流星雨の夜(下)
「ホシ!」
バイトが長引いてしまって来るのが遅くなった夜、俺は夜の廃ホテル怖えーよ、といつものように思う余裕もなくレストランへ駆け込んだ。
この日の気温は三五℃、夜になっても暑さは引かずにこびりついていて、電気が止まっているここで、もしホシがいつものようにいたらぐんにゃりどころではなく熱中症になってしまう。そう焦ったからだ。
「……コースケ」
ホシは、声を掛けると弱々しく笑った。けれど、いつものぐんにゃり具合で、あちこち触れてみても特に熱を持っている感じはしなくて、とりあえずほっとした。が、心配は心配だ。
隕石に凭れたまま「コースケ ヒイテ」とねだるホシに、「大丈夫か? 水分摂るか?」と声を掛ける。
「イラナイ」
「要らなくないだろう!」
人の気も知らないで。
俺が声を荒げると、ホシはきょとんとした。とたんに、激しく襲ってくる自己嫌悪。こんな小さい子に、自分の都合と心配を押しつけてどうする。
「……なあ、ホシ、やっぱ俺んち行こう。ここにいたら身体壊すよ」
「イカナイ ヒイテ」
「わがまま言わないで」
「イカナイ!!」
ホシが、初めて俺を拒んだ。
「ホシ ココニイル マッテル ミンナ クル ハチガツ! ホシ ハチガツ カエル!」
「……え、そうなの?」
突然のホシの激高と八月に帰る? という新情報に混乱しつつ、とりあえず相づちを打った。無理強いを重ねなかったことが功を奏したのか、ホシもいつものテンションに落ち着く。
「ホシ コースケノピアノ キク」
「あー……うん、そうだな」
再三ねだられて、けっきょく弾いた。
弾けば弾いただけ、やっぱり元気になった。
その日の帰り、俺は原チャで山を下りながら、あの子についていろいろ考えた。
なんで、一人なんだ。
なんで、元支配人には姿を見せないんだ。
なんで。
そして気付いた。
あの子は、人として一切の生命維持活動をしていない。
俺が一日いる間、何度かトイレをしに外へ出て行くことがあっても、ホシは行かないし、俺がピアノを弾いている間、一人で外で用を足している様子もない。
ものを食わない。水分も摂らない。でも、平気だ。
俺が来る時にはいつもぐんにゃりしていて、でも弾き終わる頃には元気で。
「……まじかー……」
そこから、俺の残念な脳みそでは、一つの予想にしかたどり着けなかった。
「ホシ、お前、星か?」
ズバリそう聞いた俺に、ホシは大きく頷き「ホシハ ホシ」と素直に答えた。
「名字じゃなかったのかー……」
俺の仮説はこうだ。
ホシは、星である。
つまり、――そこにある、隕石。
一年前にここに落ちてきた。
星だから、飲み食いをしない。
「なんで人型してんの?」
「ホシ シラナイ」
「ですよねー……」
本人でも分かんないってのに、妄想力が発達しているわけでも、科学の分野に詳しいわけでもない俺が分かるはずもない。でももしかしてと、仮説その二をぶつけてみた。
「ホシは俺のピアノがご飯なのか?」
そう聞くときょとんとしたあと、「ピアノキクト ゲンキ」と重々しく頷いた。
その厳か具合に、小っさいくせに、とおかしくなる。
そっか、それじゃあ水もおにぎりもいらないわな。最初は見かけなかった人型で現れたのは、俺のピアノを摂取することで『人型を保てるようになった』とかかもしれない。
ちなみに、「なんで元支配人にはホシの姿が見えねーの?」も訊ねてみた。
『もしや俺はホシとの波長が合った特別な人間……?!』と期待を大きく膨らませてみた上での質問だったけど、ホシは「カクレテタ」ととても現実的に答えた。最初に会った時に、俺が自分の家へ連れて帰ろうとしたあとに消えたように見えたのも、ここから動きたくないから隠れてただけだった。ビビッて損した、と一年前のことなのにそう思った。
ホシが見た目通りの保護対象の子じゃない、と分かったことは、精神的な重しが取れてとてもよかったみたいだ。ホシ本人にも「コースケ ピアノ タノシソウ」って言われるくらいには。
「うん、楽しいよ」
「ヒイテ」
「弾いてるじゃんか」
手を止めるとホシが怒るので、いつもおしゃべりしながら弾いてる。
ホシはふるふると頭を横に振る。
「ズット」
「……あーまー、プロになれればずっと弾けるだろうけどねー……」
「ズットヒイテ ホシハ コースケノオト マタキキタイ」
「え?」
「ホシ カゾク クル ハチガツ」
「前にも言ってたねそんなの。――ちょっと待って」
星、星。
「てか、なんでホシはここに落ちて来たの?」
「コースケノピアノ」
