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ふわふわ彼氏をつかまえて

 地に足の付かない系男子(おっとり・マイペース・職業トラベルライター・趣味は旅行)な恋人は、すぐふわふわーっとどこかへ行ってしまう。それはただの旅行の時もあるし、――そうでない時もある。


 (このむ)は手を離してしまった風船のように、文字通り飛んで行ってしまうことがあるのだ。


 今までのふわふわ先は、三駅先の公園だったり、本州の背骨あたりの山中だったりとさまざま。本人にも行先は分からないらしく、津軽海峡上空をふわふわした時には楽自身もさすがに『どこまで行っちゃうのかなあ、途中で海に落っこっちゃったらちょっと困るなあ、まぐろ漁師さんに助けてもらえるのかしら?』などと思ったそうだ。いや、もう少し危機感を持ってくれ頼むから。


 そんな彼はふわふわののち着地するたびに『もしもししーちゃん、今だいじょうぶ~?』と、断然大丈夫じゃない状況のくせにおこたでまったりしているかのような雰囲気で電話をかけてくる。こちらは彼の現在地をGPSで逐一把握している(もちろん本人の了承済)ので、電話がかかって来る頃には仕事のやりくりも根回しも万端。引継ぎをスタッフにお願いしつつ「大丈夫だよ」と会社での自室を出ながら答える。

『あのねえ、今ようやく降りれたんだけど、お迎えお願いできるかなあ』

「わかった、すぐ向かうから待ってて」

『ありがとー』

 そのいつも通りの声色に、こっちがどれだけほっとしているかも知らないで。そう思っているはずなのに、一足ごとに口元が緩む。


 楽の趣味は旅行だし、ライターとして仕事で旅行していることもあるので、定期的にチェックするGPSで移動しているのが分かっても、すぐに向かうような真似はしない。あくまで、連絡(ヘルプ)が来たときのみ。そうでないと、私も楽も息苦しくなってしまうだろうから(楽は『別にいついつは旅行~とか申告しておくのヤじゃないし、僕的には束縛されるの全然ありだよ』と言ってくれてはいるけど、どうしてもこちらの気が引けるのだ)、把握している予定はあくまでざっくり。

 楽には自由でいてほしい。

 そう思うのは本当。

 ただ、移動の仕方がどう考えても旅行もしくは仕事ではなく、徒歩や車、電車といったルートにも当てはまらない場合は、そんな理性的な態度は一変させ、徹底的な監視モードになる。なったところで、止められるものでもないのだけど。

 これはおそらくふわふわしていると見て取れても、最終的な着地点がどこか分かるまでは、迎えに行く算段をつけつつ動き続ける(このむ)をはらはらと見守るしかない。


「しーちゃん、ここ~」

 電話がかかってきた数時間後、ハイキングコースにうっそうと生い茂る木々ばかり見ていた目がいいかげんちかちかしそうな頃合いで、世界で一番聞きたい声をとらえた。整備されている山道から数歩入った木の根元にちょこんと体育座りして手を振る笑顔の楽のあっけらかんと元気なその様子に、麓から歩き詰めの疲れも吹っ飛ぶ。

「こんなところまで悪いねえ。――ありがとうございます」

 後半の言葉を、今回も同行してくれた捜索スタッフ(楽とももうすっかり顔なじみになってしまった)にかけた彼の全身を、高速でくまなくチェックする。

「水分は?」

「ちょっと前まで持ってたペットボトルのお水飲んでたよ」

「おなかは?」

「ぺこぺこ――」

「どこもケガしてない? 具合は?」

 楽はよいしょと立ち上がると、心配と現状確認に余念のない私にそのまま覆いかぶさってきた。

「どっこもなんともない。だぁいじょうぶだよ。それに、静流(しずる)ちゃんたちが来てくれたから元気になったし」

 私なんかいなくたって多分ぜんぜん平気なくせに、そんなことを言う。そうやって今まで何人の女を勘違いさせてきたんだか。

 こちらの勝手な情念まみれの憎まれ口はききたくなかったから、代わりにほかの憎まれ口をたたくことにした。

「楽、くさい」

「あー、けっこう汗かいちゃったからねえ、ごめんよ」

「ううん。麓の温泉宿とれたから、一晩ゆっくりして帰ろ。車、山の下の駐車場に停めたけどそこまで歩ける?」

「もちろん!」

 温泉楽しみだねえだとか、お宿の夕ご飯なんだろねえとうきうきしている彼を眺めて、よかった本当に元気そうだとほっとした。GPS以外にも、体調の異変を感知するデバイスを共有してるから何かあればすぐに分かるのに、ちゃんとこの目で見るまで安心できない。なんともないよだぁいじょうぶだよといつもの声色で言いつつ片足をひょこひょこしてることだってあるから。


