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あの子は素敵(下)

 そういえば、あの忌まわしい二つ名は名付けた女子が『長すぎるから今度から略して『ちー』って呼ぶわ』と一方的に宣言し(いうまでもなく『チワワ』の『ちー』だ)、一組の子らはみんなしてあたしのことを『ちー』だの『ちーちゃん』だの呼んでくる。それを聞いて野月さんは「あだ名いいなあ」って言うからあたしは妄想していたあだ名をこの時とばかりに披露した。

「じゃあじゃあじゃあ、『かのちゃん』て呼んでもいい???」

「圧がすげえよ。野月さん、いやなことはいやって言っていいんだからね」

「なんで最初っからいやって決めつけるの柄本っちゃん!!」

「えっと、あの……。うん、嬉しいよ」

 野月さんは、えへへとはにかみながらそう言ってくれた。

「あたし、この日のことを碑に刻んでおきたい……!」

「『かのちゃん発祥の記念』ってこと?」

「え、ちょっ、あたしが先に呼ぶの! かのちゃん!」

「はっ、はい?」

 きょとんとしてあたしの言葉を待つかのちゃん。ああ、なんて尊い……!

「……このときめきを、どうして人類は物質化できないんだろう……?」

「あのさあ、かのちゃんの顔でそういうキモいこというのやめたげな」

「ちょっと――!」

「あのね、私も野枝ちゃん柄本っちゃんて呼んでいい?」

「うん」

 あっさり答える柄本っちゃんと、かみしめてるあたし。

「え、あたし今日昇天しちゃう……?」

「短い間でしたがお世話しました」

「柄本っちゃんちょっとはこの世に引き留めて!!」

 ぎゃーぎゃーキャンキャン吠えるあたしとのらくら躱す柄本っちゃんを、かのちゃんはにこにこ見守ってくれた(優しい)。

 そしてぽつりと「私、入れ替わったのが野枝ちゃんでよかったな」と言った。

「それは元に戻って盗撮盗聴がなかったって全部確認してから言った方がいいと思う」

「柄本っちゃん辛辣すぎん?」

「確かに、野枝ちゃんからの愛は、ちょっと重たいかなって思わないこともないんだけど」

「重かった??? 減らそうか???」

「できない約束はすんな」

「……でも、おかげでいろいろ気付けたよ」

「えっなになになになに聞かせて~~~!」

「うるせえよ」

「私は、私でよかったなあってこと」

「……っ、柄本っちゃん聞いた? 聞きました? あたしが!!! かのちゃんの気付きを!!! 育てました!!!」

「生産者ムーブかますな」

「あたしもあたしでよかったわ――!」

「はあそうすか」

 ほんと、入れ替わってよかったな。強がりでも噓でもなくほんとにそう思う。かのちゃんをちゃんと知って仲良くなってもらえたし、人をうらやむばっかりじゃなく、自分のいいとこもちゃんと知れた。

 先生が言ってた入れ替わりの期間は大体一週間。もう折り返してるからたぶんもう少しで戻れるんだと思う。でも。

 ――戻れなかったらどうしよう。


 勉強の合間にかのちゃん(呼び方にまだ慣れなくていちいち照れちゃうな!)が入れ替わりについて調べてくれたところによると、『入れ替わったまま元の身体に戻らないケースはこれまでないみたい』ってことだったけど、やっぱり不安。公表されてないだけかもしれないし。

 てことを保健の先生に相談しに行ったら、「へー、遠田さんあんがいセンシティブなんだねえ」と変なところで感心された。

「そんなのんきにしてないでくださいよー」

「ごめんごめん。でも大丈夫だよ」

 先生は、ぽんぽんと気安く私の頭に触れる(『戻った後だと、野月さんにこんなことする機会はまあないだろうからさ!』という余計な一言を添えて)。

「入れ替わりの混乱がある程度落ち着いてきた今、もともといた身体に戻りたいって思うのはある種の帰巣本能と言えるかもね」

 だからどんと構えていらっしゃいと、先生は笑った。

 そう言われたところで、よっし分かった! って落ち着いた気持ちになんてなれない。心にずっと小さい波が立ってるみたいにそわそわしちゃって。

 学校の敷地の外周沿いに植わっている桜の木をぼんやりと見上げる。風にあおられまくる無力な葉っぱが、なんだか自分みたいだなんて思いながら歩いていると、向こう側から柄本っちゃんが歩いてくるのが見えた。

