成仏しないで宗像くん
だから言ったでしょ。私はしぶといって。
「好きです!! 付き合ってください!!」
もう何度目の告白かな。毎日してる。で、毎日お断りされている。
儚げな表情。ヴェールのように常に纏っている影。遠いラジオにも似た声。全部好き。あー好き。うっとりしている私に、彼はあっさりと言い放つ。
「ムリだろ。俺幽霊だし」
そう。彼は生きていない――いわゆる幽霊ってやつなのだ。
でも。
「こんなにちゃんと見えてこんなにふつうに会話出来るんだもん、恋しない方が難しいじゃん!」
「いやそれを俺に言われても……」
困惑は分かる、つもりだ。まあ、困惑されても好きだけど。
「そもそも、好かれる理由とかないし」
「ありますう――!」
言ってあげてもいいけど、そんなのいちいち開示する方が野暮でしょ。
数ヶ月前のある日のこと。
寝不足と体調不良、それから電車の遅延でごった返す駅の構内、のトリプルパンチを朝から喰らった。改札の中も外も、人々がひとかたまりのお団子になることを目指しているようなひどいありさま。そのとんでもない混雑からなんとか逃れて、よれよれとホームのはじっこにあるベンチへ座り込んだ私に、心配そうな声をあげてくれたのはただ一人だった。
「大丈夫かな……。体調悪そうだけど誰か気付いてくれないかな、でもここの駅員さん、みんな霊感ないし……」
そうひとりごちる声は私への心配に溢れてて、その瞬間にもう大好きだった。
落としっぱなしの目線の端っこで、こちらへのばしてはためらう、を繰り返す指はほっそりとしててきれいだった。
ゆっくり顔を上げてみたら、そこには理想のヴィジュアルがあった。
名前すら知らずに告白したのは、あれが最初でたぶん最後だ。
一目惚れという特効薬で気分がすっかり良くなった私はベンチからすっくと立ち上がると、話しかけるでもなくおろおろし続ける彼のところへずんずん進み、真正面に立ちはだかった。
「好きです!」
「……え?」
「え?」
「あの、……もしかして俺の言葉、聞こえてるの?」
「? もちろん」
「あの、おれ幽霊なんですけど……」
「ええっ!」
「え?」
「こんなはっきり見えててぜんぜん怖くないのに??? そんなの反則じゃん!」
「それを俺に言われても……というか、元気になったんだ……」
それならよかった、とハンカチを丁寧に畳んでしまうようなほっとした声に、ふたたび『好きです!』と言わずにはいられなかった。
で、毎日告白して、毎日お断りされてるってわけ。最初は『この俺が……』って戸惑っていた宗像君も、今ではすっかり慣れたもんだ。
「悪いこと言わないから、生きてる奴にしなって」
「宗像くんより素敵な人に出会ったらそうする」
「俺とじゃ何も出来ないんだよ、分かってるでしょ」
「でもこうしておしゃべりすることは出来るよ。私、宗像くんとのおしゃべり大好き」
「呉田さんさあ……」
はーっとため息を長く吐いて、きれいな指で顔を覆う宗像くんの姿を、スマホのカメラが捉えられたらいいのにね。
ダメ元でカシャシャシャシャシャシャシャシャと連写してみたけど、やっぱり何も写らなかった。そしてそれをがっかりする私に、今度は呆れ顔を披露してくれた。ニヤニヤしてたら、雪の結晶にそっと触れるみたいにふわっと笑う。
「何しても楽しんじゃうんだもんな」
「えへへ」
初めて名前を呼んでくれた日付も覚えてますよと言ったら、幽霊のくせに「怖……」とドン引きしてた。
駅で宗像くんとおしゃべりする時は、スマホを耳に当ててる。そうしないと一人で空気に向かって熱心に話しかけるヤベー奴だと思われるから、せめてそうしてって彼がアドバイスしてくれて、それで。
好きな人のことは何から何まで気になるので、好きな食べ物は? とか、苦手な科目は? とか、告白の後に乗る電車――コレを逃すとまじで遅刻しちゃうよの最終列車――が来るまではアイドルの記者会見みたく質問攻めタイム。毎日よくそんなに聞きたいことがあるねって当の本人である宗像くんには呆れられるけど、だって知り尽くしたいじゃんね。
今はとりあえずどうして写真に写ってくれないのと聞きたい気分。だって一番ホーム、心霊スポットって噂が立ってて、私以外にもうろついたり写真撮ったりする人も、宗像くんを目撃した人もいるもん。
なのに、私がカメラを何度起動させても、宗像くんはちっとも写ってくれない。
「好きな人が写真撮らせてくれない」
熱烈に好きな私はダメな一方、どうでもいい人は宗像くんの心霊写真がたまに撮れちゃうらしいのに。それは口をつぐんで友達に愚痴ると、思いも寄らぬ言葉を掛けられた。
「呉田ちゃんのことが好きなんだねえ、その人」
「……え?」
