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24/7 - Twenty Four/Seven -  作者:
第七章
55/245

双子の悪魔 009

 夕刻、帰宅したエルザは違和感に気付いた。

 本来は隠れ家であり、レグルスの人間でも知っている者は極僅かだ。関係者にも明かしてはいない。他人が訪ねて来ることはほとんどなく、空き巣に入られたこともない。

 他に移ることも考えたが新たに手配するのも面倒であり、また他の隠れ家もほとんどは引き払っている。何よりも〈カニス・マイヨール〉に近いこの場所は何かと都合が良いのだ。

 けれど、何も問題がないわけではない。


 その男はまるで自分の家にいるようにくつろいでいた。明かりは点けずに、けれど、音楽をかけて。

 エルザは自分の家でありながら足音を消す癖がある。そのままソファーに座る男の背後に回って、銃口を後頭部に押し当てた。

「黙って抱き締めることもできないのか」

 男――ジュガは微動だにしないまま言う。

 それが腕を絡めて首を折るという脅しの方が良かったという冗談なのかはわからない。

 どちらにしてもエルザと彼のセンスは合わない。

「意外にロマンティストなわけ? 吐き気がする」

 吐き捨て、エルザは銃口を下ろす。威嚇にならないことはわかっている。

「住処を変えなかったのは俺を待っていたからだろう?」

 彼にこの場所を知られたのは問題である。いずれまたこうなることはわかっていた。それは相手を追い詰める好機でもあるが、自分が追い詰められる危険性もある。

「まさか、たかがゴキブリ一匹の侵入を許したからって引っ越しはしないってだけ。アナタには呼べる仲間もいない」

 虚勢に過ぎないのかもしれない。今の自分ではこの男を追い詰めることはできないとわかっていた。

「俺は逃げるものを追うのが好きだ」

「だから、逃げてあげないことにした」

「ふん、いいだろう。だが、俺以外の男を連れ込んだことに関して仕置きをせねばなるまい」

 この男は自分の監視でもしているのか。ただ一晩置いてやっただけで痕跡があるわけでもなく、この男に暴かれる以前にも男がやってきたことはある。

「アナタって子供よね、大きな子供。大体、アナタは不法侵入でしょうよ。それについてはどうお考えかしら?」

 歳は兄と同じくらいだろうとエルザは推測していた。彼は落ち着きのある大人のようでそうでないことがある。

「面白いことを教えてやろう」

「別に教えてほしくないんだけど」

 前にも彼はそう言った。そう言えば誰もが食いつくとでも思っているのか。

「座れ」

「嫌だとは言わせてくれなさそうね」

 自分の家だというのになぜ命令されなければならないのか。けれど、イニシアチブを自分は取ることができなかったとエルザはわかっていた。

「俺には媚びろ。教訓だ」

「そういうキャラじゃないのに、強要するとかってもう変態って謗ってくれって言ってるようなものよね」

 もう何度目になるか。媚びろと言われて素直にそうする質ではない。媚びるという行為はエルザのパターンにはない。


 渋々、向かいに座ったエルザは本当に分が悪いと感じた。

「コーヒーを作っておいた」

 すっと目の前に差し出されたのはカップ。中身はコーヒーらしかったが、出来立てというわけではないようだった。

 半ば自棄になって煽ったエルザは思わず吐き出しそうになってしまった。

 温いのはこの際文句を言う気にはなれない。コーヒー自体はエルザが普段飲んでいる物を使ったのだろうが、とんでもなく甘い。

「うぇっ、こんなのコーヒーじゃない。コーヒー色したぬるい砂糖水よ」

「コーヒーはそうやって飲むものだ」

 ジュガは平然とコーヒーを飲んでいる。おそらく同じものなのだろう。しかし、その姿は記憶の中の別の人物と重なる。

 黒い髪に黒い瞳、黒衣、カップを掴む革手袋、砂糖を大量に入れたコーヒー、口直しにと投げ付けられたのはチョコレートだ。

