王の星 005
トールが去って行った後、緊張した顔で座っていた面々は伸びを始める。
「あいつ、感じのいい奴だったな」
黙って座っているのは性に合わないとばかりに立ち上がり体を動かしながらジムは言う。トールのことだろう。
「確かに凄く格好いいかも」
「ですよね!」
エルザが頷けば、アルドはパッと表情を明るくして盛大に首を縦に振る。まるで自分の好きなアイドルを肯定されたファンである。
「惚れたか?」
「……アナタってやっぱりオヤジよね」
ニヤニヤと笑うジムは何かを誤解しているようだ。エルザは呆れて小さく溜め息を吐いたが、肩を叩かれた。
「まあ、照れるな」
照れてなどいないのだが、反論するのは面倒だった。反論すればするほど調子に乗るに決まっている。
「あ、でも、なんとなくエドさんに似てますよね」
くるりとアルドがエドを見る。かつてのエドの姿を思い出したのかもしれない。
「俺はあんなに怖い物知らずじゃねぇよ」
エドは謙虚だとでも言いたげだが、殺し屋と取引すると提案したあたり、ただ者ではない。
「あんなに爽やかでもねぇしな」
ジムがゲラゲラと笑うが、「うるせぇ」と一蹴された。
「ちょっと兄さんに似てる。兄さんもああいう物言いをするから」
緊張から解放され、いつも通りの一同を見て少しほっとしながらエルザは独り言のように呟く。 しかし、追及される前にくるりとガニュメデスの方を向いた。
「オハラ、アクイラのことだけど……」
エルザはいかにも執事らしく、ぴしっと背筋を伸ばして立っていたオハラをじっと見る。聴かなければならないことがある。
「先日、フィリップ・アールストレム氏とアルフレード様、そして、アルテア様のお話し合いになられた結果です。尤も、事情は彼の方が詳しいはずですが」
オハラがちらりと星海を見る。ギルバートやシルヴィオに聞いても何も知らないだろう。
「自分は……」
何かを言いかけて星海は口籠もってしまった。
「二人がダメダメである限り、アルフレードはいつかあの最終兵器を出してくるとは思ってた。だけど、なんで、その指揮権がアタシに?」
ある程度予想できていた事態であるが、これほど早く、それもいきなり自分の下につけてくるとはエルザも考えていなかった。
「いずれ、アクイラをフォーマルハウトに据えるためですよ。本来、彼の下に置くはずでしたが……」
ちらりとオハラから送られる視線に星海が弱々しげに首を横に振る。
「自分はそのような器ではないのだ」
「フィリップがくたばればアナタがボスになるんじゃなかったの?」
星海の様子から何か複雑な事情があると察し、エルザは遠回りせずにはっきりと聞いた。
「じ、自分は……。すまない、エルザ殿。自分が不甲斐ないばかりに……」
どこか凛としていたはずの星海はすっかり狼狽しているように見えた。
「ねぇ、もしかして、アタシのせいでアナタの立場悪くなった?」
エルザがフォーマルハウトを引っ掻き回したことは事実だ。星海がフィリップのやり方に対して必ずしも賛成でないこともわかっている。
だからこそ、自分が彼をフィリップの敵にしてしまったのではないか。じっとエルザは星海を窺う。
「そうではない。そうではないのだ……」
「彼もフォーマルハウトを継ぐ気は元々なかったようですし、こちらのお坊ちゃま方も逃げておられる。しかし、あのアクイラが動いてくだされば全て解決するというわけで御座います」
何も言いたくないような星海に対してオハラはひどく饒舌に語る。尤も、エルザには彼らの勝手な理想にしか思えなかったが。
「アクイラって言ってもアルテアのババアじゃないんでしょ?」
この話には間違いなく裏がある。