「だって、ヘンな顔で写ってて嫌われたらヤダってことなんでしょう?」
「え、や、具体的な心情は分かんないし、なんかほかに理由あるかもなんだけど」
私があせあせしながら釈明するとソレも笑われる。
「で、呉田ちゃんも彼のことが好き」
「大大大好き」
「はいはい、大大大好きね。なんで付き合わないかなー」
「それは私だって知りたいよ……」
知りたい。でも駆け引きなんて出来ない。
よし、翌朝ズバッと聞いてみよう。
「宗像くん、もしかして私のことが好き、とかだったりする?」
ぜんぜんズバっとしてないけどとりあえず聞いてみた。そうしたら宗像くんは「えっ」だの「いやその」だの言いつつ、最終的には観念した様子でちいさく頷いた。それを見て浮かれた私がスーパーウキウキモードで「じゃ、付き合お!」と言うと、即座に「ムリだろ!!!」と返された。
思いもよらぬ強いその拒絶に圧倒される。
「無理に決まってるだろ。俺は死んでて、時が止まってて、でも君は生きてて時間は進み続けてて、こっちがいつまでもこのままなのに呉田さんはこれから進級して、大学とか専門とかに行って、就職して、……だれかと付き合って、いずれは結婚して、子供なんかも生まれたりするんだ。そしたら俺のことなんてそのうちに忘れるよ」
「……勝手に決めつけないでよ」
「俺は、よわいから」
自嘲混じりの呟きを口にした宗像くんは、泣いちゃいそうな顔で唇だけを笑顔のカタチに歪ませた。
「成仏もしないでいつまでもこうしてここにいるような奴だから、今は両思いでもいつか君が自分から離れてしまうのが耐えられないんだよ」
だからもうおしまい、という掠れた声を、他人事みたいに聞いた。
「もう、話しかけないで。俺も話さない」
「むなかたくん、」
「ありがと。好きって言ってくれて、本当に嬉しかった。毎日楽しかった」
「宗像くん!」
こんな時ばっかり幽霊ムーブかまさないでよ。
いつもはしないくせに、宗像くんはわざわざ私の目の前でその姿をす――っと消した。
それから、ほんとに話してもらえない。
朝、線路をのぞき込むようにホームのギリギリのところに立つ彼に近づいてっても電話のフリで話しかけても、頑として受け入れてはくれなかった。
「おはよ」
「……」
「好きだよ」
「……」
「……」
「……」
見えてるくせに、聞こえてるくせに、わざと無視なんかして。大人げないな。大人になれないからかな。なんて、いじわるだねごめん。
ねえ、まだどうなるか分からない未来ばっかり妄想して悲しくなってないで、ちゃんとこっちを見てよ。宗像くんの言う通りかもしれないけど、そうじゃないかもしれないでしょ。
頑なに心を閉ざす姿は、日々その壁を分厚く増強しているように思えてひどく寂しい。その気持ちにつられて一瞬だけ猫背な気持ちになりかけたけど、えいっと背筋を伸ばした。深呼吸で弱気を追い出す。
宗像君が思い描いたとおりになんて、くじけてあげない。
「おはよ」
「……」
「好きだよ」
「……」
「……」
「……」
やっぱり、今日もダメか。でも、くじけないって決めたからいい。
脱獄犯が毎晩ちょっとずつ土を掘ってトンネルを作り上げるみたいに、コツコツやるしかないね。だって私、それしか出来ないし。
遺伝なのかなんなのか、おかげさまでメンタルは強靱なんだ。ちっとも傷ついてないし、もうへこんだりもしてない。それどころか、粘って粘って粘り続けて、いつか根負けした宗像くんに『だから言ったでしょ、私はしぶといって』とドヤ顔してやる、なんて思ってるし。
よし、とひそかに気合いを入れ直して電車を待つ。
と。
後ろに人が来た。駅のホームだから当たり前。それはいいんだけど、立つ位置がやけに近い。様子をうかがいつつ距離をとるために体をひねってみると、見知らぬ男性がニヤニヤしながら早口で話しかけてきた。
「ねえ、君、見えるんでしょ幽霊」
「……え、」
「一番線の幽霊。希死念慮の強い人だけ見えるって聞いた」
「何の話か分かりません」
宗像くんに迷惑掛けたくなくてしらを切った。死にたいわけじゃないし。
そこから後ろの車両の方へ足早に移動したけど、その人は一方的にしゃべりながらまだついてくる。
「なんで嘘吐くかなあ。俺、ここのウォッチャーでさ、なかなか『一番線さん』の姿は見せてもらえないけど、かわりに見つけちゃったんだよねえ、いつもホームの端っこで、通話のフリして誰かに話しかけてる君。『一番線さん』なんでしょ相手。つまり、死にたいんでしょ」
「ち、がいます、」
声が震える。
いきなりズカズカ踏み込んで、思い込みで違う決めつけをするなんて、死んでる宗像くんよりよっぽど怖い。
「嘘吐かなくっていいよ。そんなに死にたいなら、手伝ってあげるから」
死にたくないってば!
