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24/7 - Twenty Four/Seven -  作者:
第八章
60/245

双頭の鷲が羽ばたく時 003

 店の外に連れ出されて、それでもエルザは抵抗した。

 店内でなければ暴れられる。しかし、本気を出せば逃れることはできてもフェリックスが怪我をすることになる。

 それをエルザは望まない。不必要な傷害はできるだけ避けたかった。

 もしかしたら、読まれているかもしれないとも感じながら。

「アタシはトールと重要な話があるの。お願い、わかって、フェリックス」

 懇願したところでエルザも本当は無駄だとわかっている。

 自分に何の得もないところでフェリックスは引いたりはしない。レナードの意思に背くところならば尚更だ。

 それでも、エルザはできる限り時間を稼ぎたかった。潔く投降する気は更々ない。

 周囲には常に監視として〈フォー・レター・ワーズ〉の人間がいる。異変に気付けば逃走を手伝ってくれる可能性もある。

 闘争か、逃走か。それが問題だった。

「俺よりもあいつの方がいいって言うのか?」

 フェリックスの表情は険しく、言葉には棘がある。

 彼からトールの話を聞いたことはないが、彼の様子を見てわかった。フェリックスはいつでもレナードに敵わなかった。トールにも敵わなかったのだろう。

「そうだと言ったら?」

 話がねじ曲げられているのはわかっていたが、エルザはわざと彼を挑発するようなことを言う。

「これは重大な問題なんだ」

「こっちだってそう。アタシはトール達と一緒にヘルクレスと戦うから」

「レンに任せておけよ」

 エルザは家を出たことを後悔していない。それを半年も経つのに、なぜ、今頃他人に言われなければならないのか。

「ヘルクレスはアタシの敵、アタシだけの敵」

「お前の敵はレンの敵だ。だけど、レンの敵はお前の敵じゃない」

「それは違うわ、フェリックス」

 かつてフェリックスはエルザに言った。自分は味方だ、と。

 だが、結局はレナードの味方でしかないのだということが今露呈している。

 エルザの言葉に耳を傾け、親友を敵に回すことなど彼にはできない。エルザとレナードの考えが同じであると信じ、違えばエルザに押し付けてくる。

 卑怯と言ってしまえばそういう男なのだが、彼にも組織がある。

「子供じみた意地はよせ」

 フェリックスから見ればエルザは十分子供だろう。七歳も離れているのだから無理もない。

 それをエルザも否定するつもりはないが、彼が大人だからと遠慮するつもりもない。殺し屋としては対等でありたかった。

「これは意地じゃない。アタシの使命。邪魔をするなら、アナタでも許せなくなる」

「それで、俺が引くとでも思ったのか?」

 フェリックスの苛立ちはすぐに伝わってきた。

 彼のことは兄の親友として信頼しているが、全てを許せるわけではない。

「引かないでしょうね。今日のアナタはどうかしてる」

「どうかしてるのはお前の方だ」

 これほど、はっきりとフェリックスが言うのも珍しい。

 確かにどうかしているのだ。エルザも認めるが、彼は言葉を間違えた。

「かもしれない。でも、それは始めからよ。アタシはイカレてる。アタシが〈フランケンシュタインの怪物〉だから」

 しまった、とでも言うかのようにフェリックスの顔が歪む。

 こうなることを彼はわかっていたはずだ。だから、言うべきではなかった。

「アナタは正しいわ、フェリックス。でも、アナタは正しくない。アタシの中では」

 エルザに関わるならエルザのルールに従う必要があることはフェリックスもわかっている。だから、自分がそのルールに沿う人間でないこともわかっている。彼の立場が邪魔をする。