 何もかもがわざとらしいほどに似ている。

「俺が何か入れたとは考えなかったのか」

「どうだっていい」

 彼はクツクツと笑う。毒だろうとなんだろうと入っていても効かなければ意味がない。その程度のことは当然調査済みだろう。

「劉星海は俺の兄弟だ」

 あまりに淡々と吐き出されたが、エルザも驚きはなかった。

「ああ、そう」

「やはり、気付いていたか。さすがだな」

「気付いてほしくて、そんなパフォーマンスをしてるんでしょ?」

 彼は褒めているつもりだったのかもしれないが、嫌みにしか聞こえない。

 まるで双子のような共通点を見せつけられれば何もないということは考えにくい。

 自分と星海は似ている。そして、自分とジュガが同じ種の人間だとすれば、星海とジュガを結ぶ糸が存在しても不思議ではない。エルザはそう推理した。

 結局、全ては広くも狭い世界の中で行われたことなのだから。

「奴がしていることは俺の真似事に過ぎない」

「あの人はなんなの?」

「それを俺が答えると思っているのか?」

「聞いてあげてみただけ、偽兄弟っぽいし」

 やはり彼が言うことは何も面白くない。推測できるレベルのものでしかないのだ。同じ種であるからこそわかることがある。

「奴は俺のコピーに過ぎない」

「出来の悪い感じの?」

「そうだ。だから、許せない。あの男を選ぶな」

 ジュガが見せる感情は嫉妬心に似ていた。

「あの人は大人で、アナタは子供。人間として出来の悪いのはどちらかしらね?」

「どこまでも破滅を望むか」

 挑発すれば冷たい眼差しが向けられる。彼の感情は執着に似ているが、そうではないことに気付いていた。

「アタシはフランケンシュタインの怪物、でも、博士に望むものはないわ。ただ、全てと共に滅びたいだけ」

 破滅の夢だけが心地よい。溶けるように、跡形もなく消えられたならばどれほど良いかと考えて来た。

 たとえ、過去を忘れても、エルザは自分が誰かに作られた怪物であるということは覚えている。

 ジュガや星海も違う人間に作られたと言って良いだろうが、ならばデュオ・ルピは何者なのだろうか。不意にエルザは考えた。彼はただの復讐者なのかと。

「お前はひどい女だ。俺といながら、別の男のことを考えているのだろう?」

 冷たい声、見透かされても後ろめたさはない。

「この世の男はアナタだけじゃないわ」

 何を考えようとエルザの勝手だが、彼はそれを許さないのだろう。

「お前はあの男に聞きたいのか? なぜ、あの青年を死なせたのか」

 聞けるものならば聞きたい。思うものの、それは叶わないとわかっていた。

「あの人がやったわけじゃないでしょ」

 デュオ・ルピと会ったのは一度だけだが、そういったことをする男でないことはわかる。

「買いかぶりすぎだ。あの男は目的のためならばなんでもする男だ」

 ジュガは鼻で笑う。やはり彼はデュオ・ルピを軽蔑しているらしい。

「アナタだって同じくせに」

 ヘルクレスの中にも二派あることをエルザは確信している。幹部であろう彼とデュオ・ルピはヘルクレスの仕業と言われているほとんどのことに関与していないだろうとも。

「求めるものが同じでないと言ったはずだ」

「確かに、同じベッドで寝たって同じ夢を見るわけじゃないわね。でも、彼はアタシを殺すために生きていて、アナタは違うの?」

 二人の人間がいれば、たとえ、同じ物を見ていても見え方が異なる。エルザは散々思い知らされてきた。

「それが間違いだとしたら、お前は奴を殺せるか」

 ジュガの射るような眼差しが突き刺さるが、エルザは答えることができなかった。

 デュオ・ルピを信じるべきか、この男を信じるべきか。難しい問題である。

 間違いだと言うのなら、何が間違いだと言うのか。エルザにはデュオ・ルピが自分を殺すために殺し屋になったということが嘘だとは思えない。そうであってほしいという願望が邪魔をするのかもしれない。