そう反論する前に、私は線路に突き落とされた。
がつ、って背中をひどく打ち付けた。突き落とした本人に抗議しようと思ってたら、ふぁん、とどこか気の抜けたような警告音が聞こえて、電車が近づいてくるのが見えた。
え。
どうしよ。
死んじゃうの?
足、動け。動かないと。
電車がどんどん迫ってくる。なんとか立ち上がったけど、ホームに上がる時間はない。
頭真っ白でいたら。
「そこの下に入って!」
ひさしぶりの、宗像くんの声。
嬉しくて、おもわず恐怖もぶっ飛んだ。
「うん!」って、たぶん笑顔で語尾にハートマークを付けまくって、ホームの下の退避用のスペースにいそいそと潜り込む。
入りきったところで、耳が壊れそうなブレーキ音とともに、ゆっくりと電車が滑り込んできて、そして止まった。
ばたばたと人が近づく足音、それから「大丈夫ですか?!」というおそらく駅員さんの声が聞こえてきた。
「あ、はい、大丈夫です!」
その後は、退避スペースから出してもらったり、病院に運ばれていろいろ調べられたり、警察の人に落とされた時のことを聞かれたり、大忙しだった。
背中の痛みと多少の擦り傷はあるものの、さいわい体はなんともなかったので、入院はなしで帰宅することになった。そしてお母さんが迎えに来てくれるのを、診察が終わってガラガラな待合のベンチで待ちつつ「ねえ」と話しかける。
「宗像くん、いるんでしょ。出てきてよ」
私がそう話しかけると、ばつの悪そうな顔の彼が壁から滲み出るようにして姿を現した。
「……ごめん」
「なにが? むしろありがとうでしょ」
「勝手に遠ざけたくせに、勝手に声かけた」
「だから、あそこで声掛けしてもらえてなかったらやばかったって。それに、あの人のこと金縛りで動けなくしてくれてたでしょ?」
ホーム上に救出され、救護室へ案内される私の目に、駅員さんに取り囲まれたあの男の人が見えた。
『俺は手助けをしただけだ!』『ちくしょう、なんで動けないんだ! いますぐ金縛りを解けよ幽霊!』って、棒立ちのまま叫んでた。
「俺が、あいつを呼び寄せた」
「……それはしょうがないよ。宗像くん、人気者だから」
そういうと、「本当に、呉田さんは」ってちいさく笑った。
「病気だったんだ」
はじめて、宗像くんが生前のことを話してくれる。私は、その言葉を聞き逃すまいと、雨粒一つ一つを受け止める覚悟で黙って耳を傾けた。
「長くは生きられないって、はじめから分かってた。その上で運動しちゃだめ、驚いちゃだめ、ケガしたらだめって、だめなことだらけで、薬もバカみたいに飲んだ」
「……そう」
「でも、言いつけ守ってばっかじゃつまらないし、ばかみたいなことってしてみたいでしょ? だから、俺はある日こっそり家を抜け出して、いつもよりうんと早い電車に乗ろうと思った。海が見たくて」
「海、見れた?」
「見れなかった。ちゃんとごはんも薬もおなかに収めたのに、冒険気分で興奮してたせいかな。駅で電車待ってる時に、ちょうど意識無くしてさ」
「――え」
それって。
私が言葉を無くすと、うん、と宗像くんが頷いた。
「線路におっこっちゃったんだよね。そこに運悪く、急行の通過電車がきて。だから、厳密には自殺じゃないんだ。自分でも、死ぬつもりじゃないのにそうなっちゃって、戸惑ってたからこの世と上手くお別れ出来ないまま今に至るって感じで」
「……そっか。話してくれてありがとうね」
「こちらこそ、聞いてくれてありがとう」
言っちゃいけない。分かってるけど、制服のスカートを強く握りこんでも言葉はするりと口を突いてしまった。
「……話してくれたから、もう心残りない?」
「え、」
「宗像くん、成仏しちゃう?」
拒絶された時も、救出されてほっとした時も平気だったのに、いまさら涙が出る。
「やだよ、成仏しないでよ」
「呉田さん、」
「せっかく会えたのに遠くに行っちゃわないで、ここにいてよ」
「……でも、君と僕じゃ」
「それもう聞き飽きた!」
