面倒臭い男達 007
その店は東と南と中央の微妙な境にある。ある意味そこは不可侵であるべき場所なのかもしれない。
表からは少し隠れたところにある〈バッド・ブラッド〉――荒くれ者達が集まる酒場だ。
入り口を見据えてからエルザはその中へ入っていく。
中は薄暗いが、エルザは確かな足取りでカウンターに向かい、座ってジャケットを脱ぐ。
この店は少し暑い。熱気がこもって暑苦しいと言うべきか。
そこに立っているのは両腕タトゥーを入れた小太りなスキンヘッドの男だ。この店の主である。
「ドビン、元気?」
その店において、エルザの存在はあまりに異質だが、構わずに男に気軽に声をかける。
他のいかにも屈強で柄が悪そうな男達も気にしない。
「よお、久しぶりだな、お嬢。この通り元気だぜ、っつーか、ドビンはやめろ。せめてロビンにしてくれ」
男は軽く挨拶をした後、顔を顰める。だが、エルザは気にしない。
「って言うか、なんでドビンなの? ロバートなのに」
「知るか」
尚もエルザは疑問をぶつける。
「じゃあ、ドブ」
「それなら、ロブにしろ。それかボブ」
勘弁してくれ、と言いたげなロバートをエルザは無視する。
「だから、ロバートなのになんでボブになるのよ」
「俺に聞くな。他のロバートに聞け!」
「って言うか、なんでそんなに愛称が多いのよ?」
「それをてめぇが言うなよ! エリザベス」
「アタシ、それ、本名じゃないし」
愛称と言えば、エリザベスこそ多い。
「まあ、名前なんざ、ここじゃあ記号にすぎねぇが……」
〈掃き溜めの街〉において本名も偽名も大した問題ではないが、今の状況でそれは完全に失言だった。
「じゃあ、ドブでもドビンでもいいじゃない」
「……お嬢には何を言っても無駄だった」
「思い出すのが遅いのよ」
それは一種の確認作業だったのかもしれない。
「とにかく、お嬢が元気そうで良かった」
「こっちは変わりない?」
「新入りがいる以外は、どいつもこいつも相変わらずだ」
「新入り、ねぇ……」
あんまり良い予感がしないとエルザは思った。
ここに新しい客が通うようになる度にエルザはある種の洗礼を受けてきた。
「ほら、今、来たぜ」
ロバートが指さす先にこれまた人相の悪い男がいた。
身長は百九十ほどあるだろうか、全体的に大きな男だ。二の腕はエルザの足よりも太いかもしれない。
だが、この店ではそれほど目立つ体格でもない。エルザの方が完全に規格外なのだ。
そして、男の鋭い目がエルザを捉え、薄笑いを浮かべながら近付いてくる。
「おいおい、ここの娼婦は随分と貧相じゃねぇか」
「いや、娼婦とかこねぇし、基本的に女人禁制だ」
こうして新入りと合う度にエルザは初めて来た時のことを思い出す。今は認められているが、あの時はロバートも友好的ではなかった。
「じゃあ、なんでこんなガキがいるんだ? マスターのか?」
「とりあえず、黙っとけ、新入り」
即座に口を挟むロバートは身の危険を感じているのだろう。毎回のことだが、それで収まったことは一度もない。
「新人教育がなってないじゃないの、ロバート」
「いや、それはてめぇのナイトに言えよ! あいつの仕事だ!」
「あんな変態、ナイトじゃないわよ。大体、アタシの方が強いんだし」
エルザは毎回このやりとりを楽しんでいるが、ロバートは今度こそ危ないと思っているらしかった。
「だから、なんなんだよ、このぶっ壊れそうな女」
「どっちが先にぶっ壊れるか、試してみる?」
エルザは男を見上げ、挑発的に笑う。壊れない自信があるからこその笑みだ。
「店ん中で暴れんのはやめてくれよ、お嬢。修理費が馬鹿になんねぇんだって!」
勝負をするとしても暴れるとは限らない。そして、大抵暴れるのはエルザではないのだが、ロバートにとっては同じようなものだった。
