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花野池累の新作(上)

「はい。株式会社マーラです」

「お世話になります。先日内定通知を戴きました幸村です。担当の佐々木様はいらっしゃいますでしょうか」

「幸村様ですね。少々お待ちください」


 保留のメロディーが流れる。この音が好きだ。会社によって採用している曲は違うが、どれも和やかな音が流れるからだ。

 ぷつりとメロディーが切れた。酒焼けした男の声が聞こえてくる。


「どうも、佐々木です」

「お世話になっております、幸村です。このたびは内定のご連絡をいただきまして、誠にありがとうございました。大変申し上げにくいのですが、検討の結果、御社からいただきました内定を辞退させていただきたいと思いご連絡いたしました」

「……はあ?」

「本来ならば直接お詫びに伺うべきですが」

「うち、どこだと思ってんの?」


 佐々木の低い声に息を呑む。用意された台本が、ただの文字の羅列に変わっていく。

 こういうタイプは長々と説教されるんだよなあと鳩原正義は内心嘆息した。


「うちみたいな凄い会社の内定を取り消すつもりなの? まじで? はは、これだから学生は困るんだよな。心構えが。社会人になりきれていない」

「社会人になりきれていないですか」

「そうだよ。君を採用するためにいくら金がかかると思うの。こっちだってね、遊びじゃないんだよ」

「……」


 さっさと電話を切ってやりたいが、そうもいかない。正義は幸村という就活生の代わりに株式会社カーマに電話をかけている。就活で忙しい彼は、企業への内定辞退の連絡を金で雇った正義に依頼していた。

 正義は、株式会社カーマの人事、佐々木にとっては内定を出した幸村なのだ。


「どこの会社を他に受けてるの。言ってみなよ。うちより格上がいるか、俺が確かめてやるからさ」


 上から目線の引き留め方を軽くいなしつつ、相手の気持ちが落ち着くのを必死で待つ。その後三十分も投げかけられた嫌みから分かったのは、株式会社マーラは変な人事担当者を採用しているということと、幸村がへんな会社を見分ける能力を持つ有能な男だということだった。


 鳩原正義はことごとく就活に失敗した。

 そもそも、彼は人付き合いが苦手だった。初対面の人間を見ると精神的に参ってしまい、吃音のようにどもってしまう癖があった。おかげで、接客業は軒並み一ヵ月ほどでクビになった。

 それでも、就活を繰り返したのは、もはや意地のようなものであったと思う。だが、百回目の面接に落ちたときに自分が就職に向いていないことを受け入れた。頭の悪かった彼が頑張って入った大学は、どう言いつくろってもFランク大学で、院に進む意味はみじんも感じなかった。

 フリーターとして生きていくのはつらいだろうなと思いながら、モラトリアムを消費し続けたとき、転機が訪れた。

 知り合いの兄が何社も採用になって困っていると相談を持ち掛けられたのだ。

 正直、落ちまくった正義には、採用になって困るのは贅沢な悩みのように思えてならなかった。

 いうなれば、十枚買った宝くじが全部当たったというところだろうか。幸せすぎてつらいという話かとげんなりとした。

 だが、知人の兄の話はそういう羨ましさとは無縁のところにあった。


「正義君はさ、圧迫面接って受けたことがある?」

「あっ、はい」


 おどおどして、どもって最悪だった。全部落ちましたとは言い出せない雰囲気だった。

 どんな巡り合わせか、偶然その知り合いの兄と会うことになった。

 駆けずり回ったスーツはよれ、革靴はすり減っていた。

 今にも倒れそうなほど、顔色が悪い。


「受かったところ、全部そうだったんだ。俺の履歴書を目の前で破いて、どんな気持ちですかって。凄いよな、あれ。目の前でやられると、破かれたとしか思わないんだもん……。せっかく手書きで頑張って書いたのに」

