面倒臭い男達 005
トールとの約束の時間、待ち合わせの場所である東の美術館前広場でエルザが見たのは若い女性二人といる彼の姿だった。
その様子はどうにも彼が言い寄られているようで、困惑が見て取れる。
だが、エルザはそんなところに近寄って彼を助けてやろうなどとは思わなかった。
彼がそれを望んでいるかはわからないからだ。
しかし、少し離れたところで様子でも見ようかと考えたところで、トールに気付かれてしまった。
彼は彼女達に何事かを言うとエルザの方に近付いてきた。女性達の視線が突き刺さるかのようだ。
「今、来たところか?」
「正直に言うとちょっと前。遅れるつもりはなかったんだけど」
観察しようと思っていたとまでは言わなかったが、トールは黙り込んでしまった。
「どうかした?」
「いや?」
気に障っただろうか。トールははぐらかす。
「やっぱり、可愛い女の子達について行きたかったんじゃないの?」
今時で、積極的で、自分とは違うタイプの女だったとエルザは思う。トールの好みなど知らないが、自分といるよりは良いだろう、と。
またトールは押し黙る。
「ひょっとして、アタシ、口閉じてた方がいい?」
口を開くほどに空気を悪くしていっているようにエルザは感じ取った。
「……あんたの場合、嫉妬じゃなさそうだな」
「アタシのことは気にしないでよ。運命感じたならついていけばいいのよ」
嫉妬などする権利はないはずだった。
理由もきっとない。呼ばれたとは言っても、いつでも放棄してくれて構わなかったのだ。それで彼が苦しくないのなら。
「本気で言ってるから質が悪い」
「何?」
エルザは首を傾げる。彼の言葉の意図するところがわからなかった。
「あんたって、時々、本当に鈍い。わかっていても戸惑う」
「それ、よくわからないのよね。並の女より鋭い野生の勘を持ってるって言われるアタシが、なんで鈍いとか言われるのかしら?」
「……やっぱり、なんでもない」
トールはいかにも何かを言いたそうだったが、言う気はないようだった。
「そんな感じには見えないけど」
「言ったら、そんなことのためにわざわざ呼んだのかって言われそうだからな」
「アタシってそんなに心の狭い女だと思われてるの?」
「まあ、あんたに怒られるのも悪くない」
そう言って、目的地についてから話そう、とトールは促す。
トールに案内された店はお洒落ながら落ち着いた喫茶店だった。
個室があり、ゆっくり食事もできるようになっている。
その個室の一つをトールは予約していたらしい。
オーナーはトールとは長い付き合いのようだった。アルデバランの関係の店だろうか。
「俺は嫉妬してほしかった」
ゆっくりと息を吐いた後、トールが言う。
「されたって、迷惑でしょ?」
「まあ、あんたの場合はされると迷惑な奴がいるだろうな」
確かにカーマインは少し迷惑だとエルザは思う。
蝶には浮気者のイメージが付き纏い、〈黒死蝶〉の名を背負った時から、そう言われることも仕方がないと覚悟していた。傷付く心はないが、面倒である。
「世の中、色んな人がいるからアナタが多少変わった趣味を持ってたって気にしないけど」
さすがに性的倒錯者はエルザも庇えないが、そこまでではないようだ。
すると、トールはあからさまに溜め息を吐く。
「はっきり言わないとあんたは色々ひどい誤解をするんだったな」
「話を歪めるってよく言われる」
しかし、それがエルザの戦術でもある。
「なら、はっきり言おう。俺はあんたには嫉妬されたいと思うんだよ」
言われて、エルザは固まった。
「何よ、それ」
「俺はした」
「わけわかんない」
エルザは完全に混乱していた。
なぜ、トールがそんなことを言うのか。
フェリックス達に散々飲まされて二日酔いで頭がおかしくなっているのだろうか。否、そんな様子はない。
だとしたら、自分がおかしくなっているのか。否、これは現実だ。
