夢見とねじまげ
人によって備わってる能力は違ってて、そのどれもが素晴らしいんですよと先生は言う。
でも私は、そんなのきれいごと、って思う。だってそうじゃん。
地味ーにたまーに正夢見る(しかもどれが正夢になるかの選択権はない)自分より、跳力に恵まれた友人の方が実生活で色々と役に立ってるしかっこいい。
「えっでも葵ちゃんの夢のどれかが現実に起きるんでしょ、どれかなーってわくわくするじゃん」
「んーでも、ゲリラ豪雨の夢見たから傘持ち歩いててもちっとも降らなかったり、かと思えば電車が動かなくなっちゃう夢をスルーしてたらそれが現実になったり、わくわく成分は低いかな……それより、うみちゃんみたく遅刻しそうになった時に電柱の上をポンポン跳んで行ける方がいいよ」
「あんまスピード出してるとおまわりさんに怒られちゃうけどね。あと下にいたおっさんにスカートの中見られたり。スパッツ履いてるっつーの」
「あー」
同意のような相づちをうってはみたけど、やっぱりそっちの方がうらやましいなあ。
自分のこの、能力というにはささやかすぎだけど、ないよりはまああった方がいいかな……くらいの『夢見』に、メリットがないわけでもない。ただの夢でも正夢でも、悪夢を見ないから。たぶん、そこまでエネルギーの大きい夢は自分では抱えきれないんだと思う。
夢見のスペシャリストの人たちみたいに災害や不幸の正夢を自分が見ることはないし、見たのが正夢かそうでないかの判断はすぐにはできない。そして、見るのはローカル局でも取り上げられないようなものばかりだ。正夢にならない方のただの夢は、もうちょっと派手でもいいのにね、なんて、ないものねだり。
たとえば、ベタだけど油田王に見初められるとか? 宝くじが当たるだとか? うーん、自分とかけ離れすぎてて今一つときめかない……。
そうだな、地味街道まっしぐらな私には、一軍なのに誰にも優しい男の子と付き合う、くらいがちょうどいいサイズの『いい夢』だな。
そんなことを思っていたせいか、その晩は他学年の男クラの、かっこかわいくて性格もいい男の子と楽しくおしゃべりをする夢を見た。目が覚めたあと、私の夢なんかにご登場いただいちゃって申し訳なかったなあと思いつつも、飲み終ったストロベリーティーの甘酸っぱい匂いがほんのり漂っているみたいにふわふわいい気持ちは、私の中で長く続いた。
でもそんな、せっかくのいい気持ちはお昼でぶつんと断ち切られた。だれだって、衣替えしたばっかりの制服をびしょびしょにされたら気分がだだ下がると思うんだよね。
学食で限定の日替わり定食をゲットしようぜ! ってうみちゃんと二人して意気揚々と廊下を歩いていたら、「わーっ!」って慌てた声がすぐうしろから聞こえてきた。なんだなんだって思った直後、背中にものすごい圧力と冷たさを感じた。えーと? 水? が? どどどどって当たっている?
