面倒臭い男達 006
喫茶店を後にして、トールはその周囲をエルザに案内した。
そして、美術館前広場に戻ってきた。
「この辺りは美術館が閉館した頃に来るのがいいらしい」
「イケメンのチェリストがよく演奏しにくるのよね」
閉館後の楽しみと言えばそれしかないとエルザは思ったのだが、トールが固まってしまった。
「……それ目当てでよく来てるのか?」
「アナタ、聴いたことある? あの人の演奏」
いや、とトールは首を横に振る。
「彼は本当にいいわよ」
「あんたはどうにもイケメンが好きらしいからな」
「アナタだってイケメンじゃないの。逆ナンされてたくせに」
嫉妬だったのだろうか。エルザは首を傾げる。
チェリストは確かに美形と言えるのだが、トールと比べると少し系統が違うような気もする。
彼が嫉妬するような理由などないのだ。
「アナタはもっと自信を持てばいいのよ。さっきからレディー達がみんなアナタを見てるんだから」
すれ違う度にエルザは羨望や嫉妬の眼差しを感じていた。隣を歩くのがトールでなければこれほど注目されることもなかったはずである。
「俺にはみんながあんたを見ているように感じるんだがな」
「アナタの隣を独占してれば見られもするでしょうね」
「俺も殺意めいたものを感じるんだが」
トールはやれやれと笑った。お互い目立ちすぎるのかもしれない。トールには変装する習慣がないようであるし、エルザも今日は素の状態である。
「アトラスが聞いた噂ではたまに超絶美女ヴァイオリニストが出るらしい」
トールは話を戻した。広場に演奏しに来るのはチェリストだけではない。
「出るって幽霊じゃないんだから……」
「アトラスも一度も見たことがないらしい」
「アタシもそんな話、チェリストの彼から聞いたことないけど」
エルザはこの場所で情報を集めているが、聞いたことがない。
「そんなに仲がいいのか?」
トールが眉を顰める。
「アタシもここに情報集めにヴァイオリン弾きに来るから。でも、見たこともないし……」
そこにいるだけでも噂が耳に入ってくる。尚且つ知人がチップにメモを紛れ込ませてくることがある。
そうしてエルザは中央寄りの浅い部分で東方の情報を手に入れてきたのだ。
「美女ってあんたじゃないのか?」
「まさか。いくら噂が一人歩きしたって超絶美女にはならないんじゃない?」
単にアトラスが大袈裟に言っているのか。
もちろん来る時は変装しているが、美女として作ってはいない。
「あんたは自分をわかってない」
「でも、ナチュラルな変装だから人違いでしょうよ」
あまり目立たないように心がけていたのだ。エルザにしてはひどく地味な格好をしていた。
「大体、アタシは黒くないお金が必要だから、出稼ぎってやつなんだし」
「黒くない金、か」
黒い金ならばヒットの依頼を受けて得た金があるが、それだけでは駄目なのだ。
足りないということではない。そういった黒い金を使いたくないところがあるのだ。
「バーで歌ったり、弾き語りしたり、バンドにサポートで入ったり」
遊んでいると言われることもあるが、それもまたエルザが情報を集めるためには必要なことだった。
「それは是非とも聴いてみたいな」
「期待するだけ損すると思うけど」
「フェリックス・ウルバーノは聴いたことがあるんだろうな」
「ヴァイオリンは聴かれたことあるけど、歌はないわね」
「それはますます聴きたいな」
トールは笑っていたが、エルザとしては複雑な心境だ。
元々が趣味で始めたものではない。社交の道具として、大人達を喜ばせるために習得させられたのである。
「シンはアタシが北方の酒場に潜入してた時に会ってるからあるけど……歌は恥ずかしい。声量も表現力もないって言われるし」
そこでトールは黙る。諦めてくれたのだとエルザは思ったのだが、そうではないようだった。
「なんか、むかつく」
ぽつりとトールが呟く。
「俺ばっかり好きでむかつく」
その言葉にエルザはクスクスと笑うしかなかった。
「笑うなよ」
「意外に子供っぽいことを言うと思って」
トールは渋い顔をしたが、エルザは常にクールな彼の新たな一面を見た気がしていた。
「そういうギャップがいいだろ?」
「でも、アナタはアタシの好みじゃないわ」
自分で言っておきながら嘘だとエルザは思った。そういう理由を付けたいだけだ。
トールは肩を竦める。
「ひどいことを言うな」
「だって、アナタは賢すぎるもの」
それは嘘ではなかった。彼の〈無自覚の理解〉は頼もしくも恐ろしい。
これほど自分の心が見透かされることを恐れたことはないかもしれない。エルザはそう思う。
「バカな男が好きか?」
「そうね、嫌いじゃないわ。楽しませてくれるから」
無謀とは違う、純粋な何かがエルザは嫌いではなかった。たとえば、今はレグルスのダンジョンに囚われているような男が。
「カーマインの方がいいってのか?」
馬鹿な男と言って真っ先に浮かぶのは彼だろう。彼は馬鹿としか言いようがない。
「あの人は少し馬鹿すぎる。ちょっとうるさいし。いかにも面倒臭い男じゃないの」
