2-1 白銀の狼
「おい、あっちに行ったんじゃないか!?」
「探せ、灰色の猫だ!」
「魔王を解放した奴だ、気を付けろよ!」
黒いローブを纏った男たちが、山道を駆けていく。
俺は、彼らが通り過ぎるのを待ってから茂みから這い出た。
なるべく、人目につかないように四足で隠れながら移動する。
あれから何度も教会の者たちに追われ、俺はいま、北にある森の中を進んでいる。
人間に見つかる危険性は少ない上に、ここにいる魔物は下級のスライム程度で、簡単に追い払える。
整備された道を歩くよりはずっと安全だ。
「冤罪だって言ってるのになぁ・・・」
逃げながら、誤解を解こうと言葉を重ねたが、まったく取り合ってもらえない。
本当にどうしたら良いのか。
途方にくれる他ない。
加えて。
「どこに行けばいいんだよ・・・」
この世界に知り合いなんて、親父とシルヴィアぐらいだぞ。
深い溜息を重ねたとき、がさりと、目の前の茂みがいた。
まさか、追っ手か!?
緊張すると同時に、腰の剣に手を伸ばす。
しかし、俺の予想に反し出てきたのは別の生き物だった。
尖がった耳に、鋭い歯。
犬のような外見だが身体が大きい。
赤い瞳で俺を見つめており、体長は3メートルぐらいはある。
ただの犬じゃない。
動物園で見たことがある。
これは、狼だ。
理解すると同時にばたり、と死んだふりをする。
あれ、死んだふりをしちゃ駄目なのは熊だっけ。狼だっけ。
混乱しつつも死んだ振り以外、することはない。
緊張で倒れたままになっていると狼が俺に駆け寄って来た。
すんすん、と匂いをかいだ狼は口を開く。
食われる!?
俺が身構えると。
「猫さんだー」
狼が人間の言葉で喋った。
え、と俺が視線を狼に向けると、白銀の毛並みをした狼の姿が歪む。
そして、白い毛皮を纏う一人の少女へと狼は姿を変えた。
髪は腰まである白銀で、瞳は柘榴のように赤い。
シルヴィアより年上に見える、細身の可愛らしい少女だった。
少女は嬉しそうに笑みを浮かべると。
「猫さん、何をしているんですか?
死んだふりごっこですか?
私も混ぜてください」
少女はそういうと、ごろん、とその場に転がって目を閉じた。
死んだふりをしているのだろうか。
え、てか、可愛くないか?
しかも、狼が可愛い女の子に変化するとか・・・!
来た、ようやく運が俺の元にやって来たぞ!
「神様ありがとうー!!!」
俺はガッツポーズをして、天を仰いだ。
異世界に来て、猫になり、チート補正は特になし。
魔王は可愛いかったが、姿は女になるし。
しかも、突然の親父と妹との別れ。
犯罪者に間違われた上に、気持ち悪いローブの集団に追われて数日。
可愛い子(獣になれるというファンタジー要素込み)との出会いという幸福が与えられたのだ!
これは喜ばないわけがない!
俺は、内心で興奮しながら、はやる気持ちを押さえて少女に向き直った。
「えっと・・・君は誰かな?」
うわぁ、なんか気持ち悪い尋ね方になった。
シルヴィア相手なら子供だし、そこまで緊張はしなかったのに、今は肉球らへんが汗ばんでいるように感じる。
だが、仕方のないことなのだ。
女の子と話す機会なんて、そんなにないからな!
俺が穏やかに?問えば、ハッと少女は目を開けて、飛び上がった。
草の上に正座をした状態で、少女は俺に向き直る。
「挨拶を忘れてました。
私の名前はリリィです。
このダガの森生まれ、森育ちの17歳の狼です!」
にっこりと笑みを浮かべて、「はじめまして」と少女は笑う。
随分と素直で、明るい子だなぁ。
俺は心が洗われるのを感じながら、気になったことを聞いて見た。
「狼って、でも今は人だよな?もしかして、狼になれる人間とか?」
「いえ、私は半獣族の銀狼種です」
聞きなれない言葉に俺は首をかしげる。
勝手な推測として魔物の分類のようではあるが・・・?
