私は王子と友達になりました
「婚約を結んだ後に育む道もございますが、それでしたら先日暫定で婚約相手となったジョアッキーノ様で十分です」
「うわ、辛辣だなぁ」
「ジョアッキーノ様は少しお静かに」
一時の感情に流されない方がよろしいかと思います。今後本当に好意を抱くご令嬢に出会わないとは限りませんし。私もまだ恋が何なのかはさっぱりなのでお互い様ですが。
チェーザレは難しい顔をしながらもその瞳に私をずっと映していました。深い色をした瞳は吸い込まれそうなほど綺麗でした。
「じゃあ俺がキアラを惚れさせればいいんだな?」
……どうしてそのような発想が生まれるのでしょう?
理解が及ばぬ非力な私をお許しください。
「表現はともあれ私がチェーザレに寄り添いたいと思いましたらそう申しましょう。無論、チェーザレの迷惑でなければ」
「分かった。ならひとまずは俺の友達になってくれ」
チェーザレは私に手を差し伸べてきました。昔は骨と皮だけだったか細い手だったのに今は剣を振るっているのかとても頑丈で固く見えました。まだそこまで大きくはありませんが、お父様を髣髴とさせる頼もしさがありました。
「前みたいにあれっきりなんて嫌だ」
「そうですね。再会したからには私共の間には何らかの縁があるのでしょう」
私は手袋を取ってチェーザレと手を固く結びました。
友達……友達ですか。
そう言えばかつての私には友と呼べる存在はいたのでしょうか? 物心付いた頃から奇蹟を授けられたせいで聖女として崇め敬われた記憶しかございません。救世者、神の僕、そして権威の道具。人としての対等な関係など有りはしませんでした。
そうですか。チェーザレと私とは人として同じ目線に立っているのですね。
「今後ともよろしくお願いいたします」
「ああ、よろしく頼む」
彼の言うように以前はあれっきりになるかもと思っていましたが、分からないものですね。これだから使命などに従事しない人生は面白い。
自然と私は頬を緩ませていました。そうですか、今私は嬉しいんですか。
「キーアーラー、何二人して仲良くして僕を蔑ろにしてるのさ」
そんな私達を面白くないとばかりにジョアッキーノが憮然とした顔をさせて私達の間に割り込んできました。折角の良い雰囲気が台無しです。私は少しむっとしちゃいましたし、チェーザレはあからさまに顔を険しくしました。
「王子は僕の友人なんだけど?」
「存じていますがチェーザレに友人が何人いようと問題ないのでは?」
「それに王子も王子だよ。キアラは僕の婚約者候補なんだけどさ。何二人して仲良くして僕を蔑ろにしてるのさ」
「ジョアッキーノ。俺はお前がキアラの婚約者だとは認めないぞ。キアラとの婚約だって俺へのからかい半分だったくせに」
チェーザレがジョアッキーノに詰め寄り、ジョアッキーノも負けじと彼を睨み上げました。コルネリアの前だというのにお構いなしに火花を散らせます。私からすれば少し大人びた子供の喧嘩の前兆としか思えなくて微笑ましいのですが……、
「あらあら、キアラ様ったら早速もてていますね」
原因が私の取り合いなものですから自然と顔が引きつってしまいます。
「今は言い争いですけれど、そのうち殴り合いになってしまうのでは?」
「その点は大丈夫ですよ。チェーザレったら頻繁にジョアッキーノとああして衝突しているようですから」
仲が悪い……わけではなさそうですね。喧嘩する程仲が良い、ですか。
それにしてもチェーザレは愛妾の子だからって王子となった身。そんな彼にジョアッキーノは遠慮なしの様子です。おそらくはそれほど二人は打ち解けた関係を築いているのでしょう。
立場を超えて理解し合える絆、ですか……。
「ジョアッキーノ様は不敬だとのそしりを恐れずにチェーザレと付き合っているのですね」
「ええ。ジョアッキーノがいてくれたおかげでチェーザレもこの国に溶け込みやすくなりました」
「もしかしたら彼は計算してあのような態度を取ったのでしょうか?」
「本人は認めたがらないでしょうけれど、きっとそうだと思います」
