夏休み編・68
彼女が顔をこちらに向けずにするので怖くなって、
つい力んで振り払ってしまった
しまった、と思いつつも体は正直にベンチから完全に離れ
距離を取って吉沢さんの背中を見ていた。
そしてゆっくりとこちらを向く彼女がどんな表情をしているのか、
自分の予想を超えた姿があった
涙。
さっきまで見つめていた綺麗な瞳から大粒の輝きが、
頬を伝っていた
それでもまだ異常なのは変わらない。
感情らしい感情を表に出したにしても何故泣いているのかが
分からなければ何の解決にもなっていない。
まさか昨夜食べたニンニクラーメンによる口臭のせいかとも
訝しんだが、そんなゴミクズのような予測を叩きのめすような
事情が彼女の口から語られた
「本当はね、うちの家族にも女の子がいたんだよ」
「え......?」
「名前は千夏......それが私なんかじゃなく、
彼女が受け取るはずの名前だった。
やっぱりこの時期になると、思い出しちゃうんだよね」
「そんな、いやだってそれは......」
明らかに今目の前にいる吉沢さんの名前だ。
どういうことかと思案を巡らした時、彼女との会話で
妙に記憶に残った内容を思い出した
「まさか、とは思うけど......お姉さんの名前?」
「......凄いね、ハルオ君は」
自分より上のきょうだいが欲しいと彼女はこぼし、
そうした存在に寄りかかりたいとも彼女はハッキリ言っていた。
その時の様子が声色ではいつもの調子だったが、
どこか悲し気な笑顔だったの今でも覚えている。
そう、その表情が今目の前にもある。
見ているだけで切なくなるような悲哀に満ちていて、
そして今流れ落ちる涙には寂しさが詰まっている
「彼女とは双子で私たちは生まれた......産まれるはずだった。
でもね、バニシングツインが起きちゃったの」
「それって......」
「双胎一児死亡、簡単に言えばどちらかが死んでしまうと
その子は母体に吸収されてしまう......死んだのは恐らくだけど
お姉ちゃんだったと思う、それは感覚的な話だけど」
その現象については最近丁度妊娠・出産の歴史がテレビの番組で
やっていたのを知っていた。
珍しく妹がわざとらしい鎮痛な面持ちで
テレビを見るのに誘ってくるので(その時は演技に本気で騙されて)
何かと思ってそんなテーマだったのでギョッとしたので印象に深かった。
意図は俺を驚かせるつもりだったらしく、リアル14才のマザーみたいな
展開になったことを暗に示したかったのかと心臓を悪くしたものだ
深かったのは印象だけでなく中身も興味深いものだった。
基本的な妊娠から出産までのメカニズムから帝王切開の必要性、
最多出産回数等様々に知らなかったことから吉沢さんが語る、
バニシングツインは既知の情報だった。
亡くなった赤ん坊は完全に母親に吸収されて、
残った子への影響はほぼないと言われている。
ただそれは肉体的な話であって、精神への
影響は計り知れるものではなく、人によっては
自分が生き残ってしまったとサバイバーズ・ギルトに
苛まされる者もいるという。
まさに彼女はそれなのかもしれない
改めて実際その生き残った存在を目の当たりにすると、
凄い人に立ち会っているような気持ちになる
「妹だったかもしれないけど、でも何となく分かるの。
お姉ちゃんが代わりに死から守ってくれたんだってそんな気がするんだ」
推測でしかないが、そんなことがあってもしかしたらその子の代わりの
女の子を吉沢さんだけじゃなく彼女のお母さんも望んで
多くの子供を成したのかもしれない。
波止場で彼女の家族には会っているが、
そんな事情があるとは露知らず幸せな大家族にしか見えなかった
「自称する時、彼女の名前で呼んでいないと自信が揺らいでしまうの。
私は千夏、私は千夏なんだって......そうしてたらある時から
たまに自分じゃない、本当の千夏の性格が表に出るようになった。
ハルオ君が見たのはそれだと思う」
「そう、だったのか......」
「母体だけに吸収されるというけど、私の場合は違うと思うんだ。
確かに彼女の片鱗を感じるの。
私の中にも彼女はまだ息づいている......
生きたいって強い思いが強気の彼女の性格の顕れなんだと思うの」
エリーとの戦いでも彼女は異性の奪い合いという場で顔を出し、
あの島でのサバイバルでも得体の知れない外敵に対して
千夏さんの面は色濃く出ていた。
どれも思い返せば本能的に関わるものの時、
彼女は確かにいた
「教えてくれて......その、ありがとう。
とっても辛いことだと思う。
その辛さは俺が想像も及ばないことだと......」
「ううん、誰かに私も打ち明けたかった。
一人で抱え込むには辛すぎても、頼れる姉を早くに失って
支えなきゃいけない弟が少し多くいる私には親しい人を作ろうという
努力は後回しになってた......それが最近ようやく最後の弟も
赤ちゃんから卒業してきて、今ようやく私の......いえ
私たちの人生が始まる」
語るうちに苦しそうな彼女も、重いものを吐き出せたおかげか
話すうちに涙は跡を残すのみで瞳は自身の輝きを取り戻し始めていた。
いつもの元気な彼女が戻ろうとしている。
背中を押す絶好のチャンスだ
「俺にできることがあればなんでも手伝うよ。
こんな話を聞かされて何もしないんじゃ、男がすたるからね」
「ん?なんでも?」
「う、うん」
意地悪っぽく笑うと彼女は立ち上がって近付いてきた。
近くで見ると目は少し腫れている。
こういう弱みを見せられてからいつもの態度であろうとする健気さに
守護らねば、と抱きしめたくなるような気持ちが心をぐらつかせる
その行動を取る必要性はこちらにはなかった。
「君から元気が欲しいから、今だけはこうさせて」
首と胸の間に吉沢さんが顔をうずめる。
冷たくなった頬の感触を受けつつ、気付けば頭を撫でていた
「うん、やっぱりナツの直感は正しかった......
最初は何でも話せる妹欲しさにエリーちゃん目当てで
ハルオ君たちに近づいたけど、
ナツが欲しかったのはお兄ちゃんらしい貴方だったのかも」
無意識に慰める格好をしながらも改めて言われると気恥ずかしい。
「そ、そんなこと......」
「ねえ、これからチカって呼んで」
「え?」
「千夏は姉の名前、千果が本当に受け取るはずだった名前」
満面の笑みで言われてはこっちも笑って返すしかなかった。
また、特殊な呼び方の女の子が増えてしまった......ふえぇ




