スヴァールバルでシンガロング(後)
気が付いたら、前とおんなじ空虚で寒いとこにいた。
「……っしゃ!!!」
嬉しくてついそんなリアクションをとる。でもあまりにも寒すぎて、慌ててリュックの中から各種防寒グッズ(手袋・毛糸の帽子・マフラー)を出していっこずつ身に着けるけどあんま役には立たなかった。ぺらぺらなスカジャンじゃ当然か。でも、まだ一〇月なのに冬物のもっこもこ上着や内ボアのブーツを病室に持ち込んだりしたら、きっとママさんに怪しまれるし、なにより半信半疑だったから。
またここに来れるかとか、これは偶然かもとか、ただの夢だったのかとか。
あちこち見回して歩きながら考えた。
あたしがもともとスヴァールバル好きとか極地マニアとかだったら、夢に見てもおかしくない。でも、ちっとも知らない場所だったし、夢だとしてもこれまでに見ることはなかった。
南と手をつないで、おでこもくっつけて、やっと来れた。だから思った。ここは南のいるところじゃないかって。
もしそうだとしたら、あたしはあいつを探したい。見つけて、元の世界に連れてきたい。
行きたくないって言われたら、とか、見つけられなかったら、とかは考えない。
今はただ、とっとと南を見つけ出したい。
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「ありすちゃん、時間よ、起きて」
しっとり甘いクッキーのような声のみちびきで、すうっと目が覚めた。
「……あざっす」
寝ぼけたまままずはお礼を言って、うーんと背伸びをした。水筒に入れてきた水をがぶがぶ飲んでしゃっきりすると、「これ、どういうことか教えてくれるかな?」と、サイドテーブルに置いたメモをひらひらと示された。
『南を探してきます。二時間たったら起こしてください』
「うまく説明できるか分かんないんすけど」
「かまわないわ」
「バカなこと言って、って、信じてもらえないかも」
「あんまりじらさないで」
ママさんの言葉はうちのかーさんが言うところの『いいからさっさとゲロっとけ』と同じと思えないくらい上品だなと感心しつつ、「あの、昨日来た時なんすけど、」から話すことにした。
おどろいたことに、ママさんはこの荒唐無稽な話を笑い飛ばしたり怒ったりしないで最後までちゃんと聞いてくれた。
「……なるほどね」
ため息交じりに漏らした言葉と表情で、あたしのいったことを丸ごと受け止めたと分かった。
「信じてくれるんすか?」
思わずそう聞くと、「今なら何でも信じるわ。お医者様にも眠り続ける原因は分からないって匙を投げられているんだもの、この子の目が覚める可能性のあることはどんなことでも当たっておきたいの」と答える。
「……あやしい壺とか買わないでくださいね」
そう口にすると、なんにも言わずににっこり笑ったからあれは勧められたら買っちゃうと思う。そうなる前にも何とかしないと。
そんなわけで、唯一にして最大の理解者であるママさんと、南を目覚めさせるための作戦会議および、いくつかの約束をした。
夢の中に持ち込む用の防寒具――自分のと、南の――を持っていくこと。忘れた日は、中止すること。
あたしの身体の負担も考慮して、夢に入るのは一日一回、二時間のみ。起こされたらそこでおしまいにすること(時間に関しては、最初の時と二回目と、二時間あの場所にいてなんともないみたいだからこれくらいまでなら安全だろうというママさんの判断で。あたし的にはもちろんもっと長い滞在を望んだけど、にっこり笑って『却下よ』と言われてしまった)。
とりあえず、明日から謹慎が明けるまでの間、毎日試してみること。ただし、体調の悪い日などは無理にやらないこと。
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ざくざく歩く。昼なのか夜なのか分かんない感じで奇妙に明るい。でもすごく寒い。内ボアのブーツも毛糸の靴下も履いてんのに、足指ちぎれるんじゃないかってくらいに寒い。てか痛い。
「……どこにいんだよ」
うろうろしてみたけど人っ子一人見当たらないまま、南ママと約束したリミットの時間がきてしまったので、この日は諦めた。
次の日も空振り。その次の日もだめ。こりゃあ、なんとなくで探してちゃいつまでたっても見つかりゃしないとようやく気付いたので、地図を用意して、建物や地区を一つ一つめぐることにした。行ったとこにはばってんをつけてく。
少しずつじわじわとばってんは増えてってるけど、南はまだ見つからない。
博物館にもレストランにも海辺にもいない。
あたしの秋休み、じゃなかった謹慎期間は明日までだ。明後日からはここに来るのは放課後だけになるし、今みたいに長い時間はいられない。となると、ここに来て南を探すのは土日だろうけど、平日じりじりしたまま授業を受けられる自信がない。
明日。なんとしても南を見つける。
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って、思ったのによ~~~~。
なんだよこの強風はよ~~~~。体感温度マイナス二七℃ってなんだよ~~~~。
ちくしょ、と思いつつぱりぱりと地図を広げた途端、あっという間に風に持ってかれた。ぶ厚い手袋だと、しっかり力が入らなくって。
ムリかな。ちらりと弱気が頭をよぎる。
そいつに支配される前に、なかばやけくそで歌いながら歩き出した。
動くしかないんだよ。南が動かないんだから。
そんな中、ふと思い出した。小学校五年生の時、校内合唱コンサートで、学年の全クラスがいっしょに歌った歌。友情と未来について書かれた詞を、その時はその時なりに『いい歌じゃん』って思ったけど、今、心の底から『いい歌じゃん!!!!!!!』て思う。
その友情の歌を極寒の風の中で歌いながらしみじみ思う。
南に会いたい。
助けたいとかそういうんじゃなく、まず会いたい。
こんなにも寒いところにいると感情はシンプルに研ぎ澄まされ、そして、歌うことで増幅されてく。
いつの間にか、口から出た白い息が音符になって、そいつがふよふよと泳ぐみたいに前に流れていってることに気がつく。風にびゅうと飛ばされればそれは一瞬ばらっと乱れるけど、またふよふよと。まるで先導してるみたい。と思っているとだんだんに消えていく。慌ててまた続きを歌う。するとまた音符がうまれる。ふよふよ泳ぐ。
それを繰り返して、導かれるまま歩いた。
「……いた」
凍結した川にかかる橋の、その下に隠れるように南は眠っていた。まったく防寒していないせいか、胎児のように身を縮めている。足元は、おそろいの蛍光イエロー(こっちはぴかぴか)。
眠る顔には、幾筋も涙のあとが残ってる。ちっとも似合ってないそれにそっと触れたあと頬をなぞって、頭をぐっしゃぐしゃに撫でた。
そしたら、もうすぐ起きそうな人みたいに、「うーん」って言いながらごろんと寝返りを打った。
胸がドキンとする。もしかして、今なら、起きるかも。
――でも、起きなかったら?
