねぇ。そのスローガンが司法に通じれば、我々も非常に楽ではありますねぇ。しかし論理的に判断すればこんな真似はしないでしょうに。なんだかんだでやりたい放題としか、私には思えませんけどね」


 中年男性は呆れ顔で赤村を見つめた。すると「コンコン」と、取調室のドアがノックされ、返事をする間もなくガチャッとドアが開いた。


「係長、ちょっと宜しいですか?」


 開いたドアからは昨日赤村の聴取を行った中年男性が顔だけを覗かせ、赤村の目の前に座る中年男性に対しそう声を掛けた。係長と呼ばれた男性は「あ、何だよ?」と言って席を立ち、赤村に向かって「ちょっと待ってて下さいね」と申し訳無さそうに声をかけると、そのまま取調室から出て行った。取調室に一人取り残された赤村は、手持無沙汰にボーっと天井を見つめていた。


 不意に「コンコン」と、取調室のドアがノックされた。そして赤村が何を言うでもなくガチャッとドアが開くと、1人の男性が「失礼いたします」という言葉と共に、部屋の中へと入って来た。

 オーソドックスな銀縁のメガネを掛け、ネクタイもきっちりと締めたグレーのスーツ姿の細見の男性。40代と思しき男性は部屋の中に入ると直ぐにドアを閉め、スーツの内ポケットから取り出した一枚の名刺を事務机の上、赤村の目の前へと差し出した。一見すると報道等でよく見かける官僚といった出で立ちの、先ほどまで対面していた中年男性とは明らかに様相が異なるその男性。そして赤村の目は、その人の上着の左襟に留まった。


「初めまして。私、弁護士の今宮(いまみや)克典(かつのり)と申します」


 今宮はそう言いながら軽く一礼した。


「弁護士さん? 私、弁護士さんなんて頼んでないですよ?」


 赤村は机の上の名刺に目を落とすと、怪訝な表情を浮かべた。


「ええ、知ってます。依頼されたのは今回、赤村さんが自殺のお手伝いをなさった方の御遺族の方でしてね」

「……遺族からの依頼?」


 赤村は眉をひそめ首を傾げた。


「ええ。まあ、その方は息子さんが自殺なさった事は大変悲しんでおりましたが、その息子さんの為に向き合ってくれた赤村さんへの、せめてもの御礼と言う事です」

「御礼? そんな風に思う遺族の方がいらっしゃるんですか? てっきり罵倒されるとばかり思っておりましたけどね。そもそもその人に向き合ったなんて言えるような事をしていた訳でも無いですしね」

「まあ、弁護を依頼された方自身、というより御家族全員が、その亡くなった息子さんの事で色々悩んでいたという事でした。息子さんがそういった行動に出るかもしれないという思いもあったようです。忸怩(じくじ)たる思いではあるが、赤村さんには自分達では出来ない事をして貰ったと、そういう認識の様です。但し匿名でと言う事でしたので、依頼人の方の名前は伏せさせて頂きます。まあ、調べれば分かってしまうかもしれませんがね」


 赤村は理解はしたがどうにも釈然としないと、そんな微妙な表情を見せた。


「そうですか。そうはいっても、現段階で弁護は必要としていないんですけどね」

「まあ、そうおっしゃらずに。ところで、座って宜しいですか?」


 今宮は赤村の対面のパイプ椅子を手で指しながら、笑顔で聞いた。


「ああ、どうぞどうぞ」

「では失礼します」


 今宮はパイプ椅子へおもむろに腰掛けると、手にしていた黒いアタッシュケースを床へと置いた。


「それで、今回の逮捕容疑は『自殺ほう助』ですよね? 勿論、私の方でも調査はしますが、赤村さんが逮捕された時の様子とかを詳しくお話し頂ければ、若しかしたら刑を軽く出来る材料があるかもしれませんよ? 具体的に何をして、どういった証拠が残っているとか詳しく教えて下さい。初対面ではありますけど、私を信頼していただけると、ありがたいのですが」

「あの、わざわざ来て頂いて申し訳ないのですが、刑を軽くしたいとかいうつもりは一切ありません。事情聴取では全て話すつもりです。一切包み隠さずにね。それら全てを話した上で、逆に裁判での結果を聞きたいです。罪状とかはどうでもいいんです。私の行った事で何がどう悪いとか、どうする事が正しいとかの判決内容を知りたいんです。故に、全て話すつもりです」


 赤村は優しい笑顔を見せた。


「刑を軽くしたいとか思わないんですか? 無罪にして欲しいとか思わないのですか? 自殺を手伝っただけと言っても、人数からして、かなり悪質と受け取られますよ? 長期刑の可能性が高いですよ? 無罪は難しいかもしれませんが、場合によっては執行猶予付き位にならする事も可能かもしれませんよ? 若しくは『自殺を止めようとしていただけ』と主張するのも1つの手段ですよ? 何なら心神耗弱で責任能力を争ってもいいと思いますが?」


 今宮は怪訝な表情をうかべていた。


「そういうのは求めていません。何ら恥じる事は無いと思っています」

「恥じる事で無いにしても、罪である事は間違いないですよ?」

「罪は罪で構いません。それが悪でないなら、それで構いません」

「司法の場に於いては、罪は悪と捉えられますけどね」

「まあ、それでも良いです。自分が納得していれば」


 赤村は優しい笑顔のままに答えた。何ら恥じる事はしていないと、その笑顔が語っていた。すると突然、取調室に陽気なメロディ音が流れた。それを聞いた今宮は「ちょ、ちょっと申し訳ありません」と、先程までの落ち着きを無くし、取り乱すようにして上着の内ポケットに手を突っ込み、中から携帯電話を取り出した。


「はい、もしもし、孝子か? どうした? 何かあったのか? え? 何? いや仕事中に決まっているじゃないか……え? 何? 聞きとれないよ」


 今宮は赤村に対して横を向き、少し屈みながらに小声で以って電話をしていた。その様子からして電話の相手は家族のようだと赤村は思った。


「……え? 孝子と梓に? 間違いないのか? 宛先をもう一度確かめて……いいから、早くっ!」


 今宮は傍に赤村がいる事を忘れているかのようだった。


「分かった……いや……そうだね……出来るだけ……はい、それじゃ……」


 今宮は通話終了ボタンを押すと、ジッとその携帯電話を見つめた。赤村は黙ってその様子をみていた。

 すると今宮は「あ……」と、我に返ったかのようにして、多少動揺しながらも携帯電話を内ポケットにしまいつつ、赤村の方へと向き直った。


「随分と陽気なメロディでしたね」

「……あ、いや、お恥ずかしい。実はあのメロディは家族からの電話の時だけ鳴る着信音でしてね、普段家族に対しては緊急時以外には直接電話を掛けず、メール等の文字で伝える手段で連絡するようにと言ってあったものでして……そんな普段は鳴る事の無い着信音が鳴った事で、ちょっと取り乱してしまいました。いや、お恥ずかしい……」

「そうでしたか。というか今宮さん、顔色が良くありませんが、大丈夫ですか?」

「え? あ、いや、その……いえね、その、家内からだったんですけどね、その、なんというか……」


 動揺する今宮の姿を見て、赤村は聞いてはいけない事だったかもしれないと、質問した事を悔やんだ。他人のプライベートには極力関与しないようにしていたのに、動揺している今宮の様子に思わずに聞いてしまった事を悔やんだ。


「家内と娘宛に『終末通知』が届いたけど、どうしたら良いかって……」


 終末通知。その文言に赤村はピクリと反応した。


「あ、申し訳ありません。赤村さんには関係の無い話でしたね。失礼しました」

「いえ、私も迂闊でした。立ち入った事を聞いてしまったようで」

「いえ、そんな事は……あ、では、話を戻しましょうか?」

「……戻すって、私の弁護についての話にですか?」

「勿論ですが、何か?」

「いや、何かも何も、今、奥さんから終末通知を貰ったからどうすれば良いかって電話があったんですよね?」

「ええ、そうですが、それはプライベートな事ですので、赤村さんが気にする必要はありませんよ」

「いや、気にするとかではなく、すぐに奥さんの所へ帰った方がよろしいんじゃないですかと、言っているんですが?」

「そうは言っても、今は仕事中ですし」

「いやいや、私が言う立場で無いのは重々承知の上で申し上げますけど、直ぐに帰った方がいいですよ? どうしても仕事がと言うなら、他の弁護士に代わってもらう事だって出来るでしょ?」

「で、でも……」

「私は逃げも隠れもしませんしね。なんせここ、警察署ですから」


 赤村は手錠をかけられている両手を見せながら、笑顔を交えて冗談っぽく言った。


「……あの、その……では、直ぐに戻ってくるか、代わりの者を直ぐに寄こしますので」

「はい。それが賢明な選択だと思いますよ」


 被疑者と弁護士。そんな2人の関係が逆転したかのようでもあった。そして今宮は床に置いた鞄を手に席を立つと、赤村に向かって一礼した。それに対して赤村は座ったままで軽く会釈で返した。とその時「コンコン」と、外からドアをノックする音がした。今宮がドアに向かって「どうぞ」と言うと、ガチャリと、ドアが少しだけ開けられた。


「今宮さん、ちょっとよろしいですか?」


 先の係長がドアの隙間から覗き込む様にして、申し訳なさそうに言った。今宮は眉をひそめつつも、静かに取調室を出て行った。


「何でしょうか?」

「いやね、そのですね……言い辛いのですが……」

 

 取調室のすぐ外の廊下で以って、今宮と係長の2人は向かい合っていた。


「早く仰ってください。というか私、ちょっとこれから――――」

「赤村に、『終末通知』が発行されたようです」


 ◇


 車内には何の会話も無く、ただただエンジン音とロードノイズだけが響いていた。その覆面パトカーの後部座席には、両手を前に手錠を掛けられ、両脇を無表情な男2人に挟まれた状態の赤村がいた。そして警察署を後にしてから凡そ30分、赤村を乗せたその車は、とある建物の地下駐車場へと吸いこまれていった。車の中から周囲を伺っていた赤村は、俯きながらに「全く……何の因果だか……」と、そんな独り言を呟き、軽く笑った。


 地下駐車場の中、簡易的な玄関と思しきその場所に、車は静かに停車した。そこには警備員と思しき服を纏った4人の男達が、赤村を待ち構えるようにして立っていた。そしてその4人の内の1人が車の後部ドアを開けると、赤村は両脇を抱えられたままに車を降りた。降りた赤村は両脇の2人に加え、そこにいた4人の警備員の計6人という男達に囲まれながら、建物の中へと消えて行った。


 広さ凡そ6畳。一面グレーのコンクリート打ちっ放しのその部屋は窓の無い取調室といった様相で、天井には電球型のLED照明が1つだけという質素な部屋だった。部屋の中央に鎮座するグレーの事務机を挟み、向い合わせの椅子が2脚あるだけの部屋。その机と2脚の椅子は床にボルトで固定されていた。

 赤村は片手の手錠を外されると両の手を後ろに、再び手錠を掛けられた。そして奥側の椅子へと座らされると、椅子と足をくっつけるようにして、両の足首にも手錠をされた。そう赤村を拘束した後、警察署から赤村を連行して来た男2人と警備員の2人はその部屋を後にし、残る2人の警備員は両手を後ろに組み、両足を肩幅位の間隔に広げた姿勢で以って、赤村を監視するかのようにして出入口付近に位置した。そんな2人の警備員を前に「逃げねぇよ。こんな状態じゃ逃げられねっての」と、赤村は小声で吐き捨てると、静かに目を閉じ俯いた。赤村は今自分がいるその部屋に見覚えがあった。否、窓も無い殺風景なその部屋を、良く知っていた。


 数分後、その部屋のドアを「コンコン」とノックする音がした。直後、部屋の中の誰が何を言う間も無くガチャリと、外からドアが開けられた。その音に赤村は、ゆっくり目を開けた。そしておもむろに顔を上げると共に、ドアの方へと視線を向けた。その視線の先には、濃いグレーのスーツを纏った若い男性の姿があった。銀縁眼鏡をかけたその男性は、無表情のままに部屋の中へ入ると、無言のままにドアを閉め、赤村の向いの椅子へと腰かけた。そして持参していたタブレット端末を机の上に置くと、まるでわざと赤村を見ないかのようにして、ジッとその端末を見つめ始めた。


「久しぶり。元気そうだな。っていうか、担当はお前かよ」


 笑みを浮かべて話す赤村とは対照的に、男性は不貞腐れているようだった。そして男性はおもむろに顔をあげると、ここで初めて赤村の顔を見た。


「まさか赤村さんとこんな形で再会するとは、夢にも思ってもいませんでしたよ」


 赤村の前に座った男性の名は井上正継(いのうえまさつぐ)。終末ケアセンターでカウンセリングを担当している職員。赤村が連行されたその場所は、終末ケアセンターの地下にある聴取室と呼ばれる場所であり、終末通知が発行された容疑者や被疑者、若しくは犯罪の可能性があると当局によって判断された者が、警察や当局によって拘束された後、最初に連行される部屋だった。

 赤村に対する終末通知は、赤村が逮捕されたその夜に発行された。発行されたと同時に、その情報は警察庁を通じて各都道府県警察へも送られた。既に逮捕されていた赤村は、その情報を以って、翌日、終末ケアセンターへと移送の運びとなった。


「まあ、それは俺も同じだけどな。ははは」


 赤村は1年前まで、井上と同じ部署で働いていた。故に、今自分が拘束されている部屋をよく知っていた。


「逮捕容疑は『自殺ほう助』……でしたっけ?」

「まあ、罪名で言えばそうだな」

「他に違う言い方があるんですか?」

「終末の手助け、人生の最後を手伝う。とかはどうだ?」


 井上は赤村の1年後輩。先輩である赤村に仕事を教わっていた事もあり、1年前までの数年間、今いる終末ケアセンターで一緒に仕事をしていた同僚であった。そしてかつては井上が座っている席に、赤村が座っていた事もあった。


