魔法怪盗華麗に登場!
——第一級犯罪者、チャーミー&カレンを知っていますか?
「ああ、もちろん知ってるさ、魔法怪盗の2人組だろ?有名だよ」
——各地に出没していますね。
「そうらしいな。写真にも堂々と写ってるし、かーわいいよなー。俺ファンになっちまったよ」
——実は、その2人がこの町に来ているという噂が立っていますが。
「オイオイそりゃマジかよ。今度は何狙うんだ?」
——そこまではちょっと。あくまで噂ですので。
「そっかあー、是非とも会いたいもんだなー」
——2人組の怪盗ですが、会えるとしたらどちらが?
「んんんー、難しい質問だなあー。赤い髪のねーちゃんは元気だよな。ちょっと跳ねっ返りなとこがイイ、あと胸、ボインボイン。青い髪のコの方はこう、気弱で儚げな感じでさ。俺はオンナにするならこっちの方がいいな。守ってやりたくなるっつーか俺色に染めたくなるっつーか。ナイチチだが尻がイイ。是非ともモノにしてえもんだ、がはははは!」
「……だってさ」
カレンはイヤホンに手をそえたまま、隣の相棒を見た。
「そう言われても……知らないよぅ」
チャーミーは顔を赤くして恥ずかしいような、困ったような顔で隣の相棒に答える。
町中の宿屋の一室にこもり、ベッドに寝転がっているのは、世間を賑わす魔法怪盗、チャーミー&カレン。
2人は今、酒場のテーブル下に仕掛けた極小クリスタルから盗聴の魔法を使用して、酒場内の会話を聞いているのだった。
「おーおー、さすが酔っぱらいのたまり場。過激な発言がボロボロ出てくるわね」
盗聴先の会話を聞きながら、にひひと笑うのは紅い長髪が美しいカレン。出るとこは出て、しぼるところはしぼられているそのボディラインには、男だけでなく同性をも惹き付ける魅力がある。
ベッドに無防備なその身体を横倒しにしている彼女の格好が、すでに過激だとも言えなくない。
「うう……変な会話しかしてないよこの人逹」
カレンと対照的な、淡い水色のボブカットなのはチャーミー。
すらりとしたスレンダーな身体に、カレンよりも丸みを帯びた腰つきがベッドに座ってその足を横たえている。
「オヤジ共のこんな話くらい、軽く聞き流しなさいよ。私達は情報収集してるんだから」
「で、でもこれはひどいよぉ〜」
酒場で交わされる卑猥なセクハラ発言にひーん、と両手で顔をおおうチャーミー。その様子を流し見て、カレンは頬杖をついてため息をつく。
「ったく、なんでアンタはそんなにウブなんだか……おっ?」
言葉を中断させて、イヤホン越しに聞こえてくる猥談に耳を済ませるカレン。
「あははっ、チャーミー、あんたをひん剥きたいなんて言ってるわこいつら!面白いわねー」
ぷっ、と吹き出して彼女は笑い出す。
「お……面白くなんてないよ!」
「十分面白いでしょ。だってあんた——」
ばすん!
「も、もう、いいでしょ!それよりもこっちに集中してよ!」
ぼすん、ばすんばすん!
顔を真っ赤にしたチャーミーは、枕をつかんで必死にカレンの頭に何度も振り下ろす。
「いてっ、わ、わかったわよ。ちゃんと盗聴に専念するって」
アンタほんとその話には敏感なんだから……とカレンはもうひとつため息をつくのだった。
「うぃーっく、あー、飲んだ飲んだあ。おいマスター、お勘定〜」
「はい、これが会計だよ」
「えーと。……ん、?おいおい俺こんなに頼んだっけ?」
「何か、問題でも?」
「だって俺が飲んだのっていや、ビール2杯にー、つまみの肉とウォッカと、えーとジンバックくらいだろ?」
「いえいえ。カクテル2杯におつまみをもう1品頼んでますよ——『お忘れですか』?」
「あー……ん、そう……だったかな」
「ええ」
「ああ、そういや『確かに飲んだ』わ。最近忘れっぽくていかんな、がはははは!」
「————聞いた?」
しっかりとイヤホンに手をそえて、真剣な面持ちで隣のチャーミーを見やるカレン。
「うん、この人が頼んだのはビール、若鶏の旨辛ソース揚げ、ウォッカとジンバックで間違いないよ」
チャーミーは手元のメモに目を走らせながら読み上げる。そこには、彼女によって今日盗聴したすべての客の注文が書かれていた。
「この人はカクテルなんて、頼んでない」
「なのに、頼んでもないし飲んでもいないものを頼んで飲んだと思ってる。これはただ酔ってるだけじゃない」
2人は目を合わせる。収穫アリ、大当たりだ。
「魔力受信機の方は?」
「うん、反応あったよ。間違いない」
