タカ探偵事務所
「あ。スカイツリー」
ビルの隙間から見えたスカイツリーに、由良は思わず声を上げた。
スカイツリーが見えることで改めて人気再燃中な下町は、これからますます観光客が増えるという予想だ。行き交う人も、外国人が多い。
「えっと……あ。すみません」
人とぶつかりそうになりながら、由良はポケットからスマホを取り出して、もう一度地図を確認した。方向音痴の由良には、スマホが欠かせない。地図上をゆっくりと移動していく自分の現在地を確認しながら、狭い路地を歩く。
「こっち、だよね」
谷中名物『夕焼けだんだん』を横目に見て、由良は小さな路地を折れた。何度か迷いそうになりながら、寺町の狭い角を何回も曲がって、ようやく目的のビルの前にたどり着いた。
「ここ?」
由良は、ビルの前で立ち止まり、何度も手元の地図を見直した。穴が開くくらいにじっくり確認したが、そのお世辞にもきれいとは言えない三階建のビルが、目的の場所だ。人の気配もない。シャッターの閉まった一階は、車庫にでもなっているのだろうか。二階を見上げてみたが、看板すら出ていない。三階のベランダからは、緑色の葉っぱが覗いている。
由良は、おそるおそる建物の中に入って、薄暗い階段を二階まで上った。
可愛い取っ手のついた黄緑色のドアがあって、ドアの隅の方に、
『タカ探偵事務所』
と控えめに書かれている。
「こんなんじゃ、わかんないよね」
思っていた言葉がついつい口をついて出た。
不安な気持ちを打ち消すかのように、由良は大きく深呼吸して、ドアの呼び鈴を押した。
「はい」
中から、紳士的な男性の声が聞こえて、程なくドアが外側に開いた。
「あ、あの、私、森口と申します。予約をしている……」
「はい。森口様ですね。承っております。さぁ、どうぞ、中へ」
背の高い、三〇代くらいの男性が笑顔で迎えてくれた。
穏やかな口調は程よく響く低音で、由良の不安な気持ちは一瞬にして吹き飛んでしまった。なにより、なかなかのイケメン。
「さぁ、どうぞ。寒かったでしょう。日差しはあるのに、今日は風が冷たいですね」
彼は、きびきびとした動作で由良を室内に招き入れた。
完璧な動作でエスコートしてくれる男性。しかし、その肩には、不釣り合いなものが乗っていた。巨大な赤い塊。背中にまで垂れ下がる、緑色。
「あの……」
「森口由良様ですよね。十三時にご予約の」
「は、はい。はじめまして。タカさん、あの…」
「こっちだ」
「?」
「俺がタカだ」
何を言われているのか理解するのに、たっぷり十秒はかかった。
「鷹?」
「タカ。俺の名前だ。鷹ではない、インコだ」
「え? え? えええっ!!!?」
彼の肩の上のインコが軽く羽ばたく。小さな風が、由良の頬に触れた。インコの黒い目が、真っ直ぐに由良の瞳を見つめていた。
「驚くことはない。インコが話すのは不思議ではないだろう?」
流暢な日本語で話しながら、インコは由良を品定めするかのように、じろじろと見つめている。
「コンゴウインコ?」
「違う。俺はベニコンゴウインコだ。あんなやかましくてデリカシーのないやつらと一緒にされては困る。俺たちベニコンゴウインコは、穏やかで上品な振る舞いが魅力的な愛されるべき種族なのだ」
「どこが違うか、わからないんですけど……」
「この曇りのない深紅の羽が、俺達がベニコンゴウインコといわれる由縁だ。それに、この羽の下の方に広がる翡翠色。美しいと思わないか? この緑色の羽と、ここ。この、目の周りの赤いラインが俺達の特徴だ。覚えておいてくれたまえ。まぁ、そもそも、ベニコンゴウインコなんて言葉自体、人間が勝手に作った名前だから、適当なものだ。俺達は、フーラプーラと呼んでいる」
「ふーら?」
「プーラ」
すかさずインコが後半部を繋いだ。
「どういう意味です?フーラプーラって」
「すごくゴージャスで素敵。とか、そんな意味だ」
「フーラプーラ……」
「そう。フーラプーラ」
「……じゃぁ、それはフーラプーラ語ってことで、それっていったい、」
「フーラプーラの言葉は、フラフラ語という」
タカが由良の言葉を遮った。
「フラフラ語は、世界一美しい言語なのだ。今は、仕事だから仕方なく日本語を話しているが」
大きな嘴をカチカチ鳴らして、タカは「仕方なく」と言うところをことさらに強調した。
ポカンと口を開けたままタカが話すのを見つめていた由良は、はっと何事か閃いたように目を見開いた。
「ベニコンゴウかコンゴウかなんて、どうでもいいの。そんな話じゃなくて」
「どうでもいいとはなんだ。がさつなコンゴウインコなんかに探偵が務まると思うのか」
バタバタと小さく羽を広げて、不満そうにタカは首を振った。
それから、ふぅっとひとつため息をついた。
「まあいい。話を聞こう」
「は、はい」
タカはスッと背筋を伸ばして、嘴の先で男性の耳をつついた。
「俺が、探偵のタカだ。こいつは、」