「なるほど。そう言うと、なんだか立派に聞こえますね」

「だろ?」


 相変わらず赤村は笑みを浮かべていたが、井上は不貞腐れたままだった。


「でも、やっぱり赤村さんのは『自殺ほう助』ですかね」

「井上は厳しいねぇ」


 自己都合。1年前、そんな理由で赤村は退職した。詳しい理由は同僚の誰にも話さなかった。当然上司らも慰留をしたが、一切聞き入れなかった。

 そんな風にして退職していった赤村が、あろう事か被疑者且つ終末通知の受領者として、井上の目の前にいた。赤村が警察から連行されるという連絡を受けた時、井上の心中は穏やかでは無かった。そんな井上の心中にお構いなく、赤村は平然とした様子で、尚且つ笑顔で以って、井上の前に座っていた。


「スーサイドプランナー。……でしたっけ?」

「誰かに聞いたのか? まあいいや。で、どうだ? なかなか格好良いだろ? 言っておくが、別に俺から言い始めた訳では無いからな? 自殺を手伝った人の中で、そんな事を言った人がいた。それが極一部の間で広まったって訳だ」

「そうですか。しかし日本語に直訳したら『自殺計画者』とか『自殺企画者』って感じでしょ? 格好良いですか? 嬉しいですか?」

「ははは。まあ、横文字の言葉なんてさ、日本語に直したらそんなもんだろ? コーヒーラテ(・・)とか言って『単なるコーヒー牛乳じゃねーかよ』とかさ? ももひきの事をレギンスとかさ。最初聞いた時には『レギンスって何だ?』って思わなかったか? 『魔道兵器レギンス』ってアニメか? みたいなさ。はははは。ま、それは置いておくとして、プランナーって呼び方の他にもサポーターとかマスターなんて言われた事もあるな。ははは」


 赤村は笑顔を見せてはいたが、井上は一切笑顔を見せず、怪訝な表情を浮かべていた。赤村が笑って話すその内容は「命を棄てる手伝い」という話であり、何故に笑って話せるのだろうかと、それが井上には理解できなかった。そもそも赤村は自分が遠くない日にこの世を去ると言う事を理解しているのだろうかと、井上は不快とも哀しみと言えぬ複雑な表情で以って、笑顔を絶やさずに話す赤村を見つめていた。


「赤村さんがケアセンを辞めてから、まさかそんな事をしているとは夢にも思いませんでしたよ。よりにもよって『被疑者』なんておまけ付きでここへ来る事を含めてですけどね」

「だろうな。俺も思ってなかったよ。ははは」

「聞けば、お金を取っていた訳でもないんでしょ?」

「ああ、無償だ」

「仕事を辞めてからどうやって生計を立ててたんですか? っていうか、何がしたかったんですか?」

「生計については、まあ、親の遺産ってのも少しあったし、たまにバイト位はしてたしな。生活の心配は無かったよ」

「そうだったんですか……」


「で、何がしたかったかっていうと……まあ、そうだな。ここで逝く人を多く見てて、疑問に思っていた事がある」

「疑問? 『何故に人は死ぬのか』みたいな事ですか?」

「ははは。違う違う、そんな哲学みたいな話じゃないよ。もっと単純な話だよ」

「私に聞く権利がある訳では無いですが、それを聞かせて貰う事は可能なんですか?」

「別に隠す事でもない。それが動機で退職したとも言える訳だし、スーサイドプランナーなんて呼ばれるような真似をやってた訳だしな」

「そうですか。で、その疑問っていうのは?」

「終末通知を貰った人間だけが安楽死を選べる。まあ、重篤な病気を抱えている且つ、厳格な倫理的審査を通りさえすれば、医学的療法によってそれが出来るって人も至極稀にいる訳だが、それとは別にそもそも安楽死を選べない人もいる」

「選べない人? どういう人達の事を言っているんですか?」

「分からないか?」

「全く、思いつきませんね」

「ふー。そうか。簡単な事だと思うがな」


 赤村は勿体ぶって話そうとせず、焦らすようでもあった。それは井上を不快にさせた。


「すいませんね。赤村さんほど博識でも無ければ頭の回転が良い方でも無いので」

「おいおい、拗ねるなよ。だから単純な話なんだって」

「じゃあ、お願いします。教えて下さい。それは、どういう人達ですか」


 井上は又も不貞腐れた顔を見せた。


「自殺する人達だよ」

「……」

「だからさ、安楽死なんて事を選択できる立場に無い人達の事だって」

「……」

「ホームから飛び降りる、ビルの屋上から飛び降りる、崖から飛び降りる、車道に飛び出す、練炭を用いる、首を吊る。まあ、他にも色々あるだろうが、そういう人達の事だ」

「……」

「そういう人達の最後を手伝ってやろう、無償で補助しよう。出来るだけ願いに、希望に沿って手伝おう。その人の自殺したい理由を聞いて、それが法で裁けないような事件の被害に苦しむ人であるならば、それに対して社会的制裁を手伝ったりもする。他にも『こういう場所で死にたい』とかあれば、それを俺の方で探して提案する。死ぬ方法も苦しみが無く、一切の痛みを伴わない方法を提示したりな。中には社会に対して自分の死を見せつけたいなんて人もいるから、それならそれで、そういう方法と場所を提示したりな。つっても物理的に人を傷つけるような方法は流石に提示しないけどな。まあ、それが退職した切っ掛けでもあり理由でもあり、今の俺だ。スーサイドプランナーでもいいし、スーサイドサポーターでも、呼び方は何でも良いけどな」


 そう言い放った赤村は、一切悪びれる事も無く笑顔であった。綺麗事を押し付ける世の中を嘲笑うと、そんな顔だなと井上は思った。


「完全に『自殺ほう助』って感じですかね。まあ、余罪も色々とありそうですけどね」

「ははは。まあ、適当な罪名としては、そうなるのかな。確かにハッキングとかもしたからな、余罪は色々出てきそうだな。自慢じゃないが、それなりに情報通信分野は出来るんだぜ? あ、一応言って置くが、単なる恋愛のもつれとか受験の失敗とかで死にたいとか言う人には、流石に付き合わないぜ? まあ、その人にとっては重大なのかも知れないが、その価値観を否定はしないが肯定もしないという理由で断るぜ?」

「赤村さんの中の『滅びの美学』ってのに、ただただ酔っているだけにも思えますがね。そういうのって自己陶酔とでも言うんですかね。そもそもですが、そういう人達とは、どうやって知りあうんですか?」

「今の時代、なんだかんだで繋がる事は可能なもんさ。まさに、情報社会様々って所だな。ははは」


 笑っている赤村に対し、井上の顔に一切の笑みは無かった。


「なるほど……。で、そういう人達と直接会って、充分に話し合った結果、自殺を手伝うよって話になるんですか?」

「充分な話し合い? ああ、違う違う。最初から自殺を手伝う前提で話をしているんだよ」

「相手の事情を聞いてって事では無いんですか?」

「事情は聞くけどその理由如何(いかん)で断るとか、そういうスタンスでは無い。聞くにしてもあまり根掘り葉掘り聞いたらさ、相手も委縮しちゃうしな。自殺が良くないと、その人達も漠然と思ってはいるんだよ。それでも俺の所に来てるんだよ。それなのに俺が『あーでもない、こーでもない』なんて綺麗事を言ってたらさ、その人達はただただ苦痛を伴う方法で以って勝手に自殺するだけだ。俺はそういうのが嫌というかさ、苦痛を伴わない方法ってのをさ、最後に何か出来る事をって事で手伝ってるだけさ」

「それが『自殺を止める』という方向に行かなかったんですか?」

「だからそれは俺の役目じゃないしやる気も無い。ちゃんと機能しているかどうかは別として、そういう団体や組織は既にある。まあ既にあっても俺の所に来るってのはさ、周知不足なのかそれら団体に問題があるのかは知らないけどさ、やはり生きる事を望まないって事だろ? それにだな、自暴自棄になって他人を殺めて死刑にして貰おうとか思うよりはさ、自ら身を引くって感じで全然良いと思うぜ?」

「それはそれで、また別の話だと思いますけどね」

「そうやって話を切り分けて考えるのも大事だが、切り分け過ぎて、問題が見えなくならないようにしろよ?」

「悪い事をしているという意識も無いようですね」

「悪い事? どこが? 全然無いね」


 赤村は笑顔で言う。井上にはその笑顔が「笑う」というより「嘲笑う」といった笑顔に見えていた。


「だって『自殺ほう助』って事で逮捕されたんですよね?」

「まあ、法的にはそうだ。だが井上、法的にはアウトだとして、本質的に何が悪いか言ってみろ。というか、教えてくれ」

「法的にアウトなら駄目でしょ? 法治国家に於いては法を犯した時点で駄目でしょ? だから逮捕されたんでしょ? 法を守る前提が抜けてる会話に意味があるとは思いませんがね」

「所詮、法なんてものは合議制の上でと言っても、一部の人間が机上で考え作ったにすぎんよ。そしてそれは全世界共通では無い。であれば正義でも何でもない。単なるそこに住む人達の中の、極々限られた一部の人達の間で、都合よく決めただけの物だ。それを犯したところで違法ではあるが悪では無い」

「よくそんな事を平気で言えますね」

「言論は自由だろ?」

「まあ、言うだけなら例外はあるとしても自由ですよ。ただその言論だって単にこの国の憲法で明記されているというだけで、全世界共通では無いですよ。決して当たり前じゃない。現に自由な言論、表現、信仰等が許されていない国だって存在します。それなのに憲法の庇護下を利用してそんな事を言うのに、それとセットの法律に対しては『悪では無いから無視する』なんて、ちょっと矛盾してませんか? 片方は利用して、片方を無視していると」

「合わない法に縛られなくても良いだろ?」

「そんな事を言いだしたら秩序も何も無くなりますよ。自分勝手です」

「そんな事は無い。さっきも言ったが所詮は人が作るものだ。都合が悪ければ変わって行く物だ。間違った法すらも存在し、破棄される事だってある。何なら憲法ですらも変えられる。絶対じゃ無いさ。それに自殺が社会秩序を乱すなんて聞いたこと無いぜ?」

「それは短絡的過ぎです。私も法が絶対だと言っているのでは無く、合わない法なら従わなくて良いなんて考え方では秩序が保てないと言っているんです。法を遵守する事が前提だと言っているんです」


「じゃあ井上、為政者の悪口を言ったら死刑に処す。まあ、そこまでの物では無いにしても、その類の法律がある国家は存在する。その様な法は正しいのか?」

「例えが極端過ぎです。だいたい赤村さんの言いようだと『法が悪いから実力行使する』って言ってるようなものじゃないですか。ぶっちゃけテロですよ」

「テロとは大げさだな」

「だってそうでしょ? 法治国家ですよ? 立法府が存在し、そこで決定しているんですよ? 法律を変えたいのならば実力行使で無く声を上げる。自分で立候補して議員になって法の作成に携わるでもいいし、他の議員に託すでもいいですし、署名を集めて当局に訴える也、そう言った会話が前提の国家でしょ?」

「どれくらい時間が掛かると思っている。それにそんなもの、いくら待っても決まりもしない事もある。合議制なんて言って、それに参加する議員が有権者の言葉を聞いて動いてくれる訳でもない。結局は派閥や党の意思と議席の数で決まるだけだ。選挙前と当選後で言う事が変わる議員なんてのも珍しい話じゃない。有権者に頭を下げて当選さえすれば、後は好き勝手に数年間やるだけだ。全員とまでは言わないが、議員報酬目当ての奴もいるだろう。なんせ国会議員となると数千万って金が手に入るらしいからな。無意味とまでは言わないが、今が絶対に正しいとは言えない」

「それは分からないでしょ? というか、そんな事を言いだしたら議会制が崩壊しますよ。私だって清廉潔白、且つ崇高な考えの人が議員になるなんて思ってはいませんよ。時間についてだって、皆で話合う前提なんだから相当な時間が掛かるのは当たり前でしょ? 君主制なら君主が言えば直ぐにでも決まるんでしょうけど、みんなで話合って物事を決めるんだから、時間がかかるのは当たり前でしょ? 複数の人間が集まれば派閥が生まれてしまうのもしょうがない事でしょ? 利害関係で忖度する人も多いんでしょうけど、それが悪いというなら必要悪ですよ」

「そんな事、いちいち井上に説明して貰わなくても知ってるよ」

「分かってやってるんなら、やはりテロじゃないですか」

「まあ、そう言う論理で言われると、テロと言われるのも仕方がない気もするな。ははは」

「違うと言うなら、その論理を聞かせて下さいよ」

「そういう論理だと井上が正しいかな。でも結局の所、気持ちの問題だしな」

「気持ち?」

「そう。だから自殺を選択する。ならば、俺がその人の望む最期を、可能な範囲で手伝う」

「自殺を手伝っているんだから可能な範囲を超えてますよ。だから逮捕されたんでしょ?」

「別に悪では無い」

「100歩譲って悪とまでは言わないにしても、違法です」

「法を守る事が正義と言わんばかりだな」

「正義とまでは言いませんが、それで秩序を保っているのは確かだと思います」

「なるほどな」

「そもそも、そう簡単に自殺を手伝うっていう赤村さんの事が全く理解出来ないですよ」

「そういう井上の事が、俺には理解出来んがな」


「……はあ?」

「だってそうだろ? 現実に自殺を選択する人は大勢いる。毎日のようにいる。その人達だってさ、出来る事なら苦しまずに死にたいと思うのが普通だろ? 俺はその手助けをしているんだぞ? 感謝しろと言うつもりはないが、現実に即しているのは俺の方じゃないのか? 死ぬな、頑張れ、生きていれば良い事もある、過去を忘れて前に進め、誰かが悲しむような事をするなとかさ、そんな言葉でどれだけの人が救えるというんだ? 確かに救える人もいるかもしれない。だが、実際の自殺者数を鑑みれば、そんなのは1%にも満たないんじゃないか?」

