人魚ちゃん
「ふたご姉弟~」とは別人魚の話です。
足をもらった。というか押しつけられた。
かわりに、声をうばわれた。
ある日、ク○ネコヤマトのお兄さんが届けてくれた小箱。こんなの通販で頼んでたっけなと思いながら小さなそのダン箱をあけたとたん煙がわーっと出て、それをもろに食らったら、尾びれの代わりに足がにょきっと生えた。めちゃくちゃ驚いて、ナニコレ――! って叫んだのに声がちっとも出なくて、それでまたナニコレ――! ってめちゃくちゃ驚いた。
水の中で足は非力で、尾びれのように私を自由に泳がせてはくれない。星月夜の岩の上で歌うことが大好きなのに、いま私の口からは、か細い音すら出ない。
こうなったら、取り戻さなくては。私の尾びれを。私の声を。
――この箱の送り主が誰かは知ってる。そいつの住所も。
AMAZ○Nのお急ぎ便で取り寄せたくつ。ヒールなんて履いたら不安定な砂地の一歩目で転ぶと分かっていたから、スニーカーにした。
服はZ○Z○のセールでゲットしたお気に入りのブラウスと、マーメイドスカート。スカートの上部分のシルエットがタイトなので水の中でもパンツ丸見えにならず、なおかつ裾がひらひらして、とってもかわいいのだ。令和のマーメイドは、貝ビキニなんて出し物の時しか身に付けません。
行ってらっしゃーいと家族に見送られて、海岸線沿いに歩き出す。
慣れてないせいもあるけど、歩くのって、時間かかるね! こう、尾びれ一蹴りでぐんぐん進んでいける水の中とはうんと違う。正直、こののんきなスピードにいらいらする。初めての歩行に砂浜は思いっきり向いていない。
それでも、慣れない足が痛む前に目的地へと辿り着いた。
『差島人魚研究所』という表札が出ている、海辺の古びたマンションの一階の部屋の前に立ってピンポンを連打した。一度してみたかったんだ連打。ついでにピンポンダッシュもしてみたかったけど、まだ歩くことで精いっぱいのこの足じゃムリだな。
なんて思っている間にドアが開いて、因縁の相手である差島が「やあ」とのんきに笑いかけてきた。
「どうぞ中へ。意外と早かったね」
なんだその上から目線。むかむかしながら携帯に言葉を打ち込んで、ディスプレイをぐいっと向けて見せた。
『そりゃあ、箱の中にG○○GLE MAPが印刷されて入ってたからね! 忌々しいメッセージと記名入りでね!』
――元の姿に戻りたければ、こちらまでいらしてください。 差島
****************
差島は人魚界隈ではちょっと有名な――色んな意味で――人物だ。
マナーの悪い鉄オタみたいな低モラルな人ではない。むしろその逆で、丁寧すぎるのだ。挨拶も観察も。
人魚なんて今日びドクターイエ〇ーほどもレアじゃないっていうのに、しかも人魚の研究なんかしててこっち側には慣れてるはずなのに、『このたびもお目にかかれまして、実に光栄です』だの『あの、今落とされた鱗、いただいて帰ってもよろしいでしょうか』だの、必要以上に謝意をこめられた言葉は、こちらの困惑をよそにとどまるところを知らない。たかが鱗一枚に『うわ、めっちゃ綺麗だ……! 生きててよかった……!』とか大げさすぎるってもんだ。
そして悪気はないけど悪い人を地で行く差島は、めちゃくちゃグイグイくる。人魚もドン引きするほど人魚知識が豊富で、その知識を生かしていいこともしてるけどそれ以上にウザ、じゃなかった、熱意がありすぎるもんだからみんな相手をするのを嫌がって、近頃ではとうとう話し相手が私だけになっちゃってた。
――かわいそうだからって相手してあげてたのに、それだけじゃなく研究用にって血液まで提供してあげたのに(それを王様から金塊でも貰ったみたいにすんごい感謝してたのに)こんなことをしでかすとは。恩を仇で返しやがって。
『足返品するから声と尾びれ返して!!』
