夏休み編・8
「あれ、嬉しさのあまり再び気を失ってしまったか。
愛い奴め......」
白目を剥いた男の頭を撫でている薫の姿は傍から見れば、
洋画のB級ホラー映画そのものだった。
そうやって彼女なりの幸せを噛み締めている間、
乗員の中でも一番、危機回避を可能と出来た人物である彼女が
まだこの時点でも異変に気付くことは出来なかった。
時刻はとっくに目的地に着く様な時間であった。
広い食堂では出来立てホヤホヤの温かな料理が、
食欲をそそる匂いで空間を満たしていた。
バイキング形式で料理の数は乗員を考えると過度なくらいに多様であった。
そこで有希と千夏は先にランチを堪能していた
「早く二人もくればいいのにね~」
「そうだね......」
千夏は盛れるだけ盛るような勢いで片っ端からご機嫌に
皿の上にせっせと料理を取っていく。
対して有希は先ほどの勘違いからアツアツな二人を見て、
自分が本当にこの場にいていいものかを悩んでいた
「元気ないなぁ~
あ、そういやいつも昼休みに持ってきてる弁当箱小さいよね?
小食だからバイキングとか困っちゃうのか」
「い、いやそんなことは......」
本当のことを打ち明けるわけにもいかず、
気乗りしないまま千夏に誘われて来ただけだった。
気落ちした有希の様子が分からないほど、
千夏の機嫌は良かった。
食べることが好きだという彼女の性格もあったが、
一番は薫と仲良くなれそうだという自信が大きかった。
薫の方には一切、その気はない。
「さっ! 食べよう! いただきま~す!」
元気な声を上げるや否や
嬉しそうにムシャムシャ食べて行く。
そんな様子を眺めていると、
ついつい有希は笑ってしまった。
娘の食べっぷりを温かに見守る慈愛に満ちた母のような顔だった
内心、そこまで悩むことはないと
千夏の明るさの前で考え直していたのであった。
彼女もこの時を楽しもうと料理に手をつけるのである
結果、この時点で二人も周りが慌ただしくなっていたことに気付かなかった。
異変など知る由も無かった
一方、貨物室では
「アンタのせいでアタシが危なかったのよ!!」
「す、す、すまんん」
「兄貴も反省してるから、もう放してあげて......!」
淳の首元を引っ掴んでブンブン振り回す美咲と
それを止めようとする一慶たちの姿があった。
近くに男が倒れたままだ
「もうっ! 次、あんなヘマしたら許さないんだからねッ!」
「またこんなことするつもりかよ......」
「何か言ったッ!?」
「何も言ってません! 兄貴も!」
腕を組んでカンカンな美咲の前で一慶は作り笑顔で元気に返答、
その後ろでは首元を擦りながら辟易としている淳。
「ああ、で?
この人どうすんだぁ?
どこに運び入れりゃあいい?」
米俵でも抱えるように男を肩に担ぐと
指示はすぐ飛んできた
「人目につかない場所に置いておいて。
あくまでもその人に眠ってもらったのは私たちの存在が、
この行きの船の中でバレることを防ぐためなんだから。
上陸さえしてしまえばこっちのものよ。
それまで見つからない場所だったら、どこでもいいわ」
「もっと具体的に言ってくれよ......」
「僕が着いていきますんで、米田さんは休んでてください!」
またもやひと悶着起こしそうだったので、
一慶が同行することで事なきを得た。
弟が前を歩いて前方の安全を確かめると、
合図を送って兄を進ませるという形で船の中心部から端の方までやって来た。
客室が続く廊下の行き止まりに、丁度ヒト一人を隠せそうな死角の部分があった。
そこでようやく淳の肩の荷が下りた。
「ひゅ~......」
「お疲れさん」
「なあ、このままじゃ少しばかし不自然じゃあねぇか?」
兄貴からの珍しく鋭い指摘に弟は困った。
「確かに...サボってここで寝てたって感じに見せるには、顔が......」
まさに脳天にハンマーを喰らったという感じで
白目を剥いて口から舌がはみ出ている。
「俺に良い提案があるぜ?」
「えぇ......」
淳の自信満々の顔に、
一慶は嫌な予感しかしなかった。
そんな彼らも気付かなかった。
やけに船員が辺りをうろついていなかったことを。
起きている異変について、
この時点でまだ誰も感づいていなかった