「俺は会う度にプロポーズをしてきた。その度にお前にははぐらかされてきたが、もうごまかしはきかない」

 レナードに言われたから求婚するわけではないと彼は言った。その前から惹かれていた。自分なら掟を変えられると諦めなかった。

 彼が近付こうとするほどに、エルザは突き放し、溝を深めていった。

「それが本当に恋だって言うなら、叶う見込みはゼロ。早く新しい恋を見付けなさいよ」

「ひどい奴だよ、お前は」

「そんなの最初からわかってたじゃない」

 時にエルザは自分を〈氷の女〉と表現する。

 尤も、それは今だからこそ言えることであって、彼だからこそわかっていることがある。彼はエルザの昔を知っている。

「俺は本気だ。お前も本気で返せ。それが礼儀だと言ったのはお前だ」

 エルザとて彼に昔言った言葉を忘れたわけではない。

「アナタは本気かもしれない。けれど、正気じゃない。アタシがひどくて、アナタはずるい」

 いつからかこの関係は歪んでしまった。けれども、歪めた犯人が自分であることもエルザはわかっていた。

 エルザの狡猾さが彼を変えてしまった。

 彼の本気はわかる。それを笑うことはできない。彼は追い詰められているからだ。

「ずるくてもいいさ。それで、お前が手に入るなら俺は何だってする」

「……賠償結婚でも?」

 その言葉の重みから導き出される答えは軽々しく口にできるものではなかった。エルザのプライドがそれを躊躇った。

 誘拐して、強姦して、その賠償として結婚する。

 彼なら、そうしないとは言えない。時は人を変える。既に彼は良くも悪くも変わってしまった。

 たとえ、レナード・レオーネが許さなくとも、彼はもう覚悟を決めているのかもしれない。単なる揺さぶりが通用しないことを彼はよく知っているからだ。

「そのためには俺はお前を連れ去らなきゃいけねぇ。もう少しお前が協力的なら優しくできるんだが」

 フェリックスの目に宿るのは獣の輝きだ。獲物を狙う獰猛さでエルザを見ている。

 彼がエルザの昔を知るように、エルザもまた彼の過去を知っている。知り合ったのは五年以上前のことになる。

 いつの間にか男らしく、獣らしくなった。けれど、獣としての経歴はエルザの方がずっと長い。彼がまだ泣き虫だった頃、エルザは既に人殺しだった。

「アタシにアナタを傷付けさせないで」

 本気を出せと言うのならエルザは彼を傷付けてでも逃げ出す。そして、これからも逃げ続ける。

 そうしたくない気持ちは変わらないが、これ以上時間を稼ぐことはできないだろう。

 彼を敵として認識することもやむを得なくなる。

 だから、それが最後の警告だったが、フェリックスは笑う。

「そりゃあ、無理だな」

 お前にはできないと言っているのか、それでも引く気はないと言っているのか。

 そんなことはどちらでも良かった。

 やるしかないと、エルザが腰に手を伸ばした時、それはどこからともなく飛び出してきた。


 俊敏な動きで二人の間に割って入ってきたのは黒い影だ。

 誰であるか瞬時に判断したエルザは後退したが、フェリックスの方は反応が遅れた。

 彼の反応も十分早かったのだが、相手の方が上回ったのだ。人間離れしているとも言えるほどに。

「どうやら、間に合ったようですな。主人のピンチはこのイケメン執事オハラが切り裂いてみせましょうぞ!」

 フェリックスは完全に呆気に取られている。

「必・殺! オハラカッターー!!」

 白い手袋に包まれた手がすっと伸び、しゅばっと一閃して空気を切り裂く。

 咄嗟に頭を後ろに逸らしたフェリックスの喉元に手刀が突き付けられる。白い手袋に包まれた手はガニュメデスの執事オハラの物だ。

「ご無事で御座いますか? エルザお嬢様」

 フェリックスの前に立ちはだかって、オハラはちらりとエルザを振り返る。先程から聞いてはいけない言葉ばかり聞いている気がする。

「それ、新手の嫌がらせ?」

「滅相も御座いません。本日よりエルザお嬢様に仕えることになりまして」

 オハラはエルザに向き直って深々と頭を下げる。

 聞き間違いではなかったらしい。

 この男は年老いてはいるが、決してボケるような人間ではない。

「イケメンとか本気で言ってるの?」

「もちろんですとも!」

 老人の戯言を許してやるべきか。無視する方が賢明であるのかもしれない。

「って言うか、なんで、あの子達についていかなかったの?」

 エルザも世話をしていたシルヴィオとギルバートが国外に出て、当然彼も付いていくものと思っていたわけではない。アルフレードがいるからだ。

「必要ありませんでしょう」

 オハラはきっぱりと言い放つ。尤も、それは彼自身の意見であるよりも、アルフレードの決定であるのかもしれない。

 聞きたくないのに相手が聞いてほしがっていることを聞いてやるのはあまりに面白くない。

 しかし、そうしなければ話が進まない。仕方なくエルザは聞いてやることにした。

「なら、なぜ、アルフレードから離れるの?」

「アルフレード様には優秀なメイドがついておりますので」

「マリアね? 優秀だとは思わないけど」

「ええ、こうなってしまった以上、フィリップ様とアルフレード様はエルザお嬢様をフォーマルハウトの後継者に、と考えておりまして、フィリップ様のお屋敷でお待ちしております」