「柄本っちゃ――ん」

 ブンブン手を振ると、おやつの詰まったレジ袋を下げた柄本っちゃんが怪訝な顔をした。

「あんたもコンビニ?」

「へ? 行かないよ」

「じゃ、どこ行くの」

「帰ろうと思って」

「合宿棟は門の中だと思うけど」

「――あっ、」

 自分が歩いてたのは、自宅に帰るルートだ。

「これがキソー本能ってやつか……」

 かしこなとこを見せようと、さっき聞いたばっかの言葉を口にしてみたら「せめて漢字で言ってくれ」と正しいツッコミが入った。


「野枝ちゃんも?」

 夕食時、かのちゃんに下校時のやらかしを報告すると、かのちゃんはやや驚いたように目を軽く見開いた(あーかわいい)。

「なんだかぼんやりしつつ、それでいて気持ちがそわそわしちゃって。家に帰ろうとしてたみたいで気が付いたら駅に向かってた」

 それを聞いてあたしは「フゥ――!!」と雄たけびを上げた。柄本っちゃんが両耳を塞ぎつつ「今のどこに興奮する要素あったんだ」と話しかけるような独り言のようなことを言う。

「あたしとかのちゃん、行動がおそろっちってこと!」

「ねえかのちゃん、今からでも遅くないから友達宣言撤回しな」

「そうしようかな……」

「お願いそれだけは! もううるさくしないし暑苦しくしないから!」

「だからできない約束はすんなっつってんのに」

 そんな風に、ご飯の時もお風呂の時もその後も(かのちゃんはお勉強しつつ)おしゃべりしてた。


 ああ、楽しいな。ずっとずっとず――っと柄本っちゃんとかのちゃんとこうしてたいよ。

 いつわりなくほんとの気持ち。でもね。

 それでもやっぱ、自分の身体に戻りたい。自分ちにも帰りたい。セレブでもないしとびきりおしゃれなおうちでもないけど、あの雑然としたリビングでくたびれたソファに寝っ転がって、アイスを食べながらお兄ちゃんとだらだらゲームをしたい。

 ふと視線を落とした手の甲に、見慣れたほくろがないのはさみしい。かのちゃんの身体の扱いにも慣れてきたし一六五センチの見晴らしは良好だけど、コンタクトなしでもクリアな視界が恋しい。それに。

 ミニマムサイズだろうが童顔だろうが、あたしはあたしのことを思ってたよりうんと好きで大事だって、入れ替わってようやく分かった。かのちゃんもきっとそう思っているはずだよ。

 ――元に戻ったら、自分の身体に『ありがと――!!』を伝えなくちゃ。



 こういうのって普通、流れ的に起きたら戻ってるもんじゃない?

 かのちゃんと二人して苦笑いしちゃったよ。

「まだだったね~」

「そうだね」

 戻れなかったものの、二人とも身体のそわそわは昨日より強くなってる(もう気を付けているからうっかり家に戻ったりはしないけど)。妙な不安というよりは、『引っ張られてる』感覚と、昨日とは打って変わった安心感がある。柄本っちゃんにさえ、「ギャーギャー騒がないでどっしりかまえられると逆に心配になるわ」と真顔で言われるくらい、大丈夫モードでいられた。たぶん、こころも戻る準備ができたんだろう。


