金色の獅子は迷宮に入る 003
男臭い。
エルザは心の中で吐き出す。見渡せば若い男ばかりである。
中央にある不良校で有名な男子校の教室にいるのだから当たり前である。
しかし、こうして真面目に学校に来たのはほとんど初めてのことだ。もちろん、女の姿ではない。
レオン・ディ・レオという男子生徒として学籍があるが、実際はエルザ・レオーネであって、正真正銘の女だ。
学校には通っておけ、と兄が言うのはエルザにもわかる。けれど、なぜ、男装してまで男子校なのか。
思い当たる理由はいくつかある。エルザは男社会で生きてきて、これからもそうしていく。だから、女は嫌いだ。おおよそ傲慢な女しか周りにおらず、克服できる気もしない。
しかしながら、本当の理由はこの学園を作ったのがレグルスであり、今でも多額の寄付をしている。つまり、中央にありながら南の手が届く場所なのである。一種の穴なのかもしれない。
そして、レナードの母校でもある。かつて皆を震え上がらせたトライアドの伝説は今でも語り継がれている。
今まで不登校を続けていた学園にレオン・ディ・レオとして顔を出すには理由がある。
問題が起きているからだ。学園と言っても中央、悪の芽を摘むのはエルザの役目だ。
元々、この学園にはシックス・フィート・アンダーがいる。学園の生徒で構成された自警団は今や中央でフォー・レター・ワーズに継ぐ力を持っているとされている。
その総長から直々に依頼されたと言えば仰々しいが、ルカに頼まれたのである。
校内に薬物が蔓延しているとなれば見過ごせない問題だ。若者が集まる西には薬物が流れ込みやすく、更にそこから中央に流れる。
西のルートの一つは潰したが、全てではない。現にエドのアルバイト先であるバー〈ドラゴン・ハート〉にも汚染は迫っていた。
生徒達からルートを特定する必要があり、エルザはレオンとして学園で行動することにした。
シックス・フィート・アンダーに任せておくのは危険である。彼もそれを悟ったからこそ、エルザを呼んだのだ。
そもそも、学籍はあるのだから、面倒な手続きをして潜入するというような手間もない。
さて、まずはどこから探るか。
レオンが自分の席に座って考えたところで、ふと男の園にあるまじき黄色い声にレオンは寝たフリをすることにした。
「よお、ちゃんと来たんだな」
コツコツと彼は机を叩く。レオンがここへ来ることになった原因――ルカである。
ざわめきは大きくなる一方で彼もすごすごと帰る気はないだろう。
諦めて、契約違反だと非難の眼差しを向けるが、彼は素知らぬ顔だ。
「まあ、言いたいことは色々あるんだろうが……」
大ありである。今すぐ罵声を浴びせたいくらいだが、レオンのキャラクターがそれを許さない。
「昼になったら屋上来いよ」
耳元で囁かれてもぞわぞわするばかりである。拒否しようにも彼はそれを許さないだろう。こうなってしまっては意味もない。
無言を承諾と彼は受け取ったか。
クラス全員が彼に注目していた。そして、レオンに。
エルザとしては最悪の状況である。
「じゃあな、レオン」
ニッと笑って手を振り、ルカは去って行く。
彼は総長と呼ばれてはいるが、自警団のリーダーであり、ヴァイオレット・ムーンというバンドのリーダーも兼ねている。その彼の人気はやはり本拠地に乗り込んでしまえば凄まじいものである。
だから、それが障害になるとしてエルザは校内での、否、レオンの姿での接触を一切拒否したのだ。
これでは計画を練り直さなければならない。
***
ルカが現れたのはあの路地裏だった。
彼にとっても気安い場所ではないだろう。決して来やすいということはない。
だから、エルザが帰るところで接触してきた。
「よっ、お姉さん、って違うんだっけか」
「わざとらしい」
〈カニス・マイヨール〉で初めて接触した時、彼は他人のフリをするだけでなくわざとらしくお姉さんと呼んでみせた。あの時には既にエルザの素性を知っていたというのに。
尤も、エルザも同じだ。エルザとして店に顔を出すようになった時には既に彼らのことは知っていた。
「頼みがある」
ひどく真剣な顔で彼は切り出す。
「あんたは気が長い方じゃないらしいから重要なところだけ言う」
彼の言うようにエルザは短気と言えば語弊があるが、間だるいことは嫌いだ。
「今、学園もドラッグ汚染が始まってる」
「そろそろ、行かなきゃいけない頃だとは思ってた」
エルザも想像はしていたことだった。だから、頼みがあると言われても驚きはなかった。
元々、学園には籍がある。行こうと思えばいつでも行けたが、言い訳をするならば忙しかった。断じてレオン・ディ・レオになるのが嫌だったということではない。
「俺は学園よりも行くところがあると思うけど」
今の彼にとってエルザはお姉さんではない。年上として諭そうとでも言うのだろうか。
カラーコンタクトをしていない目は幾分冷たさがないが、それでも見透かすような目は心地の良いものではない。
「本家、さっさと戻った方がいいんじゃねぇの?」
エルザが黙っていようと彼は続ける。
わかった風なことを、エルザは心の中で吐き捨てる。
彼にわかるはずがないとは言わない。本当の意味ではわからないことを彼もわかっているだろう。
しかしながら、彼だからこそ見えているものもあるに違いない。
