王の星 004
一触即発の空気の中、息を吐いたのはトールだった。
「俺は、その条件を飲むわけにはいかない」
目は真っ直ぐとエルザに向けられる。このメンバーの中で唯一エルザが知らなかったのがこの男だ。冷静であり、頭が良い。どこか兄レナードを感じさせるような雰囲気がある。
「結局、てめぇだってレグルスに従う気なんかねぇんじゃねぇか」
カーマインは笑うが、トールは波打つことを知らない水面のようだった。けれど、冷酷な自分とは大違いだとエルザは思う。
「提示された条件に同意できないだけだ」
「同じじゃねぇかよ」
カーマインが短絡的で、はっきり言ってしまえば馬鹿だとは知っていても〈ロイヤル・スター〉となると絶望的である。
「人の話は黙って最後まで聞くことだな。〈ロイヤル・スター〉としてあんたは少し軽率すぎる」
トールはカーマインに対して容赦がなかった。星海にもエルザにも言えないことだ。
「既にこっちにもヘルクレスは手を出してきてる。脅しレベルだけどな。レグルスが陥落すれば次は確実にうちがやられる」
アルデバランはお伽話の中では最も勇気を持つ組織であった。トールを見れば今も受け継がれていることがわかる。アルデバランが狙われるのなら、レグルスとは違う理由だろう。
「レグルスが陥落することはありえない。レナード・レオーネが在る限り必ず南を守り通す」
エルザは信じていた。どんなことがあっても、それだけはエルザが絶対に許さない。自分の命と引き替えに兄を守ると決めたからだ。
「どうだかな。案外、ヘルクレスと組んでこの街を支配しようとするかもしれねぇぜ」
カーマインが鼻で笑えば、ガタッとギルバートが立ち上がった。
「レナはそんな奴じゃない!」
ギルバートが叫べば、シルヴィオも立ち上がり続く。
「そうだそうだ! レナード様はそんな人じゃない!」
組織を継ぐことを拒絶しても彼らにとってレナードはヒーローである。
「ガキは黙ってろ!」
そうカーマインが一蹴すれば二人はあっさりと反論もせずに同時に座る。どうにも彼らは気が弱すぎた。
「つーか、てめぇは言ったよな? ヘルクレスはてめぇだけの敵だって。ヘルクレスにも信念があるとか言いやがった。それは矛盾するんじゃねぇのか?」
獣のようにぎらつくブラウンの瞳がまたエルザを見る。
よく覚えていたものだとエルザは褒めてやりたい気分だったが、火に油を注ぐ行為だろう。必ずしも馬鹿というわけではないが、物事の裏側を見抜く眼力は備わっていない。
「いや、そうでもない。ヘルクレスはここ最近に作られ、急成長した組織だ。歴史もない。そして、組織が大きくなるほど闇も大きくなる」
答えたのはトールだった。こちらはエルザが驚くほどの鋭い眼力を持っている。
「レグルスと同じじゃねぇか」
「同じにするな。そもそも、レグルスがああいうことになったのは他の〈ロイヤル・スター〉にも責任がある。レグルスだけが悪いワケじゃない」
他の組織が衰退していく中、レグルスも同じだった。それでも、かつての栄華を保とうとした。繁栄にとらわれすぎた悲劇だった。
「ヘルクレスには二派ある。そうだろ?」
「そう、本体……幹部はほとんど動いてない。だけど、下の奴らは急速に力を付けた。ヘルクレスに吸収されたり荷担したりしてる組織もあると思う。尤も、アタシはそれをヘルクレスだとは言いたくないけれど」
これまでエルザの中でも可能性に過ぎなかったことだが、最近確信したことでもある。デュオ・ルピ、ジュガ、あの二人こそヘルクレスの幹部であり、理念を貫く者達なのだ。それまでのヘルクレスのやり方は彼らのやり方とは考えられない。
「うちとしてはあんたと手を組みたい」
「てめぇ、正気か!?」
「多分、あんたよりは正常だ」
「んだと!?」
トールに迷いはなかった。カーマインが黙っているはずもないが、トールはそれを寄せ付けないほど決意が堅いようだった。
「奴らが本気になれば先にうちが落とされる可能性が高い。だとすれば、少なくとも東と南は固く結束するべきだ」
彼は自分の弱ささえはっきりと認めることができるのだろう。街を平和などと言ったりもしないし、できないことをできるとも言わない。
「そうね。多分、あの人も同意すると思う」
「今はあんたの意思がレグルスの意思だ」
「アタシにレグルスを名乗る資格はない」
「それでも、レナード・レオーネがあんたに託したなら、今はあんたが〈ロイヤル・スター〉だ。逃げることは許されない」
思い知らせるようなトールの言葉に同意するように星海も頷いたが、エルザは目を逸らしていたかった。
「俺と組むかを決めるのはあんたにしかできない。そして、俺はレナード・レオーネとは絶対に組まない」
トールは続ける。まるでエルザの逃げ場を奪うように。
彼がなぜ、そんなことを言うのかはエルザには問題ではなかった。そもそも、あれほどヘルクレスとは関わるなと言った兄が『好きにしろ』という最上級の許しを出したことがエルザにはわからないのだ。
「答えてくれ。あんたは東への介入の自由を条件に俺に力を貸してくれるか?」
真剣な眼差しだが、脅しではない。権利を盾にしているつもりはないのだろう。もう答えがわかっていながら彼は明確にしたいだけだろう。
「もちろん、アタシはこの街を守るためならなんだってやる」
エルザの答えは決まっていた。拒否する理由などない。利害の一致などとは言いたくない。かつては四方の組織が協力することが当たり前だったのだから。
「俺は反対だ! 俺の領土は俺が守る! てめぇには絶対に手出しさせねぇ!」
「一番彼女の力が必要なのはあんたのはずだ」
