私は王子と再会しました
久方ぶりにお会いしたチェーザレは私よりも背が高くなっていました。それと腕の太さが倍にはなっているのではないでしょうか? 服装は貴族の庇護下となったのもあるのか、ジョアッキーノが袖を通すものに見劣りしない上質な生地で作られた精巧な出来でした。
「お久しぶりです。お元気にしておりましたか?」
「ん、ああ。お陰様で元気にしてるな」
「それはようございました。あの後どうなったか分からないままでしたので安心致しました」
「今度母さんにも会ってくれ。きっと喜ぶ」
チェーザレがここまで変わったのですからあの女性もきっとより美しくなっているでしょう。他の貴婦人が嫉妬する程の美貌になったかもしれませんね。お会いするのが楽しみな反面、私に過度に入れ込まないよう釘を刺す必要があるかもしれませんが。
「……キアラ嬢は殿下とお知り合いなのか?」
「……殿下?」
余所に挨拶を交わす私達はマッテオ達を置いてけぼりにしていました。ようやく放心状態から復帰したマッテオは呆けたままで私に聞き捨てならない言葉を投げつけてきます。質問を疑問符で返した私は彼が何を言っているのか少しの間理解出来ませんでした。
「チェーザレ。殿下とは貴方様の事ですか?」
「あー。どうもそうみたいなんだ。母さんがここの国王の寵姫だったらしくてな」
「なんと、それは初耳です」
道理でチェーザレもあの母親も容姿端麗なわけです。しかしそんな彼らと数少ない街中散策で遭遇する可能性がどれほどあったでしょうか? 否応なく運命を感じてしまいますし、それが神の望むがままだとしたら心境は複雑です。
「では何故私の家のお膝元で慎ましい生活を?」
「権力争いに敗れて追い出された、って説明でいいか? ……いくらキアラが相手でもそれ以上母さんの辛い過去に踏み込んで欲しくない」
「簡素な経緯さえ分かれば中身は構いませんよ」
チェーザレは憎々し気に吐き捨てました。母君の痛ましい姿からだけでも酷い目に遭ったのだと容易に想像できます。しかしあの日を思い返しても母君が恨まれる要素は……ありましたね。嫉妬を駆る程の美貌が。慈しみも兼ね備えていてさぞ国王の寵愛を受けていたのでしょう。
「どうして呼び戻されたのです?」
「国王……親父はずっと母さんを探してたんだってさ。母さんを追い落とした寵姫には罰を与えたから戻ってきてほしいって使いを寄こしてきてな」
「なんと、それでこちらから離れたのですね。おめでとうございます、になるのでしょうか?」
「……母さんをあんな魔窟に戻したくなかったんだけどな。食べる物にも困るあそこに残るよりはマシかなって」
確かにチェーザレはまだ子供ですから母君を養える稼ぎの良い仕事は貰えないでしょう。母君がどこかの貴族のお屋敷に奉公する手もありますが、その体力を付ける食事もままならぬと。悪循環から抜けるにはそれが英断だったのでしょう。
一度は権力争いに敗れた貴族の娘が返り咲いたのでしょうからきっと敵も多いでしょうね。とすると母親思いのチェーザレが守っていると想像致します。今の年でここまで立派なんですもの、もう何年かしたらチェーザレは素晴らしい紳士になるでしょう。
「それより、マッテオ卿が妻に迎え入れる貴族令嬢ってキアラだったのか。……あの時はお忍びとかだったのか?」
「左様です。まさか騙されたとは仰りませんよね?」
「別に。平民でも令嬢でもキアラはキアラだろ。恩人には違いない」
「そう仰っていただけると私も嬉しゅうございます」
私はチェーザレに軽く一礼しました。チェーザレもつられて頭を下げました。よほど追放された後の貧民生活が長かったのか何処となく仕草がぎこちなく見えました。その辺りは今後洗練されると言った所でしょうか。
