双子の悪魔 010
一杯、二杯、三杯、次から次へと砂糖が投入され、くるくるとかき回されるコーヒーを見れば、なぜだか可哀想な気持ちにもなる。だが、他人の嗜好にとやかく言う趣味はエルザにはない。
大が付くほど真面目で、堅物という言葉と友達のような男が相手ならば尚更だ。
甘党の男は珍しくもない。エルザがうんざりするほどスイーツを好む男をバイキングに連れて行ってやったこともある。目の前で巨大なパフェが消えていくのも見たことがある。
だが、この男星海は少し事情が違った。
ロメオから話があると連絡が入ったのは昨日の夜のことだった。エルザは彼に頼まれて星海を呼び出したのだが、肝心のロメオとファウストは約束の時間に遅れたまま音沙汰がない。
そうして、もう一人呼び出した男も遅れると連絡が入っている。
「ねぇ、アナタってどうしてフィリップに仕えてるの?」
沈黙が重く、気の利いた話題さえ浮かばずにエルザは何気なさを装って問いかけてみた。
本来エルザはそういったことを自ら聞くことはあまり好きではない。
「自分は先代に拾われ、それ以来フィリップ様に仕えている」
「なら、フィリップとは兄弟みたいな感じ?」
兄弟、その言葉を吐き出すのは気乗りがしないが、他意はないつもりだった。この話に乗じて探ろうなどとは思っていない。
「フィリップ様はそのように接してくださったが、自分には親もなく、罪人同然だ。尽くすことだけが償いだと思っていた」
「親がいたって、血の繋がる兄弟がいたって人は罪を犯す。小さいのも大きいのも。アタシはもうどうしようもないけど、アナタは誠実な人だから、償えているわ」
人間兵器、殺人のための人形を養成する組織でエルザは育った。その時の話は彼と重なるものがある。エルザには家があり、親がいるが、そういう人間は組織には少ない。大抵は家族がいない。捨てられたか、買われたか、攫われたかは別として。
「貴殿は……」
「アタシはもうあと死ぬしかないレベルだもの」
生きていればいるほど罪だけが膨らみ、闇が大きくなっていく。それは手の届く場所でもあり、届かない場所でもある。
全てを自分の手で終わらせて死にたいと言いながら本当は今すぐ消えてしまい。けれど、許されないことがわかっているから生きている。エルザは矛盾している。
「だが、貴殿は多くを救ってきた」
「アタシはそんなに立派な人間じゃない」
救われたと言う人間はいるが、救われなかった人間もいる。誰かは笑って、誰かは泣き、やがて憎しみとなり連鎖し、抜け出すことができない。
「自分は貴殿の歌が好きだ」
「アタシは本業じゃないし、声量ないし、表現力ないし、杖で滅多打ちにされたことがあるわよ」
「なんと……」
歌姫やディーヴァと言われようと、それは自分には値しない。それだけの誰かを魅了するような力は持ち合わせていない。エルザはそう思っている。歌うことが好きだったわけでもない。
星海は何かを言いたげだったが、それ以上話が続くことはなかった。待ち人の一人がようやく姿を現したからだ。
「遅くなって悪いな」
トールはすまなさそうにしていたが、連絡は受けていた。エルザは星海の隣へと彼を促す。
「大丈夫、まだ双子が来てないから」
問題はアクイラの方である。突然のトラブルなどよくある話ではあるが、彼らの場合はそうでないこともある。
「そもそも、俺は必要なのか?」
話の内容が北方の継承問題についてだというのは明らかだ。だからこそ、東方のトールは承諾したものの、困惑している様子だった。
「収拾がつかなくなりそうだから滑り止め的な」
脱線の激しい双子とトラウマ持ちの星海、その中で主導権を取るためにエルザはトールを呼んでいた。星海のフォローに回れば守備に徹しなければならなくなるのは目に見えているが、トールがいれば徹底的に攻撃に回ることができる。
そうしなければ、どこまでも話は迷走して、遠回りをすることになる。
「そんなに滑落するのか」
「多分、物凄く、っていうか、際限なく、奈落の底まで」
「そりゃあ、大変だ。俺が止められるのやら」
「いてくれるだけで大丈夫」
二人はトールを気に入っている。トールが自由に言葉を挟んでくれればどうにでもなるはずだった。
「俺にはあんたが自分から派手な雪崩を起こそうとしているように見えるんだがな」
「意図がわかれば後はガラガラってね。自分のペースに引きずり込んだ方が勝ちなのよ」
「あんたも意外にやり方が荒っぽいよな」
「好きな言葉は荒療治、なんてね」
何か引っかかる言い方だったが、エルザは気にしないことにした。ようやくロメオとファウストがやってきたのだ。
彼らはやって来るなり、遅刻を詫びるわけでもなく、星海を見た。
「あ、星海お兄さん。やっほー」
「ロメオ殿、ファウスト殿……」
「いやだなぁ、そんなに警戒されると苛めたくなっちゃう」
二人が変態であることは本人達が違うと主張しても誰も信じないことだが、ヘテロであることは間違いない。単に性格が悪いだけである。