盗聴のクリスタルとは別に仕掛けた魔力受信機。その針は魔力の使用を示すほうに触れている。
「この振り方は生体に作用する特殊型……ということは」
「記憶、操作」
部屋に沈黙がおりる。
記憶操作のクリスタル。文字通り対象の記憶を自分の都合のいいように書き換えることができる、危険度Sのシロモノだ。
ただし大掛かりな記憶の書き換えは容易なことではないし、そもそも並みの魔力の持ち主では相手の記憶に介入することすら難しい。
しかし。
その為の酒場、ということか。相手が酔っているなら術にもかけやすいし、なら頼んだメニューの上書き程度なら可能ということか。
客の記憶を操作して、会計の金額を水増しする。1人相手だと小遣い稼ぎにしかならないが、すべての客に長期間使用するとなると合計金額は相当なものになる。
やっていることは自体はセコイが、足がつきにくいし、なにより相手が酔っ払いというのが事件の立証をさせづらくしている。
「安酒場の主人のクセに、最近いやに羽振りがいいと思ってたら、やっぱりビンゴだったわね」
目標を見定めた目でカレンが笑う。その耳からイヤホンをぴんと取り外した。確認ができたならもう盗聴の必要はない。
チャーミーも自分の耳のイヤホンを外す。まだ酒場では酔った男たちの喧騒が響いていることだろう。
「こんな酒場の主人が、どうやってこんなレアものを手に入れたのか不思議なんだけど……」
「そんなことは別にどうでもいいわ。すぐに私達のものになるんだもの」
記憶操作のクリスタルなんて違法アイテム最上位クラスのものだ。手に入れたらさぞかし高額な取引ができることだろう。あるいは自分達の「仕事」を有利に進める道具として使ってもいい。
まさかこんなところでこんなオイシイものが見つかるとは思っていなかった。棚からぼたもちだ。
ベッドから上体を起こしながらくっくっく、と笑むカレン。
「やるわよチャーミー、相手はボロイ酒場の主人だけ。こんなちょろい仕事はないわ」
「だからって気は抜かないでよね、いつもみたいな展開はごめんだよ?」
「なっ……あれはたまたま運が悪かっただけよ!あんたのミスも多いしね!」
「そうかなあ……」
あきれたようなチャーミーの様子を放って、カレンは枕元の白い手袋を手に取った。
女の子らしい可愛らしいデザインのソレの手の甲には、左右違う色の石が埋め込まれている。
彼女のその手にぴったりフィットする手袋を、カレンはきゅっ、とその白い手にはめ、不敵に微笑んだ。
「さあ、魔法怪盗、華麗にいくわよ」
翌日、昼下がりの午後。
まだ陽は高く、多くの人が働き、勤め、仕事をしている時間。
仕事を終えた夜の客の為に閉店している、酒場の裏口の扉を叩く者がいた。
「こんにちはー。食材のお届けに上がりましたー」
しばらく待って、反応がなければまた戸を叩く。
「こんにちはー。食材を届けに上がりましたー」
……そんな事を3度ほど繰り返した頃、店の奥から反応があった。
「はいはい、今開けるって。ふあぁ」
あくびをしながら顔を出した酒場の店主は、目の前の人物に一瞬驚いた。
「おや……いつもの人じゃないね?」
「はい、ちょっと風邪引いちゃって。今日だけ代わりに来たんです」
酒場に訪問してきたのは、毎日酒場に届けに来る食材の配達人だった。
後ろに控えている、食材が山詰めになった荷馬車がその証拠だ。
代わりに来た配達人は一見して少年のようだった。フードをかぶっているので顔はわからないが、低めの背丈と声の調子でわかる。いつもの筋骨隆々のオヤジと比べると、たいした違いだ。
酒場の主人がそんなことを思っていると、配達人の少年は少し戸惑ったように話しかけてきた。
「あの、食材の配達は初めてなのでよくわからないのですが」
「ああ。……それじゃとりあえずそれを順番に中に入れようか」
扉を大きく開けて招き入れると、少年はハイと元気よく頷いた。
「よし、じゃあまずこの肉から」
そして少年は勢いよく荷台に乗り込み、一番手前にあった保存肉の塊を両手で抱え込む。
「ふん。よっ……とと」
少年には少々荷が重そうな巨大なサイズだが、酒場の主人からしたら大したものではない。体格の違いというやつか。
「うわ、うわわわ」
とかなんとか見ていたら、少年は肉を持ち上げきる前からよたよたとふらつき始めた。この調子では中に運んでいくのは無理だろう。
「これは俺が運んでいくよ」
食品を地面に落とされでもしたら困る。主人は少年から肉の塊を取り上げた。これは自分で持って入ったほうがよさそうだ。
