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あなたに好かれるいきもの

 猫になりたいと思った。あの人は猫が好きで、大学の構内に住み着いている野良と戯れているのをよく見るから。

 それで、好きな姿に変身できるという触れ込みの粉薬を通販で買った。私より先に友人が使っていて、その効果については彼女のお墨付きのもの。注意書きにざっと目を通して、怖じ気付く前に一息に飲む。


 少しして、世界がぐんと大きくなった。のではなく、私の体が縮んだ。試しに声を出してみたら「ニイ」って高い声で鳴いた。足元に目をやる。柔らかそうな毛に包まれた小さな四つ足と、しっぽ。

 つまり、ちゃんと薬の効果があったってわけだ。ちなみに着ていた服はそのまま体の模様になっていた。よかった、白いシャツワンピースで。もし今日のチョイスが花柄だったらと思うと、ちょっと怖い。


 彼の一人暮らしのアパートのドアの前で、彼の帰ってきたタイミングでちいさくニイ、と鳴いた。どうみてもペット可な物件じゃなさそうだったから、声を潜めて。

 彼は猫の私に気づくと、しゃがみこんでじ―――――っと私を、いや、猫を見つめた。そしてふわりと笑う(そんな優しい顔、人間の女には見せないくせに!)。

「なんだお前、どしたの? 行くとこないの?」

 のばされた指に頭をすり寄せる。すると彼は私をひょいと抱き上げ、「しょーがねーなー、一晩だけだぞ」と中に入れてくれた。


 そのワンルームには、前に一度来たことがある。ゼミの飲み会の後、終電終わっちゃった組を、冷水(れいすい)君は今のよりもっとそっけなく「しょーがねーなー」と言って、それでも全員を朝まで泊めてくれたっけ。

『うちをたまり場にされると困るから』って、彼がゼミ飲み会の二次会に参加したのはそれっきりだったけど、でも嬉しかったな。

 だれだって、好きな人のおうちは嬉しいものだから。


 あのときと変わらない、半年経っても同じお部屋。間違い探しにもならないくらい。

 覚えてるよ私、出してきてくれた折り畳みの椅子の脚がガタガタしてたこと。

『ごめんね』って彼が言ってくれたこと。

『ううん』って私が返したこと。

 淹れてくれたコーヒーは熱くてちびちびとしか飲めなかったけど、苦くておいしかったこと。


「どうぞ」

 平たいお皿で出されたのは、温められた牛乳だった。

「ほんとはコーヒーがいいかもだけど、猫だしね」と私を、いや猫を優しく優しく見つめる。

 いただいた牛乳は、ほんのり温められていて猫じゃなくても猫舌な私にちょうどいい。

「おいしい?」

「ニイ」

「素直でよろしい。あーいい匂い」

 牛乳を飲み終えると、私のお腹のあたりに鼻を埋める彼。これも、猫だからできるスキンシップだ。こちらからも鼻キスをして、また至近距離で笑ってもらえた。


「こっちおいで」と呼ばれて、彼と同じお布団で眠った。冷水君は、寝付くまでずっと私を撫でていてくれた。寝息が私の毛をそよがす感覚を楽しんだ。夜目が利く猫の目で、灯りを落とした部屋で眠くなるまで彼の顔を眺め続けた。

 ――それでも心は、満足しなかった。

 猫はかわいがってもらえるけど、それだけだもの。



 まどろんでいる中でもわかるくらい、あったかい抱き枕の感触は最高だった。なんと、私がすり寄ると優しくおでこにキスまでしてくれるのだ。最近の抱き枕ってすごーい、と思った直後、そんなわけあるかいとセルフつっこみを入れて目を覚ます。と。


 目の前に、大好きな人の顔があった。ひゃあ、とパニックを起こしかけて、それから思い出した。変身薬を使って猫になったこと。

 ――あれ、でも、今私、ふつうサイズじゃない?

 とっさに手をみたら、それは人間のものだった。でも指は自分よりシュッとしていて、爪も綺麗に伸ばされ、大人シックに彩られてる。そして着ていたシャツワンピースは、やたらと胸がきつい。

 ベッドから見えるところに置いてある鏡に映った私は、ぜんぜん別人のセクシーお姉さんになっていた。ってなに、変身って一回じゃないの?!