「絶対に嫌」

 またとんでもないことを言い始めたものだ。

 エルザはうんざりしながら即答したが、オハラは気にする様子もない。

 フィリップとアルフレードが共同で北を治めるのは今までとは少し意味が違ってくる。アルフレードは〈ロイヤル・スター〉ではなかったからだ。連名ならば構わないだろうが、そこに自分を据えるというのはやはり北の考えそうなことだとエルザは思う。

 そこで渋い顔をしたのはフェリックスだった。

「俺も反対だ。それはレン……レナード・レオーネの意思に反する」

「これはこれは、フェリックス・ウルバーノ様。お会いできて光栄で御座います」

 今、気付いたようにオハラは言うが、慇懃無礼とも取れる。

「そんなことはどうだっていい」

「では、貴方様がフォーマルハウトを継承なされますか?」

「冗談だろ? 俺にはウルサがある」

 そうでしょうとも、とオハラは頷く。外の人間は口を出すなと言っているのだ。

「しかし、エルザお嬢様の武力と知力、人望と千里眼があれば一つの組織として機能するのは間違いありません。あるいは、レグルス以上になれる」

 つらつらとオハラが並べ立てることは侮辱だとエルザは受け取った。

 レグルスの構成員は各地に散らばっているが、結束力は高い。

 それに勝るものなどないとエルザは思っている。〈眠れる獅子〉が目覚めれば、必ず〈絶対王者〉となるとも信じている。

「そんなの悲劇の引き金にしかならない」

「フィリップ様が大きな愛で守ってくれますとも」

「冗談じゃない」

 結局、言いたいことはそれなのだろう。

「フィリップ・アールストレム、か。若くねぇ男に求婚されるのはどんな気分だ?」

 ニヤニヤと笑うフェリックスは面白がっている様子だ。実際は自分の方が有利だと優越感に浸っているに違いない。

 だから、エルザは彼に冷めた眼差しを向けるだけだ。

「アナタと同じ」

「言ってくれるぜ。俺はお前を利用しようとは思わねぇさ」

「それが本当に正しいことだと思ってるの?」

 戦いをやめろと言われてエルザはレナードの下を離れた。

 フェリックスがしようとしているのはそのレナードと同じことだ。

 戦いから離れたところで、愛されて生きるのはエルザの生き方ではない。

 戦って、這い蹲ってでも前に進んで、全てを終わらせて死ぬことがエルザにとって美徳でもある。

「北の全権を得て、南はレナード様に出てきて頂けば良いではありませんか」

「よくない。アナタたちは何か勘違いしてる」

 北方は何もわかっていない。わかった素振りを見せて押し付けたいだけだ。

「なぁ、エルザ、助けてやろうか? うちだってヘルクレス問題はどうにかするべきだと思っている」

 フェリックスの言葉が悪魔の囁きのようにさえ聞こえるが、エルザは惑わされない。

「いらない」

 今のウルサ・マイヨールの勢力ならば下はどうにかできるかもしれないが、本来のヘルクレスはエルザの敵だ。

 しかしながら、フェリックスはそれを討たせてくれるような男ではない。


 フェリックスの誘いをはね除けたところで、オハラは自分の方に分があるとでも思ったか、ずいっと前に出てくる。

「ささっ、エルザお嬢様、参りましょう」

「エルザ、お前は俺と来るべきだ」

 一度、断られたくらいで諦めるフェリックスでもない。彼もオハラの隣に並んで、まだ諦めてくれそうにない。

「どっちにも行かない」

「全てはエルザ様が始めたこと。しかも、北方は大損害で御座います」

「俺がお前を守るから、もう危ないことはよせ」

 どちらを選んでも地獄、三つ巴。状況は確実に悪くなっている。

「どいつもこいつも……ファックオフ!」

 悪態を吐いても状況を変えられないことはわかっている。

 逃げられないなら、いっそ、フェリックスについていった方が良いのかもしれない。

 これは降伏ではない、交渉のための譲歩だと心の中で言い聞かせた時、引き留めるようにエルザの腕が掴まれた。

 ぐいっと強い力で引かれ、フェリックスとオハラから隠すように、黒い背中がエルザの視界を遮る。

 見上げれば銀色の髪、その表情は見えない。店の窓の向こうではアルドが心配そうに見ていた。

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