プロローグ
目の前は全て紅
足元でこちらを見て震えている少女。
その少女の髪も紅い・・・。紅い髪が周囲に溶けてしまって見えるためか、髪型がよくわからない。
その目は最大まで開かれており、その色は“恐怖”を体言している。
僕は何事かをつぶやき、足元の少女に手を伸ばす。
少女はその声が聞こえたのかびくっと体をすくませ、更に僕から逃げようともがく
それが紅の最後の記憶
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「起きなさい」
うららかな春の日、昔の偉い人は言いました。「春眠暁を覚えず」
いい言葉だと思う、やはり春は惰眠をむさぼり心の赴くまま欲求を甘受するのがその生物としての
生きる道ではないだろうか。いやそうに違いない。
来るべき災いを知りつつ、一時の快楽に身を委ねるための理由を考えながら僕は更に
布団にもぐりこむ。
「・・・起きなさい・・・って、わかっててやってるんでしょう」
布団越しにくぐもった声が聞こえる。
ああ、惜しむらくはこの悦楽の時間が後数秒で終わってしまう事だろう。だが、しかし人は
最後まで抵抗するものだ。と僕のおじいちゃんも言っていた。
「・・・いい加減に起きんか!このぐうたら息子―――!」
がばっと布団が跳ね上げられ、エデンを追われたアダムのごとく。僕は早朝の外気に浸された。
ひんやりとした空気に急速に意識が覚醒していく。
ここで目を開ければ、隣に住んでる美少女な幼馴染が起こしに来てくれているといった世界が
どこかにあるのだろうが、どっこい現実は甘くない。
生まれて17年付き合ってきた麗しき母の顔が待っている。しかも微妙に怒っている。
「やぁ、母上、ご機嫌麗しく存じ上げます。ついてはもう少し惰眠をむさぼりたい故に
そっとしておいてくだされ。学校にはいじめによる登校拒否とかなんとかでよろしく」
と、正当なる理由を伝え、再びエデンを目指すために跳ね上げられた布団を探す僕。
「うるさい、ご飯食べてさっさと 学 校 行 き な」
何故か更に怒りのテンションがあがった母親が何かを我慢するように僕に告げる。
これはやばい、これ以上変な事を言うと別の意味で登校できない身体にされてしまう。
「あいよー・・・・ふあ」
仕方なく僕は布団から起き、身体を伸ばして意識と身体を覚醒させようとする。
目に映るのは、多分年齢50歳は超えるだろうと思われる母の姿だ。
祖父が外人とのハーフだからだろうか、少し薄い茶色の髪をソバージュにしており、
日本人には珍しく目鼻立ちがくっきりとしている。
若いころは美人だった。とは母53歳の言葉である。
しかし、上下紺のジャージ姿で化粧していない母親の姿は、なんというか美人云々以前の問題
のような気もする。
僕が起きなかった事で少し怒っている。
毎日の事なんだから1回ぐらい本当に休ませてくれてもいいんじゃないか。とも思うのだが、
今まで一回も成功した事がない。
そんだけ怒るとシワが増えるぞ
「今、変な事考えてたでしょ?」
心のうちを読まれ慌てる僕
「いや、そんな事はないですよ。おはよう。母様。今日もいい天気ですね。」
「はいはい。顔洗ってご飯食べて学校行きなさい。」
いつもながら優しいのか厄介払いをしたいのかよくわからない対応を返す母。
しかし、騙されてはいけない、彼女は53歳
「・・・なーんか、むかつくのよねー・・・無益やっぱり何か変な事考えてるでしょう?」
何か納得いかないような顔で、僕から取り上げた布団をたたみ、端に積んでいく。
「さて、今日のご飯は何かなー?」
さらりと大人の対応で流す僕。うん、いつもの光景だ。
部屋の扉を開け、外に出ると4月とはいえまだまだ寒い早朝の外気が身体を刺す。
うちは酒屋をやっており、1階が店舗。2階がリビングと両親の部屋。3階が僕の部屋と
倉庫になっており、食事を食べるには一旦外に出て階段を降り、2階の扉を開けて
入らないといけないのだ。
ちなみに屋上に掘っ立て小屋があり、祖父が住んでいる。
「うひー、まだ寒いや」
コンクリートの階段を下りつつ、上を見上げるとおじいちゃんが屋上でひとりラジオ体操
をしていた。しかも何故かラジオ体操第二だ。第一はどうした。
「よー、むー坊、今日もいい天気だな。」
おじいちゃんは寒そうに身体を丸めながら階段を降りる僕に声をかけた。
「おはよー、おじいちゃん。朝から元気だねー・・・ダンピールなのに」
そう、我が一家には他人には言えない秘密がある。
僕のおじいちゃんのお父さん。つまりひいじいちゃんはあの有名な吸血鬼であり、
おじいちゃんはその吸血鬼と人間との間に生まれたハーフヴァンパイア、すなわちダンピール
というわけだ。母さんはダンピールの娘だからハーフダンピールで、僕はその息子だから・・・・
クワドロプルダンピールとでも言うのかも知れない。
それゆえ、うちのおじいちゃんは80歳を超えようとするのに見た目は20代にしか見えない。
ちなみに母も見た目だけは女子大生と言ってもおかしくない。
「おじいちゃんの子供でよかったわー、おかげでお母さんはいつでも若いでしょ?」
とは子供の頃から今もよく聞かされる母53歳の自慢である。
吸血鬼は怪力や変身能力、そしてその名前のとおり血液を主食として生きるらしいが、
少なくとも僕は血が好きではない。
それに吸血鬼の一族とは言っても、1/8しかその血が流れていないわけでその能力は
普通の人と変わらない。
自分が吸血鬼の血が流れているんだなと自覚するのは、血を見ると目が紅く変わる事と、
その間は少しだけ力が強くなる事ぐらいだ。
しかも、力が強くなっても構成体は人間なわけだから大体その力に負けて自分が怪我をする。
そういうわけで、友達にも自分の出自は隠している。
・・・まぁ正直に言っても信じてくれるわけじゃないしね。
ともあれ、そんな半端な僕に比べれば吸血鬼の血を強く引くおじいちゃんことダンピールは、
もっと、こう・・・化け物に近いはずなのだが、屋上での姿を見る限り元気に朝日を浴びて
ラジオ体操をしているただの健康優良な白人兄ちゃんにしか見えない。
・・・それでいいのかハーフヴァンパイア
「ついでに先に言っておく。学校いってきます」
後でまた声かけられるのも面倒なので先に「学校いってきます」の挨拶をしておく。
そこら辺の挨拶は祖父の教育は厳しい。
「おう。いってらっしゃい。それとじいちゃんまたしばらく旅に出るから。
いい子にしてるんだぞ。」
「あいあい。気をつけてね。」
最低限の挨拶だけ交わして、少しだけ冷えた身体を温めるべくさっさと2階の扉を開ける僕。
・・・ん?旅行?・・・ま、いいか。どうせいつもの事だし。
祖父の旅行宣言も慣れたもので1週間~2年ぐらい突然いなくなる事があるので気にしない。
それに、御近所様に「あら、お宅の屋上に住んでる若い外国の男性は御親戚なのかしら?」
などと変な詮索を入れられるよりいなくなった方がいいとは母親の弁である。
代わり映えのしない日常である。