双頭の鷲が羽ばたく時 001
ロメオとファウストはアクイラであることさえも拒み、レッド・デビル・ライとして生きることを選んだ。フォーマルハウトを継承しないという話はすぐに伝わった。
リブラとの協力関係もすぐに築かれ、彼らの希望によりヴァイオレット・ムーンことシックス・フィート・アンダーとの会談もエルザがセッティングした。
そこで彼らは自分たちも一種の自警団的活動をしていることをルカ達に明かした。尤も、彼らはそれほど浅いところにはいないのだが。
フォーマルハウトは現状では静かになったが、どうにも不気味でもある。
大衆の平穏のためにはどこかで犠牲という代価が必要になってくる。自らが平穏に溺れて役目を捨てようとする現フォーマルハウトのフィリップ・アールストレム、療養というのも理由になるが、それでも彼が果たすべき責任はある。他の〈ロイヤル・スター〉に守りの強化を呼びかけながら、彼らは他を混乱させるようなことをしている。
ガニュメデスに責任を移そうとしても、そこにも後継者はなく、アクイラもまた同じである。
けれど、それで彼らが諦めるだろうか。
どうにもエルザは自分がこの問題の渦中に巻き込まれている気がしていた。否、気のせいではないだろう。
そもそもアクイラをエルザの指揮下に置こうとしたり、最終的な合意をさせようとしたりと嫌がらせにも思える。
もしかしたら、遠回しに北方に呼ばれているのではないか。エルザはその考えを振り払おうとした。意地でも行きたくないものである。
どうにかあの性悪四天王に責任を取らせ、鉄壁の守りを築き、不安を減らしたいものである。
やはりトールには早い段階で真実を話しておく必要がある。その判断からエルザはトールを〈カニス・マイヨール〉に呼び出すことにした。彼は快く応じた。
約束の時間の前、エルザはハットを深く被り、口元にバンダナを巻いて、ストリートに出向いていた。
中央に堂々と入り込む組織関係者はよほどの馬鹿か、怖い物知らずだが、若者達はまた違う。組織など自分に関係ないところだと思っているし、軽犯罪は日常茶飯事だ。そこで自分を知らしめることがステータスだとでも勘違いしているようだ。
そういう輩まで全てを守る義務はエルザにはないが、悪さをする芽は早い内から摘んでおいた方が良い。
そのためにエルザは〈氷の人形〉としてストリートに君臨し続けている。
この辺りはフォー・レター・ワーズがあるが、それでもわかりやすいシンボルがあった方がいい。フォー・レター・ワーズも血の気の多い人間を集めているせいか、たまにエルザが面倒を見てやらなければならないことがある。彼らも結局のところ若い人間を集めているせいか、紙一重なところがある。
エルザが歩けば、ストリートにざわめきが起こる。〈氷の人形〉を知らない人間はまずここにはいない。
そして、すぐにそれに気付いた一人の青年が近付いてくる。背中に4LWと書かれたパーカーを着た彼もフォー・レター・ワーズの一員であり、この辺りの警備を行っているわけだ。
「すみません、姐御。ご面倒をおかけして」
彼は礼儀正しく頭を下げたが、エルザにとってはそれが仕事というものである。一々礼を言われることではない。
「別にいいわよ。って言うか、その姐御ってやめない? アタシ、絶対にアナタより年下だし」
「いえ、姐御は姐御ですから。だって、リーダーの彼女さんスよね?」
なんて誤解だ。エルザは心の中で吐き捨てる。あの男に限って自分の女などと言い触らしたりはしないだろうが、そう思う人間も多い。本気か嫌がらせかは別としてスバルがそうだった。エルザにとっては極めて不本意なことなのだが。
「あの男はアタシの下僕になったみたいよ」
〈暴君〉と呼ばれるフォー・レター・ワーズのリーダー、クライドはエルザにとって不本意な知人である。彼自身はエルザを恩人として扱っている部分もあるが、エルザにしてみれば大した恩ではない。
尤も、今も彼の子分達の面倒を見ているのだから対等と言えば対等なのかもしれない。
「それで、困ってるって何に?」
「それが……」
最近、困っていることがあると連絡を受けてエルザはこの場所へ来た。
彼は言いにくそうに口を開き、エルザの後方を見て固まった。
「うわっ、出た」
幽霊が出たわけでもあるまいし。エルザは振り返り、盛大に溜め息を吐きたくなった。
確かに、出たのだ。
「相手しろよ、〈氷の人形〉」
言い放つのはスバルだ。会う度に突っ掛かってくるが、まさかここまで来るとはエルザも想定外である。