「……はい?」
「モットチカクデキキタクテ キタラ オチチャッタ」
「……マジかー」
「マジ」
ホシはやっぱり、重々しく頷いた。
まさか、本当に自分のピアノのせいだったとは。
ホテル閉館の一端であると知ってしまい罪悪感に襲われたけど、あとから『系列グループでゴルフ場開発失敗』だの、『温泉の掘削で失敗』だの聞いたので、一年前よりその気持ちは大分薄い。
「家族に会いたいよな」
当たり前の問いに、ホシは「アイタイ」ときっぱり答えた。
「デモマダ ゲンキタリナイ ホシハ モット コースケノピアノ ヒツヨウ」
「おま……すげえしゃべれるようになったなあ……!」
思わずその語彙力の増え方に感激したけど、これって責任重大だなとあとから身震いした。
『夏休み入ったんで、ハメを外す輩が増えるかも』と元支配人に進言し、巡回強化という名目でピアノを弾く機会を増やした。
ホシは心配いらないけど、自分が熱中症にならないように気を付けた。みっちりと毎日それなりの時間弾きこなすと、ホシはみるみるうちに『ゲンキ』が貯まっていった。
そして、ニュースでも取り上げられてた流星群の飛来のピークを迎える日が、ホシの帰る日だと本人から告げられた。
「んーじゃー弾きますか」
久しぶりにぱりっとしたシャツを着て、たった一人の観客を前にお辞儀をした。
今日は、親にも元支配人にも許可を取って夜通し弾くことにした。元ホテルの他に建造物や家はないから、騒音の心配はしなくてOK。思いっきり弾かせてもらう。
割れたガラス窓の外、たくさんの星が巡っているのが目の端に映る。群青の天を縦横無尽に駆けているキャラバンの、そのひとつがホシの家族なんだろう。俺はこのあと本気で弾きまくってこいつのパワーをためとくから、しっかりピックアップしてくれよな。
なんて、字面だけ追うとまるで義務感と責任感だけみたいだけど、そうじゃない。
ほんとは俺も弾きたかった。門限を気にせず、思いっきり何時間も。
だから、楽しいよ。ホシを還すのは正直寂しいけど、それでも俺のピアノでそうできるのは誇らしいよ。
今夜のピアノは俺のよきパートナーで、ミスタッチをしても気にならない。
時折休憩を挟みながら、飽きることなくずっとわくわくしながら弾いてた。ホシも楽しそうだ。リズムに合わせて身体を揺らし、アップテンポな曲ではぴょんぴょんと跳ねた。
たくさん演奏した。ホシの好きな曲。俺の好きな曲。バンドでやった曲。レストランで、お客さんからのリクエストをもらって弾いた曲。きらきら星変奏曲も。
俺の音を纏ったホシの身体が、夜明け近くにはじょじょに透明感を帯びていく。
光を放って、そして。
「コースケ アリガト」
ああ、行くんだな。
元気でな。もう、落っこちてくんじゃねーぞ。
でもまあ、何回落っこちてきても、そのたび俺はホシが帰れるくらいパワーが出るまで弾くよ。
だから、ホシ、また会おう。
最後の一音が終わる頃、拍手のように朝日が差し込んできた。
黒々と光る隕石を見る。部屋のあちこちを見る。
小さい女の子は、もうどこにもいなかった。
こうして俺は、星の女の子を家族に戻すという一大プロジェクトを無事にやり遂げた。
あれから、ずっと弾いてる。
だって、またホシが俺のピアノに惹かれて落ちてきちゃったとして、普通に社会人で働いてたら仕事の都合で弾いてやれないかもだし。だったらプロになる。そしたらずっと弾ける。
そう思って、ピアノ弾きのバイトをまた始めた。それ以外でも呼ばれたらライブハウスでもコンクールの伴奏でもどこでもなんでも弾いてるうちに、こうして単独でコンサートも開けるようになった。
今日は野外のホール。でもって、ホシのいる流星群がこちらを訪れる日だから、ホシ達にもよく聞こえるだろう。実際、俺が屋外で弾いていると流れ星が多いらしい。『日本一、流れ星に出会えるピアニスト』なんて呼ばれるゆえんだ。俺はこうしていつでも弾いているから、好きな時に遊びに来な。
美少女に成長したホシが、旅の途中でぶらりと立ち寄って俺のピアノを聴く。『マタ ヒイテ』ってねだる。元気になったら『ジャア マタネ』って行く。
そんなのを思いながらステージに出て、ピアノに向かう。歓声と拍手がわあっと起こって、それからしいんと静まり返る。
今日も宜しくと挨拶をするように、黒鍵と白鍵にそっと触れた。それから、響き渡る一音。うん、今夜も上の上。
深い、熱い、滴のようなほのおが燃えている。
揺らめきながら、けして消えずに、滴るように。ずっと。
それはまるで星のような。




