飛行場ガール(前)
飛行場は私の仕事場で、私の仕事は飛行機を飛ばすことだ。
といっても、パイロットでも、管制官でも、地上支援業務でもない。
ただ、バイトで雇われてる高校生ってだけ。時給は、お休みの日のファストフードよりすこーしいいかな。
「オハヨウゴザイマース」
朝でも夜でもこの挨拶で、タイムカードを押す。
飛行機は待ってくれないから、超時間厳守! 学校より一生懸命真面目に通ってるよ。悪天候の日は、電車が動いているうちに早めに来るようにしてる。
長い長い廊下を、色んな人とすれ違うたび「オハヨウゴザイマース」ってとりあえず言っとく。人が多すぎて、働き出してから半年たつのに、まだ全員の顔と名前が一致しない。
大人になったら覚えられるようになるのかな、とか思いつつ、ドアをこんこん、とノックしてから「シツレイシマース」って入室する。
「おう飴屋さん、おつかれさん」
シャツ+ネクタイ+ズボンに作業着の上を着た、私たちの上司の案内さんが、運行スケジュールに目を通しながらあいさつしてくれた。
「おつかれ~」
「おつかれさまー」
「うっす」
声を掛けてくる他のメンバーは、もう席についている。わたしも、ロッカーに私物を入れて、セーラー服の上にスタッフジャケットを羽織る。別に、IDカードさえぶら下げておけばジャケットは着ても着なくてもいいんだけど、着た方が「仕事してるー」って思えるし、仕事のスイッチが入る感じがするから。
丸テーブルの前、等間隔にならんでいる椅子の一つに滑り込んだ。
時間になると、案内さんはこの日の天候や上空の風速、そして担当を言い渡した。
「今日の第一滑走路担当は日影君、二渡さん、第二滑走路担当は糸坪さん、飴屋さん(←私)。何かあったら僕が補佐に回ります。それでは本日も宜しくお願いします」
「よろしくお願いします」
実際は、もうちょっとだらっとしてる感じで挨拶を復唱する。
私たちの仕事は、飛行機の離発着がうまくいくよう『祈り』、飛行機の安全運航をサポートすること。
それは、偶然発見された、らしい。
昔々の、高度成長期の頃のこと。
今もそうだけど、飛行機の事故は一度起きるとその後もばたばたとつづく。それをなんとか止めたいと思った当時の研究者によって偶然発見されたのが『特定未成年の有する、飛行機の飛行への干渉及び補助能力(略して特飛能)』ってわけ。
以来、無事故とは行かないまでも、事故の件数自体はかなり減ったって話だ。現在では、すべての便に『祈り』が適用されてる。
仕事内容はとても単純。『無事に離陸(もしくは着陸)しますように』って言葉や映像でイメージするだけ。でもそれが飛行の安全性を高めるって言うんだから、なんかびっくりだよねえ。
イメージの仕方に決まりはなくって、私は離陸も着陸も『自分の手のひらに飛行機をふんわりとのせて寄り添う』だけど、日影くんは『離陸ん時は頭の中で紙飛行機をビューン! って勢いよく飛ばす』だし、『着陸ん時はひろげた布の上にうまいことのっける』らしい。
このバイトは内容が内容だけに、アルバイト情報サイトには載っていない。じゃあどうやって募集してるかというと、高校に入ってすぐ受ける健康診断で『特飛能アリ』と認定されれば、能力庁を通じてオファーが来るのだ。まあ、能力があるからって近くに飛行場がなければそもそも働けないんだけど。
私たちが飛行機に干渉できるのは、離陸時と着陸時。通常飛行中の飛行機については除かれてる。離着陸は事故が起こりやすいからそこを重点的に補助したいし、『祈り』の力は距離が近ければ近いほど発揮されるものなので、たとえば太平洋上空を航行中の飛行機とかまでは届かないから。ちなみに、飛行機以外のほかのものに対しては、全く効力がなかったりする。
ここで働く私たちは、すごく頭がいいとかすごく運動神経がいいとかなくて、能力以外はめちゃくちゃ普通。離着陸のラッシュが終われば、次の飛行機が来るまでの休憩時間にお菓子食べながらおしゃべりしちゃう。監督役の案内さんは怒濤の離発着タイムが落ち着くと、次の離発着があるまでは書類仕事があるからって自分のデスクのある隣のお部屋にいったん戻ってるので、一緒におやつを食べたりはしない。