「葵ちゃん!」
いったい何が起きたのか分からない私を、うみちゃんがとっさに抱きかかえて跳んでくれたから、被害は最小限で済んだ……と思う。それでも、水をもろにくらった背中から下は、ドラマや映画でしかお目にかかれないくらいの、なかなかのずぶ濡れだ。なんてこった。
振り向けば廊下の水飲み場のカランが外れたとこから、CGかと思うほど気前よく水が溢れて、あたり一面に撒き散らかされていた。その原因らしき、外れたカランを持ってる男の子はすっかりおろおろしちゃってる。職員室に近かったから先生たちがすぐに駆けつけて、カランの子を叱ったり、栓を閉めたり、モップで拭き取ったりしてくれて、ちょっとした騒ぎはそのまま終息した。
「びっくりしたねー」
「ほんと。ああいうのを正夢で見ておきたいもんだよ」
「見なかったのか」
「見てたらこんなんなってないよ」
ノーガードだった私は当然ぬれねずみだし、私より少し前を歩いていたうみちゃんは、本来なら被害がなかったはずなのに、私を抱えてくれたからこちらほどじゃないにしてもそれなりに濡れてしまっていた。
「ごめんねうみちゃん、あとありがと、避難させてくれて」
「いーんだよそんなの、それより早く着替えないと二人とも風邪引く。ロッカーからジャージ出さなきゃ」
「でも私、体育着もジャージも昨日の体育で汚れたから持って帰っちゃって、今ないよ」
「んー、じゃあ葵ちゃんは誰かの部ジャーでも借りるか」
そんな話をしつつ教室に戻りかけると。
「ジャージ、貸しましょうか」
男の子にしては高い、でも女の子に間違えられるほどじゃない声を、さっとかけられた。うみちゃんと私で振り返って、その声の主の姿を見て、――思わずフリーズしてしまう。
「ほんと?」
うみちゃんが固まってしまった私の代わりに「助かるーじゃあこの子に貸してくれる?」と返すと、声の主の男の子はニコリと笑んだ。
「二年の男クラなんで、五階までいっしょに来てもらわないとですけど」
「いいよいいよそんなの全然行くよ、ね、葵ちゃん」
「あ、うん、ハイ」
親切に声をかけてくれたのは、昨日の夢に出てきた男の子だった。――まあでもだからって、正夢とは限らないわけだし。うん。
親切なこの男の子を、私が一方的に知ってて、一方的に心の中で愛でまくっているなんて、向こうはまったく知らないんだし。
彼は私の動揺も知らずに、「名乗りもしないですいません。二年の、初瀬です」と自身の教室に向かいつつ挨拶してくれたけど、当然知ってます。
何かコメントしたらばれてしまいそうで無口モード続行中の私の隣で、うみちゃんがぱちんと指を鳴らす。
「しってる! よく校門のところであいさつ運動してるでしょ」
「はい、生活委員なんで」
それも、知ってます。
四週に一週、彼は他の生活委員や生徒会役員といっしょに校門に立って、『おはようございます』と少し高めのかわいい声と、控えめな笑顔を振りまく。
私はその週をラッキー倍増週間と名付けていて、なるべく体調を崩さないよう気を配りつつ通学して、きっちり五日分(土曜授業があればさらにラッキーで一日増し)彼を堪能すべしと定めているほどだ。
もうね、アイドルに夢中なファンみたい。あの『おはようございます』、私に向けて言ってくれたよね! 私の方見たよね! キャー! なんて心の中で朝から大騒ぎです。実際は、もっと下世話なことを考えてるけどそれはまあ秘密ってことで。
「生活委員だから葵ちゃんが困ってるのも見過ごせなかったのかー、えらいえらい」
うみちゃんに褒められて、ニコリと笑うその顔。ああ、かわいい。かわいいよ……!
思わずベストの胸のあたりをつかんで「うぐう」と変な声を漏らすと、うみちゃんは「葵ちゃん、お腹すごい音鳴ったよ、ジャージに着替えたら早く食堂行こうね」と斜め上な心配をしてくれた。
「どうぞ」
「ありがとう。明日、洗ってきれいにしてからお返しするね」
「はい、待ってます」
もっとちゃんと何か伝えたかったけど、初瀬くんは「お腹空いてるんですよね、引き止めてすいません」なんて言って、気まずくならずにその場を離れやすくしてくれた。自分らの学年の階に戻って、トイレでさっそく着替える。わあ、ぶかぶか。初瀬くんそんなに高身長でもそんなにムキムキでもないのにね。
知らないおうちの匂いをかぐ。なんか、勝手に初瀬くんちを覗いたみたいな気になったのですぐやめて、トイレの外で着替えを待っててくれたうみちゃんに「おまたせ」と声をかけたら、ぶかぶか具合をめっちゃ笑われた。
「いやーでもよかったね葵ちゃん、ぶかぶかとはいえジャージ借りれて」
「うん、ほんとよかったよー」
たぶん正夢じゃないと思うけど、でも一方的に憧れてた後輩くんに親切にしてもらえて嬉しいな。
その晩、単純な私はまた初瀬くんの夢を見た。
あおいさん、とあの少し高い声で呼ばれて、手を繋いで、――いやいやいや。
願望がひどいので、以下自主規制。
「ジャージありがとうね、すっごい助かった」
洗濯済みのジャージを持って行ったら、「どういたしまして」と、またあのニコリをくらった。くぅーっ! 見惚れてしまうわい。
でも心の赴くまま見惚れるわけにもいかないので、早速本題に入った。
「でね、これお礼なんだけど……」
渡したのは、ギフトカード。額はめっちゃささやかだけど、ファミレスでも本屋さんでもスポーツ用品店でも使えるからいいかなあって。
「わざわざありがとうございます」と初瀬くんはヘンに固辞せずに、差し出したものをすっと受け取ってくれた。おぉ、スマートだなあ。
そう感心したのが聞こえたみたいに、ふっと小さく笑まれた。わ、かっわいい……!
