私は身支度をしました
「失礼いたします。お嬢様」
丁度わたしとの団欒が終わった辺りで起床の時間を知らせに侍女のトリルビィが入室してきました。
「おはようございます、トリルビィ」
「……!?」
窓辺のテーブル席でくつろいでいる私を見たトリルビィは息を呑みました。どうしてそうも大層驚くのでしょう? 普段時間が許す限り微睡みの中にいるものですからそのせいでしょうか? 眉を顰めてましたら私の侍女は慌てふためきます。
「だ、旦那様と奥方様を呼んでまいります!」
「お待ちください。まずはどうして早起きしただけの私を見るなり驚いたのかの説明を要求いたします」
「……っ。失礼いたしました。お嬢様は三日ほど気を失っておられたのです」
「……三日も?」
何とか呼び止めて事情を聞いてみますと、なんと気を失ってから三日経過したらしいのです。どうやらよほど神より授けられし天啓に衝撃を受けてしまったようです。命に別状は無かったとはいえお父様方を心配させてしまいましたね。
「お父様方への報告であれば私が自ら食事の場で致します。まずは私の身支度を整えてもらえます? それと我儘を言いますが服を着替えさせる前に身体を軽く拭いてもらえれば」
「……直ちに準備いたします」
逸る気持ちがありながらもトリルビィは私の意を汲んで恭しく首を垂れ、一旦退室していきました。私もわたしも前世では身の回りの世話は自分でやっていましたし、寝巻ぐらい脱ごうとも考えましたが、そうするとトリルビィから責められるんですよね。
そう間も置かずに戻ってきたトリルビィは軽く掻いた寝汗を水拭きしつつ手慣れた様子で私を着替えさせていきます。更に蒸した布巾を髪に当てて寝癖を取ってから丹念に髪を梳かします。少し癖毛なものですからどうしても毛先が少し波打ってしまいますね。
「あの、お嬢様?」
「はい、何でしょう?」
気が付いたら化粧鏡の向こうにいる私の後ろからトリルビィがこちらをじぃっと眺めていました。別に昨日今日で私の面相が変わるわけではないと思いましたが、どうも彼女にとっては全然違うように見えるみたいですね。
「楽しい夢でも見られましたか?」
「ええ、中々面白い夢でした。どうしてです?」
「普段より晴れ晴れとしたご様子に見受けられましたので」
「明るい? 私が?」
アレを夢と表現して良いのでしょうか?
わたしの世界は私の常識では計り知れないほど豊かでした。恵まれた環境に居ながら皆さん忙しくされていましたね。しかしながらわたしから言わせれば今の私の暮らしぶりは豪奢なのだそうです。わたしは隣の芝は青いと表現していましたっけ。
夢見は……あまり良いものではありませんでしたね。私が順当に成長した暁には破滅が待ち構えていると突き付けられましたので。
今気分が良いのはきっとわたしと知り合えたからでしょう。私の苦しみも悩みも全てをさらけ出せる、もう一人の私に。
「失礼ながら……このところ暗く沈んでいらっしゃいましたので」
「いえ、確かに私は気落ちしていました」
聖女の存在が前世以上に絶対視された教国連合に生を受けた事。神より呪いのように以前と同じ奇蹟を授けられた事。そして私を神の定めし運命の奴隷にしようと直接語られる天啓。全て私の生きる気力を削ぎ落とす要素でしたから。
「あの……やはりお嬢様も不安なのでしょうか?」
「聖女適性検査でしたらもうそれほど緊張していませんよ。先延ばしにしようと神に祈りを捧げようと、なるようにしかならないのですから」
トリルビィは仕える主人である私を案じてくれました。髪を編んでもらっているもので彼女へは振り向けませんが、鏡越しに笑いかけるぐらいは出来ます。
「ですが、適性が低すぎてしまったらお嬢様はどうなってしまうのでしょう?」
「無能者扱いされて白い目で見られるでしょうね」
「わたしは、お嬢様に辛い目に遭って欲しくはありません」
教国連合に生を受けた女性は聖女適性値の高さこそが全てに勝る正義として扱われます。信じられないのですが性格も教養も血統すら二の次なのです。トリルビィは心配なのでしょう。私が検査の日を境に蔑まれて罵られるようになる悪夢になるのでは、と。
けれど私の恐れは全くの逆。聖女として宿命づけられてしまえば前世の二の舞です。幸いにもわたしがこの悩みを解決してくださりましたから今は余裕が生まれていますし、幾分か気が楽になっています。
「大丈夫ですよ。聖女の適性が著しく低かろうと私は私です」
私は私。ですので神が何か言っていようと今回の私は生を謳歌させていただきます。
「なのでトリルビィもどうかどのような結果になっても私を見捨てないでくれませんか?」
「お嬢様! そんな不吉な事を仰らないでください!」
「そうでしょうか? 最悪な事態は想定しておけばいざ直面した際の覚悟が出来ましょう」
「……そんな、わたしはお嬢様みたいに強くはなれません」
強い? 私がですか?