 あわあわしながらベッドを降りようとしたら「……どこ行くの」と少々かすれた彼の声が追いかけてきて、半分降りかけていた腰に腕を絡めてきた。そのまま引き寄せられて、彼の胸に逆戻り。

「ひゃあ!」

「……も少し寝てようよ、……ん?」

 だんだんはっきりした彼の声が背後から聞こえてくる。やばいやばいやばい。

 猫だから、入れてもらえたのだ。猫だから、同衾が許されたのだ。元の私だっておんなじゼミってだけなんだからきっと叩き出されるだろうけど、見ず知らずのセクシーお姉さんも不機嫌顔で追い出されるに違いない!

 ――そう、思っていたのに。

「なんだ、今度は女の人になったの……」と変身した姿に意も介さず、彼は巻き髪に顔を埋める。

「あー、いい匂い……」

 ひょっとしてこの人は、匂いフェチなのか。

 そう思いつつ、身じろぎできないまま、朝を待った。


「おはよ」

「おはよう、ございます」

 彼は私より先に起きていて、あの後うっかり寝てしまった私が目を覚ますとこちらをじーっと見ていた。私は寝る前と同じに、セクシーお姉さんだ。いつもの自分が着ると膝丈のそれは、いろいろとサイズアップされたこの姿ではかなりきわどい丈になっていて、ぶっちゃけ彼シャツ状態に近い。どうしても隠しきれない膝上をそれでも隠そうと、シャツワンピースの裾をぎゅうぎゅうと下に引っ張ってみたけど全然だめだった。いたたまれなくて、彼に背を向ける。すると。

「猫からその姿になったってことは、こういうことを望んでるってこと?」と、冷水君はシャツワンピースの裾から手を入れて、脚を撫で上げた。

「!」

「猫扱いじゃ、もの足んなかった?」

 聞いたこともない、甘いような、怖い声が、巻き髪をのけて露わにされた首筋に這う。

「え、」

 とまどっていると、彼は横向きに寝ていた私を仰向けにした。冷水君の手足で閉じ込められるかたちになって、見下ろされる。

「俺、怒ってんだけど」と、ちっともそんな風に聞こえない声で言われて、それでもその言葉は本心だとわかった。

 ――猫のふりしてだまして、まんまと部屋に上がって、大人の女の人になって、それで好きな人を怒らせてる。

 ぶわっと、ダムが決壊したみたいに涙が噴出すると、それは左右の目尻から耳に向かってだーだーと流れ始めた。

「おい、」

「ごめんなさ――――い――!」

「……まじか」

 甲高い声で泣き叫ぶ私は、ぶかぶかのシャツワンピースを着た小さい女の子になっていた。


「いいかげん泣きやんだ?」

「は、っい、」

 泣きすぎたせいで、まだ時折、ひく、と不随意にしゃくりあげてしまうけど、涙はもう止まっている。

 重たい瞼には、濡らしたハンカチにくるまれた保冷剤を当ててもらっている。それを持つ彼の指が動くたび、眉毛や頬骨に当たった。

「ったく、人を試すようなことさんざんするくせに、俺がちょっと試したら泣いて幼女になっちゃうって」

 そう言って、ぷ、と笑う気配。

「……ご、めんなさ、」

「いーよ、そういうめんどくさいの、大歓迎」

 その言葉に、小さな小さな胸が痛む。めんどくさいヒトが好き、ですか。


 持ってて、と言われて保冷剤をバトンタッチされた。少しして、ことりと何かがテーブルに置かれる音がした。コーヒーの匂い。

「その見てくれだから、とりあえず牛乳とお砂糖入れたよ」

「いただき、ます」

 保冷剤を横に置いて、カップを両手で包んで一口飲む。程良くぬるい。

「おいしいです」

「素直でよろしい」

 ようやく満足げな声と表情を引き出せて、すごくほっとした。


 コーヒー牛乳を飲み終えると、彼はテーブルの向こうから身を乗り出して、私のおでこのあたりに鼻を寄せた。唇の代わりに、そっと触れる息――キスされるのかと思った。

 びくっとしたら「幼女にキスする趣味はないよ」としかめつらされた。

「でもあんた、幼女でもいい匂いだね」

 やっぱり、匂いフェチなのかもしれない。

 そう思ってじーっと見つめていたら、「早く元に戻んなよ」と言われた。

「……えと、私のこと、わかるの?」

「もちろん。同じゼミの御倉(みくら)さんでしょ」

 なぜだかわからないけど、コレの一連のどれもが私だと言わんばかりのリアクション。それが看破されたことも驚きだけど、この状態を彼がどうやら受け入れているらしいことも驚きだ。

