あとしまつツアー
われわれが使う能力は多岐にわたる。未来予測、天候管理、結界の維持。その場限りの効力のものもあるし、そのあと何年も影響が残り続けるものもある。
なので、能力庁を辞する際には、『その場限り』以外で自分が過去携わった案件を一つひとつ点検することが義務付けられている。後進を一人つけ、業務の引継ぎと人材の育成を同時に行うというものだ。膨大な数を検めるため、期間は数年に及ぶこともある。通称『あとしまつツアー』。
これまで主に全国各地の結界の維持を担当してきたが、いよいよ数年後、定年退職を迎える運びとなった。そこで、わたしも先人同様に若手とバディを組み、あとしまつの旅を始めたというわけだ。
過去の自分と対峙させられるのは、それが成功に終わった案件であってもどこか苦く、ちりちりと痛い。『ああすればよかった』『もっといい方法があったはずだ』と思わずにはいられないからだ。
成功した案件でそうなら、失敗ならなおさら。
新人の頃に張った結界を眺めつつ内心臍を噛むわたしの気持ちなどまるで知らないどころか想像をする気もない新人が、「ここは異常なしでオッケーすか?」と湿度〇パーセントのカジュアルさで問うてくる。はじめのうちは『これだから今時の新人は』などといちいち苛立っていたが、その回数が増えるにつれ抱えていた苛立ちも鈍麻した。あと数年で辞める老兵が何を言っても仕方ない。
それに、『あの定食屋さんうまいっすねー! いいとこ連れてってくれてアザース!』などとなつかれてしまえば、無下にする気も失せるというものだ。
――自分よりもよほど優秀な部下に、拙かった過去の自分の術の成れの果てを見られるのもなかなかに恥ずかしいものだが、ぐっとこらえて声を掛けた。
「八森くん」
「なんすか阿野さん」
「ここね、異常あり。少しだけだが結界がほころびはじめてる」
「マジすかー?!」
「マジだよ。まあ、あと数年は持つだろうが、このままだといずれ駄目になるね。完全に破られたらまずいことになる」
「あーじゃあ、今ソッコーでかけなおしますわ」
「頼んだ」
彼は鼻歌でも歌いそうな風情でそこに立つと、わたしとは異なる手順の異なる呪文を施した。
そしてわたしよりもずいぶん早く再封印を終えると「終わりましたわー」と何でもないように笑った。
「早いな」
「まずいすか?」
「いや、わたしと比べて、というだけのことだ。特段まずいことはないよ。しっかり術もかかってる。大したもんだ」
「へへ、ほめられちゃった」
「さ、次は隣町だよ。さっさと行こう」
「えーもうちょっと褒めましょうよ、褒めて育つ子ですよ俺」
「次もうまくいけばそうするさ」
「よっしゃー、じゃー行っきましょー!」
優秀な上、実に単純で助かる。
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町から町へと渡り、問題なし、問題あり、大いに問題あり、問題なし、といった具合に現場のチェックと対策を進める。そして、彼のやり方がよければ都度褒め、分からないと請われればわたしが模擬的にやってみせた上で実践させた。
問題大ありな場所では、命の危険を感じることもある。その土地に永く棲まう力のあるものに目をつけられれば携帯の電波はすぐに遮断されるし、体調が悪ければ精神など簡単に干渉されてしまう。一人で動いていた時には完全に乗っ取られないまでも、うっすらと不快感がつきまとうこともあった。けど今は、信じられないくらいにマイペースな八森くんがいるので、とんでもない状況下においてもわたしの精神はすこぶる安定している(彼ももちろん安定している)。
「阿野さん、もし今理想の女性が現れるとしたらどんな感じの人がいいすか?」
「そうだな、笑うとかわいらしい人がいいな」
「そんなん女子全般そうでしょー! 守備範囲広っ!」
そんな他愛のない話を、救助隊が来るまでの間、もののけに囲まれた中で交わしたこともあったな。
とにかくいつだって底抜けに明るい彼がいてくれたからこそ切り抜けられた場面はいくらでもあった。これが自分そっくりな陰鬱な人間がバディだったら、助かるものも助かりはしなかっただろう。