ご冗談を。今も神託から逃げようとしているのに。
「……分かりました。不肖このわたし、地獄の果てまでもお供させていただきます」
「ありがとうございます。身近の親しい方が傍に居るだけで心強いというものです」
「そんな、勿体ないお言葉です。少しでもお嬢様のお力添えが出来れば」
はい、出来ました、と言葉を紡いでトリルビィは一歩後ろに下がりました。では鏡の前にいる自分の出来栄えを確認致しましょう。トリルビィはあまりお洒落に興味が無い私には勿体ないぐらいの腕前なんですよね。美容師としても十分貴族の御用達となれるでしょう。
仕上がりは落ち着いていました。裕福な家のご令嬢はそれこそ化粧や服飾で別人に化けますけれど私はそうした装いはあまり好みません。それから宝飾にも興味ありませんし派手なんてもっての外。結果的に豪奢とは程遠い出で立ちとなっています。
ですがドレスは職人の手で丹念に作り込まれた逸品。色合いこそ質素に白ですが上質な生地は吸い付くほど肌触りが良く、何よりさほど重くありませんし動きやすい。見栄えと機能性を兼ね備えた私のお気に入りです。
……はて、わたしの世界で目にした悪役令嬢キアラとは似ても似つきませんね。どうして毒々しく派手に着飾って素の面容が失われる程に厚く化粧を塗りたくるのか理解が及びません。殿方を誑かす豊満な身体つきでもありませんし。今後あのように成長するのでしょうか?
「いつもながら私の手元に置くのが勿体ない程の出来栄えです」
「有難きお言葉です」
「ところで今日はどなたか来客がいらっしゃるのですか?」
とは申しますが、部屋着にしては少し着飾りすぎかと思います。お父様方とお会いするにしろ教育係が来るにしてももう少しゆったりとした衣服でも私は問題ありません。当家の来客とお会いした際に恥ずかしくないよう装う日の格好ですもの。
「申し訳ありません、お伝えするのを忘れていました。今日は聖都より神官様がお越しになられます」
「……神官が?」
神官。聖女の身の回りの世話をし、聖女に降りかかる脅威や危険から守る者達。神の教えを広める神父や神に仕える修道士とは在り方が全く異なります。神官が教国を超えて近隣の連合所属国に足を運ぶ目的など限られているでしょう。
「ではまさか私の聖女適性検査は今日なのですか?」
「はい。お嬢様が倒れたから延期してほしいと連絡したのですが、先方からは問題ないのでそのままこちらに来るとの返答が」
「ありえません。本当にいらっしゃるのは神官だけなのですか?」
「適性検査のために神官様以外の方が来られる場合もあるのですか?」
適性検査は単に体内に流れる血を確認するのではありません。無論神より授かった奇蹟の度合いが大きく左右するのですが、身体の調子によっても補正がかかってしまいます。泥酔や疲労困憊などもっての外。気を失っていたり眠っている者も不安定な結果となってしまうのです。
神の代理人たる聖女に仕える神官達はそんな常識など十分分かっている筈。神官の人数も限られているでしょうし、私が目覚める望みにかけるより日を改めた方がはるかに効率的でしょう。なら導き出せる答えとしては、私が起きる確信があったか、もしくは……、
その時、扉の向こうの廊下がにわかに騒がしくなってまいりました。屋敷の使用人が行き交うだけならこうも賑やかにはなりません。お父様が私の様子を窺いにいらっしゃったのかとも思いましたが、それにしては人数が多いように聞こえます。
「トリルビィ」
「少し様子を窺ってきます」
私が指示を送るより前に従者が率先して動きました。ですが彼女が扉に手をかける前に向こう側から三回ノックされ、こちらが返事をする前に厳かに開かれました。「こちらです」と案内した使用人の奥に見える方は、私の予想通りでした。
「聖女……」
現代の聖女の到来です。