「そ、そうですね」


 目が泳ぐ。どもりながら、答えると彼は力なく笑った。


「二社断ったんだけど、一時間、電話越しで説教されたよ。俺、そのうち御社で働かせていただきたいですって言いそうで怖いよ」

「……お、俺が代わりにかけましょうか?」


 つい、そんなことを言ってしまったのは、今にも倒れそうな人を見ていられなくなったからだ。

 幸いなことに、正義は電話越しでは完璧な人間を装えた。

 一社も内定をもらえなかった正義はその日初めて、会社に内定辞退の連絡を入れた。

 それからはずっと、SNSで募集して、電話代行サービスをしている。

 会社への内定辞退やアルバイトを辞める連絡。他にも店の電話予約や親しい友人への謝りの電話。案外幅広く需要はあった。

 嬉しいことにネット時代では摩訶不思議なことが仕事にできるのだ。


 電話をかけ終わったことを幸村に連絡する。返信は来ない。かなり忙しい人間らしいから当然だすでに大手広告代理店の内定を貰って、卒論を書く間に社会勉強として就活を続けているという。

 前払い制なので、正義もそれほど返信は急がなかった。今日の依頼はもうないので、部屋のこたつに丸まって眠る。シェアハウス用の2LDK。同居人が不動産会社の役員と知り合いで安く提供してもらったお得物件だ。

 夏だが、こたつは常時、正義の部屋に置いていた。

 冷房ががんがん効いた部屋で、こたつに入って昼寝をする心地よさと言ったらない。


「正義、俺もうすぐリハだから行くね」

「んー」

「うわっ、また冷房こんなに効かせてたの。風邪ひくよ」


 扉を開けて入ってきた男は同棲しているバンドマンのももとせだ。

 東京のアパートはあまりにも高いので、シェアしてなんとか住処を得ている。


「いってらっしゃい」

「行ってきます」


 ちゅっと頬に唇が落ちる。いつものことなので、何も言わない。

 同性同士の挨拶にしては親しすぎる気もするが、ももとせは当たり前のようにしてくるので気にしないことにした。

 たまにファンの子か、信者か知らないが、かなり顔がいい女性を連れて帰ってくるので、異性愛だろうと認識はしている。

 バイかもしれないが彼自身も顔がいいので、わざわざ正義を選ぶ必要もない。

 アニメの主題歌を歌い話題に乗っていて、喋りも上手だから、配信をすれば投げ銭だけで二十万円を超える。

 人としての強度がまるで違う人間。同じ骨と肉でできているのに、同じ場所で過ごしているのに、ももとせと正義では何もかもが違う。


 現実逃避にFGOとグラブルを立ち上げる。アプリゲームは金と時間をかければかけるほど、優越感に浸らせてくれる。霞のように現実のように漂う自分を強度の高いものにしてくれる。

 周回をしているうちにうつらうつらとなってきた。そんなとき、SNSからメッセージ通知が届く。

 仕事の依頼だった。


『はじめまして。突然DM失礼いたします。私、出版社に勤務しております木野草と申します。正義様にやっていただきたいお仕事がございます』


 正義はSNS上の名前だ。本名だが、名前の四角定規さからか、PNだと思われることが多い。


『はじめまして。木野草様、ご依頼いただきありがとうごさいます。さっそく詳細をおきかせいただけると幸いです』


 数秒もせずに返信が返ってくる。木野草が迅速に問題を解決したいことがうかがえた。


『はい。実はある作家先生に電話をかけていただきたいのです。大ベストセラー作家様です。勿論、報酬は相当額お支払いいたします。よろしくお願いします』


 正義はすぐに彼のプロフィール画面に飛んだ。出版社の名前まで書いてある。自撮り写真を上げていた。担当した作家の名前もプロフィールに書いてある。このネット社会でなかなかにつわものだ。

