双頭の鷲が羽ばたく時 013
後日、エルザはトールと改めて話をすることになった。彼がそれを望んだからだ。
最早、定番となった〈カニス・マイヨール〉でコーヒーを飲みながら。
しかし、空気は重い。
「顔だけ、って言われた意味を今頃思い知った。決断力も行動力もない。部下にそこまで言わせて気付かないなんて俺も相当鈍い。本当に無能だ」
トールは独り言のように吐き出す。彼は落ち込んでいるのかもしれない。
「そうは思わないけど」
「俺には北方を悪く言うことなんてできないが、あんたは違う。誰とも違う」
トールの言葉の真意はわからなかった。それでも、エルザは頷いた。
「そうね、違うわ。アタシは〈フランケンシュタインの怪物〉だから」
死体から作られた超人的な力を持つ人造人間、それは自分に似ているとエルザは思い、戒めにしている。
今でも追っているのだ、自分にとってのフランケンシュタインを。自分の中に封じられたその影を。
「前に兄さんと組まないって言ったのはどうして?」
今なら聞ける気がして、エルザは問うた。ずっと気になっていたことだ。
「なんでだろうな……俺はレナードを嫌っていたわけじゃないし、特に関わりはなかった。けれど、俺はレナードとは合わない。そう思う」
トールは自分でもわからないようだ。彼の理解は無自覚である。
「アタシとも合わないと思ったんじゃないの?」
「それでも、あんたはレナードとは違う。それに、合わないとしたら、俺の方に問題があるからだ」
誰がトールに問題があると思うだろうか。アブノーマルについていけなかったとしても誰も彼を責めることはできないというのに。
「結局、南だけが〈ロイヤル・スター〉としての誇りを今でも持っている」
「這い蹲ってでも前に進むことを知っていたから」
一度はレグルスも堕ちた組織だ。それでも、立ち直った。その時には他の〈ロイヤル・スター〉は戦いから離れていた。
仕方のないことなのだ。レグルスだけが戦いを捨てられなかった。貪欲に強さを求めてしまった。王であり続けることを望んでしまった。
「そうだな……」
街のどこかで争いがあるならば〈ロイヤル・スター〉は立ち上がらなければならない。
結局、黄金の時代の終わりと共に虚飾と矛盾に満ちた街になってしまった。
「すまない……少し混乱しているんだ。どうしたらいいか、わからなくなる。戦うしかないとわかっていた。戦ってきたつもりだった」
「笑いたいのか、泣きたいのか、怒りたいのか、わからない時がある。全ては多くの矛盾の上に成り立っている。そして、犠牲にしてきたものに、いつか引きずり下ろされる。正義でいることが辛いのなら、悪になってしまえばいい」
彼は公平であることを重んじる。それが彼の枷であるのかもしれない。
「俺は正義じゃない」
「でも、悪にはなれない。正義は自分を犠牲にする。悪は他人を犠牲にする」
トールはどうしようもなく正義だ。正義である故に苦痛を背負う。決して他人を犠牲にできない。
組織は全て悪だと言う者もいるが、元は正義のためだった。
「それなら、あんたは正義だ」
それは違うとエルザは首を横に振る。
「アタシは過去の犠牲の上に立っている。死神が今でもアタシの首に鎌を掛けている。一人だけじゃなくて、何人も。ミリ単位で予約してる。だから、アタシは代償を払い続ける。死んでしまえば楽なのに、決着を付けなければならないことがある」
そこで一旦言葉を切り、エルザはじっとトールを見る。
「ヘルクレスや全ての問題の原因の始まりがアタシだって言ったら、アナタ、どうするの? アタシを殺せる?」
いつだってエルザは探していた。自分を殺せる人間を。
だから、トールにはそれを話さなければならないと思っていたが、それを恐れてもいた。
「言ったはずだ。今のレグルスが悪いわけでもないし、あんたが悪いわけでもない。俺達にも責任がある。いや、俺達が衰退していったからレグルスはより力を求めてしまったんだろう。だから、俺達にあんたを殺す理由はないが、守る義務はある」
そんなことを言った人間は初めてだった。フェリックスが言った『守る』とは違う。それが彼の正義なのだろう。
その目には強い光が宿っている。彼の覚悟がその緑に現れていた。
これから何を話すかとエルザが思った時、重苦しい空気を一掃するように彼らはやってきた。
「やったー! カニさんだ! わーい!」
子供のように彼は駆け込んできた。ギルバート、その後ろにはシルヴィオもいる。
「ギ、ギル君……! シルヴィオ君……!」
アルドはすっかり感動しきった様子で、今にも二人に抱き着かんばかりだ。
「あ、アダム! ケーキ! いっぱい!」
アルドは二人を半ば無理矢理エルザ達の隣のテーブルに着かせ、アダムにケーキを用意させる。そうしなくとも彼らは逃げないというのに。
「も、戻ってきたんだよね?」
「うん、ホームシックになっちゃって」
あさりと頷くギルバートにアルドが首を傾げる。
「ホームシック? だって、お父さんとお母さんのところにいたんだよね?」