エルザは性格的にあまり面倒臭い男は好きではない。尤も、周りには面倒な男が多いのだが。
「あんたこそ、掟を守ろうと頑なになりすぎてるんじゃないのか?」
今度こそ、先程の話の仕返しなのか。トールの視線がエルザには突き刺さるように感じられた。
確かにそういう見方もできるだろう。
「そうかもしれない。でもね、誰かに言われたわけじゃない。アタシがアタシ自身に課したこと」
頑なにならなければならない理由がエルザにはあった。
自分で決めたことだから覆せない。それはただの意地ではない。
「アタシは死ななければいけない。誰も愛しちゃいけないし、愛されてもいけない」
「自殺は美しいものじゃない」
少し厳しさを感じる声でトールは言う。思いを明かされた今、素直に聞いてもらえることでもないだろう。だから、エルザは彼の方を見ることもできずに目を伏せる。
「美学のために死ぬわけじゃない」
「俺には同じことに思える」
きっと何であろうと彼は否定するのだろう。
好きだと言うのなら受け入れて許して欲しいとエルザは思う。だが、彼は好きだと言うからこそ、認めないだろう。
「アタシは初めから生きていない。それなら、美徳も何もないでしょ?」
エルザはトールをちらりと見る。
生まれてきてはいけない子供だった。母の命を奪ってまで生まれるべきではなかった。
「生きてるさ。今、ここにいる」
「アタシは、〈災厄の獅子〉、〈呪われ子〉、〈聖母殺しの悪魔〉、〈フランケンシュタインの怪物〉……。これで生きてるって言えるの?」
誰からも愛されなかった。疎まれながら生き続けてきた。そして、終わらせるために生きてきた。それはきっと、生きていることにはならない。
「それでも、生きてる」
「生かされてる」
エルザはすぐに訂正する。
生きているということも正しくはない。死ねない状況を作られている。次のステージのために。
「それはレナード・レオーネにか?」
エルザは首を横に振る。
「フランケンシュタイン博士、アタシはそれを探し続けて、それはどこかでアタシを見ている」
兄にならば生きていることを許してもらっているとエルザは言う。
だが、それよりも大きな力が水面下で胎動しているのだ。
「もうこの世のどこにもいないんじゃないのか?」
「兄さんは確かに仕留め損なった。いいえ、彼らは兄さんの殲滅作戦を知ってた。だから、アタシの記憶を消した」
トールが言うことは可能性としてあるかもしれないが、エルザがそれを考えたことはなかった。
あれはきっと、終わりでも一時中断でもなかったのだ。次の幕を開けるための準備期間、彼らは何かを待っている。
なぜならば、幼少の頃と比べればパワーアップしているからだ。
「記憶が戻ったらあんたは……」
「きっと、ただの殺人人形に戻るわ。兄さんを憎み、この世の全てを蹂躙しようとしていた頃に」
考えたくもない最悪の事態だが、努力によって回避できるものでもないことをエルザは知っている。自分の中の獣の存在は今でも強く感じている。否定しようと無駄なことだ。
「ねぇ、トール」
エルザはじっとトールを見る。その目に思いを込めるように。
「その時はアタシを殺してね。躊躇いなく」
「俺はあんたを守ると言ったはずだ」
「きっと、もう戻れなくないから、だから、殺して」
首を振り、エルザは懇願する。
一度、今の自分が壊れてしまえば、もう二度と形成されることはないとエルザは予感していた。彼女が完成して、何もかもが無に帰す。
だから、自分を殺せる者を探してきた。
「どんな手を使ってでも連れ戻す」
トールの言葉は強い。だからこそ、エルザは悲しくなる。
「死ぬわよ、アナタ」
自分の中の獣が解き放たれた時には、彼を殺してしまうだろうと思うのだ。相手が誰であってもなんの躊躇いもなく彼女は殺せる。
自分であって自分でない化け物をエルザは何より恐れている。
「あんたを救えないまま死ぬつもりはない。守る義務があると言ったが、それは単純に俺があんたを守りたい理由だろう」
「多分、アタシは随分アナタの存在に救われてる」
「だが、それは本当の意味であんたを救ったことにはならない」
今でもエルザには十分過ぎた。救われてはいけないのだ。それなのに救われてしまっている。
ふぅ、とトールが息を吐く。
「そろそろ、あんたを他の奴のところへ行かせてやらなければいけないな」
トールは引き際も心得ているらしかった。
少しずつ辺りは暗くなり、これ以上良い話ができるとも思えない。エルザを引き留めたところで彼に得はない。やはりそれもわかっているのだろう。
「アナタってスマートよね、色々と」
そうでもないさ、とトールは返すが、あっさりしているからこそ悩ましいところもある。
「じゃあ、気を付けて。なんて、あんたに言うセリフじゃねぇかもしれないが」
「アナタこそ襲われないようにね」
いつもならば軽い言葉が今は少し重く感じる。それでもエルザは手を振って、彼と別れた。
「アタシを殺してくれる人だったら良かったのに」
暫く歩いてから、エルザはそっと呟く。
そうしたら刹那でも彼を好きになることが許されたかもしれない。