どこでどう嗅ぎ付けたのか。それとも偶然か。
「こっちは面知ってんだよ。逃げも隠れもしないで相手しろ」
「ここのところ毎日来るんス」
エルザは呆れる。一体、自分に何の恨みがあると言うのか。
「スバル、アナタ、何をそんなに盛ってるのよ?」
「別に、ここじゃよくあることだろ」
「よくあるけど、いいことじゃないわよ。特にアナタはチンピラじゃない」
ここにはエルザの首を狙う人間が多い。
無謀なことを好む若者達が強さの象徴となっている〈氷の人形〉を潰し、その地位を得ようとしてのことだ。
けれど、スバルの場合はそうではないようだった。
「お知り合いっスか?」
おずおずと青年は問いかけてくる。スバルは名乗りはしなかっただろう。
「〈シックス・フィート・アンダー〉の幹部」
「げげっ」
エルザが答えを与えてやれば、予想通りの反応が返ってくる。
「アナタって一々突っ掛かってくるわよね」
「どうせ、ここにはそういう奴しかこねぇだろ」
「だから、アナタは違うでしょ。アタシの正体知ってるし、馬鹿じゃない」
スバルはこの辺りにやってくる若者は違う。彼にはシックス・フィート・アンダーとしての地位がある。勢力としてはフォー・レター・ワーズの次だが、そこに不満を持っているわけでもあるまい。
「なら、俺の本当の目的を話そうか? エリザベス」
本名を口にされたところで、別段驚くことではない。彼は自分に関してかなりの情報を持っている。それはエルザもわかっている。
あるいは、ただ者ではないのかもしれないが、追及している暇はなかった。
「今日こそぶっ潰してやる!」
声を張り上げて彼らはやってきた。
いかにも下卑た輩、ここに来る人間の典型だ。
「うわっ、またなんか出た!」
「こっちは待ち合わせがあるってのに、どいつもこいつも」
エルザは思わず悪態を吐いて、スバルを見る。
「一人でどうにかしろよ。そうしたら、今日のところは見逃してやる。俺はああいうのに加わるほど馬鹿じゃないからな」
これでスバルの相手までさせられると間違いなく待ち合わせに遅れるだろう。
彼はごろつきとは違うからだ。
「アナタ、友達いる?」
「あんたよりはずっと多いだろうよ」
彼はルカやアカツキが友達であるとは言わない。
生意気だということはこれまでの接触でよくわかっている。一歳しか変わらないとは言っても彼の方が年上であるのだが、エルザは遠慮しない。
「彼女とかできなそうよね」
「低レベルな言い争いに乗ると思うか?」
「可愛くない」
「可愛いなんて思われたくもねぇし、あんただって可愛げはねぇだろ」
黒髪に意志の強そうな黒い瞳、小柄だが、可愛らしいと言うよりは格好良い分類に入るのだろう。その口の悪さを除けばだが。
安い挑発に乗らないところからプライドと確かな目的を感じさせる。
けれど、自分たちを全く無視したやりとりに男達が黙っているはずもなかった。
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇ!」
「うるさい。空気読んで失せなさいよ、下種野郎」
がなり立てる声に苛立ちをぶつけても無駄なことぐらいわかっていた。
ここにはエルザを昂揚させるものはない。けれど、エルザの存在が、多くの男達を高ぶらせる。
「て、てめぇっ!」
「やりたいならさっさとかかってきなさいよ。間怠いのは嫌いなの」
男は激昂するが、やるならやるとはっきりしてほしいものだ。
エルザから仕掛けても構わないのだが、あまりに一方的に一瞬で完結してしまう。それでは卑怯だと思うからこそ、エルザはいつも礼儀として相手に先制のチャンスを与えていた。
「その言葉、後悔させてやる!」
「しない。だって、アタシは最強だから。あ、かかってくるなら全員纏めてにね、時間がないから」
〈氷の人形〉は絶対に負けない。並の相手なら一対一で相手にする必要もない。その挑発で平常心を欠いた相手を倒すのは容易いことだ。
目論見どおり、彼らは威勢よく声をあげてかかってきたが、エルザはそれをただ冷めた目で見た。
「汗かきたくないから一瞬で終わらせる」
空気を感じ、的確に重い一撃で沈めていく。
全員に平等にそうしてやったところで、エルザは時計を確認する。なんとか間に合いそうである。
〈フォー・レター・ワーズ〉のメンバーに目配せをすれば、スバルとも目が合ったが、彼も言ったことは守るようだった。
そうして、もう二度と来なければいい。そう思いながら、エルザはストリートを後にした。