「あ、ありがとうございます」
重い荷物を持たなくてすんだ少年は、主人に礼を言う。
「じゃあ僕は代わりにこれを運びますね」
と、今度はその下の野菜がぎっしり詰まった大カゴに手を伸ばした。
「よいしょ、と。お?おと、おわ、おわわわわー!?」
「…………全部俺が運ぶよ」
「はい、これが納品書の控えになりまーす」
少年はそう言って、にっこり笑って食材配達の書類を渡す。
——結局、全部自分でやる羽目になってしまった。
酒場の主人はげっそりした顔でその書類を受け取る。
食材を荷台から店内に運ぶだけならまだしも、この若い配達人がことあるごとにちょっかいを出すので、それの対応にも苦労した。
初めての配達だからとはしゃぎ回り、店内のあちこちを物色して回るのを止めて回るのは、本当に気が滅入った。
「ほら。これが今日の分の支払いだ」
「わー、ありがとうございますー!」
いつもの食材代の入った金貨袋を渡すと、少年はうれしそうにそれを受け取った。今日代わりで来たというが、こいつ、いつもは何をしているのか。
何にせよ、これでいつもの静かな時間が過ごせる。
「毎度ありです、今後も当社の配達サービスをご利用ください!」
「……明日には、お前じゃなくいつもの奴に戻ってるんだよな?」
「はい、今日だけの代打ですから」
少年は金貨袋を懐にしまい、荷台につながれた馬の背に乗り込んだ。
「はいよっ、はっ!」
掛け声を合図に、馬は帰途に着くためカポカポと歩き出す。
「——はぁ」
荷馬車が通りの角に消えるまで見送って、酒場の主人はほっとため息をつくのだった。
……酒場から幾分か離れた、人通りのない裏通り。大通りから外れた荷馬車は、少年を連れて暗い路地に入り込む。
食材配達の会社ではなく、建物の陰が日光を遮るこの狭い通路で、荷馬車はゆっくりとその歩を止めた。
しかし少年は特にそれに動じるでもなく、馬の背から降りた。
路地の中央にある、ゴミや木箱などの積んである一角。その端を覆っている布を、少年は勢い良くはがした。
その下に現れたのは、木箱でもましてやゴミなどではなく……1人の男だった。
体格はよく背も高く、筋骨隆々の男。彼こそが、酒場に毎日食材を届けている配達人その人だった。
なら気を失って木箱にもたれかかっている彼を見下ろすこの少年は……。
「ありがとさん♪」
自称、『風邪を引いた男の代理』は笑いながら、懐にしまっていた金貨袋と納品書を男に放った。
音を立てて倒れている男のちょうど腹の辺りに落ちる、今日の食材代と納品書。金貨袋を男に返した時点で、少年の目的は物取りではない。
すると、暗い路地にもう1人、人影が現れた。
「ただいま」
そう言ってコートのその人物は頭のフードを外す。
露になったその顔は、淡い水色のボブカットの少女顔。チャーミーだ。
「おっ、おかえり〜」
少年はチャーミーに笑いかけ、自身もその深いフードを脱いだ。
窮屈から開放された紅い長髪が、"彼女"の肩にはずむ。配達人代理の少年は、魔法怪盗カレンだった。
カレンは手を背中に差し入れて、胸のさらしの結び目を解く。すると、はじけるように彼女自慢のバストがその形を取り戻した。
そして、首のチョーカーに着けていた変声のクリスタルを取り外す。
「ふぅ、きつかったぁコレ」
変装用のさらしが相当だったのか、カレンは腰に手を当てて体操するように上半身を何度もひねった。その度に、彼女の形の良い胸は小気味よく揺れる。
その声は配達代理の少年のものではなく、彼女本来の鈴のような少女のソレだった。
「さてと……チャーミー、抜かりはないわね」
耳元の髪を手ですきながら、カレンは相棒に挑発的に問いかける。
それに、チャーミーは満面の笑顔で答えた。
「うん、ばっちり」
答えながらコートの中から取り出したのは、鍵の形に成型したクリスタル数個。
「これであの酒場の扉はどこも自由に開け閉めできるよ」
「ふっ、アタシの名演技が光る計画だったわね」
「…………」
自慢げなカレンと、それを苦笑いで見るチャーミー。
筋書きは、こうだ。
まず、食材配達の荷馬車をつかまえて配達人の男を眠らせる。カレンが変装して男の代わりに酒場に配達に行く。
酒場に着いたらなるべく時間稼ぎや店主の目をひきつけておいて、その隙にチャーミーが侵入して家の鍵をコピーする。
鍵のコピーのついでに、家の間取りなども下調べしておくというものだ。
「あ、そうだチャーミー。鍵だけじゃなくて——」