 お宿に着くと、いつもなら趣味兼職業柄、部屋のあちこちをメジャー片手にチェックしたり窓の外に広がる景色に歓声を上げたり館内の探検へ飛び出してしまう楽も、さすがにこの日はまず部屋のシャワールームに消えた。そしてものの五分程度でそこから出て来ると「ちょっと横になるねー……」と言いながらお布団にぼさっと倒れこみ、そのまま眠りこんでしまった。疲れているのだ。

 頭の下にタオルを差し込み、下敷きになっていない端の方で髪先の水滴をぬぐう。無精ひげでざらざらしている頬をゆっくりと撫でる。


 楽を迎えに行くのは私の使命だ。でも、結婚しているわけでもないのにどうしてそこまでしてあげるのと誰しもがそう言う。楽のご両親も。

『そりゃあ、自分で捕まえに行きたいくらい惚れていますので』

 こんな時、私はいつもにっこり笑って答える。それでたいてい納得してもらえる。もちろん嘘なんかじゃない。でもそれはお迎えに行く目的のすべてでもない。


 楽は昔からあんな雰囲気だったけど、私と付き合うまではふわふわ飛んで行ってしまうことはなかったそうだ。

 だから、いっこだけ考えていることがある。楽もそれを分かっている。分かっていながら、許容してくれている。そんな彼に、甘え倒している。

 でもこんなこといつまで続けるのか。いつまで、楽は私にだけヘルプをよこしてくれるのか。

 頼ってもらえるたび、心がふるえるほど嬉しい。

 変かな。

 多分、変なんだろう。

 恋とか愛とかと同じくらい、執着と不安が大きいんだろう。


 楽も私もそれぞれ自分の仕事をして、その合間に会って、またそれぞれの生活をして。その繰り返しの日々。それだけでいいのに。



『もしもししーちゃん、今だいじょうぶ~?』

 やっぱり、その電話は私にもたらされる。



 今回の捜索と救出は難航した。

 険しいことで有名な山中にいることは早々に分かったものの、悪天候でなかなかドローンもヘリも飛ばせなくて――どちらも私の作った会社がサービスを提供している。もちろん楽を探すのに必要だったから興した会社だ――さすがの楽も見つけた時には「やぁばかったねえ」と弱々しく苦笑いしていた。

 念のため、楽がかかりつけにしている病院へ搬送されることになったので付き添う。一通りの検査を終えて異常なしの太鼓判を押された楽は、翌日には退院できることになった。

 ――もう二度と起きないのではないかと思うほどぐっすりと眠っている。そんな楽を起こさないよう、手の甲にそっと触れた。その時。

「静流ちゃん、だぁいじょうぶだよ」

 いつもの言葉。私をゆるすということば。

「だって……」

「僕がもういやだ! って言ったこと、ある?」

 ゆっくりと開く目。思いのほか、強いひかりをたたえている。

「ないけど……」

「うん」

 それだけ言うと、満足したようにまた目をつむり、大きく寝息を立てた。



 楽が飛んで行ってしまうのは、楽自身の仕業ではない。私のせいだ。

 仕事と趣味でいないことが多い楽になかなか会えない不安や、誰もを脱力させつつするりと心の距離を詰める楽だから、きっとあちこちでモテているだろうという不安、こんな自分はいずれ愛想を尽くされるだろうという不安。混ざり合って、怪物になる。

 自分でも知らぬ間に、楽を『どこか遠く』へ飛ばしてしまう。

 こんな目にあわされて、いつ別れ話をされてもおかしくないのに、いつだって楽は受け入れて、許してくれる。謝ろうとするとそのたび『しー』と唇に人差し指を当てるジェスチャーをされて、きちんと謝罪できたことは一度もない。どうして? って聞きたい気持ちはあるけど、怖くてそれはいまだに聞けていないでいる。

 ――こんな風に危険にさらしたいわけじゃないのに。封印できるならそうしてしまいたいのに。


 自己嫌悪でいっぱいのまま、翌日またお見舞いに行った。個室の引き戸をからからと開けると、昨日よりずいぶんしっかりした楽が「おはようしーちゃん」と笑顔を見せてくれる。

「おはよう」

「ねー、ここの病院ご飯の味付け薄すぎるよ」

「病院てのはそういうとこでしょ、着替えここに置いておくね」

「退院したらそのまま思いっきりカロリーでぶん殴ってくる系のを食べ行こうよー」

「だーめ。おうちでゆっくりしなさい。ねえ、カーテン開けるよ。今日は夏日になるかもだって。ほら、いいお天気」

「しーちゃん、」

「ちょっとなんで半日でこんなにベッド周りが散らかってるの???」

「しーちゃん、」

「待って先に片付けを……」

 忙しいふりをして、部屋に来てから楽と視線を合わさずにいた。そうしていないとすぐにもゲリラ豪雨の勢いで泣いてしまいそうで。でも、自分のせいで楽がこうなっちゃってるのに泣くのはおかしいから。