そんなわけで今日も、炭酸飲みつつピザ味のポテチを食べて、だらだらトーク。
日影君は手がおっきいから、一つかみでがばっとポテチを持ってく。ちょっとずるい。
「ちょっと、こっちの分も残してよね!」
「はいはい」
「あっ、もうそれ以上食べたらだめだからね」
「そんなことよりさあー……」
日影君は、もりもり口に運んでいたポテチの残り一枚を名残惜しそうに唇まで持ってったあと、「俺能力切れかけてるかもって思う」とぽつりと言った。
「え? それはないでしょ、だって飛行機ちゃんと飛んでるじゃん」
「それがさ、ないしょなんだけど」
急に、私の耳に手を添えて内緒話。
「さっき最後のフライト、力添えしなかった。でも何事もなく飛んだ」
「!」
「まあ、ちっちゃいプロペラ機だったからかも。――だから、俺疑ってるんだ。俺たちがいないと飛行機が無事に飛んで行かないってウソじゃないかって」
袋に残っていた細かいかけらまで指でペタペタして食べきると、つまらなそうに頬杖してスマホいじりながら日影君が言う。
「で、でも、あんな重そうなもん、『祈り』で手伝ってあげなきゃ無事に離発着しないかもじゃん」
何故だか私は必死で言い募った。すると、奴はにやりとして。
「わっかんねーぞぉ?」
いっそ楽しそうに、笑った。
力添えをしない、というのは、この仕事をするに当たって重大なルール違反だ。
そりゃそうだよね、人命がかかってるんだもん。それに、お給料もらってるのに仕事しないだなんてありえない。
だから、日影君の内緒話を打ち明けられたその日のうちに、私は案内さんに報告しに行った。
案内さんは表情を変えずに私の言葉を聞いた。そして、「よく話してくれた。ありがとう」と言ってくれた。
「明日、少し早く来てもらって、二人に話を聞かせてもらっていいかな?」
「はい!」
「悪いね」
「いいえ」
密告した形になるのは正直いい気分じゃないけど、黙っているよりよっぽどよかった。
次の日、日影君はお休みだったのにやってきた。案内さんに呼ばれたからだ。
二人して案内さんのところへ行く時、「飴屋さんチクったな」と笑いながら文句を言われた。
「だってあんなの駄目だよ」
「まじめだなあ……日影、入りまーす」
日影君がやる気のないノック&あいさつをしてドアを開けると、もう案内さんは自席についてた。いつもニコニコしているのが嘘みたいに、表情は厳しい。
私たちに座るよう促すと、挨拶もそこそこに「先日、日影が担当の機に『祈り』を添えなかったって言うのは本当かい?」と切り出され、当の本人である日影君も私も「はい」と神妙に返事をした。
「祈りの力をバカにしちゃいかんよ」
日影君が案内さんに諭される。でもそれでしょげる奴じゃない。
案の定しれっと、「俺、見えるものしか信じないんすよ」なんて言ってのけた。
案内さんはそんな日影君へ、静かに穏やかに言葉を返す。
「じゃあ、電波は? 電気は? 音は? 人との信頼関係は? 見えるものしか信じないって、君ずいぶん傲慢なこと言ってるって分かってる?」
そこまで言われて、ようやく日影君は頭を下げた。
「サーセン、生意気言いました」
「いいさ、日影が生意気なのは前からだし、それに」
案内さんが、日影君みたくにやっと笑った。
「俺も試したぞ、昔」
それで当時の指導役にばれて、やっぱりめちゃくちゃ怒られたそうだ。
「そんな訳だから、試したい気持ちは分かるよ。でもお金もらってんだからきちんと仕事はしなさい」
「は――い」
「日影は罰として、一週間仕事部屋の掃除ね」
「うええええ?」
「サボったらさらに追加だからな、はい、やってきな」
「今日からっすかー!?」
日影君はぶつぶつ文句を言いながらそこを出た。
「たまにいるんだよな、ああいう奴」
ため息を吐く案内さんは、それでももういつもの優しい目をしてた。
「飴屋さんは、能力についてはどれくらい知ってる?」
そう問われて、最初に仕事をする前に受けた研修の内容を思い出して口にした。