「うん、ちゃんと机に仕掛けた盗聴のクリスタルと魔力受信機も回収したから、アシも残らない」
思い出したようにぽんと手を打ったカレンに、すかさずチャーミーは返しを入れた。やるじゃん、とカレンは笑い、
「————で、どうだった?ターゲットについては」
一転して真剣な面持ちでチャーミーを見据える。この目は、仕事モードの目だ。
対して、チャーミーは軽く肩をすくめる。
「ダメだったよ。入手はできなかった」
「んー、やっぱそっか」
家の鍵のコピーを取りに入った時点で今回の獲物、記憶操作のクリスタルが盗れればそれで良かったのだが、やはり物事はそうすんなりとはいかないらしい。
「2階の書斎に、魔力探知が反応した金庫があったの。でもこれが手持ちの開錠ツールじゃ開けられなかったんだ」
「じゃ、ちゃんとしたやつ持って行けば」
「うん余裕っ」
そう言ってぐっと親指を立ててみせるチャーミー。表情も余裕な笑みがにじみ出てる。
なら、大丈夫だろう。カレンは後ろ頭をわしゃわしゃして、情報を整理した。
「それじゃ当初の計画通り、明日が決行日ね。目標は記憶操作のクリスタル。場所は酒場2階、住宅部分の書斎にある金庫の中」
「おー!」
元気よく右手を上げて応えるチャーミー。
「じゃ、こんなとこで油売ってないで、行きましょ」
報告会も終わり、裏路地から出て行く2人。
「あんたの飼い主もうそろそろ起きると思うから、後はよろしくね」
去り際、カレンは荷馬車につながれた馬の顔をなでる。ひとつ鳴き声を上げて、馬はそれに応えた。
「はあ、早く帰ってシャワー浴びたいわ。さらし巻いてたし、汗かいちゃった」
「……うぅ〜」
扇情的にぱたぱたと胸元を仰ぐカレンと、それを羨ましそうに横目で見るチャーミー。
視線に気付いたカレンはにやりと笑う。
「あ、そっかー。アンタにはないもんねー、胸のた・に・ま♪」
「く…くやしくなんかないもん!」
「はいはい、強がりなのはわかってるから。ほれほれ、ほれほれ〜」
「うるさいなぁ、もーっ」
獲物を襲う時は、相手が油断している時を狙うのが一番良い。
具体的には、相手が何か別のものに気を取られている時か、動けない時……例えば寝ている時なんかが良いだろう。
まだ、夜の闇が空の主導権を握っている午前5時。
沈みかけの月光の下、闇夜に踊るのはふたつの影。
世間を賑わす注目の的、魔法怪盗チャーミー&カレンだ。
淡い水色の髪を弾ませるのはチャーミー。
紅い長髪を踊らせるのはカレン。
2人共、半袖の上着にミニスカートにブーツと服装を合わせている。
怪盗、というよりは魔法少女のような出で立ちだ。それも世間が騒ぐ理由のひとつとなっているのだが。
足並みを揃えて、2人は実に軽やかなステップで町中の屋根から屋根を移動する。とても常人の身体能力ではない。
もし彼女達の姿に気付く人がいたならば、そして類まれなる動体視力で彼女達を注視できたとするならば、屋根から屋根へ飛び移る際、カレンの左手の手袋の甲にはめられた石が一瞬光るのが見えるだろう。ここに、何かタネがありそうだ。
2人の向かった先は町中で最近急に店主の金の羽振りが良くなった酒場。
今の時間はもう閉店していて、店内の光は消えている。2階住宅部分も同様なことから、店主は次の営業に備えてもう就寝しているだろう。
酒場の屋根までたどり着いたチャーミーとカレンは、お互い目で合図した後、一気にそのまま下に飛び降りた。
地面に落ちる瞬間、やはりカレンの左手の石が緑に光り、2人は羽毛のように、音もなくふわりと着地した。
2人が落ちた……いや、降りた目の前は酒場裏口の扉の前。前日に、本物をコピーして成型した鍵を使い、彼女達は堂々と酒場内に入り込む。
ここからが本番だ。一歩中に踏み込んだ瞬間に、さっと空気が変わった。
店内は暗く、しんと静まり返っている。
誰にも見つからずに、何の足跡も残さずに目的の物だけを盗み出す。ステルスミッション独特の緊張感が、2人の間を包む。
物音は立てない。腕や、指先を使ったやり取りでお互いの意思の疎通をしながら、チャーミーとカレンは着実に目的地に進んで行く。
裏口を通り、
調理場を抜け、
奥にある階段を上がり、
酒場の主人の眠る部屋を通り過ぎて、2人は2階の書斎にまでたどり着いた。
ここでもコピーした別の鍵を使用して、チャーミーは難無く書斎のドアを開錠する。
ゆっくりと開いた扉の向こう、本や巻物、書類や雑貨の散らかった書斎の中、目的の物はあった。
