金色の獅子は迷宮に入る 011
〈カニス・マイヨール〉に着き、落ち着けとばかりにコーヒーを与えられたところで溜飲は下がらない。
アルドは何か聞きたそうにしていたが、察したように離れていった。今はそれよりも彼らに問い詰めなければならないことがある。
「何、あれ?」
コーヒーを飲んで、レオンはじっとルカを見る。
「何って、ありがたいファンのお嬢様方だけど?」
「他人様の下半身事情を勝手に妄想する雌豚どもが?」
レオンは顔を顰める。そのありがたみがまるでわからない。
「仕方ねぇだろ。少なくとも馬鹿総長はそれで喜んでる」
いつも容赦しないスバルがレオンを宥めるように言う。
「喜んでねぇよ。って言うか、レオン、お前は言い方がひどい」
面倒臭い奴が増えたとばかりにルカは頭を掻く。
「僕のファンじゃないし、事実だと思うけど」
「確かに事実だな」
言動を改めるつもりのないレオンにスバルも同意する。
「いや、ヴァイオレット・ムーンとしてお前は同意するなよ、スバル」
彼らはシックス・フィート・アンダーの幹部でありヴァイオレット・ムーンというバンドをやっている。彼女達は後者のファンであると言えるだろう。
「つーか、両刀って言われたのがそんなにショックだったのかよ」
スバルは容赦がない。前から知ってはいたが、今は思い出したくないことを言われて固まるしかない。図星だと言ってしまっているようなものだ。
「気にするな。俺なんかフェロモンたっぷりで攻めっぽいけど、実はヘタレで誘い受けっぽいって言われたしな」
笑いながらアカツキは宥めているつもりなのだろうが、救いになったとは言えない。
「俺は総受けって言われた。総長なのに」
「総長だからでしょ」
「他の野郎どもからもそう思われてるらしいんだよな……俺だってケツ狙われるのやだぜ」
ルカは遠い目をして溜め息を吐く。彼にも苦悩があるようだった。
「俺は総攻めだとよ」
「絶対に逆だって少数意見もあるらしいけどな」
スバルが言えば、アカツキが付け足す。そして、もう一度、ルカが深く溜め息を吐く。
「常に彼女達の間では議論が絶えないんだよ。スバルカかルカスバかでかなり違うんだと」
「どっちにしろ、俺は受けだしな……」
ルカにつられて、アカツキも嘆息する。
「つーか、レッド・デビル・ライだってそういうの凄いだろ」
「あそこはツインセストと、かかなりディープな感じだよな……」
「だから、気にしてんじゃねぇよ、ってことだ。宿命だ、宿命」
アカツキは笑うが、そんな彼をレオンはじっと見る。
「別に気にしてないよ。可愛い顔して受けもいけるけど、攻めると凄いって言われたことなんか気にしてないね。ドSとか淫乱とか言われたのなんて全然気にしてないよ」
言いつつ、エルザとしてはかなり気にしていたりもする。妄想の恐ろしさを思い知らされた。そう見られているのかと思うと少しショックを受けている。
「ドSなのは事実だろ」
スバルが突っ込みを入れてくる。ドSはどっちだと言いたいこともあるが、エルザは堪える。彼と言い合いをしても不毛なだけだ。
「僕が気に食わないのはどっかのヘタレの方」
じっとレオンはアカツキを睨む。そして、彼に三人分の視線が集まる。
「ああ、どっかの女アレルギーのヘタレな」
「自分から墓穴掘る大馬鹿だろ」
ルカとスバルが頷く。
「彼氏宣言されるし、本当に最悪」
全ては彼のあの発言だ。最後の最後にとんでもない爆弾が投下されたかのようだ。
「言い寄られるよりは、妄想の材料にされた方がいいだろ。ルカちゃんもスバちゃんもつれねぇし」
アカツキは申し訳なさそうにするわけでもなく、笑い続けていた。
女達が自分のお気に入りのカップルを作って妄想しようと何かされるわけでもない。害があるのは味方だ。
「こっちの精神衛生的に毒。大体、生物学上は同じだって知ってるよね? 先輩方」
