飛びすぎるうみちゃん
「夢見とねじまげ」に関連していますが、未読でもお楽しみいただけると思います。
朝、いつものように電柱の上をぽんぽん飛んで登校していたら、いつものようにパトカーのおまわりさんからスピーカー越しに警告を受けた。
『そこの女子高生――、電柱の上を跳ぶのをやめて今すぐ降りなさ――い』
「ヤで――す」
抑揚少なめなのにお怒りのご様子がうかがえるその呼びかけに、聞こえないってわかってても律儀にお返事して、それからまたぐっと足に力を込めて次の電柱の上に飛ぶ。
『あっ、コラ!』
「じゃ~ね~」
赤信号でパトカーが止まっている(パトランプを回していない&渋滞に大ハマリ)間に、交差点を跨いで設置されている信号のポールの上を飛んで、ある程度距離を稼いだところで下に降りて撒いた。
ほぼ毎朝繰り広げている、ケーサツとのやりとり。
校章は外してるし、制服はありがちなブレザーだし、学校に苦情が来る→生徒指導の先生に怒られる という流れにはなっていないので、どこの高校かはバレてないと思う。まあ、もう少し早起きしてフツーにてくてく道を歩いて学校にいけばいいだけの話なんだけどね。
授業を受ける以外、特にやることもないから、毎日ダルくって。
翌朝、またいつもの呼びかけをされた。
『そこの女子高生――、電柱の上を跳ぶのをやめて今すぐ降りなさ――い』
でもって、いつもなら『ヤで――す』って無視するところだけど、今朝はいつもよりほんのちょっと時間に余裕があったので、「は――い」って良い子のお返事をして降りた。わざとパトカーの横の歩道に勢いを付けたままダンッ!!! って着地したら、おまわりさんが目をまん丸にして驚いてる顔が見れて面白い。
降りるときに乱れた髪の毛とか曲がっちゃった制服のリボンとかを直している間に、パトカーは歩道と車道の間の植え込みにぐっと寄せて停まった。そしてちっこんちっこんランプを点滅させたまま、中からおまわりさんが出てきた。思ってたより若くて、おーイケメンじゃーんってかんじなのにムスっとしてる。毎日チョロチョロ目障りなことして小憎たらしいJKめ! って思ってんのかな。
――やば、今日こそ補導されるかも。
まあ、それでもいっか別に。行きたい大学とかやりたいこととか別にないし、推薦もねらってないし。なるようになればいいんじゃん?
おまわりさんはあたしの前まで来て顔をじっと見たあと、口を開いた。
「毎日電柱の上を飛んでいるのは、何か理由でもあるのか」
「ないっすよ。しいて言えば、早起きがダルい?」
ブレザーのポッケに手を突っ込んだまま、くあ――っとでっかいあくびをかましながら答えると、おまわりさんはがっかりした顔で「……せっかくそんな高い身体能力をもっているのに、ずいぶんと無気力なんだな」とつぶやいた。
それ聞かされて、こっちが怒るとでも思ったのかな。
もうね、そんな余熱もありませーん。
「夢も気力も奪われたから持ち合わせがなくって」
「え?」
「あ、もしかして身近に超身体能力者いない?」
「……確かに、いないけど」
「いたら分かったかもね。あたし、サッカー選手になりたかったんだ」
「? なったらいいじゃないか」
その無知という名の刃で傷が付くことも、もはやないよ。
サッカーの選手になりたかった。
でも、手足の力が異常に発達したいわゆる超身体能力者は、スポーツにおける公平性から各種大会への出場が認められていない。
クラブチームはおろか、部活動への加入も認められなかった。体育の時間もほぼほぼ不参加だ。まともにやれるのはダンスくらいで、それ以外はテレビのADみたいに先生のお手伝いでちょこちょこ動いてる。ぼーっと見てるとヒマすぎて寝るから。
「本気で飛ぶとビルの高さが余裕で出ちゃう脚力でうっかり誰かを蹴飛ばしたら、と思うとそれも怖いし、もう色々不参加でいいんだけどさ、でも最初は泣いたな」