「だとしても、言葉で延々と説得したり、解決策を模索するのが普通じゃないですか? ここで働いていたんだからカウンセリングが本分だった訳じゃないですか? 自殺を手助けするなんて、それが正しい行いだとは決して思えません」

「それはお前が死にたいと思う状況では無いからだろ? ここで亡くなる人を多く見てきた。そりゃ中には死にたくないと泣き喚く人もいた。だが苦しまずに死ねる事を感謝する人も確かにいた。それは確かだ。そして自殺者が後を絶たないのも事実だ。なのに、そういった人達は終末ワインといった安楽死が出来る方法で安らかに自殺する事は叶わない。自殺するなら苦しんだり、痛みを伴う方法を選ばざるを得ない。不公平とまでは言わないが、そういった人にだって安らかに逝く方法があったって良いじゃないか。俺だって手に入るなら終末ワインを手に入れて提供してあげたいさ。だが流石にそれは無理だ。だからこそ出来る限り、その人の望むような最後の手伝いをしてあげたい。それのどこが悪いというんだ? 違法でも構わない。だが悪とは思わない。一切反省する気も無いし悔いも無い……いや、悔いがあるとするならば、もう自殺の手伝いが出来ない事だけだ」


 赤村は一切悪びれる事も無く、真っすぐに井上の目を見て言い放った。


「赤村さんの言っている事は屁理屈ですよ」

「答えに窮すると『それは屁理屈だ』だなんて言うのは逃げてるのと変わらない気もするがな。あっちでは合法、こっちでは違法。そんな物だろ? まあ、その国の事情や国民性、価値観、成り立ちで違いは出るんだろうけどな」

「その価値観を1つにした物が国家でもあるわけでしょ?」

「それでも異なる価値観は存在する」

「存在する事は構いませんし、当然だと思います。思想の自由の範疇だと思います。それを言葉や文字や絵等で表現するだけならば、往々にして認められます。ただ、それを実力を持って行使する、実行するとなると話が全く違います。赤村さんの話しっぷりではテロを容認しているとしか聞こえません」


 井上は思う。赤村が悪意を持っての行動だとは思わない。無償でやっていたからという理由では無いが、きっと何らかの信念を持って行っていた事なのだろう。がしかし、終末ケアセンターで亡くなる人は、言わば寿命で亡くなる人達である。だが赤村が手助けをした人達と言うのは、未だ死ぬ予定では無い人達である。この差は天と地ほどの差がある。自殺を思い留まらせる為に尽くしたというのなら尊敬もする。だが、推奨しているとまでは言わないが、それを助ける行為が正しいとはとても思えない。下手をすれば殺人の可能性だってある。勝手な自己正義。その正義に酔っている、それが正義だと勘違いしているだけに思える。


「赤村さんが手伝ったあげた人達というのは、云わば亡くなる必要の無い人達って事なんでしょ? 親にしろ子供にしろ、自殺した人の遺族の事は考えないんですか? 考えた事も無いんですか? 残された人達が不憫すぎますよ」

「だからさ、全てでは無いかも知れなけどさ、俺が手伝わなかったらさ、その人達は1人苦痛の中で死んで行く人達なんだって」

「……」

「勿論遺族の事も考えた事はある。が、そもそもの前提がある」

「前提?」

「そう、生まれた者は必ず死ぬという前提」

「そんなの当たり前じゃないですか」

「当たり前か。だったら理解出来るんじゃないか?」

「はあ?」

「もう充分に頑張った人だっている。逃げたい、終わらせたいと思う人達がいる。それでも生き続けろって言うのはさ、それはそれで苦痛に思う人だっているんだよ。綺麗事だけじゃ駄目なんだって。皆が皆、寿命を全うしたいって訳じゃないんだよ。寿命まで生きるためにはさ、それなりに金も必要だ。それを年金ってやつで賄える人もいるだろうし、働かなければならない人もいるだろう。目標があるならそれなりに頑張るって事も出来るだろう。だが目標も無く気力も意志も無い人にはさ、ただただ生きる事を苦痛に感じるって事もあるんだよ。生きている事が虚しいと思う人だっているんだよ。今の井上に俺の言ってる事を直ぐに理解し受け入れろと言っても無理そうなのは分かったが、それでも現実にそういう人は存在するんだよ。綺麗事だけを口しても駄目な事だってあるんだよ」


 赤村は諭すようにして言った。その顔に笑みは無かった。


「じゃあ、赤村さんは、自殺を止めるのが綺麗事だって言うんですか」

「それだけじゃ駄目だと言っている。この世の中で生きていく事に疲れた、もう充分、早く終わらせたい、楽になりたい、逃げたい。そういった考えを持つ人はいるんだよ。現時点で俺の行動は確かにアングラな訳だが、何年後、何十年後には俺の行動が当たり前となるような、そういう制度が出来るんじゃないかと、俺は密かに思ってるよ」

「本気で思ってるんですか? 私は全く思いませんよ。有ったとしたって不治の病の末期患者に対してってのが限界ですよ」

「そうか? 時代が変わるにつれ価値観も変わって行く。数年で変わる事もある。100年前ならこの日本だって戦争を是としていた。数百年単位で見てみれば身分カーストも存在した。そんな物だ」

「ですから、赤村さんの言い方は極端過ぎなんですよ」

「極端だろうが事実なんだよ。今は絶対じゃないんだよ。今が絶対と思っているから、俺の考えを受け入れられないんだよ」

「赤村さんの所に来た人の中で、もしかしたら、一時的に感情が高ぶってただけの人が居たかもしれないじゃないですか?」

「だから何だ? 説得して自殺を止めさせろってのか? 例えそう言う人が来たのだとしても、あくまでもその人の意志で俺の所へ来た。そしてその人が決断した。それだけの事だ。もし一時的な感情の物であるのなら、冷静になる時間はあるさ。俺の目の前、その場で死ぬ訳じゃない」

「だからって自殺を支援するって理解出来ないです」

「そりゃそうだろ? 自殺が出来るような法令なんて無いだろ? 支援する団体も無いし、場所も、方法も何も無い。違法にもなれば、時には迷惑千万と言える事をするしかないだろ? 世の中の自殺はそんなものだろ?」

「だとしても、理由は大事でしょ? その理由にちゃんと赤村さんは向き合ったんですか?」

「だからそもそもの前提が、自発的な自殺に対する支援が目的なんだよ。俺を頼った時点で、相手は自殺が目的なんだよ。俺はそれを止める立場で行動しているんじゃないんだよ。だから基本的に理由は問わない。あくまでも尊重するだけ。中には何も言いたくない、ただただ早く死にたいという人もいる。ま、そうはいってもさ、どうみても若いなって思う時と言うか、場合によっては問い質す事もある。その判断基準はあくまでも俺の第6感だけどな。さっきも言ったが、その理由が恋愛だの受験失敗だのの時には、丁重にお断りしているって訳だ。勿論、その後どうなったかは知らん。まあ、結局は早いか遅いか。それだけだろ?」

「死ぬのが早いか遅いかですか? でも、その差は天地の差でしょ?」

「人が亡くなるのに大した差じゃないさ」

「いやいや、天地の差のですよ。親が自分の子供の死を見る事が、大した事では無いとでも言うんですか?」

「それ自体、ありえない事ではないだろ?」

「どういう意味ですか?」

「毎日の様に、子供が亡くなるニュースは絶えない」

「事故や事件の事ですか?」

「それも含めてだが、結局は死に方の問題だろ?」

「はあ?」

「寿命で亡くなったら納得できるのか? 病気で亡くなったら納得できるのか? 事故で亡くなったら納得できるのか? 事件で亡くなったら納得できるのか?」

「赤村さんは何の話をしているんですか?」

「納得できる死があるのかと聞いている。むしろ、自分の意志で死期、死に方を選べる。それこそ、個人の意志を最大限に尊重する事だとは思わないか?」

「何の話ですか」

「寿命や病気、事故や事件。それらは大局で見れば他責と言っていい。まあ、煙草の吸い過ぎで肺がんになったなんてのは自責だと思うけどな。だが自殺は自責だ。それは正しいと思わないか?」

「責任の問題じゃないでしょ? 仮に責任というのなら、自殺は自己責任というよりも責任放棄ですよ。その事で家族親族、社会に対して迷惑になる事だってあるでしょ? 最初から放棄するって事じゃないですか」

「まあ、そうだな。う~ん、責任と言うより、尊重するか否かの問題かな」

「自殺を尊重しろと言う事ですか?」

「尊重するってのは大事な事だ。まさか井上は、生きたい人に対して申し訳ないと思わないのか、独りで生きているつもりか、なんて言うんじゃないだろうな?」

「いけませんか?」

「確かに人は独りで暮らしていけても、生きる事は出来ないと思う。だがそれでも、人にはそれぞれ事情って物があるんだよ。個人個人それぞれにな。それを無視して言うのか? 事情を話した所でさ、その事情って奴は受け止める人によっても価値が異なるだろ? その人にとっては大事な物でも、他の人にとっては無価値だったり、ゴミ以下と思う人もいるだろう。それなのにそんな言葉で説得するつもりかよ? そりゃ尊重していないと言えるんじゃないのか?」

「命の話をしてるんです。そう簡単に割り切れる話じゃない」


 赤村は「ふぅ」と、短いため息をついた。


「いいか井上。そこは割り切るんだよ。それが絶対正しいとは言わないが、俺はそれが正しいと思っている。そうだな、個人の決める事で最大の尊重すべき事だとと、俺は思う。他責で亡くなる事を『良し』とするなら、自責で亡くなる事も良しとしない方が疑問だ」

「そりゃ赤村さんが手伝った中には、死ぬ事しか選択出来なかった方もいたかもしれないですけど、中には現実から逃げてるだけって人だっていたかも知れないじゃないですか」

「だから何だよ? 逃げるなって言いたいのか? 別にいいだろ? 逃げたっていいだろ? 何のやる気の無い人だっているし、生きる気力の無い人だっているし、この世から逃げたい人だっている。当然、努力した人もいただろう。生きたい人は生きればいい。それに伴う努力をすれば良いし、あらゆる手段を行使して生きれば良い。努力が嫌ならさ、とりあえずは福祉とか、そういう支援団体を頼ればいい。俺はそれらの考え方や行動を尊重する。それに大概の人は努力しているんだよ。まあ、自分の出来る範囲内でな。でもって生甲斐も無い、やりがいも無い、何をしても生きている実感が無い、生きている意味が分からない。そういう人は常にいるんだよ。他人から見たら考えが甘いとかさ、努力が足りないだけだとか言うのかもしれないけどさ、そういう人もいるんだよ」

「……」

「良いか井上。それら全てはその人の価値観なんだよ。その人の選択なんだよ。お前の言は生きる事を無理強いするって事なんだよ。人の意思を尊重していないとしか、俺には思えないけどな」


 優しい笑みを浮かべつつ、赤村は諭すように言う。


「そう簡単に自殺を尊重出来る人なんている訳が無い……まあ、絶対にいないとは言い切れないにしても、極々稀でしょう? それに事故や事件で亡くなる事を『良し』としている訳じゃないでしょ? 不可抗力でもあり、仕方がないと諦めるという事でしょ? まさに泣き寝入りでしょ? 誰もが納得出来る訳じゃないでしょ? それで自殺は自責だから認めろなんて事、納得できる人がいる訳ないでしょ?」

「居ようが居まいが現実に求める人が居る。だから俺は逮捕された」


「……全く、話が噛み合いませんね」

「本当だな。ただ、そう言う現実が存在する。俺に頼る人達が現実に居るという事を知っていてくれれば、それで構わない。それに自殺する人からは『ありがとう』って最後に言われるぜ?」

「遺族からは罵倒されるでしょうけどね」

「はは、そうかもな。といっても、会った事は無いけどな……いや、俺に弁護士をつけてくれるなんて遺族もいたな……」

「は?」

「いや、何でもない。とりあえず理由はどうあれ、自殺願望を持つ人がいる事もまた事実。自殺する人が絶えないのも事実。これは否定出来ないだろ?」

「それでも会話が先です。自殺を手伝う前提なんて正しいとは思えません。救う事を念頭に理由を聞き、解決の方向を探るべく、話し合いをすべきと考えます。何か解決策があるはずと、そういう前提こそが正しいと思います」

「救う? じゃあ井上はその人に一生寄り添えるのか?」

「は? 何故、私が寄り添わなくてはならないんですか?」

「人の人生に口出すとはそう言う事だぞ? 一生付き合えるのか?」

「それは個人が決める問題でしょ?」

「その個人の出した答えに口出すって事だろ? お前はそれに対して責任を持てるのか?」

「何故、私が責任を持たなくてはならないんですか?」

「その人が決めた事を否定するからだよ」

「すぐに自殺を考えるのは正しくない、問題があるならみんなで話し合えば良いと言っているんです。その人が自殺を決断した理由が間違っているかもしれないでしょ?」

「だとしても、その時点で責任は分散するんだよ」

「自殺したい人の悩みを聞くのに、何故に責任が伴わなくてはならないんですか」

「本人が聞いて欲しいと言ったのか? そんな様子じゃ、綺麗事しか言えないぜ?」

「その立場になったら、ちゃんと論理的に問題解決に取り組みますよ」

「ふ~ん、どうだかな。だがな井上、それでも自殺者は存在する。俺はそれを支援する。う~ん、なんて言えばいいのかな。例えば自衛隊だ」

「自衛隊?」

「そう。日本国憲法で否定されている武力組織だ。本来は存在しないはずの組織だ。だが現実に存在する。言葉の上では防衛の為であり、攻撃の為では無いといっても、武力である事は間違いなく、その力は世界でも有数の力を誇る規模だ」