 私のそんな精一杯の虚勢を、楽はスルーしてはくれなかった。ぱたぱた動き回る理由にしていたあれこれが一通り済んでしまい、そうだ退院手続しにいこうと、ここから逃げ出す口実を思いついたその矢先に「しーちゃん、あのね」と手を伸ばしてくる。逃げかけていた私の手は、そのまま絡めとられた。

「……なあに?」

「僕、しーちゃんのこと好きだよ。大好きだよ。しーちゃんの素敵なところも、自分でダメって思ってるところも、失くしたいって心を痛めてるものも、全部まるごと」

 そういって、つないだままの手を自分の方へと引き寄せ、指先にキスをした。視界が一息にぶわっと滲む。

「……でも、またこんなことに」

「いーったらいーの」

「よくないよ。楽の命をこれ以上脅かすことになったら、私、」

「離れるとか別れるとかナシだかんね」

「……」

「ぜったいそんなのヤ。ねーいいかげんもう結婚しようよー」

「それより、この能力をどうにかして消す方が先」

「だから別にこのままでいいんだってば」

 かたくなだなあ、そんなところも素敵なんだけどさと笑う彼の横で、涙が鎮まるのを待った。


 *******


 しーちゃんが退院手続きをするために赤い目のまま部屋を出ていった後、主治医兼悪友がノックもなしに入ってきた。

 そしてベッド横の椅子にドカッと座り込んで、「あのなあ」とのっけから説教モードの口調で話しかけてくる。やだやだめんどくさーい。

「おまえいいかげんにしろよ」

「なにがー?」

「一歩間違えれば死ぬところだったんだぞ!」

「反省してまーす」

 ずいぶん前のオリンピアンの真似をすると頭をスパーン! とコントの勢いで叩かれた。

「ちょっと、僕いちおう患者様なんだけど???」

「怪我の一つもなかったくせに偉ぶるんじゃねえ。それにここの個室代と治療費を払うのは彼女さんだろうが。ったく、ヘリもドローンもバンバン出させやがって」

「しーちゃん敏腕経営者だからねえ。金と人材に糸目をつけないとこもかっこいいんだ~」

「誰がノロけろっつった」

「あいた」

 また叩かれる。暴力反対だよ。


 悪友は、腕組みしてそっぽ向いたまま「……なんで飛ばされないようブロックしねえんだよ。お前出来るだろほんとは」とつぶやいた。

「まーねー」

「誇らしげに言うんじゃねえよ。……こんなこと、もうやめろって。命は一つしかねえんだ。今まではたまたま運がよかっただけで、次も運がいいとは限らねえんだぞ」

「だってさあ、少しはしーちゃんのお役に立ちたいじゃない?」

 こっちから連絡のない時は二週間も三週間も好きにさせてくれてさ。愚痴一つこぼさずに『旅行楽しんでね』とか『お仕事頑張ってね』とか、そういう言葉ばかりをくれてさ。

 理解がよすぎてさみしいよねと思ってたら、心のままに僕を飛ばしてくれてさ。その上、僕のために山岳遭難者捜索の会社を立ち上げてさ、さらにそれを軌道に乗せてさ。

 そんなかっこよくてかわいい人、ほかにいないじゃない。

 だったら、せっかく僕っていう格好のサンプルがいるんだから、捜索に関するデータを収集してもらいたいなって思ったんだよね。

 なかなか生きた人間を使って遭難の実証実験はできないだろうけど、僕がふわふわしてって、しーちゃんの会社の人が探してくれるなら、数を重ねた分だけフォーメーションやプログラムの精度を上げられる。

「その上愛が深まるんだよ♡ カンペキじゃん」

「だから勝手にノロけんなっつってんだろ」

 三度目が来る前に、今度こそ枕でガードした。


 誰に何と言われようと、これからも僕はふわふわ飛ばされるのをやめる気ないからね。

 だってあれ、めちゃくちゃ愛されてるって実感できるんだもん。

 最初はビビったけどね。え、なになに??? ってパニクったし。

 でも、不安にさせてるから起きてるんだよね。そこだけはごめん。だから、結婚して静流ちゃんの不安が鎮まればもう起きないと思うから何回も『結婚しよーよ』って言ってんのに、負わなくていい負い目からかいまだにいいお返事はもらえずじまい。ま、いいけど。


 うっとりと目を閉じて「次はいつかなあ」って独り言を言ったら、悪友がこぶしをぎゅっと握って今にも殴ってきそうな雰囲気をバッシバシ発散させていたから、あわてて「うそうそ、寝まーす」って横になった。

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