中学に入ってすぐに行われた能力の審査結果が出ると、能力庁から学校を通じて『運動部への加入禁止』と『体育の授業の参加辞退のお願い』の通知ふたつを受け取った。
ドッキリかなとも思ったけど、いつまで経っても教室の扉の向こうからは誰も乱入してこなかった。
怪我でサッカーができなくなるとか、いやになっちゃってサッカーをやめるとかなら考えたことがあった。でもまさか強制的にやめさせられるなんて思いもしなかった。
試合に出させてもらえなくてもいいから、練習だけでも参加したかった。まだ今ほどの脚力じゃなくて、『通常の範囲内で足が速くてジャンプ力のある子』だったから、余計に諦めが付かなかった。
もろもろに参加できなくなってからもたまに、『もしかして、もう能力消えてるか薄くなってるかも』とバカな期待をして、人気のない公園で試しに飛んでみることがあった。試すたび、笑っちゃうくらい跳力が伸びてた。公園の横の高層マンションの上の方に住んでる人が洗濯を干しにベランダへ出てきたところで目が合ったのが自己最高記録だな。
高校に上がってからは微かな期待も持たなくなって、遅刻を回避するためだとか、壊れた水道からあふれる水で友達が濡れ鼠になりそうだったところを抱えて飛んだりだとかでこの力をちょいちょい利用してるってわけだ。
友達はあたしが脚力のせいで体育に参加できないことも、サッカーを諦めたことも知ってる。それでも、下手な慰めやキレイゴトは言わずに、ただ『その力はすごい』『いっぱい跳べる方がかっこいい』って口にするから素直に受け止められるのかも。
「あ、やば、そんな話してたら遅刻しそうじゃん」
じゃーねーと手を振ろうとしたら、おまわりさんはなぜかまたむすっとしてる。――あーコレ同情されてるな。くどくどと叱られるのもイヤだけど、同情はもっとヤだな。てか遅刻。
なんて思ってたら、耳をつんざくブレーキ音と、ド派手になにかが壊れる音が耳に飛び込んできた。
「え、なに今の」
振り返るとぐしゃぐしゃに前が潰れてガードレールにぶつかってる軽自動車(それでも中の人は無事っぽい)と、同じく前の部分が損傷しているにもかかわらず、交差点から急発進で立ち去る赤いスポーツカー。
「くそ!」
おまわりさんが毒づいている間に、赤い車がひょいっと小道に入って行くのが見えた。
「ねえ、逃げられちゃうよ」
「分かってる! 応援を呼ぶ!」
「それより携帯かして」
「は?」
「早く!」
さっきまでだらーっと応対してたあたしの突然のシャキシャキモードに気圧されたのか、おまわりさんは素直に携帯を出した。それを奪ってこちらの携帯を呼び出して通話をつなげてから返す。
「通話繋げといてね。あたしさっきの車を飛んで追いかけてく」
「おい!」
「道なら知ってる! 地元民だから!」
「……無茶すんなよ!」
その台詞にもいつもどおり「ヤで――す」って答えて、思い切り膝を曲げて屈む。
いつもは疎むことの多い脚にそっと触れて、『頼んだよ』と都合のいいお願いをする。
そして。
身体のすべての筋力を使って、思い切り跳んだ。
耳が、頬が、風を受けて喜んでる。やっぱ楽しいね。
突然下からやって来た人間に、鳥たちが驚いて木々からわーっと一斉に羽ばたくのが見えた。ごめん。
久々の本気の跳躍に、おまわりさんがあっけにとられて、それから慌てて自分の下半身を指さし太ももを押さえるようなジェスチャーをしてるのが小さく見えた。なるほどあたしのスカートの中が見えちゃうって注意してるんだね。でもちゃんと今日もスパッツ履いてるから心配ご無用。
鳥の目線でぐるりと見渡す。スポーツカーの赤はすぐに見つかった。電柱の上にふわっと着地しつつ、耳に当てたままの携帯で「ねえ、あの車のナンバーコレであってる?」とおまわりさんにナンバープレートの数字を伝えると、『ああ』と返事がきた。
「今、車は南町に向かう抜け道を走ってる。あたしを目印にして来て」