「それって、どういうものなんだ?」
すると、リリィは判りやすく説明してくれた。
半獣族は、人型にもなれる魔物を指す言葉のことで、銀狼種は名の通り銀色の狼の姿を持つ者を指す。
言語も獣の鳴き声も出来れば、人の言葉を喋ることも出来る。
また、熊や狸、狐や兎など個人でなれる姿は様々あるらしい。
変化するのに条件などは特になく、魔力も消費しないという。
「人型と獣型ってどっちが本来の姿なんだ?」
「どっちもです。
あ、でも、お喋りしたり遊ぶときは人間の姿の方が楽しいですよ」
どっちが、ではなく、どっちも。
獣から美少女になれるなど、なんともファンタジー心をくすぐる種族だろう。
この種族を作ろうとした神は、ケモ耳好きだったに違いない。
俺がそんなくだらないことを考えていると、リリィが興味深そうに俺を見つめてきた。
「猫さんは、半獣族じゃないですよね?
何か特別な種族なんですか?」
猫さん、と呼ばれてまだ名乗っていないことに気づく。
挨拶はしっかりとするのがモットーなのに、あまりの驚きで忘れていたようだ。
少しだけ格好つけて、少女に向き直る。
「名乗り遅れてすまない。
俺はレオナルド・オニクスだ。
種族は・・・自分でもよく判らないが、人の言葉を喋れるし、二足でも歩ける」
「そういえば、猫のままで歩いてますよね。
すごいですね!」
リリィは目を輝かせて拍手する。
褒められるというのは嬉しいもので、思わず、頭を掻いて照れを誤魔化す。
すると「私も練習したら、できるかな?」とリリィは、狼へと姿を変えた。
二足で歩こうと前足を地面から離すもバランスが取れずに、べちゃりと突っ伏してしまう。
俺は慌てて、リリィに近づくと手足や腕についた泥を払った。
「無理に狼の姿で立とうとしなくていいんじゃないか?人型になれるんだし」
「でも、後ろ足だけで立てたら獣人族みたいでかっこいいじゃないですか」
どうやら、彼女は獣人族という種族に憧れているらしい。
どういう種族が聞いてみると、獣のまま立ったり、物を持ったりすることが出来るらしい。
「うーん、だが・・・適材適所はあるし・・・。
あまり無理をしない程度に頑張ればいいんじゃないか?」
無理に練習して、怪我でもすれば大変だ。
俺がそういえば、リリィは少しだけ納得がいかなそうに首を傾げた。
「ところで、レオさんはどうしてこの森に来たんですか?
観光ですか?木の実集めですか?」
問われて、俺は答えに困った。
正直に言うのも憚られて、誤魔化しながら説明する。
「逃げてきたんだ。色々あって追われてて・・・」
すると、リリィは真っ青になって俺の回りをぐるぐると回った。
「追われてるんですか!?
・・・そうだ!なら、うちにご招待しますよ!」
「え?」
「ちょうど、私の家でお茶会をするんです!
たぶん、お茶を呑んで休んでいる間に悪い奴は、どっか行きますよ!」
にっこりと笑ってリリィが言う。
確かにそろそろ休める場所が欲しいし、喉も乾いている。
少々、だましているようで気は重いが休ませてくれるというのなら、有難いことこの上ない。
俺はその厚意を受け取ることにした。
「えっと、じゃあ・・・お茶会に参加させてもらおうかな」
「はい!大歓迎です!では、私の背中に乗ってください」
リリィはそう言って伏せをするが、俺は固まってしまった。
乗れというのは彼女の背にということなのだろうか。
だが、しかし、女の子の背に乗せてもらうというのは、なんだか申し訳ない気がする。
それを伝えると、リリィはくすぐったそうに笑った。
「そう言ってくれるのは有難いですけど。
多分、レオさんじゃ、私の家に辿り着けませんよ」
どうやら、彼女の家は狼でしか辿り着けない場所にあるようだ。
そうなら仕方ないな、と俺は彼女の背に乗せてもらう。
俺が背中に乗り、しっかりと身体を固定するとリリィが立ち上がった。
そして、弾かれたように駆け出し、加速していく。
まるで、ものの〇姫だ。
風を切り、大きな木や茂みを避けながら、軽々とリリィは森を駆けていく。
割れた渓谷を飛び越え、ごつごつとした岩山を登っていき、切り立った崖を越える。
そうして辿り着いたのは巨大な木の根元だった。
根元にある巨大な洞には扉がはめ込まれ、幹の途中からは煙突のようなものが伸びている。
「此処が私の家です」
リリィが笑いながら、その木の家を指し示した。