「おやめなさい、馬鹿双子。遅れたくせにふざけんじゃないわよ」
エルザは二人を睨む。締めるところで締めなければ緩み続けることはわかっている。
「いや、ファンに囲まれちゃって」
「そうそう凄く困っちゃったよね」
「見え透いた嘘はやめなさい。誰がアナタ達みたいな変態ツインズを囲むのよ」
二人はそれらしい言い訳をしたつもりだろうが、エルザは信じない。こういったところで信じてやる必要はない。
「いや、相当人気はあるだろ」
トールは言うが、彼らのことを本当にわかっているとは言えない。
「どうせ、来る途中にショッピングでもしてたんでしょ」
もし、トラブルがあったならば、いくらこの二人でも連絡はしてくる。彼らにも誠意というものはあるからだ。
だが、いつもならば悪びれない二人もトールの視線を受けて気まずそうに黙り込んだ。
「図星、なのか?」
二人は顔を見合わせると観念したように肩を竦めた。トールは彼らの弱点でもあるのかもしれない。
「だってさ、運命を見付けたらすぐに手に入れないとなくなっちゃうんだよ?」
「そうそう、俺様達、狙った獲物は絶対に逃したくないんだよね。他の誰かに取られるなんて絶対に許せないから」
彼らの執着、独占欲は尋常ではないところがある。アルテアの教育の結果の歪みだとエルザは確信している。
「さっさと本題に入らないとアナタ達に地獄見せるわよ」
凄んだエルザに二人はぴしっと背筋を伸ばして席に着く。
それを見たトールは不思議そうに呟く。
「随分と素直に従うんだな」
「本気出されたら俺ら人格変わっちゃうよ」
「北方の犬になんてなりたくないよね」
エルザは彼らが協力するならば見返りとして今まで通りの関係を保証する。そうでないならば、最も屈辱的な道を用意してやるというだけだ。
互いに警戒し、微妙な距離感を保っている。望むものは安定ではなく、危うさだ。
けれど、シリアスなところでふざけることは絶対に許されない。均衡を崩せば相応の報いとゲームの終わりが訪れることになる。
エルザは近寄り難そうに様子を窺っていたアルドを手招きで呼び寄せる。どうにも視界の隅で落ち着きがなく気になったのだ。
「これ、書き置き。きったない字だけど、解読できるでしょ?」
ロメオは懐からメモを取り出し、エルザの方へと滑らせる。
「書き置きってまさか……」
「ジルもシルも二人とも出て行ったよ」
「そんな……」
メモを覗き込もうとしていたアルドはあっさりと答えを言われ、絶句した。
「あの人達のところへ行ったのね」
「そう、自分達を置いて旅立った両親の後を追っちゃってさ」
「そ、そんな! 今すぐ止めないと! て、手遅れとか言わないよね!?」
追い打ちをかけるようなエルザとロメオの言葉にアルドの頭は真っ白になったようだ。
「まあ、手遅れって言えば手遅れだよね?」
「うわぁぁぁっ! 人でなし!!」
冷めた表情で言うファウストにアルドはついに頭を抱えてしまった。
それには星海は微かに困惑を表情に滲ませ、トールも苦笑いを浮かべる。
「いや、そんなに大袈裟なことじゃないんだけど」
話を持ってきたロメオも予想外の反応にどうしたものかという表情だ。
「だ、だって、旅立ったって……」
「誰が死んだって言ったのよ。妄想し過ぎ、ドラマ見過ぎ、騒ぎ過ぎ」
「え……?」
思考と行動がバラバラになり、すっかり挙動不審になったアルドをエルザは制する。
「まあ、俺らも忘れることにしてたから勝手に殺すなとは言えないけどさ」
「そうそう生きてると思ったことはないよね。抜け作だし」
「でも、生きてるわよ、むかつくぐらい思いっきり。ちょっと遠いところにいるだけで」
ギルバートとシルヴィオの両親の話は今までしたことがない。祖父アルフレードの後継者が孫のシルヴィオであったことから既に彼らの父がこの世にいないものと思っても無理はない。両親は健在である。
「そ、それなら追いかけなくちゃ!」
よほど心配らしい。エルザは溜め息を吐く。
「アルド、パスポートは?」
「ないよ」
「じゃあ、作って行ってくれば?」
アルドは数回瞬きをする。
「な、なんで、パスポートが必要なの?」
「街どころか、国出ちゃってるからに決まってるでしょ」
「エルザが追っかけなきゃ意味ないだろ!」
面倒なことだ。エルザはもう一度深く息を吐く。
「偽造したのまだ使えたかしら」
「ぎ、偽造?」
「まあ、簡単に出国はできないな。捕まるとまずい」
「ひぃっ!」
真剣な表情のトールは決して冗談を言っている風ではない。そこでアルドもわかったようだ。ここにいるメンバーは全員非合法な組織の関係者である。
「親元に帰ったってことでいいじゃない。少なくとも二人が選択したことなんだし。それについてはアナタも納得してくれるわよね? シン」
アルドには納得できない部分があるようだったが、星海はおもむろに頷いた。