「アレックスさん、元気だけど、いつまで保つかわかんねぇし」
彼の口からその名前を聞くとは思っていなかったエルザは少なからず驚いていたが、顔に出すわけにもいかない。
ありえない。けれど、ありえるからこその現実だ。
「なんで、って聞いた方がいいの?」
動揺、沈黙は自分を不利にする。慌てず騒がずエルザは静かに問う。それを自分が聞くべきなのか、と。
「部下だから」
ただ一言だけ、彼はそう答えた。
「部下、ね……」
「あんた、俺の上司なんだよ。もっと、そういう態度とった方がいいか?」
とる気などないくせに。口にはしないが、エルザは思う。そもそも、エルザはそういうことを部下に要求しない。
彼らが忠誠を誓うべきはエルザではない。ボスであるレナード・レオーネだ。
「そりゃあ、アレックスさんはあんたと連絡取れねぇだろ」
エルザが黙っていようとルカは続ける。
「あの人が今どうしてるか聞きたいんじゃねぇの?」
エルザは首を横に振る。聞きたくないと言えば嘘になるが、彼の口から聞くことではない。
「……条件がある」
そっと瞳を伏せ、エルザはこれ以上余計な話に発展しないように短く承諾の意思を告げる。
「元々来るつもりだったんだろ? 俺に何を要求するつもりだ?」
ルカの言う通りだった。だからこそ、無条件には受けられない。
「シックス・フィート・アンダーの総長様に要求だなんてとんでもない。単に学園では知らないフリして、ってだけ。アナタ達と関わると面倒になる」
学園における彼らの権力は絶大だと言える。本人達にその気はなくとも、彼らと組めば学園内でできないことはないかもしれない。
けれども、それでは目立ちすぎる。デリケートな問題なだけにエルザはひっそりと解決したかった。内部に全く関係者がいないわけではない。
「じゃあ、そういうことで、よろしく」
軽いノリで言ってルカは去って行った。
***
思えば、彼は明言しなかった。関わらないと。わかったとも言わなかった。
そして、ルカを言い含めたところで、アカツキやスバルが従うとも限らない。総長だからと言って二人はルカに服従しているわけではない。
つまり、エルザは三人それぞれに紙面での確約を取り付けるべきだったのだ。
最早手遅れであることは明白で、彼らが紙切れ一枚を大切にするとも思えない。ここでは彼らは先輩である。エルザが何者かわかった上で平然と年上面するのだろう。
昼なんか来なければいいのに。
そう思いながらエルザことレオン・ディ・レオは机に突っ伏す。
「ちょっと、お前!」
頭上に降る声が自分に向けられたものだとわからないわけではなかった。真横に立つ気配を確かに感じている。
だが、寝て過ごす気のレオンは無視する。
「お前よ、お前!」
無視されたことが気に食わなかったのか、彼はバンバンと机を叩き始めた。
そううるさくされては寝られるはずもないレオンは仕方なく顔を上げる。
「お前、ルカ様のなんなのさ!?」
同時に言葉を浴びせかけられて、レオンは沈黙した。
「……めんどい」
レオンは極度の面倒臭がりということになっている。できるだけ、敬遠されがちなキャラクターを作るようにした結果、何を考えているかわからず、社交性ゼロという設定になった。
組織関係者が多く通うこの学園で、聡い人間ならばその容姿と名が意味するところがわかるだろうが、彼はそうではないようだ。
尤も、あまり目を見せないように常に眠たげにしてはいるのだが。
「キーッ! なんなのよ、その答え!」
ヒステリーを起こす彼は見た目こそ歴とした男子生徒であるが、どうやらオネエと呼ばれる人種であるらしい。
エルザにはそういう知り合いがいないわけでもないが、対応の仕方に困らないわけでもない。何より過去のトラウマがある。昔、レディーらしさ云々の教育を受けた頃、講師となったアンドレアは今のように綺麗な女性ではなく、エルザからすればオネエ言葉の男であった。
「じゃあ、ルカに聞いて」
ルカのファンは男女問わず多い。彼はこの学園のカリスマ的存在である。バンド活動、自警団と活躍が目立つ彼を影の生徒会長と呼ぶ者もいるほどだ。
そんな彼に誰もが近付けるわけではない。特に一年生が三年生に近付くのは難しく、聞けるはずもないのだ。
「呼び捨て!? 本当に何様なのよ!! 今まで来なかったくせに!」
「うるさい。僕、寝るから」
不登校の理由を説明してやる必要はない。ルカとの関係もまた然りだ。
「あーもうっ! イライラするわ!」
「男のヒステリーは嫌だね。黙らないなら、虚勢してあげようか? 荒っぽくなると思うけど。男の身体やめたくなったら、いつでも言ってよ、ベイビー?」
レオンは薄く笑ってみせる。本気だと言葉に込める。
「なっ……」
「僕の眠りを妨げるな」
胸元から抜いたペンをレオンは彼の喉元に突き付ける。
たかがペンだが、十分な凶器だ。エルザは手にした物を武器に変えられる。たとえ、この教室の生徒全員が襲いかかってきたとしても、ものの数分で制圧できるだろう。このざわめきを一瞬にして静寂に変えることも、阿鼻叫喚の巷と化すことも容易い。
馬鹿げたことを考えるものだ。自嘲気味に笑ってレオンはこの場で寝ることを諦めた。
「ファッキン」
小さく吐き捨てて、レオンは教室を後にした。