「自衛隊は関係無いでしょ?」

「法の話だよ。俺は自衛隊は良いと思ってるよ? 現実的に考えて護るべき物が存在し、いざとなれば、その力を行使する。それでも憲法違反の(そし)りを免れる事はないだろう。確かに今の憲法から見ればアウトだと俺も思う。それでも現実に必要であり、現実に存在している。法だの何だのが全てじゃない、絶対じゃないと言いたいんだがな」

「論点がすり替わっていますよ」

「そうか? 話の流れ上はあっていると思うけどな」

「別に個々の思想や信条に文句を言うつもりは無いです。言ってしまえば、赤村さんの考えも肯定はしませんが尊重はしますよ。だけど実行したらそれは違法であり、罪ですよ」

「クックックッ。井上、お前は警察官かよ。まー、公務員であるという点では、一緒かも知れないけどよ」


 赤村のその言い方に、井上は苛立ちを覚えた。


「井上よぉ、世の中には『絶対』なんて事は、そうそう無いんだよ。例外が存在した時点で絶対ではないんだよ。色々な場面で軽々しく『絶対にダメ』とかって言葉が使われるが、本当に絶対なのかって思う事は無いか? 考えた事も無いか? あんまり潔癖に考えすぎるな。武士じゃないんだからよ」


 赤村は呆れるとも嘲笑するともどちらとも付かない様な表情を見せた。そんな赤村の表情と言葉に、井上は更に苛立ちを覚えた。


「どういう事でしょうか」

「絶対に人を殺してはいけない。当然、絶対では無いよな?」

「それは死刑制度の事を言ってるんですか?」

「そうだ。法の下に行われるのも勿論だが、軍隊においては『敵前逃亡は死刑』なんてよく聞く話だろ?」

「知りませんよそんな話。自衛隊にそんなのあるんですか?」

「戦時であれば、の話だがな。とはいえ、まあ、流石に例えが極端だったな。まあ、そういった事がある時点で絶対では無い」

「じゃあ、赤村さんの仰る『絶対』ってどんな事ですか?」

「まず思いつくのが絶対緑地に絶対零度」

「はああ?」

「まあまあ、今のは冗談だ。で、絶対と言うと『生ある者は死を賜る』だな」

「当たり前でしょ? さっきも言ってましたね、そんな事」

「そうだったかな? まあ、当たり前と簡単に言うが、『絶対』って言葉を付けていい数少ない事の1つだ」

「故に、法を守ることは絶対では無いと?」

「そう言う事だ」


 井上は『それは屁理屈だ』と思ったが口にはしなかった。先ほど口にしたら『答えが窮すると屁理屈だと言って逃げる』と言われたばかりであり、また言われるのだろうと思った。それで話がループするのも面倒に思えた。それにも増して、子供じみた事をいう赤村に苛立ちを覚える。


「他にいい例えとしては……そうだなぁ……だいぶ前の話だけどさ、日本では以前『超法規的措置』なんて事で、テロリストに要求された囚人を刑務所から出獄させて、海外に逃がしたなんて事もあったんだぜ? 法律を無視して服役中の囚人を出獄させた訳だ。知ってるか?」

「……知りません」

「国内外からは『テロリストに屈した』って言われているけどな。その時の総理大臣がアホだっただけかもしれないが、何にしても、当時の国家の首長が自ら法を意図的に逸脱した。法という物は絶対(・・)では無いという事を、首長自らが証明したという言い方も出来る。そういった実績がある訳だ。まあ昭和40年代位の話だけどな。まあ、法なんて物はさ、時代を背景に変遷してゆく物でもある訳だけどな」

「今の赤村さんの話については国家を守るというような『大義』って事で、なんとか治まりそうな話のようにも思えます。それにそんな極端過ぎる過去の話を持ち出されても何も響きませんよ。そもそも、赤村さんがそんな風な事を考えながら仕事していたなんて、私は夢にも思いませんでしたよ」


 井上は俯き嘆息しながらに言った。


「ははは。まあ、当然だな。誰にも話した事もないしな。まあ、ここで働いていた時には漠然と違和感を感じてたってだけだし、ここを辞めてからハッキリとしたビジョンが見えてきたって感じかな」


 昔を思い出すかのようにして、赤村は天井を見つめながらに言った。


「そうだったんですか」

「そうだったんだよーん」


 赤村のその言い方に、井上はイラッとした。だがふと昔を思い出し、「そう言えば昔の赤村はこんな感じだったな」と、今は話している内容が内容だけに、赤村のその態度に苛立ちを覚えはするものの、「赤村は昔と変わっていないのだな」と、ふと懐かしく思えた。


「じゃあ、赤村さんはここで働いていたから、そんな考え方を持つ様になってしまったんですか?」

「う~ん……どうなんだろうなぁ。まあ、そう言えなくもないわな。うん、そうかもな。ここで働く前までは自殺する人の事なんてさ、正直深く考えた事もないなしなぁ。むしろ見下していたかなぁ」

「それはまた随分な変わりようですねぇ。私だってそれなりに多くの死に立ち会っては来ましたけど、私は赤村さんの様に考えた事は一度もありませんけどね」


「それこそ人それぞれだろ? 逆に俺は何の疑問も抱かないお前達の事を疑問に思ってるし、法を絶対、まるで神の教えのように扱うお前達が潔癖過ぎるとしか思えん。そういうのはさ、いつか自分の首を絞める事になる可能性があるってのを分かってんのかな? まあ、その時にはあっさりと法を破るんだろうがな。それを追及されたら『緊急事態だった』とか『ああするしかなかった』『悪いとは思っていない』とかって平然と口にするんだろうな。でもって過去に『法を守る事が絶対だ』なんて発言をしてたとしてさ、それを言質に何か言われたら『あの頃は若かった』とか『年齢を重ねれば意見も変わる』ってさ、平然と口にするその姿が容易に想像出来るぜ。ははは」


 赤村は嘲笑っていた。


「法を遵守する事が潔癖過ぎ……ですか?」

「完璧主義と言うかさ、完全に遵守しようとする事が潔癖過ぎ、と言う事だな」

「秩序を保つ事は大事な事です。それにそこまで完璧に遵守しようなんて思ってませんよ」

「秩序を保つ事、それ自体は否定はしない。つうかさ、他人に対する完璧主義って言い方の方が正しいのかもな。こんな事はすべきでは無いとかさ。とはいってもさ、軽犯罪の類は大抵の人が犯している物だがな。まあ、それも人それぞれであり、それもまた然り、と言うところだな。法律としては存在するが、これ位なら法を犯しても良いだろうとか、自分で勝手に線引きしているだけだ。それと同じで俺は殺人や傷害といった故意に人を傷つける行為は違法として線引きしている。その線の内側に『自殺ほう助』が入っているだけだ」


 井上は呆れるようにして、短いため息を1つ付いた。


「いくら聞いても、赤村さんの思想はマイノリティ……というか、他に赤村さん同様の事を考える人がいるとは思えませんねぇ」

「マジョリティで有る必要は無いさ。世の中に訴えるつもりも無いしな」

「大往生というか、それなりに年齢を重ねているというならまだしも、若くして棄てるという人生に意味があるんですかねぇ?」

「だから気にし過ぎだって。もっと気楽に考えろよ。長生きだけが幸せみたいにしか聞こえねーぞ?」

「そんな事言ってないでしょ?」

「生きるには金は勿論だが、それなりに意志や気力が必要だ。それが無い人だっているんだぞ? それに対して他人が言える事なんてさ、根性論か綺麗事位じゃないのか?」

「そんな事は無いでしょ? 頑張っている人達の話とかを聞かせれば、その人に響く事もあるでしょ?」

「頑張るってか? ははは」

「何がおかしいんですか?」

「別に頑張らなくたっていいだろ?」

「なら、楽して生きたいって事ですか?」

「頑張らないと生きてゆけない。それは正しいのか?」

「それなりに必要です。間違っては無いと思いますがね」

「それの延長に過労死があり、人を追い込む要素にもなる気もするけどな」

「だから赤村さんの発想は極端過ぎなんですよ。多かれ少なかれ頑張るというか、努力する事は必要だと思います。あとは限度の問題だけで、それは別問題です」

「殆ど人はさ、頑張ったんだよ。その人なりにな。それに対して『俺はもっと頑張った。お前は努力が足りない。考えが甘い』なんて言うつもりか? 井上のその言葉はさ、無理強いにも聞こえるぞ?」

「なら、もう少し丁寧に正しく説明すればいいだけの事です」

「だいたいよぉ、頑張る人の話をするとかさぁ、そういうやり方は正しいのか?」

「間違ってますか?」

「自分よりも辛い人の話をして訴える、自分よりも下がいるから大丈夫みたいに聞こえるぞ?」

「そんな事言ってないでしょ?」

「そんな風に受け取る人もいるって事だよ。まあ、お前の言う事を綺麗事と切り捨てずに正論としてもだな、だから何だというんだ? その正論を以ってして、自殺を止められるというのか? 俺には止められるとは思えない。根本的に自殺を止める事なんて不可能なんだよ」

「自殺を制止する努力をすべきではないかと言ってます。重篤な病や傷を負っていたとしても、経済的に困窮していても、夢が破れても、家を失ってホームレスになったとしても、それでも前向きに生きている人は沢山います。楽しんで生きている人、生きようとしている人がいます。それがマジョリティのはずです。きっと術はあるはずです」

「クックッ。ああ、すまんすまん。流石に綺麗すぎて笑ってしまった。だからよ、何度も言うが人それぞれで、その人の価値観なんだよ。どんな状況においても何があっても生きようとする人もいるし、逆に1度の失敗、ちょっとした事でも絶望する人もいるんだよ」


 全ての言葉が『価値観』『人それぞれ』と、そんな言葉で掻き消される。その言葉を突破する事が出来ない事に、井上は苛立ちを覚える。ひょっとして赤村の行動や思想が世間のマジョリティだったりするのだろうかと、自分がマイノリティである可能性もあるという事なのだろうかと不安すらも覚え始め、頭の中で反論を試みるも纏まらない。赤村が口にする『個人の意思を尊重する』という言葉の意味も、漠然と理解は出来る。だがそれが『死』である場合、それはどこまでを尊重すべき物なのだろうかと、改めて叩きつけられた気もした。

 井上の中にあっては思想は無限であるが、行動に於いては法令が限界と、そう漠然と思っていた。そして赤村に対しても「それは違法だ」と反論してきた。だがその法も今が全ての絶対的な物では無く、将来に於いては『自殺を容認し補助する』といった法令も「絶対」に発布されないとは言い切れない。万が一にもそんな法令が発布された場合、自身はその法を盾に死へと向かおうとする人の事を黙って見送れるだろうかと、法律だからと簡単に割り切れるものなのだろうかと。だとすると、今の自分は単に法の枠の中で命の重みを語っているだけではないのだろうかと、「人」を語っているのでは無く、単に法令順守(コンプライアンス)の話しかしていないのではと、そう思うと自分自身が何か嫌な物にすら思えてきた。逮捕された赤村が悪いはずなのに、何故か自分が悪にすら思えてきた。そんな赤村の価値観と自分の価値観とが、頭の中で喧嘩して一向に纏まらない。


 部屋の中には沈黙が流れていた。井上は眉間に皺を寄せながら、持参していたタブレット端末をジッと見つめていた。赤村はそんな井上を黙って見つめていた。


「それじゃ井上」


 井上はおもむろに目線だけを上げた。


「……何でしょうか?」

「とっととやって貰おうか」

「やるって何をですか?」

「安楽死に決まってるだろ?」

「……今ですか?」

「そうだよ。次は俺のターンってとこか」


 赤村は少し格好つけるようにしてそう言うと、ニヤっと笑った。


「残念ですが、まだ赤村さんはそれをする事は出来ません」

「……何で?」


 赤村は眉間に皺を寄せた。と同時に、格好つけて「俺のターン」と口にした直後、真顔で否定されたしまった事に少し恥ずかしさを覚えた。


「お忘れですか? 赤村さんは逮捕されてから直ぐに此処にいらっしゃったので、まだ警察の捜査が終了していません。ここで警察の取り調べを受けて、捜査終了、書類送検が完了した段階で、それが可能となります」


 赤村はおもむろに天井を見上げた。


「……そういえば……そんなルールだったけな……。ここに収監された終末通知の受領者で、それが被疑者の場合には、弁護士を呼ぶ事も叶わず、起訴もされず、裁判も受けられずに書類送検をもって事件は終了。そして被疑者たる俺はここで安楽死する。安楽死を選択せずとも、最長でも終末日を以てここで死ぬ。ここに収監された段階で、もう2度と、この施設から外へ出る事は出来ない、だったか?」