「……はい?」
「恋に障害はつきものでしょ! だったら、私超々がんばるから宗像くんもがんばってよ」
「頑張るって言われても……」
「私が他の人に目移りしてたら金縛りかけるとか、別れるって言ったらめちゃくちゃ霊障起こしまくるとか、相手を呪殺するとかやり方はいくらでもあるでしょ!」
「物騒だな!」
「……そうやって、やっていこうよ。私も、宗像くんが勝手に成仏しそうになったらあてつけで浮気してやるんだから」
私が一方的にそう宣言すると、彼はぽかんと口を開けて、それからゆっくりゆっくり笑う。
それは、湧き水が絶え間なく出てくるみたいにきれいで、こんな風に笑わせたのは私だと思うとひどく誇らしくもなった。
長く続いたくつくつ笑いののち、宗像くんは「……わかったよ」と、使い古しのバッグを雑に置くような、ややくだけた雰囲気で言った。
「え?」
「降参しました。呉田さんの案に乗っかることにする」
と、いうことは?
私がもどかしく見つめると、初めて誤魔化さずに宗像くんが頷く。
「君と付き合うよ、とことん」
「……!!! やっ……た――――!」
「病院なんだから静かに!」
念願叶っての両思いで思わず叫んじゃった私に、入院歴の長かった宗像くんは幽霊のくせに極めて現実的な注意をした。
それから、いろいろあったねえ。
あっという間のような気もするけど、やっぱり人生って長いもんだね。
よくもまあここまで生き抜いたもんだ。我ながら自分をほめてやりたい。――それと。
ゆっくりと目を開ける。宗像くんがいる。目が合って、ほっとする。
だから、ちっとも怖くない。
往生際が悪い宗像くんは、覚悟を決めたはずの後も時おりぐるぐる悩んで、何度か私を遠ざけようとしたり、別れようとした。
そのたびに私は激しく抵抗してみせた。宣言通り浮気をして、いちどはふらっとそちらへなびきそうにもなった。
そしたら宗像くん、夜な夜な私を金縛りしてくれたよね。情念の籠もったその振る舞いに、愛が力強く再燃したことは言うまでもない。
『あの時は本当にやばかったよ』
めちゃくちゃ暴走しまくってて、私の住んでいた部屋の怪奇現象も彼のテリトリーである駅の一番線での目撃情報もバンバンあったもんね。
思い出し笑いをすると、ちょっと拗ねた顔になるのがかわいい。
宗像くんといるおかげで、私は霊能者にめちゃくちゃ詳しくなった。彼がうっかりもしくは意図的に成仏しそうになるたびに全国の、それから世界のプロフェッショナルに頼みに行ったから。彼らは『祓ってくれって言うなら分かるけど、成仏させないでくれっていう依頼は初めてですよ』と戸惑いながらも手を尽くしてくれた。
ねえ、たのしかったね。
私が言うと、彼も『うん。たのしかった』と水分少なめなビスケットみたいに――でも本当にしみじみそう思っているともう分かる――答える。
ふいに、体がするっと軽くなった、と思ったら、宗像くんと出会った頃の私の姿になった。そっか。
私は眼下の、さっきまで入っていた自分の肉体を見やる。おつかれさま。長いことありがとう。そうお礼を言うと、宗像くんと手を繋ぐ。これ、長年の夢だったんだよね! やっと叶った!
うきうき気分で「これから、初めての旅行だね」と言うと、「はしゃいでるけど、君が天国で俺が地獄行きだったらどうするの」とやっぱりネガティブ全開の答えが返ってきた。
そんなの決まってんじゃん。
「宗像くんのいない天国なんて私には無価値だよ。だとしたらいっしょに地獄にいく以外ない」
「怖……」
いまさら気付いたの? 遅すぎるよ。私は念願のドヤ顔をこしらえた。
そして。
だから言ったでしょ。
私はしぶといって。
念願通り、宗像くんに耳打ちしてやった。
「ねえ、地獄に行く前にハワイ行こうよハワイ」
「ハワイ? どうして?」
「ハネムーン♡」
「……いいけど、すっごく俺風土に似合わない気がする……」
「あははは! アロハとか着せてみたーい!」