「助手の高橋です」
ベニコンゴウインコを肩に乗せていた男性は、高橋と名乗って、名刺を二枚、由良の前に差し出した。
「こいつが高橋だから、俺はタカという名前を使っている」
「タカって、本名じゃないんですか?」
由良は、たったいま手渡されたばかりの名刺に視線を落とした。
一枚は高橋自身の名刺で、もう一枚の赤と緑のグラデーションの派手な名刺には、
『タカ探偵事務所 探偵 タカ』
と、はっきりと記されていた。
「本名で探偵をするインコがいるか?」
「え? いや、そもそも、探偵するインコっていうのが…」
「何か言ったか?」
タカがキリッと目を細めて由良を見た。
「まぁいい。そもそも、所詮人間には、フラフラ語の音を発音できない」
由良は、反論すべき言葉を必死に探したが、結局断念した。
「それで、メールにも書いたが、アブダクション『仮定的推論』を用いてアブダクション『拉致』を解決するのが俺の仕事だ。特に、特殊な事情があるアブダクション専門だ。その辺りのことは十分承知の上だな」
「はい。メールに書いたとおりです」
「よろしい。話を聞こう」
「はい」
ベニコンゴウインコのタカは、高橋の肩からふわりと舞い上がり、テーブルの脇にしつらえられた専用の椅子に腰をかけた。鳥が腰掛ける、という表現は相応しくないのかもしれない。しかし、どういう仕組みでそうなっているのかはわからないが、タカは確かに座っているように見えた。黒いベルベットのような椅子の背もたれに寄りかかるようにして、タカは体を少し斜めにして座っている。
「森口様、こちらへどうぞ」
高橋が、由良をタカの向かいに置かれたソファーに誘導する。
「はい」
スプリングコートを脱いだ由良が、小さくお辞儀をしてソファーに腰を下ろす。高橋は、流れるような動きでコートを受け取り、壁際のハンガーラックにかけた。それから、二人が座ったのを確認して、部屋の奥、衝立の向こうに消えた。
室内は、外観からは想像できないくらいにきれいに整えられていた。ふかふかの絨毯に落ち着いたグリーンの壁紙。室内のあちこちに置かれた観葉植物が、森の中にいるような心地よさを部屋中にもたらしていた。十分に暖められた室内は、ベニコンゴウインコの棲息する森を思わせた。室内の家具は深い焦げ茶色の木製品で統一されていて、ワンフロアーぶち抜きの広い部屋の左手に、ソファーが置かれていた。高橋が消えた衝立の向こうは、恐らくミニキッチンなのだろう。食器を準備する音と、紅茶を入れる芳しい香りが漂ってくる。
ソファーに浅く腰掛けた由良は、まだ緊張しているように見えた。
「まぁ、リラックスしてくれ」
タカは、自慢の翡翠色の羽をフワリと動かした。
「はい」
「あんたも、確か中原さんからウチを紹介されたんだったよね」
由良がソファーに腰掛けるとすぐに、タカが声をかけた。足で器用に、足元の手帳のページをめくっている。タカが腰かけている椅子には小さなサイドテーブルがついていて、そこに手帳が置かれている。
「そうです。最初、どこに相談したらいいのかわからなくて。警察で捜査願いを出したんですけど、結局、もしかすると自分の意思での失踪かもしれない、って言われて。それで探偵事務所を探して、中原さんのサイトで相談したんです」
中原というのは、どこに依頼したらいいかわからない人に、目的にあった探偵を紹介するという無料のサイトを運営している男だ。特に、今回みたいな「特殊な」ケースでは、通常の探偵社では手に負えない。そういう案件を見つけ出して特殊な探偵を紹介するのが仕事みたいなものになっている。
その「特殊な」依頼と言うのが、今回の由良の依頼だ。
それには、「謎の失踪」、「突然人格が変わる」、「宇宙人」などのキーワードが関係する。
「では、ターゲット、つまりこの場合あんたの彼氏と言うことになるが、そのターゲットが、どういう経緯でいなくなったのか、その前に起きた出来事やメールや電話でのやり取りをなるべく細かく教えてくれ」
「はい」
由良は一瞬うつむいて泣きそうな顔になった。それから、唇をギュっと噛んで、タカを見た。思い出せる範囲のことを、由良は語り始めた。
タカはこれまた器用にペンを握って、彼女の言葉に頷きながら、手帳にメモをとっている。
程なく熱いミルクティーを入れたポットを携えて高橋が戻ってきた。
「つまり、あんたの彼氏は、光る物を見た、と言っていた翌日に、忽然と姿を消したんだな。その茗荷谷のアパートから」
同人誌で発表済みの作品ですが、改稿しつつ少しずつ転載できればと思います。
直していくうちに原型と変わってきてしまうかもしれませんが・・・。
とりあえず、2011年当時はまだスカイツリーが建設中だったんだなぁと思いつつ、建造済みに直しました。
メン・イン・ブラックとXファイル(?)を意識しています。
楽しんでいただけたら嬉しいです。