「ずっとおじいちゃんのところにいたし、結局、またこっちでみんなで暮らすことになっちゃったし。父さんも母さんも遠い親戚のお家に寄生虫してて、家族四人揃ったら『いい加減うざってぇんだよ、このタダ飯食いども!』って言われて追い出されちゃって……てへっ」
本当にわけがわからない世界だとでもアルドは思っているのか。こうなることを知っていたのかとばかりに視線を送られてもエルザは無視した。
そして、また二人組の客がやってきた。
それぞれ趣味は違うが、派手な格好をした黒髪の青年が二人、入ってきて迷わずエルザとトールのテーブルへと向かってくる。
「いやあ、助かった。助かった。晴れて俺ら自由の身になったからトールお兄様に報告に来ちゃった」
「逃亡生活、三日も続かないってね」
ロメオとファウストはニコニコと笑っている。
エルザはトールを見るが、彼はあらかじめ連絡を受けていたようだった。そもそも、エルザを呼んだのは彼の方だ。
しかし、内容までは聞かされていなかったようだ。
「あのアルテア・アクイラが許したのか?」
彼らは北方にとって許されないことをした。このまま自由になど許されないはずだった。
特にアルテア・アクイラにとっては。
「ふふっ、どこかの金髪の危険人物が乗り込んできて、脅迫したらしいんだよね」
「怖い、マジで怖いよ。俺らだって、母様に楯突く奴見たことないのに」
ニヤニヤしながら二人はエルザを見る。そして、トールの視線も加わる。
「あんた、あのアルテア・アクイラに食ってかかったのか?」
「あら、なんでアタシを見るのかしら?」
エルザは白を切ろうとしたが、無駄だった。
「ほんと、やることはやってくれるよ」
「祖父様だって母様のことは扱い辛いと思ってるのにね」
「追放したぐらいだし、伯父さんとは大違いだよね」
アルテア・アクイラは一種のタブーであるが、エルザは乗り込んだ。しかし、危険人物などと言われるのは心外というものだ。
エルザなりに責任を取ったつもりでもある。
「まあ、今度利子の話を持ち出したら本当に自殺行為になると思いなさいよ」
貸し借りの話などしないに越したことはない。エルザはいくらでも背負える。
「結局、なんか知らないけど、フィリップもアルフレードも目覚めちゃってすっかり支配者らしく仕事し始めたし、アルテアも誓約書にサインしたし、めでたしめでたしってヤツ」
この三日も経たない内にすっかり北方は纏まってしまった。
外のことは確かにエルザが介入したが、中のことはあれから何もしていない。
「トール」
「ん?」
「アナタ、フィリップになんか言った?」
フィリップやアルフレードが自主的にどうにかしたとは思えないものだ。もしかしたら、あの時、トールが戻って来るまでの間に何かがあったのではないかとエルザは推測していた。
だが、トールは首を横に振る。
「いいや、何も?」
爽やかだが、何かある言い方だ。そもそも、フォーマルハウトの今後を憂う星海に大丈夫だと言ったのはトールだった。
「じゃあ、そういうことにしておくけど……」
エルザが釈然としない気持ちのまま言えばトールは笑う。
「あんたのショック療法が効いたんじゃないのか? 本物の戦いを目の前にすりゃあ平和ボケも一発だ」
トールらしくない。エルザははっきりとそう感じた。
「何か変なの、そんな冗談言うなんて」
「あんたの影響を受けたのかもな」
やはり、トールは何かを知っているとエルザは確信したが、それ以上は聞かないことにした。
「あんまりアタシの影響受けるとろくでなしになると思うけど」
「そうだな、センスのいい冗談は身に付きそうもない」
「そう言われるとちょっと複雑」
エルザの冗談はセンスが悪い。そもそも、センスの良い冗談を言う気がないが、トールに言われるとどうにも恥ずかしいような気持にもなる。
「どうせ、わざとだろ?」
「そうそう、俺らもドン引きなくらいスラング使うし」
「しかも、本気と冗談の区別が付かないから困るよね。ふふっ」
「なめられないようにね」
全ては男社会で生きていくためだった。下卑た視線を這わせ、下品な言葉を吐く男達を黙らせるためには必要なことだった。
不意にロメオが振り返って、その目を細め、ファウストも同じ行動を取る。
二人の視線の先にはアルドが出したケーキを競うように食べるギルバートとシルヴィオの姿がある。
忘れてた、とロメオが立ち上がって呟いたのをエルザは聞き逃さなかった。
「って言うか、お前らさ、何勝手にケーキとか食ってんの?」
二人のテーブルに歩み寄ったロメオはバンとテーブルを叩く。
「いや、あの、それは俺が……」
ただならぬロメオの様子に慌てるのアルドだ。彼はまさかこの双子が来るとは思わなかっただろう。
「俺様達を差し置いてひどいよね? わざわざここまで連れてきてあげたのに」
「出します! すぐ出しますから!」
「いいよ、略奪するから」
「ふふっ、搾取してこそ、俺様達だよね」
「どうせ、あの金髪が奢ってくれるし」
ケーキを兄弟で奪い合っているところに、従兄まで加わっては、いよいよ混沌の様相を呈する。
だが、これは束の間の平穏というものだったのかもしれない。
争いの種はそこら中に撒き散らされ、そして、芽吹き始めた。




