双頭の鷲が羽ばたく時 006
その後、フェリックスが現れることはなかった。
次に彼に会った時はどうすれば良いのかとエルザでも思い悩むものだ。
問題は山積みであるというのに、彼はあまりに厄介な問題だ。
溜め息を吐けば、爽やかな笑い声に現実に引き戻される。
「溜め息なんて、あんたには似合わないな。悠然と構えていた方がいい」
向かいにトールがいることにも慣れたが、今日は互いに話があるわけでもない。共に待っていたのだ。
重要な話があると星海に呼び出されたのである。だが、星海は来ないだろうとエルザは予想していた。
約束の時間、エルザとトールの前に現れたのはやはり星海ではない。
オハラだった。偶然や、別件ではないだろう。
「本日は急にお呼び立てして申し訳ありません」
ゆっくりと歩み寄ってきてエルザを見て言うが、オハラは慇懃無礼な男だ。
だから、エルザは攻撃的なことを言うことにした。
「シンは急な腹痛でも催した?」
「おやおや、エルザ様、人聞きの悪いことを」
オハラは肩を竦めるが、エルザは引くつもりはない。
「別にアナタ達が何か盛ったなんて言ってないじゃないの。それに、いつから、アナタはシンを雑用に使えるご身分になったのかしらね」
フォーマルハウトとガニュメデスの勢力ではガニュメデスの方が上だが、〈ロイヤル・スター〉の効力は無視できるものではない。
だから、一時はフォーマルハウトの時期ボスとして代行を務めていた星海を連絡係に使って良いはずがない。
「エルザ様を相手にするには狡猾さが必要でございますから」
オハラがにこりと笑う。
確かにエルザはオハラの呼び出しならば応じなかった。アルフレードであっても、フィリップであっても、マリアであっても同じことだ。
その点では正しい判断をしたと評価することができる。
「次はどんな茶番を?」
「茶番などととんでもない! 真の継承者が見つかったことを、エルザ様にお伝えしようと思いまして」
エルザにとって北方がしていることはお遊びに過ぎない。真の後継者など見つかるはずもない。
そこで、トールは首を傾げた。
「俺はどうして呼ばれたんだ?」
「トール様にも是非お伝えしたいと思いまして」
オハラは言うが、それは今まで忘れていたともとれる様子だった。
「俺はエルザほど、関わりがないはずだが」
「トール様は〈ロイヤル・スター〉でございますから」
その言葉にトールは引っ掛かりを覚えたように見えた。
「なら、カーマインはどうだ? あいつが現れない理由はない気がするんだがな」
「カーマイン様、カーマイン様は……」
カーマインがいればエルザは呼び出しに応じなかった。きっと、それも読まれているようだとエルザは感じる。
「トールもアタシを呼び出す餌なの?」
「そんなことは……」
口ごもるオハラをエルザは自白剤のようだと言われる瞳で射貫くように見る。
「トール様がいらっしゃれば、エルザ様は必ず来ると言われたもので」
オハラは観念したように白状した。
「それ、誰が言ったの?」
きっと聞いてほしがっている。エルザは間怠いことが嫌いだが、時には我慢も必要だと知っている。相手を満足させて優越感に浸らせてから突き落とすのも悪くはない。
「真の後継者様で御座います」
考えてみれば可能性は思い浮かぶが、北方の考えなど読みたくもなかった。だから、エルザは素直に聞き返してやることにした。
「真の後継者?」
「エルザ様に継承していただく必要はなくなりまして、そのご報告と継承式にお立ち会いいただきたくお願いに参りました」
ひどく勿体ぶった様子でオハラは言う。今度こそ決着がつくと思っているのだろう。
「欠席」
エルザの返事は迷うまでもなく決まっていた。
「ご安心ください。レナード様は話すら聞いてくださらないですから」
心配することなどないとオハラは言うが、的外れだ。今更、顔を合わせるのが不安というわけではない。
「兄さんは茶番には付き合わない」
北方のやり口は南からすれば悪ふざけも同然である。
「そもそも、〈ロイヤル・スター〉の立ち会いが必要だってことならレナード・レオーネは来ないだろ」
「ええ、権限を持っているのはエルザ様です。責任があるかと」
「嫌、行かない」
彼らは何がなんでもエルザだけは参加させたいのだろうが、わざわざ思い通りになる気はない。
「フォーマルハウト正式後継者となられるロメオ様が是非にと」
自信に満ち溢れた表情でオハラは言う。それで思い通りになると思っているのだろう。あるいは、吹き込まれたか。
「ロメオが?」
エルザに驚きはなかった。あれから彼らの今後の行動について連絡があったわけでもなく、一切の打ち合わせもしていない。
そうなると確信していたわけでもないが、そういうこともありえるだろうと感じる。
「一人でならば後継者になると」
ロメオとファウストは揃って家との縁を切ることを決め、完全に離れた。
だが、そんなものは一方的な宣言であって、いつでも覆すことができる。そして、味方でさえも欺く必要があることを彼は知っている。