 土曜日だから当たり前だけど授業の支度はしなくてよくて、なのにかのちゃんたら朝食の後すぐに教科書と参考書を開く。この人ときたら、アスリートがストレッチや基礎練習をするみたいに予習と復習に余念がなくって、この生活が始まってからの短い間ではあるものの、『今日はダルいからいいや』ってさぼるとこは今のところ一度も見てない。土曜日に集まるといつもカラオケやゲーム三昧な柄本っちゃんとあたしだけど、かのちゃんにつられて試験前でもないのに午前いっぱい勉強なんかしちゃった。

 珍しく勉強を頑張ったので、午後はかのちゃんも巻き込んで目いっぱい遊ぶことにした。職員室にいた先生に外出してきます! と伝えて駅前まで出る。かのちゃんは、お友達とカラオケをするのもプリクラで目をでかくするのもファミレスでだらだらするのも初めてで、パフェを食べながら「なんだか夢みたい」と小さく笑ってくれた(かわいい~!)。


 夕食の時間までには学校に戻るように言われていたので、混みだす前にファミレスを出た。歩きながら、「また来ようね! 絶対!」とあたしが宣言すると、柄本っちゃんが「小学生か」と笑いながら「かのちゃんがヤじゃなければね」と言う。

「ヤじゃないよ! こっちからお願いしようと思ってたもん」

「え、いまの、もっかい言ってもらって録音してもいい……?」

「それはイヤ」

「分かった! しない! 心のレコーダーで録音しとく!」

「キモいな~~~」

「柄本っちゃん、そーゆーの傷付くんだからね!」

 あたしと柄本っちゃんのやり取りを聞いていたかのちゃんが「よかった」と独り言のように言ったのを即座にキャッチして「何が?」と振り向きざまに聞く。

「もしそれぞれの身体に戻ったら、もうこうして遊んでもらえないかもって思っちゃって、少しだけ戻りたくなかったの」

「……ちょっと、柄本っちゃん聞きました? 聞きました? めちゃくちゃかわいいこと言ってるんだけどかのちゃん! もう世界遺産に登録しよう……?」

「バカはほっといて帰るよかのちゃん」

「えぇと野枝ちゃん、世界遺産に指定されるのは建造物や自然だから、人間は無形文化遺産かな……」

「真面目か」

 柄本っちゃんにハッて鼻で笑われつつツッこまれたかのちゃんは、怒るどころか「初めて柄本っちゃんにツッこんでもらえた!」ととても嬉しそうだった。



 で、迎えた日曜。

 かのちゃんボディは寝起きが悪いから、目覚ましのアラームを五分刻みでじゃんじゃん用意しているんだけど、今朝は一発目が鳴ってすぐにシャキン! て目が開いて、バシーッと音を止めた。左手を伸ばした先辺りに置いといたスマホを右手で止めたなと気付いて、視線を落とした手の甲には、見慣れたほくろ。

 あーって思いっきり大口開いたら痛くもなく簡単に開いた。

 立ち上がったら、『目が高くない』、いつものアングル。


 あたしだあ!! 戻った!!!!


 両の手でほっぺたにそっと触れて、それから両腕で自分をぎゅ――っと抱きしめた。嬉しくてぐふぐふ笑ってたら隣で寝てたかのちゃんも目を覚まして、しょぼしょぼのお顔(かわいい)で「おはよ……」とつぶやいた。そして、ゆっくりゆっくり身体を起こして眼鏡をかけると、口の端を上げて「戻ったね」と笑う。

「うん」

「先生に報告だね」

「でもその前にご飯! 柄本っちゃんも起きて! あたしたち元の身体に戻ったんだよ!」

「はいはいよかったよかった」

 眠くていつもよりさらに受け答えが雑な柄本っちゃんを前に、かのちゃんとこっそりおしゃべり。

「柄本っちゃんて、いい人だよね」

「そうなんだよ! めちゃくちゃ口悪いけどすんごい面倒見いいの」

 でなけりゃ、無関係なのにわざわざ合宿棟に一週間も泊まったりしないよね。

「野枝ちゃんが困ってるとすぐ気が付くし」

「ねー!」

「うるせーよ二人とも」

 テレたのかうるさかったのか二人まとめて怒られて、かのちゃんと顔を見合わせて笑った。


 その後、やってきた保健の先生立会いの下、盗撮盗聴がないことを確認され――あたしのスマホだけチェックが厳重だったことは言うまでもない――、親にそれぞれ連絡を入れて、寝泊まりしていたお部屋を片付けて解散した。

