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 サボっていようが真面目にしていようが、どんなことをしていようが、落第するつもりはないボクにも卒業は次第に近づいている。

 早いヤツなら就職活動をとうに始め、卒業後の目処が立ってるヤツもいることだろう。

 ボクの周りにいる仲間たちもそれなりに動いている。

 広瀬は教員一筋で全くブレがない。

 恵子ちゃんは何か閃いたらしく、コンピューター関連の仕事をしようと決めたらしい。

 田中は明確なヴィジョンを持てないものの、とりあえず就職案内室に顔をちらほら出し、係の人に相談してはいくつかの会社を覗きに行き、自分にできそうなものは何か、何がしたいのか、いろいろと真面目に考えている。

 田中にあるまじき、かつて見たことがない真面目さなので、ボクとしても冷やかすことはなく見守っている。

 田中の頭にはこの先、恵子ちゃんとの将来についての思いもあるだろう。

 田中によると、ボクは会ったことがないけれど、噂に聞いた美人の従姉が「最悪の場合助けてくれるらしい」と言っていた。

 が、田中はことさら強調してこう言った。


── だがな土井、それだけは絶対避けねばならんのだ。


 幸美は演劇を離れる気は一切ない。

 演劇のみで暮らしていくのは極めて厳しいと理解している。


── でもね、元気なうちはなんとしても演劇を続けたいのよ。


 この方針はずっと前から変わっていない。

 近頃は舞台に出るだけでなく、裏方的なことにも興味が出てきたそうだ。

 折を見てよく読んでいる『現代民話考』は、ただ読んで楽しんでいるだけでなく、脚本に仕立て直せるかもしれないと考えているらしい。


── あなたも読んでみればいいのに。


 幸美は読んでる合間によくボクに言う。


── 前にも言ったように、ド素人のボクには演劇関係は無理だよ。

── 一緒に何かできたら最高なのに。


 そう言われてしまうと、ボクは「むむむ」としか返せない。


── 私なら、きっとここから脚本ホンが書けると思ってるんだ。

── そうですか。

── そうですよ、もちろん。


 幸美はクールに答えた。

 要するに、誰もがなんとなく行動しているのではない。


      *


 ところが、ボクにはこれといった展望がない。

 やりたい仕事を考えても、やりたいと思えることがまず浮かばない。

 生活の支えとして何かやらなくてはいけないと思ってはいても、その何かが具体化しないのだ。

 できることは確実にいくつかはある。

 今も続けているバイトもそうだし、過去に幸美と一緒だったバイトだってそうだ。

 他にだっていくつも見つかるだろう。

 だからと言って、できればいいというものではない。

 いくらできるとしても、やりたくないことは続けられない。

 そう思うのだ。


      *


 自分について何がいちばんよいのか、得意なことが仕事につながりそうに思えるのはどんなことか、時間をかけて何度も考えてきた。

 なのに、考えれば考えるほど可能性はこくごとくなくなりつつあると思えた。

 最も自信があるのは、音楽的知識である。

 ただし、リスナーとして、である。

 これを仕事にするとした場合に思いつくのは、真っ先にレコード・ショップだ。

 近頃は大型店が増えたことだし、ジャズやクラシックの知識に強い若者はかなり少ないのではないか、店側からのニーズがあるのではないかと楽観的に考えたりもした。

 しかし、である。

 若者はいないかもしれないが、歳上のベテランは確実にいる。

 ボクが定期的に足を運んでいる店は例外なくそうだ。

 それでも就職するのは無理ではないかもしれないが、楽観できるほど甘くないのは火を見るよりも明らかだ。

 次に思いついたのは音楽評論家だ。

 これも知識がモノを言うだろう。

 とはいえ、どうしたらなれることやら見当がつかない。

 決まったコースが専門学校にでもあるのかもしれないが、例え調べてふさわしい場所を見つけたとしても、不思議なことに、自分にとってそれが最適だとは感じられそうにない。

 理由はよく分からないが、ピンと来ないのである。

 今さらまともに勉強しても、広瀬のように教員にはなれないし、なりたいわけでもない。

 広瀬に続こうとしたら何年かかることやら、気が遠くなりそうだ。

 ちっとも気は進まないが、K教授に言われたように、学校に残るのも選択枝のひとつではある。

 だが、その先にあるのは、Aさんや相田先生を思い出せば分かるように、研究室の手伝いをしながら独自の研究に邁進し、修士や博士を取り、やがては教える側に回り、後輩に当たる学生の面倒を見るようになっていくのだろう。