「せっかくそんなに綺麗な足なのに」
防水加工のロングスカートだから足のラインは出てないはずなのにほんの一五センチばかりでている足首をちらっと見てそう言うとか。相変わらずキモいな。
『セクハラはやめろ』
「聞いてください、ただ俺は――君とこうして、陸で会ってみたくて、」
『じゃあこれで気が済んだでしょ』
「そんなに焦らなくても。足のある生活をもう少し楽しんでみたら」
『そうはいかないんだって! 今日、Y○UTUBEでこのあと配信するんだから!! 声出ないのは困る!!』
「えっそうだったんだ、ごめんなさい」
『ていうかSNSで告知しまくってんのに、あんた私のアカウントフォローしといて気付かないって何事?』
令和の人魚は、潜んでたりしません。積極的にやりたいこと何でもするよ。だから、配信で歌も歌うしおしゃれもする。野望だってある。
『登録者数増やしたいし案件もお声がけいただいてるし、ここが勝負どころなんだからね!』
ふんっと鼻息の荒い私と反対に、やつはなにやらがっかりしている。
「もっとこう、情緒とかないわけ……?」
『うるさい、そっちこそ勝手に古き良き時代の人魚のイメージおしつけんな。てか、早く!』
「わかった、わかったよ、……」
差島がため息交じりになにかをもごもごと呟き、ぱちんと指をひとつ鳴らすと足が消え、尾びれと声が戻ってきた。床に座り込んで低い声や高い声を出してみる。うん、いい感じ。
「あ――――! 声が出せるって最高!!」
「……そりゃ悪かったよ」
足は二本だから尾びれだけだと等価交換にならなくてしかたなく、とぐだぐだ言い訳を連ね続ける男を床に座ったままで見上げ、きりの良いところで「ん」と手を広げてせかす。
「ん?」
「ん!!!」
察しの悪い男だね。
「足がないんだから、これじゃ自力で海まで戻れないでしょ、連れてきなさいよ」
「あ、……はい」
「急いで。あと三〇分で戻らないと。もうスタッフみんな配信の準備して待ってるし」
そう言うと、やつはお姫様のティアラかなにかみたいに私にそっと触れて、それから横抱きにしてえっちらおっちら歩き始めた。その足取りがもう、危なっかしいったら。
「ちょっと、落とさないでよ!」
「そこは、おれの、命に代えてでも、ぜったい」
とか言いながらさっそく息上がってんじゃん。運動しろ、運動。泳ぐのは有酸素運動としてとってもいいんだから。
頼りない足取りにあわせて、ゆらんゆらん揺れる視界。私を落とさないように踏ん張ってるせいか、いつもはペラペラと早回しで動き続ける口もめずらしく引き結んでいる。そのかっこよくもなければ極端に悪くもない横顔を見ながら聞いてみた。
「あんたなんでこんなことしたの」
「こうでもしなくちゃ、君は俺なんて見向きもしないだろ」
「だからってちょっと知ってる古い魔法を使うとかさー、そんなのただのクソヤバ人魚オタクじゃん」
事実を述べただけなのに、差島はTik T〇kで上がってた、お医者さんで注射打たれた犬みたいにしょぼくれた。
「ほら、足止まってる、歩け」
「……うん」
そう促すと、またゆらんゆらん。
「スニーカー履けたのは楽しかったけどさ、差島はそれで何がしたかったの」
「……君と、」
「ん?」
「手、をつないでみたり」
「それから?」
「ちょっと、踊ってみたり」
「……」
「花火見たり。手持ち花火したり」
「…………」
「いっしょにプリクラ撮ったり。お祭りの縁日行ったり」
「あのさ、それは両思いの人たちがするものでは?」
耐えきれなくてツッコむと、「でも君は俺のものにはならない」とサバサバした口調で言われた。
「だから、企てたんだ。君の声と足を人質にして」
「でも結局何にも出来てないじゃん」
「……うん」
「お姫様抱っこはされてるけどね」
「?!?!?!!!!!」
「今気がついたの? 遅くね? てかマジで落とさないでよ」