アクイラとは街の外部の組織であるが、北と接している。フォーマルハウト、ガニュメデスと共に北方と纏められることもある。外部ともなればエルザの専門でもある。ボスのアクイラのことはエルザもよく知っているが、今更表舞台に出てくることは考えられない。
だとすれば、可能性は一つ、最悪な可能性だけだった。
「ええ、エルザ様もよくご存じのロメオ様とファウスト様で御座います。彼ら二人をボスとして据え、今のアクイラとなります」
オハラが満面の笑みで頷いた瞬間、ひどい頭痛に襲われた気がしてエルザは頭を押さえる。
「どう考えても、全てが解決するように思えないけど……シン、もしかして、アナタ、彼らに会って、トラウマにでもなった?」
エルザは事態が余計に混乱するのを予感していた。
まさか、と星海を見れば顔を引き攣らせ、肯定しているようであった。
「本当に、アタシ、フィリップに恨まれてるみたいね。あれほど制御不能で最悪な双子もいないって言うのに」
エルザは深く溜め息を吐く。
ロメオとファウストのことを考えれば先行きが不安になる。彼らが〈ロイヤル・スター〉の会談に参加すれば、あのトールでさえ離れていくかもしれない。
「何をおっしゃるのですか! フィリップ様はエルザ様を恨んでなどおられませんぞ!」
オハラはくわっと目を見張り、ぐっと拳を握り締める。
「恨んでいたら手術など受けるとは言わないだろう。むしろ、元気になられたらもう一度プロポーズをすると言っているくらいだ。そのために、フォーマルハウトの座を完全に明け渡すと決められたのだ」
熱弁を振るい始めてしまったオハラにエルザは逡巡して星海を見たが、彼も復活した様子で大きく頷く。
「そうこれは愛で御座いますぞ! 愛……ああ、なんと素晴らしき響き! エルザ様にはその深い愛情がおわかりになりませんか!」
わかりたくもない。
「やっぱり、あの人、嫌い……」
エルザは半ばうんざりしながら呟いた。
「では、我々はこれで」
散々、喋った後でオハラはコホンと咳払いをした。ガニュメデスとは嵐のようであるとも言える。
「あ、エルザ様。近々、アクイラとお会いになってください。ご本人様はエルザ様と会わない限り正式に承諾しないと駄々をこねておりますので」
「何か、時々、無性に、あの狸爺を絞めたくなるのよね」
思い出したように言うオハラはあまりにもわざとらしい。
そして、オハラはギルバートとシルヴィオを連れて行こうとしたが、エルザには気になることがあった。彼はまだ話していないことがある。
「ねぇ、アクイラがフォーマルハウトになったら、その子達はどうなるの?」
「実質的にガニュメデスも吸収される形になりますので、ギルバート様とシルヴィオ様はボスになる必要はなくなります」
オハラはさらりと答える。二人は抱き合い、飛び跳ねて喜んだが、オハラの目が鋭く光ったのをエルザは見逃さなかった。
「ただし、エルザ様やレナード様、フィリップ様など組織の関係者との縁もきっぱり切っていただき、普通の生活を送っていただきます」
「そ、そんなのやだーっ!」
「い、今更、そんなこと言うなよ!」
フォーマルハウトとガニュメデスは一つになり、どちらでもないアクイラが北を統べる。そうなれば、ギルバートもシルヴィオも必要なくなる。
だが、二人は自らが望んでいたはずのことを受け入れなかった。
「さあ、お坊ちゃま方、エルザ様にお別れを」
「や、やだっ! そんなの絶対にやだっ!」
「僕もいやだっ!」
「エルザ様、レナード様にもお伝えくださいませ」
オハラは無理矢理に最後の挨拶をさせようとしたが、二人はその手から逃げた。
だが、二人の我が儘を見逃すような男ではない。それが主人のためと思えば酷なことも笑顔で強いるのがオハラだ。
「組織に関わりたくないって言ってたくせに、今更何よ。アナタ達が望んでたことじゃないの。もっと嬉しそうな顔して、アタシに暴言の一つでも吐いてみなさいよ」