 赤村は記憶を辿るようにして、天井を見ながら独り言のようにして言った。


「ええ、その通りです。なので赤村さんが安楽死をしたいと言っても、書類送検までは無理ですね」


 井上のその説明に、「ふぅぅぅ。まあ、それはしょうがないかぁ」と、赤村は嘆息しながらに俯いた。


「赤村さんの考え方についてはゼロとは言いませんが、やはり圧倒的多数が否定すると、私は思います。決して多数を占める事は無いと、そう思います」

「別に沢山の人に肯定してもらいたい訳じゃない。マイノリティだとしても現に必要とされた。それで充分だし、それは否定できない現実だ」

「自分は正しいと。あくまでも、そういう考え方なんですね」

「正しいと思うからこそ行動してきた。さっきも言ったが沢山の人に肯定、支持されたい訳じゃない。世の中に訴えたい、世の中を変えたいなんて崇高なものでもない。俺なりに考え、その考えに対する需要があり、俺は供給した。ただただ、それだけの事だよ」

「その言い分を違法薬物に例えたら、かなりの悪人って感じですけどね」

「なるほどね、面白いな。ははは」


 笑顔の赤村を見ながらに井上は思う。もう充分に話し合った。赤村の考えも十分に聞いた。決して肯定はしないが、とりあえず理解はした。もう充分だと、決して相容れる事は無いと。

 

「他に何か言いたい事とかありますか?」

「いや。無いよ」

 

 仏頂面の井上に対し、赤村は終始笑顔のままだった。


「そうですか。では、移動しましょうか」


 その後赤村は、聴取室と同じ地下1階にある個室へと移された。8畳程の広さを持つコンクリート打ちっ放しのその個室。その部屋はカーテンのみで仕切るシャワーと、高さ1メートル程の高さで囲われた剥き出しの便器だけのトイレ。そして床に固定されたベッド。同じく床に固定された机と椅子と、そんな物々しくも殺風景な部屋だった。

 廊下側の壁が透明なガラスで出来ているその部屋は、そこが地下であるからして窓も無く、外の様子はおろか天気すらも分からないという部屋であり、天井4隅には監視カメラが設置され、24時間常時監視されるその部屋は、完全に独房であった。赤村はその部屋でようやく手錠を外された。そして本来であれば、その独房や安楽死についての説明を井上がするはずではあるが、ここの職員でもあった赤村と言う事で、そう言った説明は一切されず、赤村は「やれやれ」と、そう呟きながら、床に固定されているベッドの上に、靴を履いたままゴロリと仰向けに寝転んだ。


「私はこれで失礼します」


 ベッドに寝転ぶ赤村を見ながらに井上がそう言うと、「おう、またな」と、赤村は寝転んだままの姿勢で答えた。そして井上は憮然とした表情で以って、警備員達と共にその場を後にした。

 赤村は何をするでも無く、ただただ天井を見つめていた。もう何をするでもない、もう何も出来ない。あとは警察の事情聴取に付き合い、警察から検察への書類送検を待ち、それを以って安楽死をするだけで、他にする事はないし何も出来ない。だが自分なりに正しいと思う行動が出来たと、満足と迄は言えないにしても、それなりに妥協出来る最後だと、そう思いながらに天井を見つめていた。


 以降7日間に渡り、警察が終末ケアセンターまで出向き、赤村の事情聴取を行った。


「ふぅ……これで聴取終了ですかね」

「だと思います。全て話したと思いますよ」


 終末ケアセンター地下の聴取室。赤村の事情聴取をしていた中年男性が疲れ果てた様子を見せていたのに対し、赤村は血色も良く笑顔であった。


「にしても性別も年齢もバラバラ。何で皆さん、そんな簡単に命を捨てちゃうんですかねぇ」

「人にはそれぞれ事情がありますからねぇ」

「自殺したい事情……ですか? やばい所からの借金で追い込まれてたなんて事なら、まあ理解を示さない訳でもないですがねぇ」

「生死なんて人の価値観ですから、千差万別ですよ」

「なるほどね。しかし自殺者の中に10代の人がいなかった様ですが、断ってたとかですか?」

「いえ、たまたま居なかったというだけですよ」

「じゃあ、もしも10代の方が自殺したいとかで赤村さんを訪ねていたとしたら、どうしましたか?」

「基本的にはお手伝いしましたよ。恋愛の悩み、受験失敗とかの理由でなければね」

「でも10代での自殺理由なんて、そんな理由が大半じゃないんですかね?」

「いじめを苦にとかあるでしょ?」

「ああ、いじめですか……その場合は手伝う。と言う事ですか?」

「恐らくですけどね。なんだかんだで子供は逃げ方も分からなければ、逃げ場も無いですからね。未成年で有れば独りで生活する自体、ハードルが高い事ですしね。そうすると逃げ場は自ずと1つに絞られますよね」

「それこそ教員や親や周囲に助けて貰うって事が、正解なんじゃないんですかね?」

「そうでも無いでしょ? 実際いじめを相談されたとしても、それほど深刻に考えないんじゃないですかね? それに大人に出来る事なんて、実際には少ないでしょうしね。事が起きて初めて深刻な問題だったと周囲全てが騒ぎ出す。それの繰り返しだと思いますよ? 公になり報道されたりして深刻だったという事をようやく理解する。そこからそれなりの対策を考える。若しくは責任は無いとして知らん振りをする。まあ、とにかく常に後手になる」

「でも事が起きてからじゃ遅いでしょ?」

「事が起きる前だと早いんですよ。事が起きる度、そんな言葉が躍りますけど、実際には事が起きてから真剣に考え動き出す。みんなそうでしょ? 警察だって事が起きなきゃ動かないでしょ?」

「いやあ、そう言われると耳が痛いですね。ははは」

「まあ、警察はしょうがないのかも知れないですけどね。自殺する前だと目に見える被害が確認できなければ民事扱いとして介入は難しく、自殺した後なら刑事の可能性があるから介入出来る」

「まあ、そうですね」

「血が流れて初めて事が動き出すってのは、世の常だと思いますよ? そしてテンプレートの如く皆が言う。『どうして助けられなかったのか』ってね。ははは」

「いやあ、反論しづらいですね……」

「まあ、それは警察だけの話では無く、私達社会に生きる人すべての人に言える事ですし、そもそも出来る事は限られますしね」

「なるほど、自戒も含まれているという事ですか……」

「自戒というか、概念に近い物ですかね」

「そうですか……。そういえば、赤村さんが自殺をお手伝いした方については、ご自分で確認はなさったんですか?」

「自殺したかどうかの確認ですか? いえ、してませんよ」

「そうですか。とりあえず我々の方で確認しましたが、皆さん、お亡くなりになっておりましたよ」

「そうですか」

「あちこちで亡くなっていたようです」

「あちこち?」

「ああ、場所についてです。海が見える場所、人気のない山の中、廃村とか色々です」

「ああ、そう言う事ですか」

「そういう場所とかも、赤村さんが提案したって事なんですよね?」

「ええ。相手の希望を聞いて、私の方で探して、いくつか提案させて貰いましたよ」

「提案ねぇ……。で、満足ですか?」

「満足? いえ、そういう気持ちはないですね。逆に悲しくもないですが」

「満足でもなく、悲しくもない。と言う事ですか」

「それを生業としていた訳でもないですし、仮に自殺を思い留まった人がいたとしても、何とも思いません」

「ん? じゃあ、何の為だったんですか?」

「自殺したい人のお手伝い。苦痛を伴わず、楽に死ねるように、少しでも憂いを残さない様にと、ただただそれだけです」

「なるほどね……と言っても、何度聞いても私には理解出来ませんね」

「ははは。まあ、そうかもしれませんね。数年前なら私も理解を示さなかったと思いますよ。ははは」

「にしても、この期に及んでそんな軽口叩けるなんて、ある意味凄いですねえ」

「この期とは?」

「あと3週間程で、赤村さんはこの世を去るんですよね?」

「ああ、終末日の事ですか」

「ええ。それなのに何でそんなに陽気なんですか?」

「明るく振る舞っているつもりもありませんし、終末日を待つつもりもありません」

「と、いうと?」

「被疑者として終末ケアセンターにいる場合、警察の捜査が終了、若しくは検察に書類送検される迄は安楽死出来ないんですよ」

「ああ、そうなんですか。すいません、あまりここの事情を詳しくは知らない物で。だとすると……?」

「ええ。書類送検された段階で、安楽死を選択するつもりでいます」

「そうなんですか?」

「ええ。なので早く検察に書類を送って下さい。もしかしたら捜査不十分で送り返されるかもしれないんでしょ? そしたら追加捜査で更に時間が必要になるんでしょ?」

「はは。まあ、そうですね。そこはちゃんとやりますので、安心して下さい」


 陽も射さない地下の一室に於いて、被疑者と刑事は笑顔を交えてながらに会話をしていた。


「それでは調書に署名と拇印の押捺をお願いします」

「はいはい」


 そう言って赤村は、手錠されたままの手で以ってボールペンを持ち調書に署名し、親指を使って押捺した。


「はい、結構です……とはいっても、どうせ起訴出来ないから意味があるのかどうか……」

「ははは。ですね。申し訳ないですねえ」

「あ、それとですね……」

「まだ何か?」

「赤村さんが逮捕された時に一緒にいらした女性、覚えてますか?」

「ああ、はいはい。覚えてますよ。あの方も逮捕されたんですか?」

「いえいえ、あの方は別に違法な事は一切しておりませんでしたからね。一応事情聴取と言う事で、あの日は警察署でお話を伺いまして、そのままお帰り頂きました」

「そうでしたか」


 赤村は、それは良かったとでも言いたげに、笑みを浮かべて俯いた。


「まあ、自殺願望がある方という事でしたのでね、我々の方で知っている限りの支援団体等の情報もお教えしたんですがね……」

「そうですか」

「残念ながら昨日、お亡くなりになりました」

「……」

「自殺でした」

「そう……ですか」


 赤村は寂しげな笑みを浮かべた。口には出さなかったが、「それは残念だ」と、そう表情が語っていた。


「何でも女性が恨んでいたという男性の部屋に忍び入って、その部屋で首を括ったとかでね。まあ、我々の管内で起きた事では無かったのでね、その場に立ち会った訳では無いのですが、そういう情報が我々の方へ入ってきたという次第です」

「そうなんですね」

「本当は赤村さんに話す必要も無いとは思いましたけど、まあ、赤村さんの憂いを少しでも無くせればなと……」

「なるほど。お心遣い痛み入ります。じゃあ、単なる自殺で片付いたという事ですか?」

「まあ、そうですね。部屋の持ち主の男性はこれと言って罪を犯していた訳ではありませんでした。遺書も無く、男性の言も一応筋が通っていました。その女性とは金銭のやり取りもあったようですが、全て合法、合意の上という事で、結果的には男女間の痴情のもつれによる自殺という事になりました。加えてその女性は不法侵入、部屋の備品類の器物破損と言う事で、容疑者死亡の書類送検もなされました」

「……まあ、しょうがないですねぇ。それが警察の仕事ですもんねぇ」


 赤村は少し首を傾げなら、目の前に座る刑事の目を見つめた。刑事は赤村のその目が「その女性はさぞ無念だったでしょうね」と、そう言っているように見えた。


「いや、そんな目で見ないで下さいよぉ。我々も法に縛られている立場なんですし、出来る事なんて少ないんですから」

「私は何も言ってませんよ。ちゃんと警察の仕事を理解していますよ」


 困り顔で苦笑いをする刑事に対して、赤村は嘲笑しているようだった。


「男性が軽くでも良いから何かしらの罪を犯していれば、私達にも何か出来たかも知れませんけど、ほんと何も無い。男性から詳しく話も聞きましたけど、ただの民事上のトラブルしか無かったんですから」

「だから、何も言ってませんって」


 赤村はそう言って苦笑いをする。


「まあ、事が終ってから言うのもなんですが、赤村さんの行為を認める事は出来ないにしても、もしかしたら必要悪って事で、必要な人には必要なのかもしれませんね」

「褒め言葉として受け取っておきますよ」

「さて、それじゃあ、私はこの辺で失礼いたします」

「ご苦労様でした」


 そして刑事は席を立ち、部屋から出ていこうとドアノブに手を掛けた瞬間「あ、そうだ」と、何かを思い出したかのようにして立ち止まると、赤村の方へと振りむいた。


「赤村さんに聞いておきたい事があったんだけさ」

「はい、なんでしょうか?」

「『スーサイドワーカー』って聞いたこと無い?」

「『スーサイドワーカー』? そんな風に呼ばれた記憶は無いですね」


 赤村は首を傾げながら言った。言われた事のない呼び名でもあったが、何よりも「ワーカー」という言葉に少し引っかかった。


「いやね、今回の事件での聞き込みでさ、そう呼ばれている人がいる、みたいな噂話を聞いたものでね。当初我々もそれは赤村さんの事だと思ってたんだけどさ、どうも赤村さんのそれとは様子が異なる感じでね」

「へえ。じゃあ私以外にも私同様の活動をしている人がいるという事ですか?」

「まあ、あくまでも噂話でね。私達も実体を確認した訳では無いんだけどさ」

「じゃあ、あくまでも噂と言う事ですか」

「ええ。話してくれた人も誰かから聞いた話って事で、私らに教えてくれた程度なんだけどさ」

「なるほど。ちなみに私とは様子が異なるとはどういう事ですか?」

「それがね、積極的に自殺に(いざな)うっていうんですよ」

「誘う? 自殺に追い込むって事ですか?」

「いえいえ、そこがまた微妙な話でしてね。一応、赤村さん同様に自殺志願の人がその人を頼るというのは同じなんですよ。でね、自殺の方法や場所等の支援についても同じ」

「話を聞いている限り、私と同様に思えますがね……」

「ええ。最初聞いた時には私もそう思いました。ただね、その人は積極的らしいんです」

「積極的……どうも、違いがよく分からないんですがね」

「相手の話を聞くというのは赤村さんと同じです。ただ、そのスタンスが異なる」

「スタンスですか?」

「ええ。赤村さんは否定せず、肯定せず、ただただ聞くという事ですよね?」

「ええ。まあ、概ね、そうですね」

「その人は、相手の言葉を聞いて、その言葉を盛ると言うか、煽るように持って行く、同情しながら相手の気持ちを煽る感じらしいです」

「あおる?」


 赤村は眉をひそめた。煽ると言うのがどういう事なのか理解しかねた。


「はい。『何々が辛い、苦しい、だから死にたい』と言った相手に対して、『ですよね。これからもその苦しみは続きますよね』とか、『やはりそこから抜け出すには、この世から去るしか方法は無いですね』とか、『来世を信じましょうよ』とかね」