やばいやばい、アイドル相手にガチ恋したらあかん。そう思った私が「じゃあ、これで!」とそそくさと立ち去ろうとすると「あの、今日、これ使っていっしょにお茶しませんか」と包装から出されたカードを指でヒラヒラされた。
「へ」
「テスト前期間で部活ないし」
「あ、まあ、そうだけど」
「じゃあ昇降口で待ってます」
「へ?」
「そろそろチャイム鳴りますよ、教室戻ってくださいね」
「あ、うん、でも、」
「じゃあ、あとで」
有無を言わさないニコリは、かわいいのになんだか迫力ありまくりだった。
結局、お世話になったのは確かだし……とお誘いは断らず、昇降口で待ってた初瀬くんと連れ立ってファミレスへ行った。でも。
「ちょっと強引じゃない?」
冷静になった私が苦情を申し立てると、初瀬くんは「そうですね」とあっさり認めた。
「なんなの、もー……」
こっちはガチ恋勢にならないようにしてるっていうのにさ、そっちからぐいぐい来たら意味ないじゃん。
そう思いながらも季節限定白桃パフェはおいしくって、うっかり和んでしまう。そしたら初瀬くんは、パフェにのってた桃がより一層甘くなるんじゃないかって思うようなニコリを、小さいテーブルの向こう側から繰り出してきた。やめてくれー。
「あ、あのさあ」
そのあとに続く言葉もないままとりあえず話しかけると、「僕、『ねじまげ』なんですよ」って唐突に告げられた。
「えっ」
それって、『夢見』の見た夢を意図的に改変して、正夢に仕立て上げるってやつだよね。たしかそのスペシャリストは、要人のリスクを減らしてるって噂だ。あくまで噂止まりだけど。てことはつまり。つまり……?
「それでね、葵さんの本来の夢だと、葵さんの隣のクラスの奴と」
「ちょ、やめてやめて言わないで!」
『ねじまげ』は、あくまで公的な使用に限られているはず。正規の手続きにのっとって発動されたのではない能力を人に聞かすな! 私も共犯になっちゃうじゃないか!
耳を塞いでそう抗議したら、口に両手を当てて『ハッ』ってするとか、本当にほんとうにこの子はあざとかわいい……!
思わず緩んでしまいそうな頬を一生懸命そうならないようにして、私は「そんな私的理由で行使しちゃって許されるもんなの?」と渋い顔で聞いてみた。
「許されないですよ、だから能力庁に申告して能力吸い取られたから、『ねじまげ』としてはもう非能力者」
「そこまでするってなんなの……。こんなことに使わないで、もっと人の役に立つことすればよかったのに……」
「でもほら、あくまでねじまげられるのって人が人にどうこうする事柄だけで災害レベルには太刀打ちできないし、だったら偉そうなおっさん助けるより葵さんの方に使った方がいいなあって」
「いやよくないって」
仮に、私のことが好きだったとしてだよ、付き合うだとか好きだとか言い合う仲になったところでいつかは別れるでしょ、早ければ一週間とか三ヶ月とかで。それくらいのものになんちゅうハイリスクな……。
「でも欲しかったんだもん」
欲しかったって、アンタ人をモノみたいな言い方して……。
「だってしょうがないじゃん」
何がだよ。ってか。
「なんで人の心のひとりごとに、いちいち的確につっこむわけ???」
「あっ、ぼく複合能力者だから、あと『遠見』と『覗き見』あるんです」
未来予知と精神感応かいっ!