 そもそも、ヘルクレスという組織の定義が曖昧な状況では何が真実なのかを判断するのは困難だ。だからこそ、エルザは自分の目で見て感じたものを真実だと思いたかった。

 希望的観測に過ぎないとしても彼ら真のヘルクレスには正当な理由があると思っていたかった。

「人のように生きることがそれほど良いことなのか」

「なら、聞くけど、獣のように生きることがそんなに良いことなの?」

 今のエルザは人間のフリをしていると言っても間違いではない。自然にできないこともある。けれど、復讐心だけを抱いて生きていた頃よりは、本当に獣だった頃よりは幸せだと言える。

「お前は本当に思い出す気があるのか」

「あるわよ。でも、それは戻るってことじゃない」

 忘れていることを思い出したくないと言えば嘘になるが、思い出さなければならないことはエルザもわかっている。

 きっと、そこにジュガや星海、デュオ・ルピやオルクスと繋がる答えがあるはずなのだ。

「本能には抗えない。今のお前は偽物だ」

「なら、こっちを本物にするだけよ」

 忘れたことで獣が死んだわけではないことはわかっている。全てを思い出した時、自分の中のその衝動を抑えられるとは限らない。

 彼がその解放を望んでいるとしても、昔のように破壊だけを望んでいたそれが完全に蘇るわけではない。その一部は既に死んでいる。

「ならば、俺は全力で今のお前を殺そう」

「させない」

 昔を取り戻すことにどれほど意味があるのか。そうすることで彼は何を望むのだろうかと。

 しかし、ジュガの表情はよくわからなかった。彼がすぐに立ち上がり、背を向けたからだ。まるで何かを悟らせまいとするように。

「忘れるな。お前と共に生きるのはこの俺だ」

 過去に関係するからこそ放たれる言葉なのかはエルザにはわからない。

 もし、約束が交わされていると言われても、ありえないと否定することはできない。エルザにとって過去の自分は他人のようでもある。


 何が面白いのかもわからないままもやだけが残り、エルザは咄嗟に去ろうとするジュガの背に抱き付いてみた。演技でもそんなことはしたくはなかったのだが、そうして確かめなければならないと思ったのだ。

 細く、病的にも見えるが、かなり鍛えられているのが感じ取れる。

 そして、数秒、彼が固まっていると思った瞬間、強い力で振り払われ、エルザはソファーに背を打ち付けた。

 見上げれば冷たい眼差し、その奥は見えないが、確信したことはあった。それはエルザを勝ち誇ったような気分にさせた。

「ほら、やっぱり、アナタはアタシが媚びることを望んでないじゃないの」

 それは前に彼がこの部屋で暴挙に及んだ時から感じていたことではある。情欲を見せ、誘惑しておきながら本当はそれを望んでいないのではないかと思わせるほど、彼は踏み込めるところでそうしない。

 焦らすのが好きだと言うが、どうにも言い訳めいたところがある。

「心を支配してこそ意味があるということだ。馬鹿な真似をしたものだな」

 エルザには彼が怒っているように見えた。無表情な彼が怒りに震えているようだった。

「アナタは矛盾してるわ」

 言い放てば彼は押し黙るが、エルザはそこで止めなかった。

「何をそんなに迷ってるの? 何がそんなに恐ろしいの?」

「黙れ、今のお前にわかるものか!」

 露わになる強い感情、そこにこそ真実が潜んでいる。暴き立てるにはまだ材料が足りない。

「天国はここにはない」

 その言葉はぴたりと音楽が止まり、静寂が訪れた部屋に重く響いた。地獄という言葉に縁があるエルザにとってそれは不思議な響きに思える。彼にとっての天国はエルザにとっての地獄なのかもしれない。否、エルザもかつてはそれが地獄ではないと信じていた。それだけは覚えている。

「たとえば、アナタが自分の天国で迷子になっているとしたら、アタシはアナタを救えるの?」

 問いにジュガは答えなかった。

 彼が自分に求めるものがわからない。愛しい獣だと彼は言った。側にいると彼は言った。けれど、奈落に突き落とせと言った。

 試すような言動の真意はわからないままジュガは扉の向こうに消えていった。ただ悲しい謎だけを残して。

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