「ああ、そう言う意味ですか」

「ええ。そういった言葉のやりとりを以って、自死させる方向へと積極的に持って行くらしいんです。まあ、実体も怪しい噂話ですけどね。もしかしたら赤村さんが知っているかなと思って聞いてみた次第です」

「そうですか。いや、全く知りませんでした……」

「ああ、なら結構です。すいませんでしたね」

「警察は動かないんですか?」

「実体が不明な噂話ですからね。警察が動く根拠にはなりませんよ」

「そう……ですか……」


 赤村は不快感を覚えた。結果から見れば同じなのかも知れないが、自分はそんな扇動するようなやり方をする奴と同じなのかと、同じ穴の(ムジナ)として見られているのかもしれないと、そう思うと多少なりとも不快に感じた。


「それじゃ、赤村さん。お元気で……っていうのは違うか。え~と……それでは赤村さん。さようなら」

「ははは。はい、御苦労さまでした。それでは、さようなら」


 2人は笑顔で以って、永遠の別れの挨拶をした。そして刑事はそのまま終末ケアセンターを後に、赤村は警備員に囲まれながらに、再び独房へと戻って行った。

 そしてこの事情聴取が終了してから数日後、赤村を被疑者とした15人にも及ぶ『自殺ほう助』に関する事件は書類送検されると共に、検察庁に受理された。


 終末ケアセンター地下にある独房は、地下1階と2階にそれぞれ20室の計40室あり、独房に収監された者の中には一晩中喚き続ける者がいる事からも、非常に遮音性の高い造りとなっていた。分厚いガラスの壁と頑丈な扉は音を一切漏らさず、独房内と廊下側で話す場合であっても、壁や天井に埋め込まれているマイクとスピーカーを要した。


 ある日の午後、赤村の部屋の前にやってきた井上は、廊下の壁に設置してあるマイクボタンをオンにした。


「赤村さん」


 ベッドの上で仰向けに寝ていた赤村は、天井に設置してあるスピーカーからのその声で瞬時に目を覚ますと、おもむろに上半身を起こした。そして体を捻る様にして、後方のガラス壁へと目をやった。その壁の向こうに井上の姿を確認すると、その顔には瞬時にして笑みが零れた。


「おお、井上か。久しぶりだな。もっと顔見せてくれても良いんだぞ? なんせここは暇すぎるしな」

「……」

「ん? 何だよ?」

「あ、いえ……あの、先ほど警察から連絡がありまして、無事に書類送検が完了したそうです」

「ふ~ん、そうか。以外に時間かかったな」

「そうですね。何せ被害者……という言い方が適当かどうかは分かりませんが、赤村さんが手助けされた方が15人も居らした訳ですしね」

「なるほどね……じゃあ、井上。準備の方を、よろしく頼む」

「……本当に宜しいんですね?」

「勿論」


 井上はマイクスイッチをオフにすると、その場から静かに去って行った。それから30分程の後、井上は赤村の元へと戻ってきた。


「赤村さん。準備できました」


 赤村はベッドに腰掛け、両手を組みながらに両肘を膝につき、目を瞑りながら俯いていた。そして天井からのその声に目を開くと、ガラス壁の方へとゆっくり顔を向けた。


「……おお、待ってたよ」

「あの、場所はどうしますか? この部屋で行いますか? 外に行きますか?」 

「そうだな……じゃあ外でお願いするよ」

「分かりました。では、奥の壁に向かって立ち、後ろ手を組んでください」

「はいはい、分かってますよぉ」


 赤村はおもむろに立ち上がると奥の壁際へと向かい、壁の方を向いた状態で後ろ手を組んだ。それを見た井上は、ネックストラップで吊り下げていたIDカードを手に取ると、壁面に設置されている電子錠にかざした。すると甲高い電子音と共に、ガチャリといった機械音が聞こえた。その音を合図に、井上に随行していた4人の警備員の内の1人が、外開きの重厚な扉を開けた。その扉に吸い込まれるようにして、残りの警備員が部屋の中へと入り、真っ直ぐに赤村の元へ向かった。そして2人が赤村の両脇に立ってそれぞれが赤村の腕を掴むと、残った1人が赤村の後ろ手に、手際よく手錠をかけた。


 後ろ手に手錠という姿の赤村は、警備員2人に両脇を抱えられた状態で、地下の廊下を歩かされていた。その赤村の前には、腰の高さ程のキャスター付きワゴンを静かに押す井上の姿があった。そのワゴンの上には、焦げ茶色をメインに金色の装飾が施された万年筆が1本と、バインダーに挟まれたA4サイズの書類。そして使い古された感じの残る、高級そうな木箱が乗せられていた。蓋の無いその木箱の中には、赤いサテン生地のクッションの上で、シャンパングラスと呼ばれる細長いグラスと、細長い薄茶色の意匠ある瓶が、横になって置かれていた。その瓶の中にはどす黒く見える液体が入り、スクリューキャップできっちりと封じられていた。


 無機質な蛍光灯で照らされる薄暗い廊下の突き当たり。そこには、2メートル幅の鋼鉄で出来た扉があった。井上はその手前、電子錠が埋め込まれた壁の前で足を止めると、先程同様にIDカードをかざした。すると甲高い電子音と共に、今度は先程よりも重厚な「ガチャン」という機械音が聞こえた。その音を合図に、赤村の後ろにいた2人の警備員が、両外開きのその重厚な扉を目一杯押し開けた。


 扉を開けたその先には、7メートル四方の50平米、凡そ30畳程といった芝生広がる庭があった。といっても、そこは単に地下に造られた吹き抜け空間といった様相で、緑の芝生があっても、何処か無機質な雰囲気を漂わせていた。

 その空間の正面と側面は、5メートル程の高さのコンクリート壁で囲われていた。その正面奥の壁近くには、地面に固定されている事が傍から見ても分かる、鈍い銀色の光を放つステンレス製の椅子が1脚と、丸い小さめのテーブルが置いてあった。


「外と言っても、これだもんなあ」


 嘲笑うかのようにして呟いた赤村のその言葉に、井上は何ら反応を示さず、「では行きましょうか」と、先に庭へと出ていった。その後を追うようにして、赤村達も庭へと出ていった。

 井上はテーブルの傍で立ち止まり、その脇へとワゴンを置いた。すぐに来た赤村は椅子の傍で立ち止まり、そこで片手の手錠が外されると、両手を前に再び手錠を掛けられた。そして警備員により半ば強制的に椅子に座らされると、その足元も手錠で固定された。


「別に逃げやしないってのによ」


 赤村は呆れるようにして言った。井上はそんな赤村に一切反応しないままに、ワゴンの上のバインダーと万年筆を手に取り、テーブルの上、赤村の目の前へそっと置いた。


「特に説明は不要ですかね?」

「何年もやってきた事だ。今更説明なんているかよ」

「ですね……では、署名をお願いします」

「この手錠は外してもらえないんだな」

「ええ。ご存じでしょうが、規則ですので」

「はは。知ってるよ。聞いてみただけだ」


 赤村は嘲笑を交えながらにそう言うと、テーブルの上に置かれた書類に目をやった。


【終末ワイン摂取承諾書】

 このワインを摂取すると、直ちに安楽死を迎える事になります。

 あなたがそれを望むのであれば、下記に自筆でご署名をお願いします。


 そんな短い文面の下には署名欄があった。赤村は手錠されたままに、テーブルの上に置かれた万年筆を手に取ると、キャップを外し、書き辛そうな姿勢で以って、署名欄に自分の名前をササッと書き入れた。そして「ほら、書いたぜ」と、万年筆のキャップを嵌めながらにそう言うと、それをそっとテーブルの上に置いた。


「有難うございました」


 井上は承諾書を手に取ると、上着内ポケットにしまってあったボールペンを取り出し、担当者欄に署名した。そして承諾書と万年筆をワゴンの上へ戻すと、そのワゴンの上の木箱の中のワイングラスを取り出し、テーブルの上、赤村の目の前にそっと置いた。次いで木箱の中のワインボトルを手に取ると、おもむろにスクリューキャップの栓を開け、そのまま赤村の目の前に置かれたワイングラスへと、全量を注いだ。そして注ぎ終わった空のボトルは丁寧にキャップが閉められると、木箱の中へと戻された。


「よう、スーサイドプランナー」


 陽気なトーンで以って、井上の背後からそんな言葉が投げ掛けられた。赤村と井上の2人は同時に声がした方へと顔を向けた。その2人の視線の先には井上の上司、赤村のかつての上司だったカウンセリング課の課長である、下田(しもだ)重久(しげひさ)の姿があった。下田は笑顔を蓄えながらに、軽快な足取りで以って、2人の元へと歩み寄ってゆく。その顔を見た赤村は、瞬時に笑顔を見せた。


「あれ、どーも、ご無沙汰してますね。下田課長」

「赤村、元気だったか? ってこの状況では不謹慎すぎる言い方か? ははは」


 既に50歳を超えている下田の、短く刈られた髪は所々が白くなっていた。


「ははは。別に構いませんよ。全然元気です。これから自分が死ぬなんて想像出来ない位にね。にしてもまだ課長がここのケアセンで働いていたなら、もう少し早く会いに来てくれても良かったんじゃないですか? てっきり、どこかに左遷でもされちゃったのかと思ってましたよ」


 下田は井上のすぐ隣迄来ると、そこで足を留めた。


「ははは。馬鹿言ってんじゃねーよ。俺だってそれなりに忙しいんだよ……しかしよぉ、まさかこんな形でお前と再会する事になるとはな……」


 下田は笑顔でそう口にしたが、その笑顔はどこかぎこちなかった。本当は、赤村がここに連行された日に会いに行こうと思っていた。だが行く事が出来なかった。かつての部下。数年間一緒に働いた部下。息子と言ってもおかしくは無い程に年齢が離れている赤村とは、遅くまで酒を酌み交わしながらに馬鹿話をした事もあった。そんな赤村がもうすぐ死ぬ為に此処に来た。そんな赤村とどんな表情で会えば良いのか分からなかった。

 昨年に突然退職した赤村。理由はテンプレートの自己都合。慰留するつもりで詳細を聞こうとしたが曖昧な答えに終始し、本人の意思を尊重するつもりでそれ以上は聞かなかった。そんな赤村が退職後、まさか自殺の手伝いをしていたなんて夢にも思わなかった。その事にも驚いたが、自分よりも遙かに若いかつての部下が終末通知を貰い、よりにもよって自分の職場に連行されて来た事に再び驚いた。

 井上からは『赤村さんに会いに行かないんですか?』と何度も言われた。その都度、忙しいを理由に先延ばしにしてきた。そして今日ソレを実行するとの報告を受けてようやくその重い腰を上げたが、それでも悩み続けていた。どんな顔で赤村と会えばいいのだろうかと、直前まで考え続けていた。そして庭と思しきその空間に足を一歩踏み入れて、凡そ一年ぶりとなる赤村のその姿を遠目に見た瞬間に「とりあえず明るく振る舞おう」と、そう思って、最初の挨拶は一緒に働いていた時と同様明るく振る舞った。

 だが近くで以って実際に対面してみると、手錠されている事もあってかその姿が哀れに見え、以前同様明るく振る舞おうとはするものの、それは結果として不自然な作り笑いとなっていた。


「井上にも同じ様な事を言われましたよ。まあ、気にしないで下さいよ。誰にでも訪れるものなんですから。早いか遅いかと、それだけの事です。それに期間は限られているとはいえ、死期を自分で選べるだけ恵まれていると思ってますよ。更に言えば苦しみも痛みも無くなんて、贅沢な最後と言えるんじゃないですかね。ははは」


 赤村は嘲笑では無く、普通に笑って言った。


「もうすぐこの世を去るってのによ、随分と明るいじゃねーか。ひょっとして『すぐに生まれ変わるから大丈夫』とか、輪廻転生するなんて馬鹿な事を思ってんじゃないだろうな?」

「ははは、そんな馬鹿な事、思ってませんよ」

「思っていないのにその明るさとはなぁ。俺には理解出来んよ」

「ははは、まあ、井上にもそんな事を言われましたよ」

「そうかよ……しかし赤村よぉ、スーサイドプランナーなんて呼ばれて満足か? まだ30歳にも満たないで死んでいく事が幸せか? それで本当に満足なのか?」


 下田は困った笑顔を見せながらに聞いた。


「満足……う~ん……満足とまでは言いませんが、出来る限りの事はしたと思っています。最後は自分の思い通りに動けましたからね。それに死期が分かる事、苦しみ無く逝ける事には有難みを感じていますよ。それに井上にも言いましたけどね、スーサイドプランナーってのは、私が支援した人達が言い始めた事ですからね。そこは覚えておいて下さいよ? 自分から名乗ってたなんて言い触らさないで下さいよ? そんな事したら呪いますからね?」