いよいよ一触即発な所まで緊張感が増し始めたので私は二人の間に割って入ります。両手で彼らの身体を押してとりあえず互いの距離を離します。無抵抗だったおかげで腕力の無い私でも簡単に退かせられました。
「母さん、その話は前向きに進めてくれ。けれど……」
「権力に物を言わせては駄目、でしょう? 分かっているわよ。チェーザレがキアラ様を望むなら振り向いてもらえるように自分で努力してね」
「勿論だ。……ジョアッキーノ、一応聞くけど分かってるよな?」
「まさか僕が父さんに働きかけて婚約関係を盤石にしようと企んでる、とか言わないよな? 僕だって自分のじゃない力に頼ろうとは思わないさ」
二人とも凄まじい意気込みを露わになさっていますが、どうしてそこまで私を望むのでしょうか? ジョアッキーノとはさっき出会ったばかりですし、チェーザレとはまだ正味二日しか会っていませんのに。
「ジョアッキーノ様。チェーザレを困らせたいだけでしたら……」
「ん? あぁ、最初はそうしてやろうとか思ってたからなんだけどさ、思った以上にキアラが気になっちゃってさ」
「はあ、それはまたどうしてです?」
「キアラは夜会とかお茶会とか出た事ある?」
今の私は貴族令嬢ですから勿論ございます。正式な淑女として認められるのは学院を卒業した年齢頃でしょうか。同世代の貴族令嬢方ともそれなりに付き合っております。さすがに心の内側をさらけ出せるほどの方はおりませんが。
「僕ってうるさい女と生意気な女って嫌いなんだよね。でもほら、分かるだろ?」
「貴族のご令嬢方は家の力を服飾や宝飾等の見えやすい形で自慢したがる、ですか」
わたしだったらミノムシみたいだと比喩したでしょうね。
貴族令嬢の中には「私がお願いしたらこんな素敵な物を買ってもらったの」や「こんな凄い事をしてもらったの」と、家の財力や権力を誇りたがる方もいらっしゃいます。勿論気品に富む方もいらっしゃいますが、殿方に慎ましさも無く近寄る輩はどちらかと言えば前者の方でしょう。
ジョアッキーノの家はこの王国でも有数と申していい程の家柄。その子息が未だ婚約者もいないのですから、それは目の色を変えて擦り寄るでしょうね。これもわたしだったら玉の輿とでも評したでしょう。
「もううんざりなんだよ。近寄ってくる女は莫迦ばっかだからさ」
「では私は貴方様の御眼鏡に適ったと?」
「父さんが僕に紹介してきたって点だけでも十分期待出来たんだけどね」
「成程……そのような考えがありましたか」
言われてみれば確かにマッテオは自分には勿体ないからと私を彼に紹介していましたね。他の貴族令嬢とは違うと仰っていただけるのは嬉しいですが、私とて他の方とさほど変わりないと思うのですがね。ジョアッキーノが幻滅しなければ良いのですが。
「それでチェーザレは……」
「あの日、キアラは俺と母さんを救ってくれた。それが全てだ」
全て! 全てと仰いましたか!
一体彼の中で私がどのように脚色されているかは存じる術がございませんが、知るのが大変怖ろしゅうございます。
そのうち抱く幻想が肥大化して、現実の私との乖離を感じ取ったら?
情熱は失望へと転じ、やがて憎悪へと墜ちていくのでは?
かつての私が聖女から魔女へと身をやつしたように。
「チェーザレもジョアッキーノ様も、一つだけ申しておきます」
「何だよ、どうしたんだ一体?」
なので、若きお二人には私から忠告……いえ。願いを送りましょう。
「今貴方様方の前にいる私こそが真実です。噂話、空想……今後様々な形で私が姿を現す事となるかもしれませんが、ゆめ惑わされぬように」
私の姿を見てください。
私の声を聴いてください。
私を肌で感じ取ってください。
私は偶像ではありません。
私は貴方様方の前におりますから。
「あ……ああ、分かったよ」
チェーザレもジョアッキーノも僅かに気圧された様子でした。失礼、無意識のうちに威圧していたかもしれませんね。それだけかつての最後に自分で納得いっていないとの証ではありますが、ね。
「ではお二人共、これから仲良くしてまいりましょう」
私はそんなお二人に精一杯笑いかけました。
……今の私は自然に笑えているでしょうか? そうだと信じたいですね。