「ファウストはどうなる?」
トールははっきりさせておきたいのだろう。
エルザは聞けば不快な気分になることはわかっていたからこそ口にはしなかったことだ。
「元々、信用に足るお方ではありませんでした。ロメオ様がご一緒で、尚且つエルザ様がいらっしゃれば利用も可能と思っていましたが、この方が好都合と言うものですよ。ロメオ様は新フォーマルハウトにファウスト様を引き入れないと宣言しております。兄弟の縁は切ると」
彼らは二人で一人、二つの頭を持つ鷲だ。それがエルザの認識だが、北方にとってはそうではない。ファウストほど危険な人間はいないと思っているのだ。
彼は束縛を嫌い、誰かのために敵を裏切り、その誰かさえも最後には裏切ってしまう男だ。エルザも例外ではなく、彼と仕事をする度に痛い目に遭っているとも言える。
エルザもマゾヒストではない。それに見合うだけの利益は得ている。だから、何度でも彼に裏切られる。それによって受ける痛みなど何でもなかった。
「尚更、拒否」
「エルザ様、駄々をこねないでください」
子供を諭すようにオハラは言うが、それは決して我が儘ではない。
「俺は行く。俺だって無関係ってわけでもない」
トールは真剣な表情で宣言する。そうすることでエルザが行くと言うとも思っていないだろう。
彼の公平さを重んじる精神から考えれば見届ける方が正しいというだけのことに違いない。エルザも止める気はなかった。
「おお、トール様。それは助かります。アンタレスの方も欠席のご返答をいただきまして」
感動したようにオハラは言い、封筒を差し出すが、エルザは一瞬視線が自分に向けられたのを見逃さなかった。
「招待状は置いていきますので、気が変わりましたらお越しください」
オハラはすっと懐から出した封筒をエルザの前に置き、丁寧な所作で去って行った。
封筒を懐にしまい込んでトールの視線がエルザに向けられる。
「好きにした結果がこれか?」
彼は三人の背信についてどうなっているのか、聞きたかったのだろう。
けれど、本当に好きにしたらしい彼らの真意はまだエルザにもわからないが、言えることはある。
「単に能力だけを見れば、ロメオほどアクイナス、あるいはアクイラの名に相応しい人間はいない」
「そうなのか?」
トールは〈ロイヤル・スター〉の事情に詳しいが、外部の事情に精通しているのはエルザの方だ。特に北方のことはうんざりするほどよく知っている。
「女の子大好きだし、ルーズで気まぐれで、外に出れば後ろから刺されても不思議じゃないような男だけど、〈砂漠の鷲〉の血はロメオの方が濃い」
マリア・ヴェントラとの因縁はあるが、それも彼の才能故にとも言える。ただの女たらしならば面倒な事態を引き起こすこともなかった。
「双子なのにか?」
エルザは頷く。ロメオとファウストは一卵性の双子で遺伝子上はほぼ同一人物ということにはなるが、違う人間なのだ。
「〈裏切り屋〉としてのファウストの活躍を考えれば、彼の頭脳はかなりのものだと思う。けれど、肉弾戦に持ち込ませないようにできるだけで、持ち込まれたら一人じゃどうにもできない。孤独な詐欺師であってリーダーになるような男じゃない」
だからこそ、彼にとって自分は都合の良い仕事相手であったのかもしれない、とエルザは考える。
「でも、ロメオはヘラヘラしてるように見えて相当やるわ。頭で考えない代わりに本能で動ける。どっちも初代ガニュメデスを思わせる〈慧眼〉を持ってるけど、レグルスみたいな武闘派にスイッチしたい北にとってロメオは必要な人材でしょうね」
「あんたがダメだったからか?」
「最初から靡くとは思ってなかったでしょうよ」
ロメオよりもエルザの方が北方の求める条件に適しているのは間違いない。だが、エルザを説得するのはまず不可能というものである。同じ血筋が南北を治めるのも好ましいことではない。
「あんたの〈千里眼〉の上を行くのは厳しいだろうな」
「〈千里眼〉は兄さん。アタシは劣化コピーって言うか別物、野性の勘」
しばしば言われることだが、エルザは自分が〈千里眼〉の持ち主であるとは思っていない。兄は確かにそうかもしれないが、自分は他人に言われるほど兄とは似ていないと思うのだ。
「だが、ああやってはっきりと言えるのは尊敬する」
「そこ、軽蔑するところだと思うけど」
「強気に出ることも必要だとうちの部下が言うからな」
北方と渡り合う秘訣は自分の意見を絶対に曲げないことだ。絶対に心に隙間を作らず、締め出す。エルザはそれを実践している。
それは北方を見下していることでもあり、必ずしも褒められることではない。
「北方に気に入られないように気を付けて」
招待状を鞄に無造作に放り込んで、エルザは立ち上がる。
トールのようなタイプは北方にとって扱い易い人間だろう。誠実さ故に付け込まれる。
けれど、結局は北方とやり合えるのは自分だけだともエルザはわかっている。やるしかないのだ。