正確には、目的の物が入った金庫を、だが。
合金製の四角いその箱は、ダイヤルによる数字の物理的な照合と、クリスタルによる指紋照合の二重ロックとなっていた。
(——ご丁寧ですこと)
最新鋭の金庫を見下ろしながら、カレンは軽く嘆息する。
このタイプの金庫のなかでは、値段はさることながら、セキュリティのバージョンも新しい。
そんじょそこらの商店で買えるものではないし、もちろん一般家庭にあるような代物ではない。
これも記憶操作のクリスタルで、酔っ払い相手に水増し請求してきた金で手に入れたのか。
一体どこでいくらかけて購入したのやら。
ふむ。
……ま、しかし"この程度"なら別に問題はない。
「さ、チャーミー、あんたの出番よ」
「オッケー」
小声で隣にささやくと、相棒はそれを相槌で返した。
金庫の前に座り込み、チャーミーは首から下がっているネックレスに手をかける。
ネックレスの先につながっているのは、三重に重なっていた魔法のクリスタル。
チャーミーが目を閉じて呪文を唱えると、クリスタルはネックレスから外れて金庫の前の宙に浮いた。
3つのクリスタルを中心に光り輝く魔方陣が出現し、クリスタルの1つから光のラインがのびて金庫のダイヤルとつながった。そのクリスタルの表面に、ダイヤル解除キーの組み合わせを探す数字が次々と現れては消えていく。
ダイヤルの数字の解析が始まったことを確認したチャーミーは、今度はポケットからコードのようなものを取り出して宙に浮く別のクリスタルと繋いだ。コードのもう片方は、腰のポーチに装備している演算、解析補助の結晶体に繋がっている。
もうひとつ、別の呪文を唱えると、今度はそのクリスタルと金庫の指紋照合のクリスタルが光の線で結ばれた。
金庫のクリスタルにハッキングして、指紋照合が成功したと偽のデータを送る為だ。
これで、準備は整った。あとは適宜、呪文で魔法をコントロールしながら、正解のコードを見つけるだけだ。
真剣な面持ちでクリスタルと魔方陣を操るチャーミー。
このように、チャーミーは解除や侵入、盗聴などの補助魔法を専門とする。
なら、怪盗はチャーミー1人で事足りるのではないか。
ならカレンはどうなのか。
「あたし?あたしは殲滅担当よ♪」
「誰に何話してるのカレン…」
急に明後日の方に向けて話し出したカレンに、チャーミーは不安げに横やりを入れる。
「いいのよ。アンタは黙って早くその金庫開けなさい」
「はぁ……」
そうしてチャーミーは金庫の鍵と格闘を続ける。
すでに数分は経っただろうか。
前日の侵入では演算補助の結晶体の入った腰のポーチを持ってきていなかったというのもあるが、解除にこれだけかかる難敵なら回収を今日に回して正解だった。カレンでもこんなに長い時間店主を足止めはできなかっただろう。
「もう少し…」
両手で魔方陣とクリスタルを操作しながら、チャーミーがつぶやく。
と、その時。
金属の錠が落ちる音が2人の耳に響いた。
「…っ」
カレンとチャーミーは合わせて息を呑む。
開錠の魔方陣を終了して、チャーミーが金庫の扉にゆっくりと手をかけた。もちろん可愛らしい手袋をしているので、指紋なんか残らない。
何度体験しても、この瞬間だけは緊張と興奮で息がつまり、胸が高まる。
(この中に、超レアもの、記憶操作のクリスタルが……)
そして、きぃ、と微かな擦れ音を立てて、金庫の中身が2人の前にその姿を現した。
底に液体が敷き詰められ、その上に金網。そこにあったのは、中央に鈍い色で光を反射するクリスタルがひとつ。
これが、記憶操作のクリスタル————。
目的、達成だ。
後はこれを持ってここから抜け出すだけだ……。
が、彼女達には、それよりも気になることがあった。
カレンは眉をひそめて金庫から漏れ出る匂いをかぐ。
つん、と鼻をつくこの匂い…刺激臭ではないし、毒の類ではなさそうだ。金庫の底の液体のものだろう。
そういえば、すでに部屋に入った時から微かに香っていた気がする。
知らない匂いではなく、むしろ、割とよくかぐ機会のあるものだ。
(この匂いは……)
金庫の前に座るチャーミーは、別のことを考えていた。
それは、目の前のクリスタルそのものだ。
このクリスタル、どこかで見たことあるような。
もしかして、これ記憶操作じゃなくて…。
そこで、ふと金庫の扉の片隅に、今まで起動していなかったものが動いているのがチャーミーの目に入った。この点滅しているのは……発信機…!?
