飛行場ガール(後)
仕事で、『今日は頑張った』『今日は手抜きした』ってあからさまにしてるつもりはない。
でも、今日は特別。超気合い入れた。
隣に立つ案内さんをちらりと見る。――その足下には、なぜかゴミ袋をかぶせたバケツ。
「あれ、なに?」
後ろに立つ日影君にこっそりと尋ねる。
「今日は案内さんも祈るって。それで、用意したって」
「え?」
「ほら、力使おうとすると吐いちゃうからあの人。吐いてもいいようにって、本人が」
思わず案内さんの顔を見てしまう。もうすでにその顔色は真っ青だ。汚してもいいようにか、作業着を脱ぎ、ネクタイも取って、上はシャツ一枚。腕まくりして、怖い顔して――
「案内さん、」
こっちが泣きたくなるような気持ちで声をかけると、案内さんが硬い表情を少しだけ崩してふっと笑う。
「ごめんな、汚くなったり臭くなったりするかも俺」
「そんなの、全然いいんです! それより、案内さん、無理しないでください」
「いや、する」
やけにきっぱりと断言された。
「……一五年前、たくさんの命の灯火が消えてしまった。あの時も『夢見』のお告げはあったんだよ」
「え? でも……」
うん、と横顔で頷くのが見えた。
「『案内ひとりで一〇人分くらいは余裕で力があるから』って、結局人数は増やしてもらえなかった。で、事が起きてからは手のひら返しで『特飛能が切れたんじゃないだろうな』『ほんとは力使ってなかったんじゃないのか』って疑われて、何回も調べられて。事故調から『あの事故に対して少年二人の『祈り』では対処のしようがない』って報告されたあとも謝罪の一つもなかった。その上、マスコミやネットで攻撃されても、大人は誰も俺たちをかばってはくれなかった。事故機を担当していた俺ともう一人だけじゃなく、当日のシフト表がネット上に出回ったせいでほかの滑走路を担当してたスタッフまでボコボコに叩かれたし、矢面に立たされた。――あんな思いはもう勘弁だ。君らのことは絶対に俺が守るし、今度こそあの機も守る」
そんなこと言っても、やたらと事情通な日影君曰く『案内さん、社内では立場弱いらしい』し、屈強でもないし、今現在やっぱり顔は真っ青だし。
でも、信じる。
急な招集に駆けつけたのは、現バイトスタッフだけじゃなく、『能力はあるけど今は飛行場でバイトしていない人』や『能力はあるけど、今は普通に社会人』『非番の人』『もしかしたらふだんはほかの空港で祈ってる人』とおぼしき人もまあまあいた。
それだけ、案内さんがみんなに慕われているってことの表れだと思う。
こわいよ。だって、失敗するかもしれない。
でも、守るって言ってくれた。それを信じる。
少し震えていた案内さんの右手にそっと触れると、めちゃくちゃ冷たかった。ぎゅっと握る。
そしたら、私の右手を、いつの間にか横に来てた日影君が握った。
「ねー、みんなで手―つなご。その方が『祈り』が増幅するんだろ? ほら、糸坪さんも二渡さんも」と日影君が二人を呼ぶ。はじめは「ええ?」ととまどっていた二人も「早く」と日影君に真顔で促されて、恥ずかしがっている場合じゃないと思ったらしい。
日影君の右手を糸坪さんが、糸坪さんの右手を二渡さんが繋ぐ。そこまでで途切れず、「失礼します」と顔見知りの人たちがあとに続いてくれた。
そうして、そこにいる全員が手を繋いで、大きなわっかを作った。
日影君がのんきに「大体の時間とか、離陸か着陸かとかはわかってんすかー?」って聞いて、「ああ。一八時前後三〇分以内の着陸の便と聞いている」と、さっきよりちょっとだけ顔色の戻った案内さんが答える。
「うし、気合い入れっぞー!」
「なんで日影が仕切るんだよ」
小さく起きた笑い。
「……がんばろう」
自分に言い聞かせるように、案内さんがそう呟く。
そして、その時間がやってきた。
一便一便、祈りを込めた。無事に離発着したのを見届けて、次の便に気持ちを整える、それを繰り返す。普段と違って第一と第二どちらかだけでなく両方の滑走路での離着陸を祈る――夢見のお告げでは着陸ということだったけど、念には念を入れて離陸も全員で――から、ずいぶんとせわしない。短いスパンでの緊張と緩和の繰り返しは、インターバル走みたいで地味にきつい。でも、『きついな』って思うたび、案内さんの手と日影君の手が力を分けてくれた。
――タイムリミットまで、あと二便。
あの機だ、ってすぐに分かった。なんでそう思ったかは分からない。
胸がへんにざわざわした。自分じゃない何者かに、勝手にかき混ぜられているみたいに。
いつもへらっというかにやっとしてる日影君が、見たこともないくらい真面目な顔になった。案内さんの手が、また冷たくなった。
短く詰まってしまいそうな息を、大きく吸って吐いて。
丁寧に。
いつも祈る時と同じ心で、自分の手のひらに飛行機をふんわりと載せるイメージで、着陸機に寄り添う。でも。