「また明日ね! 引き続きお昼一緒に食べようね!」

 あたしが別れ際ブンブン手を振りつつそう言うとかのちゃんはちょっと恥ずかしそうに「うん」と小さく手を振って返してくれた。

 小さくなっていく背中を存分に見つめて「終わったね」とつぶやくと、「終わった終わった」と柄本っちゃんが大きく伸びをする。

「柄本っちゃんありがとね」

「お礼は金品でよろしく」

「そこは『あたしは何にもしてないし』でしょ――!」

「だって、めちゃくちゃお世話しましたし」

「ほんとそれはそう」

 うんうんと頷くと、柄本っちゃんは前を向いたまま「よかったじゃん」と言う。

「あんたが表情筋をあっためといてあげたからか、かのちゃん笑うのちょっと上手になってた」

「ね!!!! さっきも写真撮るのめっちゃ我慢したもん!」

「褒めるんじゃなかった……」

「褒めてたんだ?! 分かりにくいよ!」

「分かりにくく言ってんだよ」

 柄本っちゃんはハッと鼻で笑って、「んじゃまた明日学校で」と振り向かないまま手を振って、こっちの返事も聞かずにさっさと自分ちの方へ歩いて行った。

 それを見ながら『柄本っちゃんほんといいやつまじ感謝』ってメッセージを送ったら『五七五で言われてもミリも響かねえんだわ』とすぐに返ってきた。

 さ、あたしも帰ろ。


「たっだいま――!」

 一週間ぶりに帰ってきて、さぞかし歓迎されるだろうと(たとえば金のふさふさが部屋中に飾ってあったり、クラッカーをパンパン鳴らされたり)思っていたのに、お父さんはお散歩に出てたしお母さんは「おかえりー」と言うだけで料理の手を止めないしお兄ちゃんはソファに寝そべってゲームしてて声かけすらなかった。

「洗濯あるなら出して回しときな」

「はーい」

 お母さんに言われて、今朝はばたばたしててできなかった昨日の分を洗濯機に入れてスイッチを押した。――あまりにもいつも通り過ぎる。

 なんだいなんだい、あたしの帰還なんてそんなもんかい、とやさぐれそうになったけど、お母さんが作ってたのはかぼちゃとハムのサラダ、ごぼうとしゃけの混ぜご飯、フライドポテト――どれもあたしの好物ばかり。

 お兄ちゃんはお兄ちゃんで、ゲームの手を止めないまま(そして目線も上げないまま)「野枝の好きなプリンがスーパーで半額だったから買ってきた」と言った。

「えっやさしー! 優男!」

「半額だったから」

 そこは強調しないでいいでしょうが。

 少しして帰ってきたお父さんも、「野枝の好きなアイスが特売だったからついでにみんなの分買ってきたよ」と言いつつマカデミアナッツ味を渡してくれたけど、みんなあたしのこと食べ物あげとけば上機嫌だと思ってるでしょ。上機嫌ですけど!


 家族からの貢ぎ物をすべて平らげて、満足したところで重要なことを思い出した。

「あっ忘れてた!!! 身体! ありがと――!!」

 くたびれたソファの上(お兄ちゃんはどかしてやった)で『戻ったらしたいこと』=身体への感謝を即実践すると、お兄ちゃんからもお母さんからもお父さんからも「うるさい」って言われちゃった。でもいいんだ。


 あの子は素敵。

 それプラス、あたしもけっこう素敵だってもう知ってるからね。

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