 悪戯ではないことを確認して、DM画面に飛ぶ。

 返事がないから恐れたのだろう。彼は報酬額を提示してきた。


『一回につき五万ではいかがでしょうか。初回は心配なので、電話するとき同席させていただきたいです』


 五万円。心はすぐに決まった。正義の心の天秤は、お金に簡単に傾くようにできている。



 ももとせに借りた一張羅はイタリア製の高級なものだった。なんでも、女性に貢がれたものらしい。それを当たり前のように正義に貸すのだからたまらない。

 彼は貸すだけではなく、ズボンの丈を調節してくれた。動いても長さが変にならないように縫ってくれた。仕立て屋のように縫い目は綺麗だった。


「出版社の人間なんて、見た目で決めつけるような連中だよ。結局はサラリーマンだしな。ネクタイは赤がいいか。自信が満ちて見える」

「結局、どもるから意味ないと思うけど」

「第一印象が大切なんだよ。あとは出版社の人と会うのは初めてで緊張しちゃってるんです……みたいに殊勝な態度を取っておけ。それだけで、態度が変わるよ」

「そういうもの?」

「そうさ。そういうもの」


 その指摘は正しかった。目の前の木野草は明らかに居住まいを正した。


「お、お待たせしてしまい、申し訳ありません」

「いえ! 私もさきほどつきましたので」

「しゅ、出版社の方とお会いするのは初めてで、そ、そのいたらない点があるかもしれませんが、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 木野草が指定してきたのは、高田馬場駅にほど近いカフェだった。昼間は学生でにぎわいそうな店舗だが、午後三時という微妙な時間だからか、客足は今一つだ。


「そ、それでなのですが、さっそくお電話をおかけしたいと思うのですが、よ、よろしいですか……?」

「あの、すいませんが、もう一度先生に関しておさらいをさせて下さい。我が社の稼ぎ頭なんです。失礼があっては困るので」


 花野池累。木野草が担当している作家の名前だ。小説には疎いので、どんな小説を書いているかは知らなかった。

 依頼を受けるにあたってネットを調べて、ドラマ化や映画化になった作品の原作者だと知った。多産の作家で、ホラー小説から恋愛小説、エッセイまで多くの作品を世に出している。

 彼が出した小説はいずれもヒットを生み、話題となる。業界では知られた話らしかった。


「累先生はとても気難しい方です。四六時中執筆のことで頭がいっぱいで、私のようなものの話を聞いて下さいません。作品、作品、作品。作品の話ばかりです」

「さ、作家さんなので当然なのでは……」

「そう、なのですが。私にも仕事がありまして。他の作家さんも請け負っているんです。先生だけにはかかりきりになれません」

「はあ……」

「それに本当に話を聞いて下さらないんですよ、あの人は。一言目には、作品は読んだか。僕の作品の感想を言えってうるさくてですね……」


 簡単な話、木野草は花野池累のことが苦手なのだろう。

 だから、こうやって正義に依頼してきたのだ。編集者としてどうなのかとも思うが、金がもらえるならば倫理観は捨てるに限る。


「今回は累先生のご機嫌伺いをお願いしたいのです。それと、出版社のパーティーに参加していただけるのかを尋ねて下さい。好感触ならば、出席していただけるように説得をお願いします」

「せ、先生はパーティーに参加される方なんですか?」

「いいえ、全く。一度も参加されたことはありません。なので、無理強いはしなくて大丈夫です。こちらが基本的な文面になります。だいたいこの通りに話していただけたらいいです」