樹海の奥で木の蔓に絡めとられ、逆さ吊りにされたまま「年単位で休みもらえたら何しますー?」なんて、普通の人間はなかなか言えないと思う。
まあ、このごろはわたしもすっかり感化されてしまっているから、同じく逆さ吊りの状態で「そうだな、こういう風に仕事で各地を飛び回るのじゃなく、普通にゆっくりと旅をしたいものだね」などと答えたが。
八森くんはにこっと笑って「いっすね、んじゃどこから攻めます? おれ石垣島がいいなー! 阿野さんに見せたい映えスポットあるんすよね」と続けた。
「おい、なんで一緒の前提だ」
「え、行きましょうよ絶対楽しいすよ!」
「まあ、接待される側のこちらは楽しいだろうが君は楽しくないだろう」
「え、なんで?」
「なんでって、……休みの日まで上司と顔を合わせなくても」
「いやいや、阿野さん俺が出会った中で一番愉快なピープルの中の一人ですよ」
「そんな英語の例文みたいに言われてもな……」
いつだってそんな風にどんな状況でも楽しくおしゃべりをしながら仕事をこなし、わたしと八森くんは数年がかりでとうとう最終ポイントにたどり着いた。
*******
「これで阿野さんとの愉快な時間も終わりかー!」
「愉快とはなんだ、それにまだ終わってはいないぞ」
「家に帰るまでが遠足っすからね! あーでも、いろんなとこ行きましたよね。全国津々浦々、大都会から山奥まで」
「そうだな」
「かわいいルーキーだった俺も、すっかり中堅ポジの頼れる男になっちゃって」
「そういう厚かましい所はそのままだけどな」
「ヘヘ」
ぽんぽんと軽口を交わしながらも、彼は危うげなくことをすすめられる。元より優秀な人材ではあったが、もうわたしからアドバイスする場面もない。これで安心だ。
つつがなくすべてのチェックを済ませ、わたしのあとしまつの旅がいよいよ終わりを迎える。
帰りの電車の中、八森くんはいつも通りにはしゃいでいる。お気に入りのポテトチップスの容量がまた減った、ガチャガチャでほしかったアイテムが出た、等々。だが、陽気を装ったそれは空元気だと知っている。電車がわれわれのオフィスである能力庁に近づくにつれ、口数があからさまに減っていくのが少しだけ面白かった。堪えたつもりだったが、案外目敏い八森くんに見とがめられたようだ。
「阿野さん、笑ってる場合っすか」
「神妙にしていても変わらないからね」
「そりゃそうすけどー……」
旅の仕上げに、もう一仕事残っているのだ。
能力庁に戻り、デスク周りを片付ける。挨拶を一通り済ませ、捨てるべきものを捨てると、終業の時間まで少し余った。ちょうどいい。
「八森くん」と呼ぶと、彼も「……あい」と不本意を隠さずに返事をし、エントランス脇の小部屋へついてきた。
カーテンを開けると、コンパクトな部屋全体が夕焼け色に染まる。まぶしい室内で八森くんが振り向く。バディとしての付き合いの中、今日だけたくさん披露された頼りない笑顔。
「これでお別れなんてさみしいっす」
「まあ規則なんでね、とっととやってもらおうか」
「ヤダなー」
「ヤダとか言うな、頼れる中堅」
「阿野さんの前では永遠にかわいいルーキーポジでしょ俺」
「本当に厚かましい」
思わず笑うと、「やっぱ術かけたくねー」としゃがみこむ。
「これ、かけたフリでかけてないとかまずいっすかね?」
「大変まずいね。君の首が飛ぶ」
「ヒエッ」
「物理的にだ」
「そりゃヤベエすわちゃんとかけますわ」
「そうしてくれ」
八森くんはもごもごとラップめいた言葉を唱える。するとわたしの中から仕事に関する記憶が抜け出ては、彼のかざした手の中へと吸い込まれていった。『忘却』だ。
この職を辞する際には、高いレベルの秘密の保持が求められる。しかし人間の口というものは大変にゆるく出来ており、いくらモラルのきちんとした人でさえ、酒やハニートラップ、拷問などに遭ってしまえば堅牢なはずだった秘密もあっけなく漏らしてしまう。
それゆえに、勤務最終日に仕事に関する記憶はこうして全て抜かれるのが規則だ。
痛みもなく、ただ恐ろしいスピードでどんどん記憶が消えていくのが分かった。
こちらに術を駆けながらも八森くんは涙をこらえている。泣くな頼れる中堅。笑ってしまうだろう。
わたしの最後のバディが君で本当によかったよ。
ありがとう。
……なにに?
