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24/7 - Twenty Four/Seven -  作者:
第九章
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第三の男 004

 無情にも時は過ぎ、約束通り迎えがやって来た。

 エルザの気分は限りなく悪い。移動する密室の中で、相手の感情が流れ込んでくるように感じる。

 自分の苛立ちと彼の苛立ちがぶつかり合って居心地の悪さを増長していく。

 昔ならばそんなことを感じたりはしなかった。彼が運転する車には乗り慣れていたはずだった。兄が買い与えた高級車、シルバーの美しい車だと思っていた。

 けれど、今は何もかもが気に食わなかった。

 流れるロックミュージックも、シートの感触も、自分が過去に選んでやった香水の香りも、全てが苛立ちに変わっていく。


 パーティーが行われる南東方面の屋敷は以前からエルザが睨んでいた場所でもある。街の外側を確実にヘルクレスが蝕んでいく中で、そこは砦とは到底言えないものだった。

 レグルスは外にも強い繋がりを持つが、アルデバランはそこが弱みでもある。

 だが、繋がりは永遠を約束されたものではない。外に行けば行くほど影響力は曖昧になり、より良い条件を提示されれば今のレグルスを裏切ることなど躊躇しないようになってくる。

 そういうところをヘルクレスは突いてくるのだ。長い物に巻かれているところもあるが、獅子の首が落ちるとなれば、いつまでも恐怖に支配されている必要もない。


 会場内に入って、エルザは逃走ルートやターゲットの確認をする。それが癖だった。

 そして、その中に良く知った人物を見付けてしまった。

 エルザの隣に立つ男に気付いて、近付いてくる。

「トール……」

 小さな呟きが聞こえたのか、また変装をしているエルザを見て彼は、納得したように頷いた。

「エルザ、か。これもあんたの仕事か?」

 今日はイグナツィオと釣り合うように念入りに変装をし、自信があったつもりだったが、簡単に見破られてしまった。

 彼にしてみれば簡単な推理だったのかもしれないが、その無自覚の理解は恐ろしいものがある。

 今日もその変装に人格を持たせているわけでもなく、持っていたとしても彼を見た瞬間に壊れてしまっていたかもしれない。

「敢えて言うなら、兄さんの仕事。強制連行された」

 ここは別段彼の領土というわけでもなく、不可侵などないようなものだが、妙に後ろめたさを感じるのはなぜだろうか。

「来るんじゃないかと思わなかったわけじゃない。それでも、俺は俺の責任を果たさなければならない」

 彼の責任感の強さは称賛に値するだろう。

 だが、彼が知らないフリをしたところで誰も責めることはない。それが掃き溜めの街の現状なのだから。

 エルザはちらりと彼の隣に目を向ける。見たこともない女性の姿がある。

 背まで伸びた黒髪、成熟した雰囲気を持つ女性だ。紫のドレスは胸元が大きく開き、女性的なボディーラインを強調している。谷間を形成する胸はパッドで盛ったエルザの胸とは大違いである。

 はっきり言ってしまえば、おおよそトールには似つかわしくない娼婦のような派手な女だった。

 尤も、彼がどんな趣味を持っていようとエルザが気にすることもない。だからこそ、エルザははっきり聞くことにした。

「そっちはアナタの情婦?」

「まさか、妹のエレクトラだ」

 トールは不躾なエルザの質問にも不快感を露わにするわけでもない。

 彼は嘘を吐かないだろうが、趣味の悪い冗談にも思える。似ていないということは問題ではない。

「年上の妹? まあ、深いことは詮索しないでおくけど」

 彼女は明らかに彼よりも年上に見える。エルザも今日は年齢を詐称しようとしている。老けて見えるのかもしれないが、どちらも否定はしない。

 どんな事情があろうとエルザには関係ないことだ。

「ねぇ、トール。そちらのお人形さんみたいなお嬢さんを紹介してちょうだい」

 エレクトラがニコリと微笑めば、何かぞっとするものがエルザの背筋を這っていく。

 その感覚には覚えがあった。殺気というわけではないが、エルザにとっては同じようなものだ。

「前に話したろ? エルザだ」

「エリザベス・レオーネ、今はね」

 なるべくそちらを見ないようにしながらエルザは投げやりに言う。今は、今だけは、ただのエルザではない。

 次にエレクトラがイグナツィオを見た。

「そちらは?」

「イグナツィオ、うちの幹部」

「恋人って感じじゃあなさそうね」

 つまらなそうなエレクトラの言葉にエルザはうんざりした。恋人かと聞かれたことも何度もあるが、言われて気持ちの良いことではない。エルザにとって彼は決してそうはならない男である。

