私達の会談は失敗に終わりました
会議が終わると私達は早速昨日死守した城壁に戻って来ました。
日が昇って結構な時間が経ちましたが、敵軍は攻めてくる気配は無かったようです。けれどこちらを圧迫するように距離を詰めてきており、弓を放てば届きそうな距離に布陣してきました。その先頭には黒猫と白兎の寵姫の姿が見えました。
そんなマジーダとラーニヤは私達……いえ、リッカドンナが到着した途端、こちらに向けて闊歩しだしたのです。こちらの手勢から弓や投石器が向けられているのを気にする様子もありません。
「……どうやら向こう側もこっちの動きを承知のようね」
「こちら側が折れるのを待っていたようですね。あの二人が代表して対応するのでしょうか?」
「聖地奪還は軍の総大将じゃなくて寵姫が主導している、のかしら? 考えてることはこっちもあっちも一緒なのね」
リッカドンナはお付きの神官や騎士達に待機を命じました。敵側が寵姫のみ出向いてくるならこちらも聖女だけで応対する、と。案の定神官達が猛反対しましたがリッカドンナは迂闊に相手を刺激したくないと言ってききません。
とは言え、当代の聖女であるリッカドンナに虎の口に飛び込ませるような危険な真似をさせるわけにはいきません。幸か不幸か、私はすぐにリッカドンナを納得させる手を考え付いてしまいました。
「リッカドンナ様。向こうは寵姫二名で対応するみたいですね」
「それがどうかしたの?」
「なのにリッカドンナ様お一人で出向かれるのですか?」
「アウローラ様が戻られないんだからそうするしかないでしょうよ」
「で、どのように交渉を?」
「……あ」
リッカドンナの口からこの場の雰囲気に相応しくない間抜けた調子の言葉が飛び出てきました。すぐに口を手で押さえましたが時既に遅し。リッカドンナは少しの間視線をさまよわせてから軽くため息をつき、こちらを見据えました。
「奇蹟を授かった寵姫が二人こっちに来るんだから、こっちも奇蹟を授かった者が出向くべきよね」
「そうですね」
「キアラ、付いてきてもらえる?」
「仰せのままに、リッカドンナ様」
私は即席の聖女候補者としてではなく一介の貴族の娘らしく優雅に一礼しました。
統語の奇蹟を授かっている私なら通訳を介してではなく意見のやり取りが出来るでしょう……とは建前。きっと統語の奇蹟が無くなってもリッカドンナに付いていこうとしたでしょうね。リッカドンナに危害が加わらないようにする為に。
「キアラ!」
そうして向かおうとする私を呼び止めたのはチェーザレでした。リッカドンナは少し呆れながらも話してらっしゃいと私の背中を叩いてきました。私はリッカドンナに感謝の言葉を送ってからチェーザレと向き合います。
「危険だ。向こうが何してくるか分からないんだぞ」
「承知の上です。他に適任がいないのですから仕方がありません」
「だからってキアラが何も無茶しなくても……!」
「時間がありませんからその辺りの言い争いは不毛だと思うんですけど」
「だったら俺も……!」
「それが通用しないことはチェーザレも頭では分かっている筈ですよ」
私に論破されたチェーザレはぐうの音も出ないようでした。最近は頼もしいチェーザレばかりだったので久しぶりの困るチェーザレは新鮮なのですが、私のために心配するチェーザレはあまり見たくありませんね。
「でしたらチェーザレ。戻ってきたらご褒美を下さい」
「……は? ご褒美?」
「命を懸けて生き延びるための交渉に臨むんです。私にそれぐらいの役得があったっていいでしょう?」
「いや、まあ、確かにそうだけどさ……。ご褒美って言っても何あげればいいんだ?」
「んもう、私が喜ぶものぐらいチェーザレが考えてください。いいですね? 約束ですからね」
「あ、おい、キアラ!」
戸惑っている隙に私は踵を返してリッカドンナに追いつきました。そのまま二人で開け離れた門をくぐり、大軍を引き連れた寵姫二人と相対します。
私はただ寵姫達だけを見据えてその先を見ないように努めます。圧倒されそうですからね。リッカドンナも少し気圧されたようですが改めて表情を引き締めて、不安を振り払うべく大股で進んでいきます。私はあえて肩が触れ合いそうな近い距離で同行しました。
そして、手を思いっきり伸ばせば届きそうなぐらいに接近しました。
『折角あたい達が直々に出向いてやったんだ。くだらねー前置きは要らねえから本題を言っておくれ』
「――とマジーダ姫は言っています、リッカドンナ様」
「あたし達聖国はアンタ達に降伏する、けれど条件がある。そう伝えて頂戴」
『――だそうですよ、マジーダ姫』
寵姫と聖女の言葉は私が通訳しました。奇蹟のたまものなんですからさすがに誤訳は無いと信じたいところです。降伏との単語を耳にしたマジーダは僅かな間牙を見せるながら笑いました。
『その条件ってのを言ってみな』
「聖国の歴史はまだ浅いから住民の大半が移住者なの。一年……いえ、半年以内には退去するからそれまで猶予をくれないかしら?」
『つまりそれまではあたい達に指をくわえて待ってろとでも言いたいのか? これ以上聖地を踏み荒らすつもりか?』
「帰る船が来るまで港の周辺で滞在してもらうから。聖地からあたし達が立ち退けばいいんでしょう?」
『肯定する。それがわたし達の悲願、使命』
良かった。もし神の教えを偽る異端者達の討伐が最優先だったならもはや私達の命運は尽きていたでしょう。
「念のためにお聞きしますが、マジーダ姫とラーニヤ姫はこの度どれほどの権限を与えられているのでしょうか?」