 薄っぺらいコピー用紙を差し出される。簡単な応対が記されていた。助かると思いながら目を通す。

 今回は、木野草になりきって通話をする。といっても、累は木野草のことを名前で憶えてはいないという。喋り方を真似する必要もないだろうとのことだった。

 パーティーは出版社、創立百周年のなかなかデカいもののようだ。稼ぎ頭なのに、おめでたい席に呼ばなくて本当にいいのだろうかと他人事ながら心配してしまう。


「くれぐれも、累先生のご気分を害されないようにお願いします。先生が書かないと言ってしまえばうちの会社は終わりです」

「は、はい。ご安心ください」


 そうは言っても、こじれるときはこじれるし、無理なときは無理だ。

 成功しない場合もありますとプロフィールにも書いている。DMでももし失敗しても責任はとれないと書いていた。

 あとは野となれ山となれだ。

 木野草の電話を拝借して、タップする。すぐに電話は繋がった。


「僕の新作はどうだった?!」


 低くもなく、高くもない声だった。男性なのだろうが、中性的な軽さだった。


「お世話になっております。木野草でごさいます」

「そんな口上はどうだっていい! 僕の新作は読んだかと訊いているんだ。ほら、『アンドラスの殺人』だ。耕文社から出した」

「申し訳ありません。まだ拝読しておりません」

「なんだって?! 君はまたか。僕は君に読んでくれと散々言っているだろう!」


 確かにこれは強烈だ。挨拶もろくにさせてはくれず、自分の作品のことばかりに話されたら、ノイローゼになりそうだった。


「ああ、もう、いい! じゃあ、僕がこの間送った作品は読んだ? 君の評価を教えて欲しい」


 ちらりと流し目を木野草に送る。送られた作品のことは聞いていない。

 手の前で大きくバツ印を作り、木野草は首を振る。


「申し訳ありません。そちらもまだ拝見しておりません」

「……っ! 君の仕事は編集者だろう?! どうして読んでくれないんだ。プロットを送ってもろくに返信しないし。きちんと仕事をしてくれる気はあるのか!?」


 電話越しでも伝わってくる恐ろしいまでの気迫のせいでは……と指摘しそうになった。どうやら、累と木野草とはかなりこじれているらしい。


「もう、いい。あらすじを伝えるから、君は感想を言ってくれ。幸い今回は筆が乗って文章は校正に回せる程度に仕上がっている。君は面白いと一言太鼓判を押してくれるだけでいい」

「あー。えっと……」


 これは正義の一存で決めていい問題ではない。木野草はそのまま続けてと言いたげなジェスチャーをした。いつもこういう風に本を作っているのだろうかと訝しむ。

 もっと口を出して、面白さを引き出す仕事だと思っていたのだが、ベストセラー作家になると、もはや編集者は聞き役のようなもので、いるだけでいい存在になり果ててしまうのだろうか。


「はい、分かりました。お願いします」

「冒頭はこう始まる。人が死ぬシーンを、現実で見たことがありますか。ってね」


 いくぶんか、落ち着きを取り戻した声で累は読み上げるように朗々と語る。


「僕はあります。人がホームから飛び降りた。僕はそれを見ながら必死で小説を書いていました。――どう? 冒頭から惹きこまれた?」

「惹きこまれたというか……それって先生の実体験。――ノンフィクションとして売り出すんですか?」


 しまったと後悔したときにはもう遅かった。覆水盆に返らずとはよく言ったものだ。

 正義は素直に自分の感想を述べてしまった。さあと額に汗が溢れだしてくる。

 他人行儀な言い方をしてしまった。編集者なのに、一切知らないのはおかしすぎる。


「あ、あー。今のはですね」

「それは、ノンフィクションとして売り出した方が面白いってこと?」

「っ! そう、そうです。先生はノンフィクションも書かれるじゃないですか。だから、先生の話として売ったら、読者は喜ぶんじゃないかなって」

「……君達って僕のファンに向けて売りたかったの?」

「え、あ、いや。そういうわけじゃないんですけど……」


 ドツボにはまっていっているような気がする。

 正義は詳しく知らなかったが、ベストセラー作家だし、作家として特集を組まれるぐらい人気なはずだ。見た目もかなり特徴があったので、読者層は作家の見た目に流されてきたライト層から小説が好きで入ってきたヘビー層まで多岐に渡るのではないだろうか。


「なんていうか、幸福の保証が欲しいなあって思って」

「幸福の保証? 何かな、それは」

「この物語がハッピーエンドに終わって欲しいなって個人的に思ったので。最初が死なら、最後は生で終わって欲しいというかですね」


 ぎらぎらとした目つきで、木野草が正義を見ていた。今にも変われと言い出しそうだった。

 でも、ここで変わってしまったら、流石の累も声の違いに気が付くだろう。だから変われない。そう言いたげな苦虫を今にも噛み潰しそうな顔だった。


「……ふーん」

「累先生のノンフィクションものの体を取っていたら、まだ安心して見られるなって思いまして。いや、そんなのしか思い浮かばないだけで、もっといいやり方があるんだと思うんですけど」

「僕は幸せの象徴ってわけだ。沢山本を書いている売れっ子作家だから?」

「それもありますけど、読む人は生きている人で、先生も今を生きているので。冒頭で死んじゃった人よりも生きている方がいいって思わせてほしいんです」


 ここまで来たら、すべて言い尽くしてしまおうと思い、目の前に用意されたコピー用紙を手に取る。


「そうだ、累先生、話は変わるんですが、再来週の土曜日のご都合はいかがですか? ホテル日照で会社の創立百周年を記念するパーティーが開かれるんです。よろしければ、先生も来てくださいませんか? 先生がお好きな二階堂先生もいらっしゃるそうですし」


 果たして。

 電話は無情に切られてしまった。真っ赤な顔をした木野草が正義に指を突き立てて、怒鳴り声を上げた。


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