私達はようやく日常に戻りました
マジーダを撃退したトビアは私とセラフィナに向けて会釈だけすると、軽く跳躍しただけで天高く飛び上がり、そのままこの場を後にしました。追いかけようとする者もいましたが、身体能力が違いすぎますから背中を追い続けるのも不可能でしょうね。
住む場所を追われた聖国市民は教国側の役人と兵士による誘導に従ってこの場を後にします。聖国に派遣されていた遠征軍は一旦基地に向かうこととなったようで、最後まで規律正しく行進していきました。
「聖女様、今までお勤めご苦労様でした!」
去る間際にこれまで聖地を守護していたアウローラに向けて敬礼したのは印象深かったです。
程なく港から何隻かの船が出航しました。どうやらリッカドンナの指示で先ほど海に飲み込まれていった獣人達の救出作業を行うようです。獣人であっても人には違いないから救うんだと彼女が語った際はルクレツィアを始め、多くの教会関係者が驚きました。
何故なら獣人はただの獣であり人にあらず、が教会の見解ですからね。獣人も人とみなすのはむしろ獣人側の教えに則した考えです。聖地での滞在期間は決して長くはありませんでしたが、リッカドンナは聖地をかけて対峙した相手は人だったと認めたのでしょう。
「リッカドンナ様。彼らの処遇はどうなるのですか?」
「異端者じゃなくて捕虜として扱うよう指示しておくわ」
「あくまで個人的な意見ですが、恨みを買わないよう流刑にしては如何かと。かかった費用は向こう持ちで」
「ついでに聖地に残された住民達を連れ戻せるよう交渉出来ればいいわね」
それはいい案です。脱出の奇蹟でほとんどの市民は逃れられましたが、なおも聖地に留まった者や港に着く前に捕らえられた者もいるでしょうから。寵姫マジーダも捕虜にしますからそう悪くはない結果に落ち着くでしょう。
慌ただしかった聖都の港も聖国の人々が去ってからは落ち着きを取り戻し始めました。まだ獣人の救出作業が残っていますが、もうこの場で聖女にしかやれないことは無いでしょう。
「リッカドンナ様はこれで聖地でのお役目は果たした、との理解で正しいですね?」
「ええ、まあそうね。聖地を失ったしお務めは失敗なんでしょうけれど」
「では、私はお役目御免と考えてよろしいでしょうか?」
「あー、確かに神はキアラを聖地に連れて行けとしか言ってなかったけれど……」
「まさか活動報告書を提出しろ、だなんて仰りませんよね?」
「ん? どうして聖女や候補者が派遣された地から帰還したら必ず活動を報告しなきゃ駄目だって知ってるの?」
「え? えっと……そう! セラフィナに聞きました」
「ふぅん。まあいいわ。アンタの事情はおおよそ察せられるし」
私は頭を垂れました。リッカドンナはそんな私に笑みをこぼします。
「リッカドンナ様は聖女の鑑です。立派に務めを果たすお姿、私は尊敬いたします」
「聖女にならなくたって神はいつでもアンタを見守ってるわ。それは忘れないで」
「……。試練をお与えになるだけでなくたまには微笑んでほしいですがね」
「神が微笑まなくたって幸せを自分でつかみ取ろうとするくせに」
あ、分かっちゃいますか。共に死線を潜り抜けただけありますね。
「では、今日はこの辺で失礼いたします」
「ええ、お疲れ様。今日はゆっくり休みなさい。多分近いうちに呼ばれると思うから、覚悟しておいてね」
「……はい。覚悟のうえで私は皆さんを助ける選択をしましたから、悔いはありません」
聖地で私は散々奇蹟を人前で行使していました。聖女適性検査の結果よりもはるかに重要視される判断基準でしょう。このままではまず間違いなく私は正式に聖女候補者にされてしまいます。
しかし、復活の聖女マルタの処刑を経て悪役令嬢キアラの破滅が迫っていても私はリッカドンナ達を救いたかった。見て見ぬふりは出来ず、この思いに間違いはなく。なら私は後悔などあろうはずもありません。
「ま、大船に乗った気分でいなさい。もうあたしはアンタを無理に聖女にしようと思わないから。アンタの希望が叶うよう便宜を図ってあげる」