たとえ、店側に損害があっても全ての請求はエルザにされるのだ。
「どーせ、アタシにその金せびるんじゃないの。関係ないヤツまで」
「そりゃあ、お嬢は金蔓だからな」
「ひどい言い方じゃないの」
金蔓だと言うのなら、もっとそれなりの扱いというものがあるだろうとエルザは思うが、彼らにそれを期待しても無駄なことだった。
否、一人だけそういう扱いをしてくれる人間がいるのだが、気持ち悪い以外の何物でもない。
「ダブルBが戻るまでこの店を守るのがてめぇの仕事だろうが」
「それはアナタの仕事でしょうよ、ドブ」
エルザは呆れた。店を守るのは主の仕事であって、エルザの仕事ではない。
「おめぇ、バッティスタさんとどういう関係だ!?」
「だから、なんで急にあだ名なんか付けようとするんだ!? 今まで通りロバートでいいだろ?」
男とロバートの声が被る。だが、エルザは男の声は無視した。
「自分だけあだ名がないって拗ねるといけないと思って」
「本当は四文字以上の名前が面倒とか言うんだろ」
「わかってるじゃないの」
ニコリとエルザは笑ってみせる。
「無視してんじゃねぇ!」
痺れを切らしたように男が叫ぶが、これもエルザは無視した。
入り口から突進するようにやってくる黒い影があったからだ。
「姫!」
「うわっ、面倒臭いの出た……」
「よお、ラファエル」
うんざりするエルザの向かいでロバートが手を上げる。
「ああ、姫、この日をどれほど焦がれたことか……君を待つのは辛いことだが、今日も俺を迎えにきてくれたわけじゃないんだろうな」
エルザの隣にぴったりと座り、芝居がかった口調で彼は言う。自分が繊細な心の持ち主であることをアピールしたいのだろう。
彼もまた背が高いが、店の基準的には細い方だと言える。それでも鍛えられた体はひょろひょろというわけでもない。
艶のある黒髪、流し目、顔立ちは端正であり、服装もやけにおしゃれである。普通に街を歩いていても美男だと言えるだろうが、周囲がむさ苦しいと妙に爽やかさを感じるものだ。
どうにもこの店ではタンクトップが最先端のおしゃれであるようであるし、そうしてタトゥーを見せ付けている者も多い。髪型も長髪かスキンヘッドかと言ったようなものだ。
一見すれば場違いにも思えるが、店で一番面倒臭いのはこの男――ラファエルである。
「ラフ、アナタって本当に残念なイケメンよね」
「この顔は面食いな姫のために作られたに違いないな」
その笑みを投げかけられたなら、男であっても「抱かれてもいい」と思うのだろうというのがエルザの考えだ。
だが、エルザは内心気持ち悪さに顔を顰めるだけだ。正直、姫と呼ぶのも遠慮願いたいのだが、何を言っても彼は聞かなかった。絶対に譲らないのだ。
「ラファエル、この女、なんなんだよ」
完全に無視された男がラファエルに声をかける。
ラファエルは男の方を向いて、唸るように声を発する。
「……てめぇ、表に出ろ!」
「は?」
「姫にこの女って言うような奴は俺が叩き潰す!」
男は唖然としていた。こんなラファエルなど見たことがなかったのだろう。エルザとしては全くありがたくないことだが、この男はエルザの前では豹変すると言われている。
「姫ってなんなんだよ。あんた、そんなガラじゃねぇだろ!」
男が叫ぶ。その後ろで店の男達が頷くが、幸いラファエルの目には入らなかった。
「てめぇが俺を定義してんじゃねぇ……俺を定義していいのは姫だけだ!」
ラファエルはビシッと決めたつもりらしかったが、エルザは呆れるしかなかった。
「そこ、自分って言っておきなさいよ」
「いや、ダブルBを差し置いてそれもねぇだろ」
ロバートの突っ込みが入る。
「それもそうね……」
ダブルB、その名はこの店に集う者達には絶対である。
そのダブルのBは〈バッド・ブラッド〉のBBではない。
