1-3 俺の猫生活
オニクス家にやって来て、1年。
俺は何故か、木剣片手に親父ことロウドと手合わせをしていた。
家の前にある広い空き地にて、俺と親父は向かい合うように立つ。
すでに一時間ほど打ち合っており、体毛に覆われた、俺の顔も身体も泥に汚れ、ひどい腫れが出来ている。
しかし、目の前で剣を構える親父はやめる気はないようで・・・むしろ、嬉々としている。
「というか、親父が真剣で、俺が木剣っておかしくないか!?」
「世の中とは常に理不尽だ。
理不尽に慣れてると、後々楽だぞ!」
よくわからない理論を押し付けられて、俺はため息をついた。
突然、ロウドが剣術を教えると言い出したのは俺が拾われて一ヶ月ごろ。
並ならぬ努力と練習により猫でありながら、二足歩行と手に物を持つことが出来るようになると、いきなり庭に呼び出され「今日から剣術の稽古だー!」といわれた。
何がなんだかわからないまま、素振りをして、筋トレをして、手合わせをするの繰り返し。
気が付けば、それが習慣となるまでに身体に染み込んでしまった。
今では、朝と夜に身体が勝手に外に出て素振りや、型の確認をしないと気がすまないほどだ。
駄目といえる勇気を持つのが大事だと、俺は改めて実感した。
でなければ、いつのまにか洗脳されてしまう。
「考えごとをしていると・・・隙だらけだぞ!」
風を切る音と共に、親父が間合いを詰めてくる。
筋肉質ながっしりとした体つきの癖に、なんでそこまで身軽なんだか。
親父が振り下ろした真剣を避けつつ、俺は後ろに下がる。
「最近、身体の調子悪いんだろ。やめようぜ」
「なんだ、知らないのか。
病ってのは・・・動くと治るもんだ!」
意味がわからん。
親父のかかっている病は、普通の病と違うようで体を動かしていてもあまりも問題がないらしい。
ただ、発作が起こることもあるらしいので、俺としては気が気ではない。
そんな俺の気持ちを無視して、親父は攻撃を開始する。
もう俺は呆れ半分で、親父の手合わせに付き合うことにした。
止めようと提案すれば、恐らく、食事中か昼寝中に親父がタガーナイフで襲い掛かってくることだろう。
断られれば、親父は逆に燃え上がって、収集がつかなくなる。
適度なところで休ませるのが一番、身体にも良いと、この1年で身を持って知った。
「おらよっ!」
親父が声と共に、突きを放つ。
相手は真剣で、こちらは木剣。
まともに打ち合えば得物が折れるだけだ。
俺は、攻撃を避けると小さい身体を利用して、親父の足元に滑り込む。
同時に持っていた木剣で、親父の足を払う。
だが、それは親父も予想していたようで、飛んで木剣を避けつつ俺の胴に蹴りを入れる。
すでに反撃されることはこちらも判っている為、片手を地面につくと、それを利用して親父の蹴りから逃げる。
親父の側面に逃げて、一安心とはいえない。
攻撃される前に、こちらが攻撃すべきだ。
俺は木剣を構えなおすと、再び親父に懐に飛び込んだ。
そして下から上へ。
顎を狙って、木剣の突きを繰り出した。
まさか、避けてすぐに反撃に戻ってくるとは思わなかったのか。
親父の反応が遅くなる。
確実に顎を突ける!
俺がそう思った瞬間。
「おにーちゃん!」
シルヴィアの声が聞こえて、思わず、手を止めた。
途端に、親父の足が俺の身体を捉える。
元近衛騎士の蹴りを喰らった俺の身体は・・・勢いよく吹き飛び、家の側に生えていた樹木に激突した。
衝撃と共に頭が、ぐわんぐわんとなる。
「今日は此処までだな」
親父はそういうと、得物を担いで家に戻っていく。
こっちは放置かよ。
俺が、深いため息をついていると、麦畑の方からシルヴィアが駆けてきた。
「おにーちゃん、またお父さんと稽古していたの?」
「あぁ・・・まぁ」
シルヴィアがおにーちゃんと呼んでいるのは、当然、俺のことだ。
俺が元々、25歳だということで兄と呼んでくれている。
昔は、男のみだったために妹が出来るとは、嬉しいような気恥ずかしいような不思議な気分だ。
「傷だらけだね。治癒魔法で治す?」
「ああ、いや・・・別にいいよ。疲れるだろう?」
この世界には魔力を動力源として魔法という奇跡を起こす技術が存在する。
しかし、魔法を使うと少なからず、体力と魔力を消耗するため、使いすぎには注意が必要だ。
猫の身体になってからというもの治癒速度は早く、この程度の傷ならば魔法を使うほどでもない。
これも一種のチート補正かもしれないが、俺としてはもう少し強いのが欲しかった。
たとえば、伝説の剣が手に入れられる! とか。
生まれながらに魔法の才能を持つ俺! とか。
剣術なんて、見ただけで全部、覚えられるぜ! とか。
生まれながらに器があり、周りに認められる戦士になる! とか。
しかし、現実ではそんなことはまったくなく。
親父は剣術を覚えるのがはやいとか言っていたが、はっきり言ってそれは単なる慣れによるものだ。
むしろ、ほぼ1年間、親父に真剣で襲撃されて避け方を学ばない方がおかしい。
覚えていなければ死ぬという、危機感から身体が勝手に学んだだけである。
加えて、この世界で使われている英語とは似ているような似ていないような文字は自力で覚えるようだったし、その暗記だって受験と同じ要領で書き取りで叩き込んだのだ。
しかも、俺の魔力量は人より少ないようで、魔法を使うことすら出来ない。
俺が認識できた異世界転生者特有の補正らしきものといえば。
1、日本語で話しても言語が通じる。
2、少し怪我が治りやすい(しかし、骨折など大きい怪我には無効)
3、猫語が喋れる。
4、高いところから落ちても、ちゃんと着地できる。
5、鼠が捕れるようになった。
もう3から4に至っては異世界転生者の補正というより、猫としての本能じゃないのか!?