「安心してくれ、今は女と思ってねぇから」
「今じゃなくても女じゃねぇし」
爽やかな笑みを見せているつもりらしいアカツキにスバルが続く。
「それも複雑」
レオンは不満げな表情を作るしかない。
「ストリート無敗で、〈暴君〉を下僕にしてるようなのが女かっての」
「あれは、したんじゃなくて勝手になっただけ。誤解されると不愉快」
うんざりとレオンは言う。
「いっそ、ヴァイオレット・ムーンに入ればいいじゃねぇか?」
名案を思いついたとばかりにアカツキは言う。
ヴァイオレット・ムーンは彼らの部活であり、バンドだ。
「冗談はやめてほしいんだけど」
「いや、結構本気で誘ってるけど。つーか、むしろやれ。いいよな? ルカ」
「まあ、俺、お飾りのリーダーだし」
すっかりその気になっているアカツキにルカも反対はしなかった。レオンとしてはビシッと反対してほしいものであるが。
「全員歌えるのが強みなのに?」
「女みたいなの売りにすればいける」
「いや、売りにするも何も……」
変装技術に自信があろうとバンドともなれば無理があるが、アカツキは聞いていないようだった。
「キーボードとかいいんじゃねぇの?」
「鍵盤は得意じゃない」
「お得意のヴァイオリンならやってくれるか?」
「ヴァイオリンは方向性違うだろ」
「つーか、自分が助かりたいからって必死すぎだろ」
スバルもルカも勝手なことばかり言うアカツキに生温い目を向ける。
「お前の女嫌いって、男装してればOKっていうレベルじゃなかったよな?」
不意に思い出したようにルカは言う。
「半径一メートル以内に女がいると赤くなったり青くなったりするくせにそれだけ特別かよ」
スバルに指さされ、レオンは顔を顰める。最早、それさえも面倒臭くなってきている。いっそ、無表情で彼らの話を流すべきなのかもしれない。
「先輩の例外になるとかありえない」
「安心しろ、俺の体がお前を女として認識してないだけだ。だから、期待するなよ」
「してないし、自意識過剰でしょ」
すっかり呆れ果てるしかない。彼は一体どうしたいのか。
「確かにつるぺただけどな」
スバルが完全に余計な一言を放ったが、エルザが気にすることではない。今まで他人から散々言われてきたことを今更どうとも思わない。
「大体、リーダーとルックス被るし」
「確かにルカちゃん女顔だからちょっと似てるな」
スバルとアカツキが言えば、ルカと目が合う。そして、同時に口を開いた。
「俺、こんなに無駄に無気力じゃねぇし」
「僕、こんなに無駄に挑発的じゃないし」
それからまた顔を見合わせ、ぷいっと背ける。
「やっぱり無理だろ、諦めろよ、ヘタレ」
スバルの口振りは初めからこうなることはわかりきっていたとでも言うかのようだ。
「だが、もうシックス・フィート・アンダーの一員だってことは確定だろ?」
アカツキがどこか縋るようにルカを見る。よほど切実な問題なのだろう。どうしてもレオンを引きずり込みたいらしい。自らの身の安全のために。
「そりゃあ、非常勤の幹部ってことで」
今後も頼む、とルカは言う。
「相談役でいいだろ」
スバルも突っかかりはするものの、必要性を感じているのか。単にからかう相手が欲しいだけかもしれない。
「いや、下っ端くらいで勘弁して欲しいんだけど」
「下っ端だと、遠慮なくしょっちゅう召集かけるぜ?」
「下っ端なら、副総長様を助けてくれてもいいよな?」
「先輩特権でパシってやるよ」
ルカ、アカツキ、スバルの三人は揃って嘘臭いほど爽やかな笑みを見せた。
「うわぁ、ちょーイヤな先輩って感じ……でも、暫くまた登校拒否するし、めんどいの嫌いだし」
「この不登校児め」
「それ、留年生に言われるって屈辱だよな」
ケラケラとルカが笑う。
「どうせ、面倒事担当のくせに」
「先輩方に関わるのがめんどい。特にアカツキ先輩って言うか、アカツキ」