「ははは、分かったよ。しかし自殺の手伝いをしたお前が若くして終末通知を貰うなんてさ、なんの因果だろうなぁ」

「別に因果なんて思ってませんよ。これはこれで然るべき事なんでしょ」

「まだ若いのにですか? まだ30歳にもなっていないのに?」


 会話に割って入るかのようにして、憮然とした表情の井上が聞いた。プライベートで一緒に遊ぶと言う程の仲では無かったものの、それなりに慕っていた先輩である赤村に対し、何故にこの期に及んで笑っていられるのだと、そんな憤りにも似た感情が溢れだす。


「この前も話したと思うが、これは不可抗力であり他責とも言えるし、自分ではどうする事も出来ない事でもあるんだよ。ただただ受け入れるだけの事なんだよ。この期に及んで出来る事は喚くか嘆くか、それ位じゃないのか? まあ、そんなつもりは微塵も無いけどな」


 赤村はそれは然るべき事だと、そう諭すかのようにして言ったが、井上は憮然とした表情を崩さなかった。


「何か赤村を見てるとさぁ、達観してるというか悟りでも開いたのかよって感じだな。ははは」

「悟りというか、単にリアリストって、自分では思ってますけどね」

「リアリスト? まあ、確かに自殺者は後を絶たない訳だから、お前の思想や行動は、その現実に沿った物だと言えなくも無いかもしれないけどな」

「でしょ?」


 下田は短く溜息をついた。


「ま、今更いいさ。しかしよ、お前とは井上も交えての3人でよ、最後に1回くらい居酒屋にでも行って、ゆっくりとお前の思想とやらを聞いてみたかった物だな」

「そういえば課長とは結構飲みに行きましたね。でも私がその話を始めたら朝までかかっても終わらないかもしれませんよ? ははは」

「ははは、それも良いな……で、赤村。結局の所、お前の行動ってのは自己犠牲、自己満足、自分勝手。当てはまるものは、どれなんだろうな?」

「自殺したい人に対し、苦痛を与えないように憂いが無いようにと、そういう思いでやってましたのでね、一見するとそれは自己犠牲っぽいですが……やはり自己満足ですかねぇ」

「なるほどな……はは」


 下田は力無く笑った。


「今更ですが、この期に及んでも最後まで考え方は変わらないんですね」


 井上は相変わらず憮然とした表情をしていた。


「変わらないね。まあ、文字通り最後だから言うけどよ。井上、お前は『こうあるべき』とか『こう生きるべき』『こう考えるべき』とかさ、そういう『べき論』が多過ぎなんじゃないか? あまり人の人生に口を出し過ぎるなよ? 潔癖も結構だが、他人の人生には余り突っ込むような考え方も口出しもしない方が良いと思うぞ? まあ、日本人は良くも悪くもさ、お節介をし過ぎな所もあるからな、お前もその例に漏れていないだけかもしれないがよぉ」

「潔癖のつもりもお節介のつもりも無いんですけどね」

「なら良いけどよ。潔癖過ぎる言動は自分に返ってくる可能性を忘れんなよ? 人は自分で決断したからこそ、自己責任を負えるんだ。それに対して口を出すなら、口を出した人にも責任は分散するんだからな? あくまでもオブザーバに徹した方がいいぞ? 求められたら自分の考えを伝える。その程度にな」

「仕事に関しては、そうしているつもりです」

「なら、俺に対してだから色々と言いやがったのかよ。全く、可愛い後輩だな。ははは」

「そうですね。そうかもしれませんね」


 井上の顔にほんの少し笑みが零れた。


「確かに俺の行いは今現在は違法である。それは確かだ」

「そりゃそうでしょ」

「ああ。だから否定してないだろ? まあ、俺は違法な事をしたかもしれないが、相手に対して無理強いをした事は無い。むしろ、無理強いしているのは生きろなんて言ってる奴らの方だぜ? それにな、未来永劫、俺の行いが違法だとは限らねえだろ?」

「まだ言いますか? それがいつかは合法になるって」

「可能性はゼロでは無い」

「実現性はゼロでしょ?」

「そんな事は無いさ。需要の高まりを受ければそれなりに考えなくてはならない時が来る。医療技術の進歩により今後より一層寿命が長くなる事は想像出来るけど、それが絶対に正しい訳じゃない。寿命が延びたからといって生活が楽になる訳じゃない。寿命が延びるという事は、自ずと働き続ける期間も長くなるという事でもあり、それを望む人はいるとは思うが、望まない人もいる。人の気持ちなんて綺麗事だけじゃ動かない事もあるんだよ。この前も話したかも知れないが、それが数年後か数十年後かは分からないが、きっと合法になる時が来ると俺は思ってる。その切っ掛けは資本主義における労働環境が過酷、疲弊して行くといった事かもしれないし、機械化による雇用減少からの経済問題かもしれない。はたまた、この国全体にも及ぶ天変地異とかが発生しての長期的な閉塞感かもしれない。そう言った良くない方向に諸々の事が動けば、それなりに人の意識も変わってくるもんだ。もしかしたらさ、日本も50年後には社会主義になってたりしてな? ははは」


 井上は呆れるようにして、短く溜息をついた。


「万が一にもそんな法律が制定されたとしたら、というか、審議に掛けられた段階で国際社会は勿論、人権団体からもボコボコにされるのがオチでしょ?」

「そんな奴らの考えなんて知った事かよ。理由はどうあれ需要がある。そりゃ、その需要がヤバい薬物とかなら断固阻止って事で良いが、これは個人の人生と生死に関わる意思の問題だからな。それなりに批判されるとしても、いつかは合法になると俺は思う。そうでないと辛すぎる」

「辛いって何がですか?」

「生きなきゃいけないって、無理強いされる事がだよ」

「生きる事が無理強いですか?」

「そう思う人もいるって事さ。この社会が悪いとまでは言うつもりは無い。だが馴染めない人がいるのも事実だ。そういった人達の生活支援をしようなんていうのもアリだとも思うし、そういった活動をしている人達が悪いとも思わないし無駄とも言わない。それはそれで尊敬もしている。だがどうしたって馴染めない、出来ない、この世から逃げたいと思う人がいるのも事実なんだよ。理由はどうあれ、自殺が絶えることは無いと、俺は思うぜ?」

「大体、わざわざ無理して自らの手により死ぬ必要があるんですか? いずれ向こうからやってくるのに?」

「生きる意味が無いなら良いんじゃないの? 死を無理強いしたら、それこそ殺人だしな」

「生きる意味って……だったら、死ぬ意味があるんですか?」

「そりゃあるだろ? 論理的に考えて生きる意味が無いのなら、死を考えるのは必然だろ? 生きる意味も分からず、生きる為に生きるって事を無理強いされて、それを苦痛に感じる人が居てもおかしくはない。そんな理由だけで生きる為に働く、働く為に生きるってのが苦痛、地獄、拷問と考える人がいてもおかしくは無い。綺麗事だけじゃ生きてはいけないんだよ」

「綺麗事を言ってるつもりはありませんけどね。それに何なんですか。苦痛? 地獄? 拷問? 生きる事がですか?」

「だから、その人その人の価値観なんだよ。十人十色なんだよ。一億人いれば一億の価値観があるんだよ。そうまでして生き続けなきゃいけないというのを苦痛に思う人が居ても不思議じゃないんだよ。地獄と感じる人が居ても不思議じゃないんだよ。生きる事を押しつけられる、無理強いされる事を拷問と思う人が居ても不思議じゃないんだよ。それはその人の価値観なんだよ。尊重すべき物なんだよ」

「……」


 井上はまたしても出てきた「価値観」という言葉に、どうにも突破出来ないその言葉に対し、小さく舌打ちをした。


「井上」

「何ですか」

「これは刑事さんから聞いた噂話なんだけどな」

「……噂話?」


 赤村は急に真面目な顔になり、対して井上は眉をひそめた。


「ああ、あくまでも噂話でな。俺以外にも『スーサイドワーカー』って呼ばれている奴がいるらしい」

「プランナーで無く、今度はワーカーですか?」


 真面目に話す赤村に対し、井上は首を傾げ、あからさまに呆れている表情を見せた。


「いや俺の事じゃないぞ? 俺も初耳だったしな。で、そいつも俺同様に自殺の支援をしているらしい」

「支援が目的ならワーカーって言い方のほうが合っている気もしますかねぇ?」


 井上は茶化すように言った。


「……まあ、そうかもしれねぇけどよ。そいつの場合にはさ、積極的に自殺する方向へと誘導するらしい」

「誘導ですか? ……でもそれって自殺目的の人がただ単に自殺したって事じゃないんですか?」

「ああ、結果は変わらん。だがな、スタンスに大きな違いがある」

「赤村さんの言っている事が理解出来ませんが?」

「俺は手法だったり場所だったり等の情報提供がメインだ。相手の言葉を肯定もしないが否定もしない。それが俺のスタンスだ」

「そういえば、そんな事を仰ってましたねぇ」


 真面目な顔で話す赤村に、井上は興味無いとでも言いたげに答えた。


「だがそいつは相手が『死にたい』と言ったら『それが良いですね』って感じで相手の気持ちに同情するかのように話し、自殺に誘うらしい」

「赤村さんとは何となくですが……違いがあるような、無いような?」

「いやいや、全然違うだろうがよ!」

「でも自殺の支援、ほう助って事では同じですよね? その人も殺人を犯している訳では無いんでしょ?」

「そりゃそうだがよ……」


 赤村は不貞腐れるようにして視線を逸らした。スタンスの違いという、自分の中では大きな物の差が理解されなかった事に対する不貞腐れ。

 井上は赤村が何を言いたいのか理解出来なかった。赤村にしろ「スーサイドワーカー」と呼ばれる者にしろ、やっている事は同じとしか思えない。自殺を手助けするという事の前では多少のスタンスの違い等、気にする程の物でもないと。そんな事よりも、たとえ噂話とはいえ、井上からすれば赤村同様に『自殺ほう助』を行なっている人間が他にも存在すると、その可能性があると、その事の方が理解出来なかった。ただそれよりも何よりも、そもそも自殺を選択する事の方が理解出来なかった。


「こんな言い方はアレですけど、自殺するのなんて人間だけでしょ? 人間以外に自殺する動物がいるなんて聞いたこと無いですけどね」

「ん? ああ、そりゃ人間以外の動物界には法律や労働なんて無いし、自殺のやり方も知らねぇだけじゃねえの? ただの弱肉強食であり、捕まったり負けたりすれば食われるだけだしな。ははは」

「……」


 井上には赤村の言葉が屁理屈にしか聞こえなかった。


「井上、お前は満たされているんだよ。そんな満たされている奴が何を言っても言葉が軽いんだよ。だから俺には響かない。まあ、俺もお前とは1つしか違わない若造だからさ、そんな偉そうな事を口にするなんておこがましいとは分かっているけどさ、世の中には不公平に不平等、差別に欺瞞が昔から存在し、これからも消えるという事は無い。その中で多種多様な思想が存在する。それらを尊重する事が大事なんだと俺は思う。まあ、それはともかく合法になるといってもさ、憲法にも手を入れないと駄目だと思うから相当な期間を要するだろうし、ハードルは天より高いかもしれないだろうからさ、お前が生きてる間には無理かもな。ははは」

「……」


 そして30秒程の沈黙が流れた。


「それじゃあ……そろそろ逝きますかねぇ」


 赤村は笑みを浮かべながらにそう言うと、テーブルの上のグラスを見つめた。


「もう、宜しいんですか?」

「いいよ」

「本当に、いいんですか?」

「勿論だ。本当にもう、充分だよ」


 そう言って赤村は目を瞑り俯いた。


「……分かりました…………では、課長。我々も行きましょうか」

「……ん? ああ、そうだな。じゃあ、行くか」


 下田は呆けているようだった。自分よりも若い人間が先に逝くというそんな自然の理を前に、それもかつての部下だった若い人間が逝くというその現実を前にして、思考が停止しているかのようだった。


「では赤村さん……我々はあちらで看取りますので」

「ああ。じゃあな、井上。それと下田課長も、お世話になりました」


 赤村は背もたれに背を預けた状態で、軽く頭を下げた。対して井上は両足を揃え、両の腕を脇に揃えてからキチッと頭を下げ、下田は笑みを少し浮かべながらに「じゃあな」と、軽く手を上げた。そして井上と下田の2人は踵を返すと、その庭への出入り口、鋼鉄製の扉の方へと向かった。そして扉付近までやってきた2人はそこで立ち止まると振り返り、赤村を監視するかのようにして、その場に位置した。


「何度経験しても、この光景には慣れんなあ……」


 7メートル程先に座る赤村を見ながら、下田は小声で以って呟いた。井上はそれに反応せず、赤村の方を見つめていた。


「ほんとに不思議だよな。目の前でこれから人が死んでいく。さっきまで会話をしていた人が居なくなる。もう2度と会話をする事が出来なくなる。記憶と記録のみになる」


「……」


「理由はどうあれさ、毎日のようにして人が亡くなっている。そんでもってさ、これからも毎日のように、当たり前のようにして人が死んでゆく……ほんと、不思議だよなあ……」