「いるかよ!」
バンとカーマインがテーブルを叩く。
揺るがない鋼の意志というよりは単に頑固であるかもしれない。だが、その方が自然であるとエルザは思った。理解されないことの方が理解されることよりもずっと楽だ。
「吠える犬は噛まない。口先ばかりで臆病なあんたにぴったりの言葉だな」
トールは尚も挑発するような言葉を淡々と吐き出す。エルザも同じことを考えていたが、口にできるはずもなかった。相手を怒らせることは大得意だが、今するべきことではない。
「てめぇっ……!」
カーマインはメラメラと怒りを燃え上がらせているかのようだが、トールに掴みかかろうとするわけでもない。トールは相手が自分に手を上げることができないとわかって言っているに違いない。
「カーマイン・スコルピウス、アナタが西を守れるならそれでいいわ。強制はしない。けれど、アタシ達は西を除いたこの街全体に介入するけど、それは構わないわね?」
西が協力しないと言うのならば、今はまだそれでも良かった。ただ中央への介入を拒否されることだけは避けたかった。たとえ、一人でも〈ロイヤル・スター〉の意思は絶対なのだから。
「くそっ」
「ここは頷いておくのが利口だ。あんたがつまらない意地を張った分だけ危険な目に遭う奴が増える」
悪態を吐いたカーマインにトールは拒否を許さなかった。
つまらない意地を張ることができなくなったカーマインはまたテーブルを叩いて立ち上がった。
「か、勝手にしやがれ! だが、西に踏み込めばただじゃおかねぇからな!」
吐き捨て、カーマインはそのまま出て行ってしまった。
「まるでチンピラの捨て台詞だな」
去って行ったカーマインの背を見送ってトールは笑う。
そうさせたのは彼なのだが、邪気はない。今まで緊張していたわけでもないだろう。
「まあ、これで西以外は自由にできる。尤も、西を狙われる可能性もあるが、リブラがいる限り心配はないだろう」
彼は彼なりに最良の選択をしたのだ。
少なくとも、この場では誰よりも〈ロイヤル・スター〉を知っているらしい彼に任せるしかない。星海も決して口が達者な方ではない。
「まあ、今日のところはお開きってことだな」
トールはそう言ってネームカードを手にすると、裏に何やら書き、エルザへと差し出す。彼の連絡先のようだ。
「東に踏み入るのは自由だ。うるさいことは何も言わない。そして、俺の力が必要な時はいつでも呼んでくれ」
彼の笑みは実に爽やかで頼もしげだった。
トールはエドから預けていた武器を受け取るとそのまま風のように去ってしまいそうだった。「ねぇ、アナタ、アタシを庇ったの?」
エルザは思わず引き留めていた。
彼は〈ロイヤル・スター〉の事情にも詳しいからこそ、自分がどれほど忌避される存在か一番よくわかっているはずだとエルザは考える。なのに、彼はその罪を責め立てるようなことはしなかった。
「別にあんたが悪いわけでも今のレグルスが悪いわけでもない。それだけだ」
トールははっきりと言う。彼は恐ろしいほどに真っ直ぐであり、恐ろしいほどに冷静であった。
「ありがとう」
彼の強さが胸に染み渡り、エルザはいつもよりも少しだけ自然に礼を言うことができた気がしていた。
「本当はあんた達が知ってることを全部話してもらいたいところだが、もう少し待つ」
「彼が従うまで?」
「ああ、そうだ。もちろん、こっちが知っている情報も全部あんた達に話す。そうしないと、フェアじゃない」
トールの眼差しは何かを見抜こうとしているかのようだったが、エルザも同じように彼を見ていた。信頼するには相手を知らなければならない。
「情報を共有すべきなのはわかるが……」
星海は口を開くものの、その先をはっきりとは言わずにエルザを見る。
「あれがそう簡単に素直になるタマじゃないってことはアナタがよくわかってるはず。そうでしょ? トール・ブラックバーン」
星海の言いたいことをエルザは理解したし、トールもわかっているだろう。
情報の共有はできるだけ早い段階で行われるべきだが、現状ではそれが早期に実現するとは思えない。
「トールでいい。〈ロイヤル・スター〉の間に遠慮はいらない。そうだろ、エルザ?」
エルザは頷く。彼は悉く正しい。何もかもわかっているようだ。
「まあ、あいつのことはこっちでどうにかしてやってもいい。と、言いたいところだが、おそらく余計に頑なになるだけだろうな」
「アタシがなんとかする」
トールとカーマインが衝突し続けるのは明らかだった。トールが口を塞いだところで解決する問題でもない。
「大丈夫か?」
カーマインの中でトール以上に印象が悪いのは自分に違いないとエルザは考える。
それでも力を必要とする以上、交渉に行くのは自分の役目だと感じる。
「薔薇なら咲くわ」
エルザはかつて自分に与えられた答えを口にしてみた。この場に現れなかった兄、レナード・レオーネの言葉だった。
「薔薇ってガラでもないし、どっちかと言えば雑草だろ」
「だから、死なない?」
「俺が思うに、あいつはハイスクールの生徒と一緒だ」
「エネルギーが全部下半身にいくような?」
トールは真剣に言っていたのだろうが、エルザは敢えて茶化した。彼ならそのユーモアがわかるような気がした。実際、彼は不快感を示すわけでもない。
「若さに任せて無謀なことをしたがるってことだ。そう若くもないが」
彼は年齢まで把握しているのか。
「連絡待ってる。どんなことでも構わないから」
最後にそうして微笑んでトールは最後まで爽やかに去っていった。
背筋の伸びた綺麗な後ろ姿はエルザの中でどこか兄と重なっていた。