それに親父と遠くに出かけたときに、出会う魔物と言ったら。
スライム、スケルトン、スケルトン、スライム、スケルトン、スライム、スライム、スケルトンだ。
スのつく魔物だけかよ!?
もっとドラゴンとか、美人な妖精とか出ないのか!?
「チート補正よ~」
俺すげえええ、って感じにしてくれー。
そして、可愛いモンスターとの出会いを俺に与えたまえー。
天に向かって両手を開く。
そんなことをしていると、シルヴィアが少しだけ困ったような顔をして。
「おにーちゃん。
その・・・たぶん、大丈夫だよ。
何かはわからないけど」
・・・変に慰められてしまった。
俺は天を仰ぐことを止め、シルヴィアへと目を落とす。
この転生で、よかったと感じるのはシルヴィアが可愛い美少女であったことぐらいだ。
肩口まで伸ばした栗毛に、目は大きくてぱっちりとしている。
何より、優しくて可愛い。
俺はそこまで思って・・・シルヴィアの持つバスケットに首を傾げた。
「そういえば、シルヴィアは何処に行っていたんだ?
随分と、荷物が多いようだが・・・」
シルヴィアの持つバスケットの中には、ワインや様々な種類の果物などが入っていた。
もっと中身を見ようと俺が身を乗り出すと、シルヴィアは慌てたようにバスケットを背に隠す。
「これはね・・・えっと・・・秘密!」
「秘密?」
俺が首をかしげると「秘密なのー!」とシルヴィアは家の中に入ってしまった。
一体、何なのだろうか。
疑問が解決されたのは、その日の夕飯時だった。
テーブルの上には、貧しいオルクス家には珍しいほどのご馳走が並んでいた。
パン、チーズ、野菜入りのスープに魚のメインまである。
ワインもあれば、デザートに果物の入ったパイまでが作られていた。
何かの祝日なのだろうか。
俺が不思議に思っていると、シルヴィアと親父がにっこりと笑った。
「レオナルド、誕生日おめでとう!」
「おめでとう!」
「え?」
突然の祝いの言葉に、俺は目を丸くした。
すると、二人は楽しそうに笑いながら顔を見合わせる。
「おにーちゃんの誕生日は判らないでしょう?
だから、お父さんと話し合って、お兄ちゃんがうちに来た日を誕生日にしようって決めたの!」
「やっぱり、年に一度は自分を祝う日があったほうがいいだろう?」
二人は、立ち上がるとそれぞれがベッドの下やクローゼットから何かを取り出す。
シルヴィアがクローゼットに入れていた綺麗に畳ただんだ布と磨かれたブーツ、ベルトを俺に差し出てきた。
「よかったら、貰ってくれないかな?
おにーちゃん、いつも裸だから・・・その・・・着るものを用意したの」
広げてみると、それは布ではなく深い紫色のローブだった。
大きさは猫である俺にちょうどよく、着てみると生地が肌にやさしく動きやすかった。
しかし、前開きというのは服として、身体を隠せているのだろうか。
そもそも、妹からは裸という認識をされていたことに恥ずかしさしかないんだが。
俺は羞恥心を押し殺して、なんでもない振りをする。
こういうのは顔に出す方がもっと恥ずかしいのだ。
「その三つには伸縮の魔法をかけたの。
だから、大きくなっても着れるから大丈夫だよ!」
猫は人間のように一気に身長が伸びたりはしないぞ。
などという野暮な台詞は言わない。
妹の笑顔は何に変えても、正義なのだ。
生まれ変わって、それを理解している俺は笑顔で「ありがとう」と礼を言う。
そうすると、シルヴィアは嬉しそうに笑みを浮かべた。
続けて、親父がベッドの下から箱に入った何かを持ってきた。
開けて見ると、それは一振りの短剣だった。
短剣といっても人間にとってという意味であり、猫である俺には十分すぎる大きさの剣だった。
片刃の直剣で、細めの刀身は黒く、柄も黒い。
革製の鞘に収められたそれを見て、俺の肌は粟立った。
いや、猫の肌が粟立つかどうかは判らないが。
これは見ただけで危険な代物だと俺でも判った。
「知人から譲られたものでな。魔神が鍛えたとか、持ち主によって姿を変えるとか」
「・・・それって大丈夫なのか?」
完全に、魔剣とかの類じゃないのか。
使って呪われそうだ。
「・・・わからん。
お前も半分、呪われて猫になったようなものだろう。
お互いに、禍が転じて幸を呼ぶかもしれんぞ」
親父は豪快に笑う。
本当に適当な親父ではあるが、わざわざ用意してくれたようなので、いちおう受け取っておく。
誕生日にプレゼントなど貰わなくなって久しい。
親父からは・・・魔剣じみた曰くつきのものだが・・・まぁ、プレゼントはプレゼントだ。
「親父、シルヴィア。ありがとう」
俺の礼に二人は嬉しそうに笑うのであった。