おっと失礼。マッテオ達を蔑ろにしていましたね。私は彼らに軽くチェーザレとの出会いを説明いたしました。当然行使した奇蹟については伏せて、かつ疑われないよう簡潔に。チェーザレは要所を省いた説明に不満なようでしたが、交わした契約に従って口を閉ざしました。
「それはそれは、何とも運命的な再会なものだ!」
うぐっ、私が気にしていた事を。
マッテオは豪快に笑いながら息子のジョアッキーノへと歩み寄りました。そして改めてこちらに向き直ります。
「キアラ嬢、改めて紹介しよう。息子のジョアッキーノだ」
「初めまして、キアラと申します」
「ジョアッキーノ。こちらは昨日説明したキアラ嬢だ」
「ジョアッキーノだ。よろしく」
感動のかは分かりませんが再会も程々に家同士の縁談の話に戻りました。私は顔に笑みを張りつかせてお辞儀をしました。ジョアッキーノも最低限の礼儀を込めて一礼しましたが、急に振られた話への不満を隠せてはおりません。
「んで、本当にアンタが僕の許嫁になるわけ?」
「それを決めるのはお父様とマッテオ様ではないかと」
「父さん、そんな重大な話を急に振られても困るんだけど?」
「どうせお前は急でなくたって適当に聞き流しただろう」
「いやそうなんだけどさ。でも僕にだって好みってのがあってさ」
まるで押し付け合いですね、と私は軽くため息を漏らしました。ですが私なんかよりもっと憤りを露わにしたのは何故かチェーザレでした。ジョアッキーノとマッテオが応酬する度に不機嫌さを増していきました。
「マッテオ卿。そちらの話は纏まっていないようですし今日の所は先方にお断りを入れるだけで済ませてはどうです?」
「んん、確かにその通りだな。少し急ぎ過ぎたようだ。では縁談の話は改めてにしてもらうか」
チェーザレの指摘する声は僅かに低く鋭くなっていました。マッテオは彼の心境を察していないのかあえて受け流したのか、平然としたままで一旦引き下がります。そんなチェーザレの様子を窺ったジョアッキーノは悪巧みを思いついたのか、悪い笑みを浮かべました。
「父さん、別に僕は嫌だなんて言ってないし。その話、受けてもいいよ」
「えっ?」
「……っ!」
ジョアッキーノが口にしたのはまさかの快諾。思いもよらぬ返事に私は間の抜けた声を上げてしまいましたし、チェーザレが今にも殴り掛からんばかりにジョアッキーノを睨みつけました。……成程、まだ大して会話を織り成していない私を伴侶に迎える決断の意図はそれですか。
「ジョアッキーノ様」
「ん? 何だよ、どうかしたのか?」
「チェーザレをからかうつもりでしたら心の底から貴方様を軽蔑いたします」
「な……っ!」
卑劣ですね。他者の心を弄ぶなど。無論チェーザレがジョアッキーノの部屋にいるのはそれなりの交流があるのでしょう。とは言え気心知れた仲であっても許されない領域もあります。今後の一生を左右しかねない決断をそんな安易な考えでするなどもっての外かと。
「マッテオ卿、やはりチェーザレの仰ったとおり此度は一旦白紙に戻すだけに留めた方がよろしいかと」
「そうだな。ジョアッキーノ、冗談では済まされないぞ。殿下に謝るんだ」
「ぐっ……。わ、悪かったよ」
「……いや、いい。受け流せなかった俺も悪いんだ」
マッテオから厳しく言われたジョアッキーノはチェーザレへ頭を下げました。チェーザレは複雑な表情をさせてジョアッキーノをただ眺めていました。私が見つめている事に気付いた彼は私を見ようともせずに視線を外します。
恋愛などとは無縁だった私にも分かります。チェーザレは私に何らかの好意を持っている、と。それが単に友愛か親愛かそれとも愛情なのかは見当もつきません。しかしチェーザレとジョアッキーノの視線が交わって飛び散る火花を見て私はこうとしか思えませんでした。
厄介な事になった、と。