荒事の専門家として中央の少年犯罪を未然に阻止できるかもしれないという点ではエルザも労力を惜しむことはしない。
だが、アカツキ個人の人間関係を解決することは彼自身の問題であって全く重要ではないことである。面倒臭いだけのことだ。
「愛してるぜ、レオン」
諦めの悪いアカツキが滑らかなテノールで言う。それは本当に恋人に語りかけるような声だったが、今は設定上男同士である。そうでなくとも全くそういった感情のない間柄だ。
「うげっ……コーヒーがまずくなる」
「なんだよ、せっかくいい声で言ってやったのに」
レオンがあからさまに嫌がればアカツキはその反応に不満を抱いたようだった。サービスのつもりだったのか。
「それ、ファンの女の子達に言ってあげればいいよ。何も残らなくなるかもしれないけど」
「絶対にイヤだ! 俺が犯されたらどうしてくれるんだ!?」
ぶるりと震え、アカツキは言う。
「今更でしょ。散々、想像の中で犯されてるくせに」
女性達の妄想の中で彼がどうなっているかわからないものである。飢えた雌の獣の前に彼を放り投げればどうなるかわからない。
「男が犯されて何が嬉しいって言うんだ!」
「女の一人も抱けないくせにね」
彼がどうして女性恐怖症なのかはわからないものであるが、知りたくもないことだ。
「俺は、女嫌いのお前ならわかってくれると思ってた」
「先輩みたいにじんましんとか出ないし、仲良くなれないだけだし」
「俺だって、好きで出してるわけじゃねぇ」
彼とて本当は女性と普通に接したいのか。同性愛疑惑がまことしやかに囁かれているが、彼自身が引き起こしたことだ。
「なんかアカツキ先輩の天然バカ受けってガチだよね」
「本人に自覚がないのが悪質なんだよな……俺も散々被害に遭わされた」
しみじみとレオンが言えば、ルカがうんうんと頷く。
「お前ら、ダチと先輩を大切にしろよ!」
完全に自分を厄介者扱いしていることに気付いたか、アカツキが喚く。
だが、ルカは無視して、レオンに右手を差し出してくる。
「まあ、今後も共闘することもあるだろうから、よろしく頼むよ」
「次はレッド・デビル・ライが一緒かもしれないね。考えたくないけど」
握手を交わしてレオンは言う。
ロメオもファウストもエルザがセッティングした彼らとの会談において、外で自警団的な活動をしていると明かした上で協力を申し出ている。
その時はレオンもレオンではなく、エルザなのかもしれない。
「俺らは大歓迎なんだけどな」
彼らは互いにファンであるということもあり、全く問題がないだろう。
エルザにとっては面倒なことが多すぎるが、今考えても仕方のないことだ。
「じゃあ、僕はこれで」
コーヒーを飲み干して、レオンは立ち上がるが、アカツキに引き留められる。
「おいおい、打ち上げはまだまだこれからだっての」
本来の目的はそれだったが、そうならないのはおおむね彼のせいである。彼らのファンの女性達に囲まれただけならまだましだったのだ。
「今夜はまだまだ眠れそうにないから。行かなきゃ」
「面倒臭がりのくせに夜更かしは生意気だ」
スバルは言うが、自分も面倒臭い先輩の一人だとわかっているのか。
「街が眠ってくれない限り僕も眠れないんだよ」
「格好付けやがって」
「スバル先輩だってちびのくせに十分格好付けですよね」
当て付けのように先輩を強調してやればスバルの眉間に皺が刻まれる。
「じゃあ、あとはトリオで仲良くあんなことやこんなことまでしちゃってくださいよ」
「まったく、ふざけたこと言い残していくなよ」
ルカはすっかり呆れていたが、それでもさっさと行けと言うようにひらひらと手を振った。後のことは彼がどうにかしてくれるだろう。
*
レオンが帰って行き、アルドはその背を見送るしかなかった。
結局、今日の収穫はエルザが元気らしいことを確認できただけだった。