「はい」
……ってことは………………。
この子が校門に立ってる日、私いつもなんて思ってた?
高価な骨董品にそっと触れる気持ちで、記憶をおそるおそるなぞってたら、その再生と同じタイミングで、初瀬くんが台詞を被せてきた。
「『あー今日も朝からかわいいわーまじ癒し……』『推しランキング四週連続第一位だわー』『付き合いたいわーでもないわーこんなかわいい子がフリーなわけないしー』『笑顔めっちゃかわいい女装させた』」
「わ――!! もういい! もういい!!」
「嬉しかったのに」
初瀬くんは不満げに漏らした。
「一応僕の名誉にかけて言っときますけど、ふだんは能力シャットアウトしてますからね」
「じゃあなんで初瀬くんに丸ぎこえなのっ」
「そっちが、せっかく張ってるシールド突破してきてぐいぐい聞かせるんですもん」
「は?」
「まいにちまいにち勝手に人の心を占有してくれちゃってさ、なのに『遠見』で葵さんの夢を『覗き見』したら、他の男と付き合うとかありえないでしょ? だったらねじまげちゃえって、そうした」
「い、意味わかんないんだけど……?」
思わずドンビキした私に向けて、天使的スマイルで初瀬くんはニコリと笑う。
「僕、毎回楽しみですよ、校門当番。今日はどんなこと言ってくれるかなーって予想するんだけど、ぜったいその上を超えてくるんだよね葵さん」
そう言いながら、距離を詰めてくるのは何でなの怖い。
通された座席はつの字を描くようにカーブして繋がっていたから、じりじり近づかれてその分また逃げて、でもこれ以上逃げたら席からお尻が落ちるところまで追いつめられてしまった。
「そんなに怖がらないでよ、取って食われるわけでもないのに」
人の本来の恋路をぶち壊して横入りしておいて、この子は何を言ってるのかな?
これが聞こえてないはずがないのに、初瀬くんは私がそれ好きって分かっててふたたびニコリを繰り出してきた。
「大丈夫、きっと僕たちうまくいきますよ、てか、うまくいかなくても、『遠見』と『覗き見』駆使してどうとでも修正するし」
「こっわ……」
思わず漏れ出た心の声を聞いても初瀬くんは嫌な顔ひとつせずに、「好きです、付き合ってください」って、極めてまっとうに交際の申し込みをしてきた。
頭を下げて、まつ毛を伏せて。
この子の見た目が好みじゃなかったら、ここまで魅かれなかっただろうか。
そもそも、この子をまだ私、上っ面でしか知らないんじゃない?
好かれたからいい気になって、
「いーから早く『はい』って言ってよ」
ひくつモードに片足踏み入れそうになった瞬間、初瀬くんが頭を下げたままのところからそう発言した。
その声がね、また拗ねててかわいくって……、
「……いいから」
あっ初瀬くんたらまた勝手にばんばん『覗き見』使って。てか、私がシールドをぶち破ってるんだっけ? 私すごくない? 今のところ初瀬くん限定だけど『覗き見』のシールド破りの能力ありって申請してみる? でも申請するのもけっこうお金かかるしなあー……。
考えがちょうちょみたいにあっち行ったりこっち行ったりふらふらな私が、「はい」と言えたのはそれから三分くらい時間がかかったわけなんだけど、初瀬くんはちゃんといい子で待っててくれた。
あーかわいい。まじ癒し。
「ねーそれ、まだ言う?」
照れた顔も、よき。