「ありがとうございます」
私は再びリッカドンナに会釈し、陣頭指揮を執るルクレツィアにお辞儀し、セラフィナに挨拶を送って港を後にしました。今日はただひたすら歩いただけでしたが精神的な疲労は抜けていません。足取りが重いです。
「とんだ夏季休暇になってしまいましたね」
「帰るか。俺達の日常に」
そんな私を支えてくれたのはトリルビィとチェーザレでした。二人と肩を並べて港から離れ、乗合馬車に乗ること少しの間。ようやく見慣れた市街地が視界に映りました。目まぐるしくことが起こったので実感が湧きませんでしたが……。
「ただいま、聖都」
私達はようやく戻ってこれたのですね。
■■■
コンクラーベ、すなわち女教皇選出が行われたのは脱出劇が行われてから数日後でした。結論から申しますと新たな女教皇には予想通りアウローラが選ばれました。本人を除く全ての聖女が彼女を推したんだそうです。
新たな女教皇の就任を祝う催しが聖都で行われました。お祭り騒ぎになってしまったのは聖地を失った悲しみを紛らわす意味も強かったんだと思います。アウローラは聖国での犠牲者を追悼して喪に服す気だったらしいですが、先の事情でお流れになりました。
そして夏季休暇が終わりを迎えようとしているある日、私は教会から呼び出されて総本山にやってきました。通されたのはなんと女教皇の間でして、いつぞやの断罪劇以来になります。
前回と異なり玉座に座るのは新女教皇であるアウローラ。彼女を守る騎士や女神官の姿は見えず、それどころか他にいたのは左右に並ぶ現役聖女四名だけでした。私は聖女のみが待ち構える空間に足を踏み入れ、アウローラの前に跪きます。
「キアラ、参りました」
「面を上げて頂戴。そう畏まらなくてもいいわ」
許可が下りたので私は顔を上げました。聖女の頂点に君臨したためか、母性を感じさせた彼女の雰囲気は威厳をまとうようになっていました。権力に溺れた様子も無いので、これなら良い形で歴史に名を遺すこととなるでしょう。
「ねえキアラ。キアラとして受けた聖女適性検査の結果は偽ったんでしょう?」
「……はい」
単刀直入に本題に切り出してきたな、と内心驚きました。しかも以前された質問の不具合を埋めに来て再度投げつけられましたね。この場には審判の聖女フォルトゥナもいますから嘘は吐けません。正直に自白する他ありませんでした。
「ああ、そんな観念したような顔しないで。わたし別に怒ってるんじゃないのよ。不正を暴けなかったエレオノーラ様とフォルトゥナちゃんの修業が足りなかっただけだから」
「……面目次第もございません」
エレオノーラとフォルトゥナが己を恥じるように顔を曇らせました。いつぞやでルクレツィアが指摘したように奇蹟に依存しすぎて己で判断する機会が少なくなったことが原因なのでしょう。反省したならもう油断や慢心には付け込めません。
「今日呼んだのはね、他でもなくて、わたしの権限でキアラが聖女になる義務を免除しようと思うの」
「え……?」
聖女を、免除?
聖女にならなくてもいい……?
「エレオノーラ様を騙した時を始めとして、神は一貫してキアラを聖女にして使命を全うさせろとは言っていない。なら、教会側の都合を強いるつもりはないわ」
「ですが、そんな処置は前代未聞です。自分の我儘で役割を放棄するなんて……!」
「ええ、自分の好き勝手だけだったら勿論許さなかったわ。けれど……キアラ達の場合はしょうがない、って思うの」
アウローラは控えるルクレツィアに視線を向けました。正義の聖女は私に視線を向けられたと気付くと、申し訳なさそうに頭を下げてきます。
「すまない、聖下やフォルトゥナ様に尋問されて洗いざらい喋ってしまった。キアラが南方王国の王子を蘇らせた奇蹟まで……」
「復活の奇蹟……確かに教会で扱いきれる御業ではないわね。認められるにはまず教会の解釈を改めるところから始めないと。このまま聖女候補者にしても……」
――遠くないうちに異端の魔女として処刑されるでしょうね。反魂の魔女同様に。
アウローラは声を低くして語りました。