「ごめんなさい、自分のことなのに私もいつ戻るかわからなくて」

 説明書き、ちゃんと読んでおくんだった。しゅんとしていると、「その姿で落ち込まれると、おれがやたらひどい大人みたいだからやめて」と困られてしまった。

「まあ、いいんだけどさ」

「!」

 彼は、私のぶかぶかなシャツワンピースの太股にごろりと頭を乗せた。でも、「膝枕……もなんか虐待みたいだな」とすぐに頭を上げてしまう。

「じゃあ、御倉さんがこっちおいで」と、あぐらをかいた彼の膝にころりと転がされて、横にならされた。――っていうか。

「え!」

 ぴょこんと起きあがると「おもちゃみたい」と笑われた後、また膝枕に戻される。ぽんぽんと、頭や背中を行き来する大きな手。

「最初っからわかってたよ。匂いが、御蔵さんがいつもうっすらつけてる香水と同じだったし、何に変身しても目は吸い込まれそうに真っ黒でくりくりしてるし」とあっさり種明かしをされた。

「あの、いろいろごめんなさい」

「雑な謝罪だなー」

 辛らつな言葉とは裏腹に、頭を撫でる手は優しい。

「嬉しかったよ、俺んとこに来てくれたの。おねえさまモードはちょっとヤバかったけど」

「ご、」

「謝るの禁止」

 それをまた謝りかけて、笑われた。

「ここにみんなを泊めたときにも、あんた一人でそうやって謝り倒してたよね。『遅くに大勢でお邪魔してごめんなさい』って言って、気持ち悪くなってた子を介抱して『ごめんねトイレ占領しちゃって』って言って、いびきすごい奴の心配して、『冷水君がうるさいって他の部屋の人におこられちゃうね、ごめんね』って申し訳なさそうにしてさ。ちょこちょこちょこちょこ動いて、コマネズミみたいでかわいかったな」

 コマネズミはちょっと複雑だけど、そう言ってくれた冷水君の目はとっても優しかった。猫の姿を見つけた時くらい。

「元に戻る方法ネットに上がってねーかなー」と彼がスマホを弄り始めてから、勇気を出してみた。

「き、」

「き?」

「すとか、……王子様のキスは、魔法が解けるもの、だから」

 私が恥ずかしいのを堪えてそう進言すると、彼は「幼女にキスする趣味はないんだけどなマジで……」と言いながらも、唇を寄せてくれた。


 結局、それでも幼女姿は変わらなかった。

「あーもー俺ただの変態じゃん」と笑う冷水君と、「本当にごめんなさい」と涙目で謝る私。

「幼女の御倉さんにそうやって謝られると謎の罪悪感に苛まれるからやめて」

「でも……」

 思わず俯いてしまう。

「めいわくばっかりかけて」

「いーんだよ。めんどくさいの大歓迎っつったろ。好きな女の掛ける迷惑とめんどくささはかわいいだけなんだよ」

「!」

 めんどうな女の人が好き、なんじゃないんだ。そっか。そっか……嬉しい。

「もういいじゃん、そのうち戻るよ。それまでうちいてもらっても全然いいし」

「それは駄目だよ」

「幼女のくせに冷静だな」

 なまいき、って笑う顔が、あんまりにも優しくって。

「だいすき」と思わず呟いてた。

「おう」

「……き、聞こえてた……?」

「ばっちりな」

「!」

「落ち着け落ち着け」

 わ――――っ! と叫び出したかったけど、一歩早く冷水君に口を塞がれて、その上抱きとめられてしまった。

「恥ずかしー! って走って、今度は何になるつもり? チーターとかになっちゃって街に飛び出されでもしたら、さすがに俺もどうしようもないよ」

「……はい」

「落ち込まないでいいし謝んなくっていいけど、早く俺、御倉さんに会いたいわ。猫もお姉さまも幼女もいいけど、御倉さんが一番」

 そう言われて、単純な私は元通りに。だって私、冷水君に好かれる生き物になりたかったんだもん。

 現金、って笑ってるかな――わあ。


「おかえり」

 見上げた冷水君の表情は、猫の時より幼女の時より、ずっとずっと優しかった。

18/6/25 誤字訂正しました。

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