「俺はこんなにもあんたを意識してんのに、あんたはちっとも俺を見てくれないんだな」
トールがじっと見つめてくる。
突き刺さるような視線ではない。
これでは、まるで……。
「アタシが好きみたいに言うのね」
「ああ、そう言ってんだよ」
冗談のつもりだったのに、あっさり肯定されてはエルザも驚き、戸惑う。
「まさか、アナタがそんな冗談言うようになるとは思わなかった」
「冗談なんかじゃないさ」
エルザは冗談めかして言ったが、彼は本当に本気のようだった。
「俺はあんたに一目惚れしてたんだ。それを自覚したのがこの前の一件だ」
北東方面の例の屋敷でのことだろうか。あの時のことを思い返そうとするとエルザの心のどこかで何かがストップをかける。
「今日のアナタ、なんか変よ」
変としか言いようがない。
トールはフェリックスやカーマインとはタイプが違うからこそ、エルザとしては少し困るのだ。彼らのようならエルザは笑い飛ばして突き放すことができるが、トールは誠実な男だと知っている。
「あんたがそうさせてるんだ。本当はわかってるだろ?」
「わからない」
彼が自分を鈍いと言うのなら、彼の〈無自覚の理解〉のようにわかることはできないだろう。
「俺の本名、読みを変えてから教えたのはあんたが初めてだ。エレクトラにも言っていない」
彼は嘘を吐かないだろう。
自分を欺こうとはしないだろう。
そうする理由は彼にはないのだから。
だとすれば、今、彼が言っていることは全て真実でしかないのだ。
「……アタシは誰のモノにもならないわ」
誰のモノにもなってはいけない。それは相手が誰であろうと変わらない。変えてはいけない掟だとエルザは自分を戒めてきた。
「なら、俺は口説かない」
「目が口説いてる。それは気のせいかしら?」
見つめてくる眼差しは挑発と言うほど熱っぽいものではないが、ただの視線ではあるまい。
「あんたが意識してくれるなら嬉しいよ」
トールは笑った。それは美しくも寂しげで、エルザの胸を軋ませる。
「困らせるとわかっていて、言うつもりはなかった」
トールは視線を外し、少し俯いて弱々しく首を横に振る。
それこそが彼の苦悩の正体だったのだろう。怒らせると言ったことも。
「でも、封じ込めようとすればするほど気が狂いそうになる」
苦しむ彼はどこか色気を感じさせる。胸が痛むのと同時にもっと苦しませたくもなるのだから質が悪い。サディストだと言われても否定できないところだ。
「おかげでわかりたくない奴らの気持ちまでよくわかった」
それは一体誰のことなのだろうか。聞ける雰囲気ではない。
「あんたをこれ以上煩わせないために何度も消そうとした」
恋などというものはそれほど相手を気遣うものではない。勝手なものだとエルザは思う。
ならば、これほど彼に気を遣わせる自分が悪いのだろうと後ろめたさを覚える。
「だが、生憎、言ったところで消えてくれるものでもない」
「アナタ、きっと、疲れてるんだわ」
「気の迷いだとでも?」
信じないのか、とトールがじっと視線を向けてくる。
「アナタがそうでないと言うのなら、違うと思う」
疲れているから、そんなことを言い出したのではないだろう。
気遣うことに疲れているように見えるのだ。
「アナタはフェアであろうとしすぎてると思う。でも、この世にはアンフェアなことばかりだわ」
卑怯なことを嫌い、公平であろうとしすぎて、彼は苦しんでいる。
「だから、無理に消そうとしなくてもいいと思う」
彼の姿勢は何も間違ってはいない。だが、彼に対して圧倒的に大きなものが不公平でありすぎる。
ならば、少しくらいそこから外れても良いはずだとエルザは考える。
このことに関してだけならば困るのは自分自身だけだからだ。
「いずれ、アタシの本性を知った時に自然に消えてくれると思うから」
「きっと、もっと好きになる。それでも?」
「アナタがアタシのせいで苦しむのは見たくない」
悲しいのか、切ないのか、よくわからない気持ちだった。