「おっ落とさないよ絶対っ! そこ、はっ、おれのっ、命に、ッ! 代えてでもッ!!」
めちゃくちゃ息上がりまくりじゃん。
「……安っすい命」
「そうだよ。君の、一万分の一の、価値も、ない」
「……ぶぁ――っか!」
「え、」
頃合いよく波打ち際までなんとか堪えて辿り着いたから、細っそい腕からぴょんと一跳ねして海に飛び込んだ。ぬるい海水が私を包み込む。こうでなくっちゃ。
呆然と立ち尽くす差島に、「あんた、人魚インフルん時いっぱい動いてくれたじゃん。そんなやつの命は、それなりの価値があるんだから覚えとけ!」
何年か前に、人魚だけがかかる人魚インフルエンザが大流行した。でも、人間よりうんと人口の少ない(たしか各都道府県に登録届を出している数は人間の一/一〇〇〇〇〇以下だったはず)われわれは行政に冷遇されがちで、身近な人がみんな倒れて弱っていくのになにも対策してもらえなかった。そんな時、差島は自分が開発した人魚用のワクチンを持って海にやってきた。人間とはちょっと組成が違う人魚向けに作られたもの。――執拗に思えるほどの質疑応答、しょっちゅう持ち帰った鱗や提供した血液はマニアとして保管するだけじゃなく、ちゃんと人魚のために役立ててくれた。おかげで、こうして日常を取り戻した。私もみんなも。感謝なんか、いくらしたってしきれない。鱗なんか好きなだけあげるよ。話だって、したいだけ付き合ってあげる。
それは決して、感謝とお礼だけじゃなくって。
差島はぽーっと口を開いている。
「ねえ、聞いてんの?」
「あ、はいっ!!」
「あと配信必ず観なさいよ!」
「承知しました!!」
もっともっと言ってやりたかったけど、時間が差し迫ってたのでそれこそ別れを惜しむ情緒もなく慌てて戻った。
自分一人の片思いみたいなこと言ってんじゃないよ、鈍すぎんだろ、ぶぁ――っか。
自分のものにしたかったのはこちらも同じよ。差島みたく勝手に人のこと遠ざけて『手に入らない』なんて感じちゃいなかったけど、『住む世界が違う(物理)んだよなー』とは思ってた。でも、差島が暴挙に出てくれたから、こっちも勇気だそうか。
まずは、配信で告白ね。あー恥ず。想像しただけで顔があつくなる。差島はどんな反応するかな。泣く? 夢だと思っていったん寝る? お願いだから怖い額の投げ銭はやめてよね。――先に釘を刺しとこ。やりかねないもんあいつなら。ダダダダとすごい速さでメッセージを送って、これで安心と息をついた。すぐに既読が付くのも怖いよなあよく考えると。でも嬉しい。
スタッフが準備で忙しそうにしている中、私はこれからのことを妄想してちょっとにやにやしてる。鱗を見てる時の差島みたいに。
配信が終わったら、浅瀬で差島の両手を引いて泳いであげる。『人魚式』『人間式』どっちかに無理やりあてはめなくていいじゃない。いいとこどりで、自分たちらしくやるのよ。そういう時代よ。
たまにはまた足を生やしてあげたっていい。それで、陸で踊ったり、縁日に行ったりすんの。私だってしてみたかったんだからそういう人間っぽい青春っぽいやつ。
『もう青春てトシじゃないんで』とかつまんないこと言うんじゃないよ。自分が好きな相手が自分を好きでいてくれて、生まれたばかりの恋が青春じゃないわけないじゃんね。
そんな強気モードでかまえていても、もしかして断られちゃうかも、ちゃんと告白されたんじゃないしと弱気がひょっこり顔を出したりもする。あっ、心臓ドキドキしてきちゃった。
結局、緊張したまま配信が始まった。
『なんか今日、すっごくかわいい!』『いいことでもあったのかな』なんて、みんなから寄せられたするどいコメントを眺めつつ、私は「今から、この配信を通して好きな人に告白しまーす!」と効果音付きで高らかに宣言した。
覚悟キメろよ、差島。