『寵姫は偉大なる神の代弁者。偉大なる王以外の意向なんて聞く必要は無い』
『あたい達と合意しても軍人共は聞いてないって攻めて来られるかも、とか思ってんのか? 心配しすぎさ!』
「そうですか。安心しました」
彼女達の意思決定が軍に反映されるなら、案を出した以上、私達の行く末は彼女達二人の手に託されたわけですか。
『……穏便に解決するなら構わないと思う。マジーダ姫はどう考える?』
『引き払っても舞い戻ってこないとは限らないよな。仕切り直してまた侵略しに来るつもりか?』
「さあ? 予知の奇蹟は授かっていないから分からないわよ。あたし達を皆殺しにしようと見過ごそうと、未来にあまり影響は無いと思うけれど?」
『いーや、そこは条件次第だと思うぜ』
歯を見せて笑った黒猫の目が怪しく光ったように見えました。どうやらラーニヤにとっても想定外だったようで軽く目を開いて彼女の方へと振り向きました。遠見の寵姫の不安を余所に天闘の寵姫は続けます。
『あたい達だって隣人を根絶しようだなんて考えちゃあいない。節度と規律さえ守るなら聖地巡礼だって許したっていいぐらいだ』
「……随分と気前がいいのね。あたし達はアンタ達を徹底的に排除しようとしたのに」
『でもよ、ちょっと寛大な心を見せてやった途端に増長されたんじゃあ話にならねえ。巡礼者を仕切る奴が必要なんじゃねえかな? 勿論、あたい達が昨日引き裂いた肥え太った豚共じゃねえまともな奴がな』
この言い草、もし豚人がいたとしても獣人国家圏では人権などなさそうですね。数多くの種族、部族を一括りに獣人と呼称していますが決して平等ではないのでしょう。暇なときに彼女達の社会を学んでみるのも面白そうです。
「分かったわ。教会からしかるべき大司教を派遣して……」
『おいおい聖女さんよ。聖地を凡人に任せるつもりかい?』
穏便に終わる気配を少し見せていた流れが変わりました。いえ、マジーダの様子から察するにこちら側の降伏を受諾する気になったのはこの狙いがあったからでしょうか? 追い込まれた私達が取れる選択肢はもう限られているというのに。
『いいぜ。聖女とか呼ばれてる奴らの身柄と引き換えならな』
それは、聖女に人質として聖地に留まれ、と言っているに他なりませんでした。
「ちょっと待ちなさいよ。さすがに聖女の赴任について決める権限はあたしには無いわ」
『ん? 聖女がこうだって言ったらすんなり許されるんじゃねえのか?』
「聖女個人が強い権限を持って崇拝の対象にならないように教会って組織はあるのよ」
『かー、面倒くさいな。こうしたいんだって言えば通るんじゃねえのかよ』
マジーダが呆れ果てる理由のもリッカドンナが並べる主張も理解出来ます。教会が聖女の威を借りて傲慢になっているのは否定しませんが、聖女が神の代弁者となって崇め奉られることだけは避けねばなりません。
共通して言えるのは、それほどまでに神より直接奇蹟を賜った聖女の影響力が大きいということです。今リッカドンナが聖国の代表者として会談に臨んでいる点からも明らかでしょう。
「……本当に聖女が誰か一人留まったら他の市民の脱出は見逃してくれるの?」
『いいぜ。偉大なる神に誓ってもいい』
「嘘、ですねそれは」
私が通訳したのはリッカドンナの確認まで。マジーダの返答はリッカドンナに伝えず、私は私の言葉で返します。それまで上目線だったマジーダの機嫌が途端に悪くなったのを肌で感じました。ですが無性に腹が立っているのは私も同じです。
「ではマジーダ姫。教会に選ばれた聖女が誰か一人聖地に赴任することを約束するなら去っていく聖国の市民に何もしない、と神に誓ってください」
『……っ!』
何故なら、言葉巧みに騙そうとしているのですからね。
「ねえキアラ、一体どういうことなの?」
「聖国市民の命を助けるとか巡礼者を許容するだとか虫のいいことを言っていますが、全て聖女を手中に収める罠です。何故なら、彼女は一言も聖女が聖地に留まっても良いとは口にしていませんから」
つまり、聖地に留まらなくても聖地の管理は出来ると向こうが主張したなら離れざるを得ません。それどころか、最悪他の寵姫のように獣人国家のハレムに加わる破目に陥る未来だって考えられます。
「教国で生まれた私達が神から奇蹟を授かったことには意味がある筈です。この地域の救済はマジーダ姫方が行うべきかと思いますが?」
『……そりゃ残念。お前等と一緒に人を救うのも悪くないって思ったんだけどな』
「あいにく、昨日の率直なお誘いの方が好ましかったですよ」
『んじゃあ悪いが、この話は無かったことにしてくれ』
マジーダ姫の声が少し低くなりました。たったそれだけの変化だというのに雰囲気ががらりと変わります。お茶会の席にいるような緩やかな雰囲気が失われ、牙を剥き唸り声をあげる獰猛な獣と対峙しているような緊迫感が生まれました、
『異端者をみすみす逃すつもりはねえな。これまでの誤った教えを信じたことを悔い改めて改宗するってんなら歓迎するぜ』
「……信仰とは命を天秤にかけられてもそう揺らぐものではありませんよ」
『ならもう話は平行線だな。お帰りまでは何もしないでいてやるよ』
「そう、分かったわ。それがアンタ達の返答ってわけね」
マジーダが私達の後ろ、即ち聖国市街地の方を指差すと、リッカドンナが髪をかき上げながらすぐさま踵を返しました。ラーニヤが批難を込めた眼差しをマジーダに向けますが彼女は気にも留めない様子でした。
交渉決裂。進退窮まりましたね。