「あの、」
肩にそっと触れた手が、パイプ椅子に座ったまま眠っていたわたしを覚醒へと導いてくれた。
「ああ、すみません、うっかり居眠りしてしまった」
「いえ、こちらこそお待たせしました」
にこやかな青年は、わたしに退職に伴う各種手続きが終わった旨を伝え、小部屋を出るとそのままエントランスへと誘導してくれた。
なんだか長く寝て夢を見たあとのような、ふわふわとした感覚がある。
自動ドアのところで「ご親切にありがとう」とお辞儀をした。なじみのないビルだったから、連れ立ってもらえなければまごまごしていただろう。
「……これからどうされるんですか?」
遠慮がちに問われ、「そうだな」と考える。
「旅でもしようかな、これといった予定もないし」
「いいですね」
「どこかお薦めはあるかな」
「石垣島いいっすよ!」
初対面のはずだがずいぶんと砕けた口調で、その青年は答えてくれた。
*******
『石垣島いいっすよ』という言葉が自分の中に残っていたせいなのか、がぜん行く気になった。仕事をやめて、フットワークが軽くなったことも大きい。
家に帰るや否や飛行機や宿の予約を取る。オフシーズンのせいかスムーズに事が運び、翌日には機上の人となり、そして家を出て半日もしないうちに石垣島へ着いてしまった。ふだん、こんなにさくさくと物事を進めない人間のはずのわたしが、なぜこんなにも行動的に? と怪しむほどスピーディーな展開で、どこか嘘のように思えてしまう。搭乗手続きを終えて飛行機を待つ間にも、雲の上の景色を眺める間も、こうして本土よりぬるい空気に半袖の腕を撫でられていても、心は非日常に高揚を覚えるより、とまどいが勝っているようだった。
それでもホテルの部屋で一休みしている間に少しづつ旅の実感が湧いてきたので、周りをぶらぶらと歩いてみる気になった。
下調べもなしにやってきた上、特段行きたい場所があるわけでもなく、あてもなく散歩するだけだが、案外これも悪くない。昨日までのわたしとくらべてずいぶん贅沢な時間の使いかただ、などと思う一方、昨日までやっていた仕事について思い出そうとしても、頭の中に濃い霧が立ち込めているようにどうにも判然としない。考えたところでもう退職したのだし、それより目の前の風景を堪能するほうが建設的かと考え、いつの間にか止めていた足をふたたび前へと進めた。
ふと目をやると、咲き誇るブーゲンビリアだらけの明るい景色の中に、見覚えのある青年が立っていた。――あの、親切な。
彼を見た瞬間、ぱきんと何かが割れる音がして、何かが戻る感覚があった。――記憶が、少し。
「八森くん、」
ため息交じりにそう呼ぶと、彼は嬉しそうに「どーもー!」と笑った。
「何をした」
「石垣島に行きたくなっていてもたってもいられなくなる術と、現地で俺見たら『忘却』がキャンセルになる術をあいがけにしたっす」
「カレーのように言うな。いつかけた」
「『忘却』で阿野さんが寝たあとっすねー」
「物理的に首が飛ぶって言っただろう!」
はなから記憶を戻すつもりだったのならあの涙はなんだったんだ、とぼやくと、「だって初めて使う術だったし一〇〇パー成功する保証はなかったっすからね、おセンチにもなるってもんすよ」とあっさり吐露し、「いうても、仕事に関するとこは匠もビックリの丁寧さで今回の『忘却』キャンセルからは除外するように術を構築したんで、阿野さん絶対思い出せないすよ」と続けた。
そう言われて、あらためて業務内容について記憶を掘り起こそうと努めてみたが、彼の言うとおりに何一つ思い出せはしなかった。それでいて、能力庁に勤めていたこともルールも覚えており、中身については思い出せないまでも、彼と楽しく仕事をしたなという感覚は残っていた。八森くんを見れば、分かりやすくドヤ顔をしている。
「ね、言ったとおりっしょ?」
「まあ、そうだな」
「だからばれてもワンチャン減給くらいで済むと思うんすよね」
「まったく……」
なんでこんなこと、と問うと、「だって寂しーじゃないすか」と素直に膨れられた。
「バディ期間中なんだかんだで阿野さんと愉快にやってたのに、そこまで取り上げられる筋合いはないってもんすよ!」
「……まあ、たしかに」
「それに、今回コレが成功したなら、このやり方で『業務部分だけ忘却』っつー手法が使えるってもんでしょ? 減給どころか臨時ボーナスかも~」
「大したもんだ」
「へへへ」
こちらの賞賛になぜか盛大に照れたあと、八森くんは照れ隠しのように早口で「ほら、約束してた映えスポット行きましょ、早く早く!」とわたしをせかした。
「確かに話はちらっと聞いたが約束はしていなかったと思うが」
「阿野さん細けぇ、あ、いい意味でね! いい意味で!」
「二回言うと嘘っぽいな」
「へへ」
意固地に突っぱねる理由もなく、結局彼の運転する車で『映えスポット』らしい砂浜へと向かった。
ビーチに到着すると、いままさに日が沈んでいこうとするところだった。
夕日が絵画のような美しさですべてを染め上げる。そんな圧倒的な景色をただ眺めていたいのに八森くんは「ほら阿野さんこっち向いてー! はーいチーズ!」と強制的に写真撮影に巻き込んだかと思うと、消えゆくオレンジ色など目もくれずにスマホを超高速でいじっては「ん、いい感じに盛れた」と満足げに言う。とんだマイペースだ。
盛れたらしい写真をシェアしてもらい、車でホテルに戻った(なんと彼も同じ宿だった)。このあと飲もうかなどとロビーで談笑しているところへ、業務外でイレギュラーに発動した術を察知して駆けつけた能力庁監査部の人間に拘束された。普通であれば顔が青くなる場面だ。なにせ、物理的に首が飛びかねないのだから。
なのに八森くんときたら、監査部に囲まれたこのものものしい雰囲気の中でさえ『だいじょーぶっすよ☆』と言いたげにウインクを寄こすのだ。
それだからわたしも彼同様に連行されながら『そうであることを祈るよ』という意味を込め、両目をつぶってみせた。
*******
「ほら、言った通り大丈夫だったっしょ~!」
「まあ、お互い首は飛ばずに済んだな……」
「戻した記憶もそのまま!」
「君のお給料もどうやらそのままらしいが」
「ケチっすよね~!」