弱気な自分がそう問いかけてきたので、あたしは両手でバチン!!と自分のほっぺを叩いた。
そしたら、起きるまで起こすだけだ!
あたしは冷たい空気を胸いっぱいに吸い込むと、例のタコ殴り動画よりもおっきな声で、「オラッ、南起きろ!!!!」と呼んでやった。
びくっと一回大きく体を震わせた後、南がゆっくりゆっくり目を開く。で。
「……あれ、鬼丸、なんでいるの……」
「迎えに来たんだろうがよ」
起きたな。起きやがったなコンチクショウ。
あたしの声で。
「おうじさまじゃなぐて、っ、わるがったなあ!」
かっこつかねえな。むちゃくちゃクールに『王子様じゃなくて悪かったな』ってキメ台詞かますはずだったのに、結局は鼻水と涙まみれになっちまった。
「え? だって、……え?」
チクショウ。
横を向いても下を向いても涙と鼻水がぼたぼた垂れる。それは体感温度-二七℃のここではあっという間に凍っちまいそうになったから、感傷に浸る間もなくとっととティッシュで拭いた。
ぼんやりにじむ世界で、南がおんなじように鼻水と涙まみれになってたからポケットティッシュを差出すと、奪うように取ってった。あたしよりも乱暴に音を立てて鼻をかみ、ぐいぐい目元を拭うと、俯いたまま「なんで」と漏らす。
「友達だろ」
「でもあたしひどいこと言った!」
「言わされてたんだから言ったうちにいれないでいい」
「あんたのこと傷つけた!」
「傷ついてねえっつうの。あたしのハートは頑丈なんだよ」
「でも、」
「つか、寒みーから続きは帰ってから! 行こ!」
パーにした手を南に向けてばっと伸ばす。そのまま待つ。弱気で、手を閉じそうになる。でも意地でぐっと開き続けた。
「ん!」
素直じゃない男の子みたいに、せかして手をもう一度出す。おそるおそる伸ばされた手を強く掴んで起こしてから、寒そうにしている南にようやく気付いた。
「ねー、ちょっとリュック開けて」と背中を向けて、中に詰め込んだ南用の防寒具を出させる。普段はシュッとしたカッコしかしない(寒くてもおしゃれ最優先の女だから)こいつが、ママさんが用意したもこもこ帽子ともこもこダウンとふわふわ手袋とシャカパンと内ボアブーツを大人しく身に着けた姿にめちゃくちゃツボってヒーヒー笑ってしまった。めちゃくちゃ写真を撮りたかったけど、「ほら、寒みーからとっとと帰るんでしょ!」と手袋の手を差し出されたら、「ん」っつって取るしかない。
「痛って!」と言われるくらい、ぎゅうっとつなぐ。
「そうだな、とっとと帰ろ。んで、激辛担々麺食おーぜ」
「え、あたしグリーンカレーがいいんだけど」
「じゃあショッピングモールに入ってるタイ料理屋さん行こ。で、あの映画観よ」
「そうだった! 観ないと!」
超絶早口で言い合った後、歩きながら寒さを紛らさせるために二人で色んな歌を歌った。
南の好きなバンドの歌。あたしの好きなアイドルの歌。高校の校歌。小学校で流行った替え歌。二人でドはまりしたアニメの主題歌。
それから、南の所へ導いてくれたあの歌。
やっぱり、口から出た白い息が音符になって、ふよふよ道案内してくれた。
クッソ寒かったけど、一人だった行きみたいな心細さはなくって、ただ楽しかった。
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水の中から浮き出したみたいにぐわっと目が覚めた。よく寝た。そらそーか、ちょうどアラームが鳴ってるってことは、もう二時間経つ。おっきいあくびをぶわあとかますと、「見舞いに来た病室でそれはさすがにやめろや」と即座にツッコミが入る。
細かいこと言ってんじゃないよ。
そう思いながら「オス」と言うと、間髪入れずに「オッスオッス」と返事が返ってきた。いきなり通常モードかよ。ママさんうるうるしちゃってんじゃん。『心配かけてごめん』くらい言ってやれや。
「起きれる?」
「当たり前……ってまじか起きれん」
「そら、あんだけ寝てたらなあ」
ハハハッて裏声で笑ってやったら南の奴は鉄板ネタでもあるキレッキレの変顔なんかすっから、ママさんは涙拭きながらコロコロ笑うし、ナースコールで呼び出されて駆けつけたっぽい看護師さんとお医者さんにもそれ見られてビミョーな顔されるし、なんかもうめちゃくちゃカオスだ。んー、でもまあ。
ほら、あんたが目を覚ましたから世界がまぶしい。