(——しまった)
「罠…!」
「ご明察」
2人の背後、書斎の入り口から聞こえたのはカレンでもチャーミーでもない、第三者の声。
「!?」
驚いて振り向くと、そこにはこの時間部屋で寝入っているはずの、酒場の主人が立っていた。
上下共に下着姿の男の腰には、ベルトよろしく拳サイズのクリスタルが巻きつけられている。
「駄目じゃないか、『2人とも——』」
酒場の主人は、書斎に侵入し、クリスタルの入った金庫すら開錠した賊相手に、笑みすら浮かべて話しかけてくる。
その瞬間ピン、とカレンの中で記憶の糸がつながった。
まずい。
この匂いの正体は、アルコール。2人とも部屋に入った時からかいでいたと考えると、すでに相当な量を吸ってしまっている。
"術にかけられる"!
カレンは左手を胸の前に掲げ、
「っ、精霊武装!」
左手の甲の緑の石が輝く——
「『俺の従順な——』」
あの男が言い終わる前に…っ、
「風の精霊ッ!」
きぃん、と緑の光が召喚された。
「『——召使いだろう?』」
男の口からそれを聞いた瞬間、
カレンの頭がぐらりとゆれた。
…この人は。
無理矢理、頭の中に何かがねじ込まれてくる。
…私のご主人様。
(違う!)
ギリギリ召喚に間に合った風の精霊のおかげで、呼吸系の空気からアルコールを除外することができた。
おかげで、記憶操作の術をなんとか中途半端にかかるまでに抑えられた。
魔法怪盗としてこの酒場に記憶操作のクリスタルを盗みに来たんだという記憶と、自分は目の前の男の言うことならなんでも聞く従順な召使だという記憶。
カレンの中で、ふたつの記憶がせめぎ合う。
お互いが混ざり合い、対立しあい、混沌とした自分をつくりだす。
駄目だ。
頭が、痛い。
隣を見ると、チャーミーはぺたんと力なくへたり込んでいた。
焦点は合っていなく、その目は虚ろだ。
「しっかり、しなさい……!」
ふらつく体に喝を入れながら、チャーミーの肩を揺さぶる。
しかし、反応はまったくない。
それはそうだ。カレンはとっさに風の精霊を使って新鮮な空気を吸うことができたが、チャーミーはできていない。
それに、チャーミーの方が酒に弱い。術にかかる効果も高いだろう。
「ほう。まさか精霊が使えるとはたまげたもんだ」
自分に投げかけられた声に、カレンはチャーミーから手を離し、さっきからにやにやこちらを見ている酒場の主人に向き直った。
あたしのご主人様の声。…違う、ただのターゲットの持ち主だ。カレンは頭を振って正気を保とうと努める。
「…そっちが、ホンモノ…ってわけ……?」
「その通り。金庫の中身は同じ特殊型のダミーだ」
余裕しゃくしゃくで答えて、男は腰のクリスタルをたたく。あれが本物の記憶操作のクリスタル、というわけだ。
クリスタルを狙う輩の対策に偽のクリスタルと金庫を用意して、クリスタルを狙う賊を逆に術にかけるため部屋にはアルコールを散布させておく。
相手の記憶さえ操れるなら、後は自分の掌の上だ。
やられた…!