 とんとん拍子に進むか自分は怪しいし、仮りに自分の真剣さが継続可能なら、向き不向きは別とすればできないこともないのかもしれない。

 そうなるまでにいったいどのくらいの時間がかかるのか、訊いてみる勇気が今のところないだけだ。

 それに、ゼミやテストではいざというときに結果を出せてはいるものの、それはただの偶然であって、運よくうまくいっただけのことにすぎないとも思う。


      *      *      *


 本気でやればもっとできるはずだ、とか、おまえなら成績が上位にいないとおかしい、そう言われたことはこれまでに何度もあった。

 何を根拠にそんな無責任なことを言われなくてはならないのか、自分が納得できるように話してくれた人は誰もいなかった。

 理由を説明してくれようとした人はひとりだけいた。

 確か高2のときの担任の先生だ。

 ただ、熱意は伝わってきたものの、残念ながら肝心な理由がよく分からないままになってしまった。

 遠慮なくなんでも言ってください、そうボクの方からお願いしたのにも関わらず、いくらキミ自身のことでもこれは言えないとかなんとかしているうちに、終わってしまった。

 それはいったいなんだったのか、今や永遠の謎だ。


      *      *      *


 何はともあれ、ボクは無事に大学に合格した。

 面倒くさいと感じつつも、ボクが渋々高校に報告に行くと、高3のときの担任は本気で驚いていたように見えた。

 面談の度に言いたいことを言われて、ボクは馬鹿にされていると思ったものだ。

 ボクが合格するなんて夢にも思わずにいたのだろう。

 ざまあみろ、と言いたいところだったが、いい気なものだと思うにとどめた。

 あの先生より自分の方がよっぽど大人だとさえ感じたくらいだ。

 あの先生によれば、ボクは「たまたま悪運が強かっただけだ」ということになるらしい。

 でもボクはそれなりに成績がよかった。

 これは自分が努力したから、ではなく、両親がボクに都合の良い遺伝子を分けてくれたからだと思っている。

 そうでなければ、ここまで順調に進学できたはずがない。

 その両親を初め、間もなくいろいろあって、ボクは闇に落ち、長いトンネルのような固い殻の中で動けなくなってしまった。


      *


── 決まるまでは現状維持しかないわよ。


 そう幸美に言われたことがあった。

 本当にやってみたいことが見つかるまでは、今のバイトを続けていくのもひとつの選択肢ではある。

 それでも、バイトのままの状況は社会人とは言い切れず、よく見聞きするようになった「モラトリアム」そのものだ。

 自分ひとりだけのことならば、「まあいいか」のひと言で、ボクはそのまま現状維持をなんの迷いもなく続けるだろう。

 けれど、今の自分はひとりきりでいるのではない。


      *      *      *


 大学の入学当初は、どこにも救いがないかのような気持ちで、ボクは孤独という殻に閉じこもっていた。

 それでも田中や広瀬という友人ができ、バスで体調を崩したときはO先輩と共に助けにきてくれた。

 滅多に言葉にしないが、今も感謝している出来事だ。

 そのとき、自分が閉じこもっていた殻には大きなヒビが入ったのだと思う。

 でもなお、殻の外に出ていけるとは思えずにいた。


      *      *      *


 進級すると、後輩だという女の子が突然現れた。

 失礼なことながら最初は男かと思ったが、間もなくとても頼りになる後輩だと分かることになった。

 その後輩がタマキだった。

 自分の人生で初めて「後輩」と認めることができたヤツだった。

 後輩に頼ってどうするんだという自分へのツッコミは続いているが、タマキの優秀さや前向きな姿勢は、頼りになるどころではなく、むしろ自分の方が後輩だと思うほどになった。

 もはやタマキは自分にとってお手本になっている。


── その調子です。


 にこにこしながら、言ってくれたタマキ。


── 笑顔です。


 タマキはボクの殻にヒビを増やし、その一部を壊してくれたのだと思う。

 だから自分は多少なりとも動き始めることができたのだ。

 うまく伝えられたことはないかもしれないが、ボクはタマキへの感謝を失うことはない。


      *      *      *


 そして、ボクには言われたくないかもしれないが、どこまで本気なのかよく分からなかった人、つまり幸美と、O先輩が紹介してくれたバイト先で出会った。

 あとから知ったが、幸美はボクと知り合う前に田中と広瀬、加えてタマキとも知り合っていた。

 幸美によると、学内でボクを何度か見かけていたらしいが、ボクには一切覚えがない。

 それはボクが殻の中にいたからだろう。

 そんな極度に閉鎖的だったボクを気遣ってくれて、O先輩はボクにバイトを紹介してくれたのだ。

 殻を壊さなくてはいけない。

 このトンネルから抜け出さなければ……。

 そう思い始めたボクには絶好のタイミングであり、チャンスだった。

 だからこそ、バスの一件でお世話になったことも含め、O先輩への感謝を忘れたことはない。

 自分は多くの人たちに助けられているのだ。

 そう深く思えるようになっていった。


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