 井上に同意を求めるでもなく、ただただ独り言の様にして、下田は呟いた。


「課長」

「ん?」

「私がおかしいんですかね?」

「ん? 赤村の話を気にしてんのか?」

「あそこまで言い切られると、正直どっちがマイノリティなのか良く分からなくなってしまうというか……」

「ははは、確かにな」

「そもそも赤村さんとは命に対する概念が異なるのかなとは思いますけど、もしかしたら赤村さんの言う様な時代が来るんですかねぇ」

「流石にそんな軽々しく容認する時代が来るとは、到底思えないけどなぁ」

「ですよねぇ」

「ただ赤村の話にも一理あるかなと、そう思わなくもない」

「そうなんですか?」

「生かす事ばかりに気を取られはするけどさ、やはり自死の需要は理由はどうあれ存在する訳だからな、それはそれで考えてあげる必要はあるとは思う」

「需要ですか……」

「まあ経済問題が起因となっての需要は兎も角として、まずは病等で重篤な人とかな」

「ああ、そういう人の事ですか……」

「それを目当てにさ、わざわざスイスに行く日本人が稀に居るとも聞くからな。そこまでしてでもっていう人に対して綺麗言ばかりを言うのは、果たしてどうなんだろうなって」

「まあ、そういう人達に対してであれば……」

「そういえば赤村の奴が『生きる事を無理強いしてる』みたいな事言ってただろ?」

「言ってましたね……」

「それってさ、何年後かにはパワハラつうかさ、社会的ハラスメントみたいに扱われてたりするのかもな」

「自殺を認めないのはハラスメントだみたいな事ですか? いや流石にそれは……」

「ははは。まあそれは極端な話だとしてもだ、とりあえずそこにはその人の意思がある訳だろ?」

「自殺したいという意思ですか? まあ、そうなんでしょうね……」

「だとしたらさ、基本的には尊重してあげるべきなんだろうな」

「自殺を尊重する、ですか?」

「意思を尊重する、だよ」


 四角く切り取られた青空を、赤村は口を半開きに見上げていた。そしてその空に向かって溜息を1つ吐くと、ゆっくりと顔を下に、視線をテーブルの上へと向けた。その視線の先には、どす黒い液体の入った細いワイングラス。赤村は手錠されたままの手をグラスに向かって伸ばすと、それの柄をそっと指で掴んだ。そしてゆっくりと持ち上げながらに手前に持って来ると、目線の高さまで持ち上げた。そのまま数秒そのグラスを見つめた後、そっと目を閉じ深呼吸を1つ。再び目を開けると、今度は井上達の方へと、顔をゆっくり向けた。


「それじゃ下田課長、井上。お先に」


『また明日』と、そんな様なトーンで以って、赤村は2人に別れを告げた。そして正面に向き直ると小声で以って「乾杯♪」と、まるで異性とワインを酌み交わすかのように独りそう言うと、躊躇なくグラスをあおった。


 昨年迄の数年間、井上の1年先輩として共に働いてきた赤村。新卒で赴任してきて数年間、下田の部下として働いてきた赤村。その赤村を哀しげな表情で見送った下田に対し、井上は心此処に在らずと、そんなぼんやりとした表情で以って見送った。一緒に働いていた頃には全く聞いた事の無い赤村のその思想。何が赤村を変えてしまったのだろうかと、井上は物言わぬ赤村を見つめながらにぼんやりと、そんな事を考えていた。


『思想は兎も角として、あの笑顔と陽気さは一緒に働いていた頃と同じだったな』


 ぼんやりと考えていた中で、ふとそんな思い出にも似た何かが、井上の頭の中を過った。と同時に思わず笑みが零れ、井上はそれを隠そうと瞬時に歯を食い縛ると共に顔を伏せた。そしてそんな不謹慎な様子がバレていないだろうかと恐る恐る横目に下田を伺うと、下田は微動だにせず、じっと赤村の姿を見つめていた。井上はそっと目を閉じると、至極小さな安堵のため息をついた。


 ただのアルコール飲料のようにして自然にそれを口にし、赤村はあっさりとこの世から去って行った。その最期の顔には笑みすらも浮かんでいた。出来る事はやり切ったと、満足だと、そう最期の顔が語っているかのようだった。


 ◇


 赤村の両親は、赤村が小さい頃に離婚していた。その後赤村は父親に引き取られ、そのまま父親の男手1つで育てられた。赤村は成人して以降も父親と2人暮らしをしていたが、その父親は数年前、病気で以って他界していた。

 離婚した後、一度も赤村と会う事の無かった母親は、離婚した直後に生まれ故郷は東北の小さな町へと戻り、以降ずっと独り暮らしをしていた。


「――――という訳でして、息子さんの御遺体の引き取りをお願いしたいのですが、御都合は如何でしょうか」


 井上はその母親に対して、電話で以って遺体引取りについての連絡をした。だが、母親はそれを拒んだ。病弱でもあった母親は、財政的にも厳しい生活をしていた事もあり、赤村の遺体が安置されている千葉県鎌ヶ谷市の終末ケアセンターまで来る事は出来ないと、そういった理由で以ってそれを拒んだ。


「ご……ごめい、ご迷惑を……お掛け致します……」


 電話を切ろうとしたその直前、母親は涙声で以ってそう言った。自分の息子が自殺を手助けした。犯罪者となった。それでも自分の子供。大事な子供。離婚してから一度も会ってはいなかったが、それでも大事な一人息子。そんな子供が病弱である自分よりも先に死んだ事が悔やんでも悔やみきれない。しかも、その息子が他人の命を散らせるという手伝いをした。

 誰を恨む事でもない。何を言うべき立場でもない。離婚しているとはいえ、むしろ自殺した人の遺族から罵倒されるべき立場。

 母親の最後の言葉は、そんな複雑な感情を押し殺した上での言葉だった。結果、引き取り手の無い赤村の遺体は行政により火葬され、共同墓地へと納骨された。


「赤村の親父さんてさ、亡くなってたんだな……あいつ何も言わねーからさ、全然知らなかったよ。もしもあいつの親父さんが存命だったりさ、あいつが結婚してて奥さんや子供がいたとしたらさ、あんな思想は持たなかったかもしれないなぁ」


 机の上に頬杖を突き、書類に目を通しながら、呟くようにして下田が言った。


「…………え? あ、課長……え? 今何か言いました?」


 井上は下田の近くのデスクで書類に目を通していたが、それは目を開いた状態で寝ていたと、心此処に在らずと、そんな様子だった。


「絶対では無いにしてもさぁ、そういった事がさぁ、生きる意志の1つになるのかもしれないなぁ。独りでいるとさぁ、ネガティブだったり身勝手だったりさぁ、より狭い思考になっていくのかもしれないなぁ」


「…………は?」


「やっぱり独りで居る、ずっと独りで考え込むってのはさぁ、良くないって事なんだろうねぇ」


 下田は井上に何ら反応する事無く、誰に言うでもなく、ただただ独り言のようにして呟いた。


 赤村が亡くなってから既に1週間。井上のいるフロアはどんよりとしていた。そのフロアには20人程が働いていたが、その人達の殆どが赤村の元同僚や先輩に後輩と面識ある者が多数居た事もあり、未だに重たい空気を漂わせていた。

 かつての上司であり赤村の最後を看取った1人でもある下田は、急に老けこんだように見えた。相変わらずの陽気さを装ってはいたが、周囲からは却ってそれが辛く見えた。

 井上は赤村がこの世を去ったという実感に於いては乏しかったが、ただ何かを失ったと、そんな得も言われぬ喪失感があった。赤村が辞めた後は会う事はおろか、電話等で以って何ら連絡する事も無かった。それ故に「この世には居ない」という感覚が薄かった。親族や友人という訳でもない。それ故かもしれないが悲しみと言う感覚が無かった。直接最後の姿を目にしてはいたが、それでも現実感が乏しく悲しみはなく、ただただ喪失感だけを感じていた。


 その日の夜、井上の夢に赤村が出てきた。夢の中では生死の話はしなかった。ただただ陽気な赤村と、下らない馬鹿話をした。たった1度きり。それが赤村の姿を見た最後となった。


 赤村が逮捕された際、その翌日の朝刊には罪状と実名、それとその概要だけという短い記事が掲載された。その概要の中では、赤村が『スーサイドプランナー』と、そう呼ばれていた事には一切触れてはいなかった。

 逮捕から凡そ2週間後に、赤村はこの世を去った。その際には何らの報道もされなかったが故に、赤村がこの世を去った事を知る者は少なく、それと同時に『スーサイドプランナー』と、そう赤村が呼ばれていた事を知る者も数少ない。故に今も尚、ネットの世界には『スーサイドプランナー』と、そう呼ばれる者を探す人が(うごめ)いていた。()()を求めて赤村英知を探す人々が、人知れず蠢き続けていた。


 ◇


 赤村がこの世を去ってから、凡そ2週間が経過した。つい最近まで、井上のいるフロアにはどんよりとした重い空気が漂っていたが、徐々にではあるものの、以前の様な和やかな雰囲気が戻りつつあった。

 そして今日もまた、()()葉書を手にした人が、井上らのいるその施設を訪ねていた。


「あの……終末通知の葉書が……届きました」


 午前10時。寝癖も残る40代と思しきその男性は、俯きがちにそう言った。明るいグレーのスーツには目立つ皺が見られ、ノーネクタイの白いワイシャツの襟元には、微かに汚れも見えた。頬は痩せこけ目は窪み、不精髭の残るその顔には、全く生気が感じられなかった。

 その男性の1歩後ろには、2人の女性が立っていた。1人は高級品と思しきベージュのスーツを身に纏った、その男性と同世代と思しき女性。そしてもう1人は、水色のワンピースを身に纏う、十代と思しき女の子。


 ベージュのスーツを着る女性は、ワンピースを着た女の子の肩に手をやり抱き寄せていた。2人共が涙ぐみ、ス―ツの女性はハンカチで口を覆いながらに、時折嗚咽を漏らしていた。

 ワンピースの女の子は俯き加減に、理不尽とも思える自然の摂理に対する悔し泣きなのか、歯を食いしばりながらに涙を流し、両の手は力強く握られていた。

 

「では確認のため、通知葉書と身分証明となる物を、お見せ頂けますでしょうか?」

「……あ、はい、えーと……葉書がこちらです。それと、身分証明書が……これになります」


 男性は2通の葉書、それと妻の免許証、そして娘の学生証を井上に提示した。


「有難う御座います。あの誠に失礼ですが、あなた様はこちらの御2人の御主人様、御父様と言う事で宜しいですか?」


「……あ、はい……私、『今宮(いまみや)克典(かつのり)』と申します」


 ◇


 20XX年『終末管理法』制定。

 制定されると同時に、厚生労働省には『終末管理局』が新設された。新設された終末管理局の役割は、当局の管理監督の下で、個人に対して、個人の終末日、つまり亡くなる日を通知する、というのが主な役割である。しかし、あくまでも医療行為、健康診断等の膨大な身体情報を基に、本省のコンピュータシステムで計算した物で有る為、事件事故等、不測の事態で亡くなる場合には無意味である。また大病を患っている、持病がある等の場合にも無意味である。この制度は、健康体の人物を対象とした、福祉の一貫として位置づけられている。


 個人に終末日を伝える方法は葉書とされた。毎月の月末日に、厚生労働省の本省に設置されているコンピュータシステムで終末日を算出し、同時に終末通知の葉書を作成する。作成後は、即刻、郵便として全国へと発送される。対象期間は、月末日から2か月以内に死亡予測が出た個人宛に発送される。

 

 また、葉書を受領した人達に対する精神ケアの為に、各自治体には『終末ケアセンター』を設置する事も義務付けられた。終末ケアセンターの役割は、通知葉書を受領した人達へのカウンセリング、そして安楽死の実施という、2つが主な役割とされた。


 安楽死の方法は飲料による服毒と定められた。安楽死が目的の為、飲む事によって苦しみを一切伴わず、且つ終末の飲料としても美味しい事も求められた。その要求に対して、飲んだ直後から急激な睡眠作用を誘導、同時に脈拍低下が始まり、数分後に完全な心停止する飲料が開発された。そしてその仕様を邪魔しない味を求めた結果、ぶどうを原料としたワインが開発された。


 財政的にも公的支援が図られる事になる。終末日を迎えた時に負債があれば公費で負担する事になった。そのかわり、終末日は保険金融業界にも連携され、クレジットカードは即時利用停止となる。終末日以降はローンも組めず、銀行の現預金か、現金決済のみとされた。


 終末日以降の自殺での保険金搾取も考慮し、生命保険も停止という措置がなされる。そのかわり傷病での医療費の負担は公費で全額なされる。資産の相続についても軽減措置がなされ、名義変更が必要な家や車と言った資産については、妻子を優先に自治体のシステムで、自動的に名義変更まで行われる。


 遺体の引き取り先が無い、若しくは引き取りを拒否された場合には、自治体により火葬、埋葬まで行われる。その際は、自治体の共同無縁墓地へと埋葬される。これは行旅死亡人(こうりょしぼうにん)と同様の扱いである。


 終末を通知された人が、自暴自棄になる事も想定され、人は勿論、社会に対して、破壊衝動に駆られる危険性を考慮の上、終末管理局にてそれらの衝動に駆られそうな危険人物の特定も行われる事になった。これも本省の最新のコンピュータシステムで、過去の実績等(事件事故等)の警察情報をデータベース化し、システムにより人物抽出される。これらを担うのは、終末管理局直轄の部門で『終管Gメン』と呼ばれた。終管Gメンは、警察庁との情報を含めた密な連携を取り、対象者の監視拘束を行う。そして一度拘束されると、終末日まで拘束される事になる。それ程の強権を発動する事に対して、賛否は拮抗しているが、終末日の通知は残りの時間を有意義に過ごすという、福祉の一貫であるにも関わらず、個人の身勝手な破壊衝動に対しては、社会の安定を第一に考え、強権を持って抑えるというものである。

 

 終末日を知らせる葉書は『終末通知』と呼ばれた。

 そして、安楽死を行う飲料は『終末ワイン』と呼んだ。


2020年09月07日 7版 タイトル変更他

2019年09月11日 6版 一部設定変更

2019年08月30日 5版 一部設定変更

2019年08月23日 4版 一部設定変更

2019年08月16日 3版 次作に合わせ改稿

2019年08月05日 2版 誤字含む諸々改稿

2019年06月17日 初版

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