強風の予報は出ていなかったはずなのに、横風で突然大きく傾いた飛行機。パイロットは機体のバランスを戻そうとしているようだけど、今度は反対側に傾いてしまう。だだをこねている子どもの動きに似た飛行機は、なかなか水平を保てない。そうこうしているうちにも順調に高度を落とし、滑走路にどんどん近づいていく。
車輪が出てない、と誰かが叫んだ。慌てて、飛行機の腹を見る。確かに、前輪が出ていない。
胴体着陸になれば、火災の危険も充分ある。そのあたりも『夢見』から進言があったのか、駐機場には消防車と救急車が何台もスタンバイしていた。
飛行機はいったん再浮上して時間を稼ぎ、その間に前輪を出そうと試みたらしいけど、結局両輪が揃わないまま二度目の着陸態勢に入った。
かみさま、と『祈り』のさなかに、知ってるかぎりすべての神様にすがった。
かみさま。どうかこの機を無事に下ろさせてください。
お願いです。
このあと、力が消えてかまわない。だからどうか。
だめだ。集中しなくちゃ。
深呼吸して、気持ちをまた普段の仕事モードに戻した。
いつもどおり。丁寧に。ていねいに。
――飛行機が、下りる。
案内さんが泣いていた。
ズボンの膝が汚れるのにもかまわず両方とも床について、ゴミ箱にセットした袋に向かってゲーゲーしながら。
「ったく、『絶対に守る』って言ってたくせに安心した途端吐くとか」
「そういうこと言わないの」
胴体を擦りながらも大きなトラブルなく機が着陸したのを見届けた後、部屋の中は歓声と拍手で満ちた。
そのBGMには少々やかましい音を背に、案内さんが見せた姿に対して日影君がかわいくないことを言って、私がつっこんで。もう、いつもと同じみたい。緊迫しまくっていたほんの数分前までとのギャップがすごい。
案内さんは泣きながら吐くだけ吐くと膝に手をついてよろよろ立ち上がり、ペットボトルの水で口をゆすいでから「……次の着陸も念のため総員で当たります」と思いのほかしっかりとした言葉でみんなにそう告げた。途端に、うかれて崩れていた輪が元通りになる。
次の便も、夢見の予想した時間のあとの便も、何事もなく離着陸した。
今日非番だった高校生チームはそこで大人組(と、元々シフトの入っていた高校生)より先に返されることになり、その部屋を出る。
「あれ、なんだったんだろう」
長い長い廊下を歩きながらなんとなく口にした。ひとりごとだと思われてるならそれでもいいや、くらいの気持ちで。
でも後ろを歩いてた日影君が「あ、飴屋さんもわかった?」と返したので、やっぱり、と思う。
「なんかいたよね」
あの機にまとわりついていた、ざわざわしたなにか。目には何も映らなかったけど。
「厄災かな、わからん」
「……うん」
後ろから、炭酸の蓋を開ける音がする。歩きながらお行儀悪く飲む気だな。
案の定、ごっ、ごっ、ごっ、と豪快に飲み下す音が聞こえたのち、日影君がふたたび口を開いた。
「今回のが、俺らの『力』でどうにかなったのかどうかは、やっぱ俺まだ疑ってるよ。たまたまラッキーだったのかもしれないし」
そんなことない、私たちが無事に飛行機を下ろしたんだって言いたかった。でも、言えなかった。
「……それでも、祈るしかない」
「ま、そーだね。俺らそれしかできねーし。つーわけでさ」
スニーカーの底をきゅっと言わせて一息に横にならんできた日影君が、にやっと笑う。
「俺、能力切れても切れなくても、将来ここで働くことにしたわ」
「え、そうなの」
あんなにやる気なかったのに。
そんな思いを隠さず見つめると、うん、と日影君が頷く。
「『祈り』の効力は信じきれてないけど、あのおっさんの力になりたいし、社内に『案内一派』作ってやりたいじゃん。また同じ事が起きた時に、おっさん一人でゲーゲー吐くほど色々背負ったままなのもかわいそうだしさ」
「……日影君て」
「ん?」
「あんがいイイ奴だったんだね……!」
「え、ちょっとまってちょっとまって、いまのすげーいい話っしょ?! なんで『あんがい』って言われてんの俺?!」
そんな風にうるさくしていたら、後ろから来た空港関係の職員さんに「廊下でうるさくしない!」と怒られてしまった。
二人で頭を下げた後、去って行く背中に日影君がべーってしながら両手の中指を立ててたのを見て「やめなよ」って小声で指をはたく。
「――でもいいかもねさっきの」
「だろ? 飴屋さんもどうよ」
「でも私、アパレルの店員になりたいからなあ」
「ええー? そんなこと言わずにさあ」
「ほら、また怒られるから静かにしてよ」
お洋服屋さんに勤めたいのは本当。でも、日影君の野望をお手伝いするのも楽しそうだなあ。どうする? 私。
まあ、大学に進学してから就職だとしてあとまだ六年あるし、ここでバイトしながらゆっくり考えよう。
明日からはまた能力が切れるまで、いつもどおり、丁寧に。
飛行機の安全な運航を、私たちの『祈り』で支えるのだ。