たかだか町酒場と気を抜いたのが悪かったのか、2人はまんまと罠にかかってしまったのだ。
だが頭は混乱しているが、身体はまだ動く。これなら、精霊を使えば……。
「『動くな』!」
右手を上げようとしたカレンの動きは、酒場の主人の言葉によって完全に阻まれた。
混乱した記憶が、『主人』の言うことはきかないと、と体に命令する。
指の1本も動かない。いや、ご主人様の命令だから動かしてはいけないと"考えてしまう"。
頭の半分はまだ正しい記憶を保持しているだけあって、体を動かせない悔しさは半端ではない。心の中で、カレンは強く舌打ちする。
「くくっ、本当に、このクリスタルは最高だ…!」
酒場の主人は、こらえきれないといった様子で笑い出す。
一般人はその所持すら許されない危険度Sのクリスタル、記憶操作。
「そんなもの…どうやって、手に入れたのよ」
「軽々とそんなこと話すと思うか?まあ、思いがけず手に入った、とだけ言っておこうか」
腰のクリスタルを大切そうになでながら酒場の主人は答える。
「それにしても、まさか"あの"チャーミー&カレンがかかるとはねぇ。仕掛けに大金をかけた甲斐はあったな」
動けない2人をじろじろと無遠慮に見回して。
「実は君達の大ファンなんだ。もし君らを手に入れられたならどうしようか、いつも考えていたんだよ」
男のねめつけるような欲の詰まったその視線は、放心しているかのようなチャーミーに向けられた。
(……あぁ、あんたはソッチがお気に入りなわけね)
カレンは心の中でため息をつく。
こんな男に目をつけられるとは、チャーミーもかわいそうに。
あきれたカレンの様子に何を勘違いしたのか、もしくは今の有利な状況に酔っているのか、酒場の主人は安心してよ、と声をかける。
「君の方も、後でじっくり……食べてあげるからね」
そしてにたぁ、と笑った店主のいやらしい顔に、カレンは嫌悪感でぞっと背筋が寒くなった。
もはや酒場の主人という仮面をかぶる必要もないのか、口調まで完全にキモいおっさんに変わっている。
「ぐふふ、まずは君からだ」
欲望丸出しになった酒場の主人は待ちきれないといった風に「命令」をだす。
「さぁ、ご主人様の胸に飛び込んでおいでっ」
仰々しく両手を広げて迎えるようにして、
「"カレン"ちゅわぁ〜ん!」
チャーミーに向かって、言った。
「………」
「え……?」
3人の間に、変な空気が流れた。
「……あれ?」
チャーミーが微動だにしないので、酒場の主人もなにかおかしいと気付いたらしい。
「え?だって…チャーミーと、カレン、じゃないの?」
困惑しながら、男は名前を呼びながら2人を指差した。うん、思いっきりそれ、逆だ。
「ア・タ・シ・が!カレンだっつの!」
「えっ、嘘…!?ぜんぜん可憐に見えない…」
「うるせーほっとけ!」
自慢の紅い髪色並に怒りに怒鳴るカレン。
確かに、予告状や新聞じゃどっちがチャーミーでどっちがカレンかなんて書いてないけども!何その間違えた理由。
うわ、こいつ本気でぶっ飛ばしたくなってきた。
自称大ファンなのに間違えカレンに睨まれて、酒場の主人は、気まずそうに咳をした。
「ご、ゴホン。じゃあ改めて…チャーミーちゃん」
「はい」
今度はちゃんと答えるチャーミー。
大好きなご主人様(と思わされている)に呼ばれたからか、その声色は少しうれしそうだ。
「僕のところへおいでっ」
「はいっ」
生気のない瞳はそのままに、チャーミーはその場から立ち上がって酒場の主人の元に歩き出す。
カレンの方は見向きもしない。術のせいで目の前の男を自分の主人だと思い込んでいるのなら、相棒の自分のことはどう改ざんされているのだろうか。
「おおおぉお、な、生チャーミーちゃんだぁぁ」
男の前で立ち止まったチャーミー。
さっきまで名前すら間違っていたくせに、男はそれに感極まったように興奮している。
伸ばした手を前で重ねた、まさに召使いのようなポーズのチャーミーを前にして、はぁはぁ言っている。
うえ…。
カレンの中の不快指数がぐんぐん上昇していく。この体が動くのなら、あの男の顔面に全力でドロップキックをかましたいところだ。
そしてこの男、次は何を命令するのか。
「ま、まずは君の…ぱ……パンツ見せてよ」
「うわ最、低」
カレン、ドン引きだった。
だが、そんな命令でもチャーミーは、はいと答えて実行しようとする。
さらに頭痛がひどくなるカレンだった。
(駄目だ……これ何とかしないと)
このままでは、チャーミーがこの男に身体を好き勝手されてしまう。
最低キモ男にチャーミーが蹂躙されるのを想像して……。
(ん、待てよ、逆によかったのかも)
ふと、カレンの頭に思い至るものがあった。もしかしてコレなら……いけるかもしれない。
そう思案している間にも、チャーミーはミニスカートの下のスパッツを脱いでいる。
そして後ろに曲げて上げた足先にひっかかったスパッツをはずし、チャーミーは完全にそれを脱ぎ去った。
「渡して!それ、渡して!」
慌てたようにまくし立てる酒場の主人。
チャーミーが両手で渡すと、男は迷わずそれを顔に押し付けて、思い切り深呼吸をしたのだった。
「すぅー、はぁー……あぁ、これがチャーミーちゃんの、におい」
…………かえすがえすも、本当に、最低である。
だが、チャーミーはそんなことはお構いなしに両手でそっと、そのスカートを持ち上げた。
「キタアアアアアー!」
スパッツを放り投げた酒場の主人は鼻息も荒く、ふおおぉと限界突破だ。その目は徹夜明け並に充血していて、まさしくかぶりつくようにチャーミーの下半身に見入っている。
スカートの、その中身。
そこは、甘い匂いの漂う男を狂わせる空間。
そこには、可愛らしいミニスカートと、指にからんだその裏地。
そこには、清純なチャーミーらしい、フリル付きの純白のパンティー。
(そして——)
そこには、逆三角の布に隠されたその股間には、"少女にはあってはならん膨らみ"が。
具体的に言うと、もっこりとした象さ……。
「あわっ、わわわわわ!」
衝撃的なものを目にして、酒場の主人は腰を抜かして尻餅をついた。
「どどど、こ、これは一体どういう…!?」
チャーミーは何に驚いてるのか、きょとんとした顔で首をかしげている。
その仕草や見た目は、どう見ても可憐な美少女にしか見えない。
そう、見た目、は。
「き、君!まさか、お……おと……」
フッ、と。
その瞬間。術者の主人が動揺したことで、カレンにかかっていた術が解けた。
一気に混濁していた頭が明瞭になり、体を縛っていた効力が消える。
(やった。でかしたチャーミー!)