『でもこの辺一方通行だらけで』
「よくお父さんのドライブに付き合わされてるから知ってる。ちゃんとそっちが行けるルートで飛んであげるよ」
あたしのその言葉に、おまわりさんはふっと優しいような息を漏らして、『……そりゃどうも』と言った。
赤い車を追いかけて跳び始めると『目視で追える。応援も要請したから切るぞ』と告げられて通話が終わった、と思ったらパトカーがわらわらと何台もやって来て、スポーツカーの人はすぐに捕まった。
「あのなー、いくら捕まえるためっつったって電柱の上は飛ぶなよ、しかもあんなスピードで!」
「いいじゃん役に立ったでしょ?」
「……まあ、そりゃあな」
「ほーらー!」
捜索に協力したあたしは詳しく事情を聞かれたあと、おまわりさんに高校まで送られている最中。もう午後だし家に帰るよといくら言ってもガン無視で。
おまわりさんのお小言は、まだ続く。
「あいつが銃でも持ってたらどうするつもりだったんだ」
「だとしたらヤバかったねー」
あたしのふざけた返事に、大人な人たちは『これだからひねた女子高生は』とムカついたり『脚のせいで性格までこんなに荒んで……』とトンチンカンに同情するもんなんだが。
何。信号待ちだからってじろじろ見んな。優しい顔とかいらないんだけど。
あたしを眺めるおまわりさんは穏やかさキープのまま「おいクソJK」とけんかをふっかけてきた。
「何、国家の犬」
売り言葉に買い言葉って奴を実践してみたけど、ひどいコール&レスポンスの割におまわりさんはやっぱり声も顔も優しかった。
「おまえも、国家の犬になれば」
「は?」
「犬になって、思い切りその脚力を生かせばいい、今回みたいに」
「……それって、ケーサツへの就職斡旋?」
「しがないまちのおまわりさんにそんな権限あるわけないだろう。――朝の話聞いて、俺何にも分かってねえのに偉そうな口聞いたって反省したよ。そっちの事情も知らないで無気力だなんて言って悪かった」
「やめてよそういうの、もう気にしてないし」
「いま気にしてないのと過去に傷ついたことは別だ」
「……」
なんて返したらいいか分からないまま信号が青に変わって、また車はスムーズに動き出す。
「まあしかし、いくら俺が胸を痛めてもおまえの過去には介入出来ないので、無気力じゃない未来の可能性のひとつを提示したっていうことだ。話は以上。後日署長から感謝状を贈られると思う。――じゃあ行ってこい。ちゃんと勉強しろよ」
話しているうちにパトカーが学校の校門前についた。あたしを降ろしたあともなかなか出ない車の横に立って「ねえねえ」とガラス越しに呼びかけると、素直に下がる助手席側のウインドウ。
「なんだよ」
「胸痛めたの? あたしの話で?」
わざとニヤ――って笑いながら煽ってみても、「あれ聞いて痛めない奴は人間じゃない」とまじめ顔で即答された。おカタい犬だな。しかも「行けって」と、手でシッシッと追い払う仕草なんてして。
犬か。なるのかなあ。
私の脚が疎まれないで、持て余されないで、ちゃんと働けるところかなあ。
夏の立派な入道雲の上にいるみたいな気持ちでふわふわと歩く。そしたら下ろしたままのウインドウから「そこのクソJK、ぼーっとしてないでちゃんと歩きなさ――い」って、スピーカー越しみたいな、でもちょっと楽しそうな口調で注意された。
「……は――い」
振り向いて素直に良い子のお返事をしたら、それでようやくおまわりさんはウインドウを上げて、パトカーを出発させた。
しょうがない、犬になるなら毎朝電柱の上を飛んでくわけにはいかないし、明日っからも少し早起きするか。
おとなしくてくてく道を歩いて登校したら友達に『どしたのうみちゃん!?』ってびっくりされるかも、と勝手に想像しながら、まだ続いていた楽しい気持ちで授業中の廊下を歩いた。
22/01/11 誤字訂正しました。
22/11/23 誤字訂正しました。