「だから、あの人とてめぇはなんなんだって聞いてんだよ!?」
男がカウンターをバシッと叩く。そこでエルザは首を傾げる。
「アタシってなんだっけ?」
「飼い主だろ」
ロバートは言うが、エルザの中ではどうにも当てはまらない。
雇っていたというのは正確ではない気がするのだ。
「猛獣使い、かもな」
「全然言うこと聞いてくれなかったし、常に手首狙われてたし」
飼い犬に手を噛まれるエルザではないが、雇い主というよりは確かに飼い主に近かった。犬や猫などと言った可愛らしいものではなく、獰猛な獣だった。
「アタシはエルザ。アナタはラスの何?」
そこでようやくエルザは男を見た。
「ラス? 俺が聞いてるのはバッティスタさんのことだ!」
「じゃあ、結構古い知り合いね。最近、全然会ってなかった感じの」
一言でどの程度の知り合いなのかエルザには判断できた。
「昔、世話になったとか言ってたよな?」
「強くなった自分を見せにきたとか熱いよな」
ロバートとラファエルが思い出したように言う。
「バッティスタ・バンディーニは、今はラサラスって名乗ってる。だから、ラス。そう呼ばない人も多いけど」
そう言って、エルザはちらりと店の男達を見る。
バッティスタ・バンディーニのダブルB、〈バッド・ブラッド〉のBB。その男はこの店にとって強い男のシンボルだった。
エルザがこの店に来るようになったのも彼の紹介があったからだ。
今思えば、彼はいつか自分がダンジョンに幽閉されることを予期していたのかもしれない。本能のままに動いているようで、とてもクレバーな男なのだから。
「あの人は今どこにいる?」
「レグルスのダンジョン」
エルザはすぐに答えた。嘘など用意していない。その事実は揺るぎなく、彼にはまだ会えない。
あの闇の中から彼を救い出すことはまだできそうにない。
「くそっ……!」
男と一緒にエルザも悪態を吐きたい気分だった。
「誤解してるといけないから言っておくけど、別にレグルスに喧嘩売って負けたとか、目障りだからやれられたとか、そういうのじゃない」
「バッティスタはレグルスに就職したんだよ」
「とんでもなく危険な用心棒だけどな」
ラファエルが言えば、ロバートがゲラゲラと笑う。だが、男の表情は険しくなる。
「なんであんなところに……!」
レグルスは悪名高い組織だと思われている。事実、過去の悪事の数々は他の組織と一線を画するところがある。
「エリザベス・レオーネの手首を切り落としたいから」
「……〈黒死蝶〉か。あの人は常に最強の相手を求めてた。不思議じゃねぇな……噂が本当なら、あれほど相応しい相手もいねぇか」
決して誇らしい気分にはなれなかった。それでも、エルザは笑ってみた。
「そして、その野獣に手首狙われてるのがこのアタシ、おわかり?」
ピタリ、男が止まった。固まったように動かない。
店の男達は面倒なことには巻き込まれないようにと必死にエルザ達を視界に入れないようにしている。目が合ったら最後だと思っているのだろう。
「……もっとましな嘘を吐きやがれっ! てめぇみたいなガキが〈黒死蝶〉だと? 笑わせんな!」
男が再起動した。だが、そちらの結論に辿り着いてしまったらしい。
「残念なことにそれが真実なんだって」
「まあ、もうちょっと大人だと思ってたけど、姫は最高に可愛い。今すぐ食べちゃいたいな」
恍惚とした表情でラファエルは言うが、エルザはぞっとした。本当に残念な男だと心の底から思う。
「ラファエル、アナタは口を閉じてなさいよ。タマ潰されたくなかったらね」
強くてイケメンと言えば聞こえは良いが、ロリコンというオプションがつく。それがこの男ラファエルだった。
それは、もうどうしようもない。だが、エルザとしては今あまり口を開いて欲しくないものだった。