彼の苦悩が自分のせいならば今すぐ消えてしまいたくなるほどに。
「やっぱり、あんたは優しいな」
「優しくないわよ。アタシは氷の女だから」
「だから、惚れたんだ」
思ってもいなかったのだ。
まさか、あのトール・ブラックバーンからこんな言葉を聞くなどとは。
「もっと冷たい目を向けられると思ってた」
「アナタは誠実な人だと思うから、アタシもどうしたらいいかわからない」
適当な言葉で流せたら良かったのだ。
そうするにはトールの気持ちは真っ直ぐすぎる。
「フェリックス・ウルバーノやカーマインだって本気だろう」
「フェリックスとはそれなりに付き合い長いし、カーマインはバカだから、なんか違うじゃない」
「俺のライバルには変わりない」
その言葉にエルザは思わず笑ってしまった。
二人とも彼にライバル視されるなどとは思ってもいなかっただろう。クールな彼からは想像できない。
特に、フェリックスがトールをライバル視してきたことは明らかで、ウルサ・マイヨールの勢力を拡大した今でもそれは変わらないようだった。
「アナタはアタシに優しすぎる」
「惚れた女に優しくなるのは当然のことじゃないか?」
「アナタにとって、アタシが妹のようなものだからだと思ってた」
彼は優しい。初めて出会った時からエルザを庇った。自分が自分でなければ、その優しさを勘違いしていただろう。エルザはそう思う。
そうなれたら、楽だったのかもしれない。堕ちていくことは容易い。
「多分、アナタは面倒見のいい人だから。アタシのことも放っておけないんじゃないかって、放っておくべきじゃないって、責任感を感じてるんじゃないかって」
〈ロイヤル・スター〉の中でエルザは最も若い。殺し屋としての経歴は長く、それは忌むべきことなのだが、トールは初めから嫌悪を見せなかった。
「手のかかる義理の妹はエレクトラだけで十分だ」
何せ、年上の妹だ。一筋縄ではいかないだろう。エルザには、どうにもトールが彼女の我が儘に振り回されているように見えた。
「そんなに手がかかるの?」
「金はせびってこないが、やたら買い物に付き合ってくれと言われる」
「荷物持ちとアシとボディーガードね。一つの豆で鳩が三羽穫れるかも」
女ならよくあることだ。トールはお洒落ではあるものの、あまり物欲はなさそうである。
「付き合ったら最後、散々服や靴や鞄を選ばされて、帰るとマイアに怒られ、アトラスには土産を買っていかないとがっかりされる」
「アナタって案外苦労人よね」
顔には出さないが、トールは周りに振り回されて随分と困っているように見えた。
人手不足だが、部下に恵まれていないというわけでもないだろう。
彼がリーダーシップを発揮できていないのはあるかもしれない。けれど、そういう状況でもないとエルザは見ていた。
「あんたもそのタイプか?」
「アタシは自分の物を買う時は一人で行くわよ?」
女だからと言って、それほど買い物好きというわけでもない。
かつては部下などに色々と買い与えていたが、自分の買い物にまで人を引き連れはしない。
「確かに、あんまり悩まなそうだな」
「欲しいと思った物は全部買えばいいし、悩む程度なら買わない」
エルザの買い物はいい加減だとも言われる。
「でも、俺はあんたの買い物には付き合ってみたいと思うよ」
「一回でうんざりすると思うけど」
「そうか?」
女の買い物に付き合うほどきついことはないと、エルザは女ながらに思っていた。
「まあ、あの双子やギルの買い物に付き合うのはアタシでもきついし、それに比べればましだと思うけど」
あの一族の子息達はどうにも女々しく、エルザとしてはショッピングにもお茶にも付き合いたくないものだった。
「でも、手足があるなら、色々買いたいと思うじゃない。アタシは人使い荒いのよ?」
「喜んで召使いになるよ」
トールはにっこりと笑み、エルザはそれで女が殺せるのではないかと思ってしまった。それぐらいに破壊力があった。