このタイミングを待っていた!
自由になったカレンはひとつ気合を入れて、ばちん、と突き出した両の手の平を組み合わせる。
「今よ!精霊武装フル・バーストッ!!!」
大声で叫び、カレンは渾身の力で両手から精霊を喚び出した。
右手は紅く、左手は緑に光り輝くその精霊石からは、召喚陣と共に、火と風の幾数もの具象精霊がその姿を顕現させる。
精霊達はカレンの両手を中心に大きく陣を組み、さながらそれは大砲のようで——。
「ぶっ飛べえぇぇぇぇ!」
一発を、思いっきりぶっ放す。
「ぎゃああああぁぁぁぁ!」
そして酒場では、文字通り、壮絶な火柱が上がったのだった。
………一夜、明けて。
白い朝日が町に差し込み、新しい一日の始まりを告げている。
新しい日、新しい朝、大量の野次馬と警察に、新聞記者達。……酒場は半壊。
屋根の吹き飛んだ町の一角は、ここから見ると真っ黒けだ。
さわやかな一日をぶち壊しにした張本人、チャーミーとカレンは、酒場から離れた建物の屋上にいた。
カレンは腰に手を当てて酒場の様子を立ち見している。チャーミーはその横で体操座りで顔を足に埋めている。
————結局、記憶操作のクリスタルはカレンの一撃で粉々に砕け散った。
その"ついで"に酒場の半分も吹き飛んだのだが……カレンは細かいことは気にしないようだ。
人道的な精霊のおかげで、チャーミーおよび酒場の主人にケガはなかった。酒場の主人は真っ黒になっていたが。
クリスタルの持ち主、酒場の主人だが、チャーミーのスカートの中身から自分のことも含めて、きれいさっぱり記憶がなくなっていた。作動中の記憶操作のクリスタルを破壊したおかげで、術者本人にその負荷が一気にかかったようだ。
「……まあ、良かったじゃない。記憶がぶっ飛んで」
カレンは酒場にたかる人の山を見下ろしながら、チャーミーに話しかける。
「うぅ……見られた。見られちゃったよう…」
対するチャーミーは、ぐしゅぐしゅ泣きながら落ち込んでいた。
どうやらチャーミーは記憶を操作されていた間のことを覚えているらしい。
「はぁ…もう、忘れてんだからいいじゃない」
うじうじしているチャーミーに、カレンはため息をついて言う。
「……じゃあ、カレンが代わりにかかってればよかったのに」
「死んでも嫌」
即答だった。
「あー、でもちょっと惜しかったかなあ、…壊しちゃって」
カレンは大きくのびをする。
チャーミーが術にかかっていたし、あの時はそうするしかなかったにしても、もったいない気はする。何せ危険度Sの超レア品だったのだ。
「いいよ。あんな危険なもの、葬られた方が世の為だよ」
「……ま、そうかもね」
考え直して、カレンは髪をなでる風に身を任せた。涼しい風が心地良い。
空を覆う雲は少なく、朝日はもう昇りきろうとしている。
もう次の一日は始まっているのだ。
「さ、いつまでもくよくよしてんじゃないの!魔法怪盗チャーミー&カレン、次の標的が待ってるわよ!」
そう言って笑う仁王立ちのカレンは、自身を照らす朝日に負けないくらい明るくまぶしかった。
チャーミー&カレン今回の収穫………チャーミーの秘密(隠蔽的な意味で)