「仲間、ただそれだけ。この人、一回りも離れた女と付き合うようなロリコンじゃないって」

「なら、パートナーを交換しない? その方がきっと釣り合いが取れるわ」

 良いことを思い付いたとばかりにエレクトラが微笑めば、トールが眉を顰める。

「遊びに来たわけじゃないんだ、エレクトラ」

「わかってるわよ。どうせ、目的は一緒なんじゃないの?」

 そのやりとりは目を閉じていれば確かに兄妹のようでもあったか。そもそも、組織のボスである以上トールの立場は上である。

 窘めるトールにエレクトラは不満げだった。

「すまない、今日が初仕事なんだ」

 小さな声でトールは言う。エルザにはどうでも良いことだった。きっと、彼女が仕事をすることはない。

 イグナツィオはただ無言でエルザに判断を求めるだけだ。そうなるとエルザの内に悪戯心が芽生える。

「アタシは別に構わないけど」

 イグナツィオへの当て付けでもない。単にパートナーが誰であろうと関係ないというあけだ。

「それじゃあ、決まりね!」

 エレクトラはニッコリと笑んでトールの側を離れ、イグナツィオの腕を取る。

 イグナツィオの決して明るいとは言えない表情が眉間に深く刻まれた皺によって余計に重たくなったことにエルザは気付いたが、ひらひらと手を振って見せた。

「さあ、行きましょう」

 腕を引くエレクトラにイグナツィオは困り果てた様子で視線を送ってきたが、トールはどうにもできないと肩を竦め、エルザも微笑むだけだ。助けてやる理由もない。

「でも、次はあなたと二人っきりになってみたいわ」

 くるりと振り返ったエレクトラがニコリと微笑み、エルザは咄嗟に不快感を隠せなかった。その手のことにはいつも全身が嫌悪を表す。

 アピールに気付かないフリをできれば良いのだが、敏感なのは仕方がない。仕事柄鈍感ではいけない。だが、トールなどとから鈍感だと言われる理由はよくわかっていなかった。

「じゃあ、二人でパーティーを楽しんで」

 自分達が仕事を成し遂げると言うのだろう。二人はパーティーゲスト達の中に消えていった。


「本当に良かったのか?」

 あっさりパートナーに離れられたトールが問いかけてくる。結局のところ、彼も相手を選べなかっただけなのかもしれない。

「どうせ、一人だってやれる。だから、好都合」

 だろうな、とトールが笑う。彼にはお見通しだったようだ。

「あっちの兄さんは不満げだったけどな」

 エルザとて、あの恨めしげな視線に気付かなかったわけではない。トールが彼女を止めきれないことも、本来なら自分がそこで止めるべきだったこともわかっていた。

 それでも、ぎくしゃくしたまま仕事をするよりはずっと良かった。

「あの人、いつもあんな感じだから」

「そうか?」

「陰気な髭なの」

 決して嘘ではないとエルザは心の中で自分に言い訳をした。

「そっちこそ良かったの?」

「俺には選べるほど相手がいないんだ。だから、本当は自信がなかった。あんたがいて良かったのかもしれない」

 トールは小さく溜め息を吐く。アルデバランはレグルスのように何もかも自由にできるわけではないことはわかっていたが、エルザが思っている以上に厳しいのかもしれない。

「それで年増の妹? 噂の部下じゃないんでしょ?」

「ああ、彼女は演技なんてできないからな……」

 優秀な部下がいても向き不向きがある。レグルスにはいくらでも人材があり、エルザのネットワークも広い。

 しかし、アルデバランの人手不足は本当に深刻なようだ。以前、彼は女の部下は一人だと言っている。

「そんなにお堅いの?」

「融通が利かないんだ」

「でも、そういう人も必要でしょ?」

 トールは頷く。必ずしもそれが悪いわけではない。

「確かにな。だが、あれもあれで扱い辛いんだ。あんたが言うように俺達の年齢差はあんたとレナードくらいだが、姉だと言うと俺の命が危うくなる。立ち位置の問題もあるからな」

「尻に引かれてるのね」

 トールはもしかしたら女性が少し苦手なのかもしれない。エルザは自分のことは手のかかる妹程度なのだろうとも感じた。

「色々わけありなんだ。まあ、あいつが迷惑かけなきゃいいが……何せ、本職じゃない。俺のパートナー役に連れてきたからな」

 トールは不安げだった。既に二人の姿は会場内にはない。

「あの人もプロだし、大丈夫でしょうよ。何か食べてれば?」

 エルザはテーブルの上に並ぶ豪華な食事の数々を指さす。

「いや……」

「あの人、アタシといてもストレス溜まるだけだと思うし。たまにはセクシーな美女と良い思いさせてあげないと」

 イグナツィオの実力はエルザが認める。彼はエルザの唯一の弟子であり、レグルスでもトップレベルの殺し屋だ。

「それ、冗談だよな?」

「本気。既に前髪の辺りに不安があるのに、ハゲたら可哀想じゃない」

 本気と冗談の区別が付かないと言われるエルザだが、今回は本気だった。

 仕事を軽視しているわけでもなく、信頼しているからこそ必ず成し遂げられると確信していた。

「でも、あんた達はいくつも仕事を成功させてきた良好なパートナーじゃなかったのか?」

「それも半年前までの話、元々何もかもが良好だったわけじゃない。いつだって擦れ違ってた」

 まるで恋人のようだと言われた関係だが、仕事は必ず遂行してきたというだけだ。

「兄さんが昨日突然寄越してきて……半年音沙汰なかったのに、今頃どういうつもりかしら」

「あいつはあんたをただのエルザにするつもりなんてないんだろうな」

 こういう時、エルザは自分が兄のことを何もわかっていないのだと思い知らされる。

「最近の兄さんって何を考えてるかわからない」

「あの男のことだ。今も昔も変わってはいないだろうさ」

「なら、変わったのはアタシの方ね」

 卒業後のトールとレナードの接点はないはずだが、エルザはトールの言葉は信じられると思った。

 本当はわかっていた。間違っているのは自分の方かもしれないと。


 暫くしてエルザは物々しい雰囲気の男が会場に入ってきたことに気付いた。何かを捜しているようでもある。

 イグナツィオから連絡があったのはその時だった。

 きっと、ろくな連絡ではない。空気がそう告げている。

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