「力に目覚めるのは中学生から高校生の間、です。だいたい高校を卒業するころに能力がなくなりますが、一九になっても衰えない人は空港や自衛隊基地で働くことになります。でも職業選択の自由が憲法で保障されているので、強制ではありません。空港では主に、高校生の働けない時間帯の担当になります。通常の業務ではひとつの便に対して二人態勢、事故を防ぐための『祈り』では、人数が多ければ多いほど効果が高まると言われています」
「ご名答」
つっかえつっかえなんとか話すと、拍手をもらった。
「――それでも事故は起こる」
その言葉は、穏やかなのにひどく重たい。
「……はい」
「飛行機の運航において、完璧とか絶対とかは存在しない。だからこそ、きちんと整備した上で、見えない『力』が必要なんだ。……てか、『祈り』なんてうさんくさいネーミングだからよくないよな。『特飛能』も意味不明だし、飛行補助ってちゃんと言えばいいのに」
「それだと高校生の心に刺さりません」
「それだよなー。人材は確保しないといけないから、『祈り』ってのは採りたい層に向けてる言葉としては最適なんだ……。でも自分としては、言葉は刺さるより寄り添うものでありたいけどね」
「うわ、詩人だ~」
私がちゃかすと、案内さんは「よせよ」と照れた。
案内さんが高校生の頃、自分たちと同じく『祈り』を担当していたことは、日影君に聞いて知っている。
――大きな飛行機事故を防げなかったことも。
今でも、時折ニュースや何かで取り上げられるほどの惨事。一〇年に一人の逸材とされた(って日影君が言ってた)案内さんの力を持ってしても、あの事故は防げなかった。
着陸時にバランスを崩した機体は、地面に叩きつけられて炎上した。
生きて帰ってこられた人はごく僅かだったそうだ。
それでも、あの程度で済んだ、と見るべきか、案内さんがきちんと力添えしていなくてああなってしまったのか。今となっては分からない、と、ネットで読んだ記事はそう結ばれていた。
精神的及び肉体的ショックがトリガーになって能力が失われることはままあることだ。
案内さんは、事故のショックで能力を失うことにはならなかったものの、『祈り』を行使しようとするたびひどい体調不良に襲われてしまい、能力を喪ったも同然になった、そうだ。
それでもまだここに居るのは、案内さん自身が望んでそうしたのだと聞いている。
飛行場で働く人はもちろんみんな、飛行機の無事のフライトを願ってる。その誰よりも、案内さんは安全な運航を望んでいるんじゃないか、なんて思う。
バイトがお休みで家でのんびりしてた日曜の午前中、空港から電話があった。
いつも業務連絡はメッセージなのに珍しい、と思いつつ「もしもし」と出る。
『ああ、飴屋さん、今いいかな』
「あ、はい」
案内さんの声が、電話だからか、やけに硬く聞こえた。
『さっき、能力庁を通じてこっちに緊急連絡があった。『夢見』から、今日の夕方の便のどれかで、事故が起きる可能性が高いと報告が上がってきたそうだ』
「――!」
思わず息をのんでしまう。『夢見』から連絡が来るというのは、大きな災害に発展しかねない事案であることを意味する。声が硬く聞こえたのは、そのせいか。
それでも、案内さんの口調はあくまで淡々としていた。
『もちろんそれが飛行場から離れたエリアで飛行中のことなら、力添えの出番は残念ながらない。が、離発着時も含めてという話だった。なので、今日はできるだけ人がほしい』
「分かりました、すぐ行きます」
『ありがとう、助かります。気を付けて来てください』
メイクもそこそこに駆けつけると、いつもの部屋には知ってる人も知らない人もたくさんいて、そんな場合じゃないのになんだかパーティー会場みたいだった。
どうしよ、と思ってたら日影君が「お、飴屋さん来た」と手招きしてくれたので、見慣れたメンバーのいる方に行く。
「噂には聞いてたけどほんとにあるんだな、『夢見』のお告げ」
「うん……」
みんなが緊張した面持ちの中、日影君はぐびっとペットボトルの炭酸を飲んで「ま、俺らは俺らがやることをやるしかねーわな」と言った。
「うん、そうだね」
私たちがやるべきことを、しよう。