エルザも二人を庇うこともできず、冷たく突き放すしかない。
途端にギルバートは涙を浮かべ、シルヴィオの手を取ると走って出て行く。シルヴィオもその手を振り解くことはしなかった。それは兄弟らしい一場面でもあった。
これでいいのだ。二人の背を見送ってエルザは自分に言い聞かせる。
たとえ、ギルバートとシルヴィオが走って逃げようと心配はない。ギルバートが方向音痴でも彼には発信器が付けられている。彼らが一体何を企んでいるかわからなくとも、こういう時には手抜かりがないことはよく知っている。何度うんざりさせられたかわからないのだから。
「いやいや、今のトドメは最高で御座いました」
オハラはいかにも満足げに手を叩く。
「何を狙ってるの?」
「この頃はすっかり耳が遠くなりまして……」
普段は地獄耳でやたらと元気なくせに、都合が悪くなればすぐに老人らしくぼけたフリをする。
「ああ、そう。じゃあ、もう聞かない」
もう勝手にすればいい。エルザは思う。結局、彼らには自分の意思など通用しないのだから。
「ではでは、エルザ様、またその内」
丁寧に礼をして、オハラは出ていった。
やっと訪れた静寂にエルザは息を吐く。
わかっていたことだが、問題は何も解決しないどころか、余計に増えた。
「アクイラってなんだ?」
「街の外に拠点を持つ組織で、ガニュメデスの親戚。アルテアはあの子達の叔母に当たる人で、ロメオとファウストはその双子の息子、強烈っていうか、凶悪な変人。まあ、それ以上は聞かないで、思い出すだけで頭が痛くなるから」
ジムの問いにエルザは答えが一度で済むように一気に答えた。今は彼らに愛想良く振る舞える自信がない。
「シン、アナタは帰らないの?」
エルザは動く気配のない星海に問う。
「今日は帰ってくるなと言われたのだ」
小さな声で星海が答える。本当は今すぐにでも病院に駆け付けたいだろうに、そうすることができないのだ。主人の命令とはやはり残酷なものである。
「まあ、いいわ。帰れないなら、これからアタシに付き合ってよ。二人で話し合わなきゃいけないこともあるし」
エルザには帰れる場所があるが、一人でいたい気分ではなかった。
「え、エルザ様、一緒にお食事しないですか?」
初めから示し合わせていたようにいそいそと食事の準備を始めていたアダムはフライパンを持ったままぴたりと動きを止めた。アルドも包丁を持ったまま固まっていた。
誰が一体そんなことを言ったのか。
「ゴメン、今、全然食欲ないの」
「星海さんは?」
「すまない、自分もだ」
アクイラの存在はエルザだけでなく星海の頭上に暗雲をもたらしている。彼は葬式のような空気ですらある。
「おめぇらでもそういうことあるんだな。やっぱ緊張すんのか?」
「アクイラのこと考えるだけで、お腹が痛くなる」
「自分は胃が……」
人間らしいところもあるものだとジム笑ったが、それほどまでにアクイラというものがひどいということでもある。エルザとしては避けたい事態だが、彼らも思い知らされることになるかもしれない。
「じゃ、じゃあ、約束だよ! 今度、絶対みんなで食べるって!」
無理強いするわけでもなく、アルドは約束を取り付けることで納得したらしい。
「そう言われたら守るしかないわね、シン」
「あらゆる約束は守らねばならない」
エルザは星海と顔を見合わせ、頷く。約束は守る、それが〈ロイヤル・スター〉の流儀である。
「でも、これは必ず後で食べてくださいです。一応、二つあるですから」
「ありがとう、アダム」
アダムは冷蔵庫から包みを取り出し、エルザへと持ってくる。彼はきっとこうなることをある程度予期していたのだろう。伊達にレグルスの厨房で獅子達の餌係をしていたわけではない。




