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24/7 - Twenty Four/Seven -  作者:
第二十五章
242/245

悪の華は咲き誇る 008

 扉を開け、広いエントランスに踏み込めば、シモーネが逃げ込んだことにより集まった男達に埋め尽くされていた。

 彼らはエルザの姿を見るなり、顔を強ばらせる。

 エルザは引きずっていたボディバッグを開け、中身を蹴り出すようにいい加減に放り出してやった。

「ロザリア様!」

 男達は顔色を変え、一気に殺気立つ。

 縛り上げられ、猿轡を噛まされているのはレナードの婚約者、ロザリア・デ・サンティスである。

 エルザ達は死体と言っていたが、実際にはまだ生きている。衝撃で目を覚ました彼女は藻掻いたが、弱々しいものだ。彼女こそ死に損ないでしかない。

「覚悟のある奴はかかってきなさい!」

 傘を構え、エルザは叫ぶ。

 かつてはこの男達の中に自分もいたのだと思いながら、改めて自分が敵になったことを思い知る。

 自分の存在が悪だということはわかっていたが、今は先に討つべき悪がいる。

 理解されなくとも構わなかった。行き着く先はどうせ同じだ。

「やはり、来たか」

「レオナルド・レオーネ!」

 階段に現れたのは優雅なる人、誰よりも美しかった。

 冷たい声、それだけがエルザにとって救いだった。悪になるために未練はいらない。

 守るべき主が現れた事により、男たちの士気が上がり、戦闘モードに入っていく。

 そして、一気に男たちは押し寄せてくる。雲に飲まれる月のように、兄の姿が消え、エルザは仕込み傘を構え直す。既に刃はしまわれている。


 エルザの甘さは他人を傷付けられないことだ。敵ならば容赦することはないと言うのに、親しければ親しいほど躊躇する。結局、〈死天使〉の記憶が戻ってもエルザはもう非情にはなりきれない。エルザの心がブレーキをかける。

 それでも、万全の状態でないエルザは相手を痛めつけずにこの場を切り抜けることなどできない。覚悟は決めたはずだった。かかってこいと言った自身に覚悟がないとは笑える話である。

 この場に幹部の姿はないと言っても良い。それでも今は魔法がかかったように、エルザを恐れず捕らえようとしている。

 ふぅとエルザが息を吐いた時、一人真っ先に向かってくる男がいた。ナイフを手にしているが、どこか引けた腰がエルザへの内なる恐れを隠し切れていない。まるで恐怖を振り払うために飛び出したようだ。

 エルザは傘で彼の手首を叩く。ナイフは簡単に落ち、先端で男の鳩尾を突いてやれば簡単に戦意を喪失したようである。

 いくらレグルスの名誉ある男達とは言っても、これにはからくりがある。

 それから、まるで仇を討とうとするように男達が群がってくるのをエルザは避け、隙を見て傘で応戦し、キックによって距離を取る。

 彼らの中にあるエルザに対する畏怖を完全に消し去ることなどできなかったのだろう。エルザが与えた痛みは彼らを正気に戻したのかもしれない。

 気付けば、立っているのは肩で息をするエルザだけだった。全員をベルトやネクタイで縛り上げてある。彼らからもう敵意は感じられないが、理由はある。

「エルザ様……どうして」

 男の一人が呻くように言った。それが何に対する問いなのかエルザは考えないことにした。

「ゴメン、今はこうするしか、こうするしかないから……」

 エルザ自身も何の答えかはわからない。ただ一つ、彼らの罪ではないとは思っていた。

「解いてください! どうか、共に戦わせて下さい! 目が覚めました!」

「自分もお願いします! 我々の敵が誰かわかりました!」

「俺もです! エルザ様についていくことこそが忠誠です! あなたは裏切ってなどいない!」

 男達の懇願は次々と続く。だが、エルザは首を横に振る。

「それはできない」

 彼らの目は覚めたわけではない。重大なことを忘れている。間違っている。

 敵は今ここにいるエルザに他ならないのだから。

「エルザ様に牙を剥くなどという愚かなことはもう致しません!」

「そうじゃない。それは決して愚かなことじゃない」

 男達が続けようと聞き入れる気がエルザにはない。

「でも、ここから先はアナタ達の戦いじゃない」

 もうここからは一人で行かなければならない。誰の手も借りずに自分だけの終わりを始めなければならない。

「いえ、我々の戦いです!」

 誰かが言えば、口々に同意の声があがる。

 確かにこれはレグルスの問題である。闇そのものである。しかし、それは彼らに背負わせるべきことではない。

「アタシ、もう行かくちゃ」

 そろそろ本当の敵が動き出す時間だろう。それを追い詰めることがエルザの目的だ。

「な、なら!戻ってきてくださいますよね?」

 縋るような眼差しにエルザは見ない振りをする。

「ゴメン、嘘は吐けない。終わらせなきゃいけないから。でも、今までありがとう。これからも兄さんをお願いね。本当のレグルスはきっとここから始まるから」

 終わりのためだけに生きてきたのだから、今更躊躇いも恐れもない。偽りは要らない、もう全てを投げ捨てて終わりへ進まなければならない。


 限界が近付いていることはエルザもわかっている。意識の糸が何度も切れかかるのを必死に繋ぎ合わせている。

 既に屋敷内は妙な静けさに包まれている。だが、まだこれからである。

 居場所の目星はついている。ここはエルザの家なのである。隠し部屋、通路なども把握している。

 だが、まだ姿を現していない男の動向も気にかかる。おそらく、この先で会うことになるだろう。


 目的の部屋の前にもやはり人気はない。声も聞こえない。しかし、エルザは確信していた。

 彼らは息を潜め、先祖らに守られた気でいるだろう、と。だが、それらは決して彼らに味方するものではあるまい。

 扉に手をかければ鍵がかかっている。それで相手もわかっただろう。警戒こそしても迎え入れてくれるわけでもない。

 鍵を壊すにしても、それほどの力が今のエルザには残っていない。

 エルザはこの部屋の鍵は所持していない。決して入ることの許されない部屋だからだ。入りたいとも思わないのだが。

 ふと、エルザは思い出す。ポーチの中にどこの物ともわからない鍵が入っていたことを。

 あの男ならこうなることをわかっていても不思議ではない。彼がどうしてこの部屋の合い鍵を持っているかは別として。

 鍵を取り出し、差し込んでみる。鍵はあっさりと鍵穴に収まり、回せばカチリと音がする。扉の向こうからざわめきも感じられないことを罠かと思いながらエルザはノブを回し、そっと扉を少しだけ開けて様子を見る。

 罠でもあるまい。彼らが聖域とするこの場所を汚せるはずがない。

「入ってくるが良い、エリザベッタ・レオーネ」

 重々しい声がした。誰の物かはすぐにわかる。

 〈顧問〉--ロレンツィオ・デ・シーカ、この男が出てくることは予測済である。出てこないはずがないのだ。

 彼ならばいきなり攻撃してくることもあるまい。長年敵だと思って来たが、彼を信頼してもいる。

 だから、エルザは扉を大きく開け中に足を踏み入れた。

「……アナタ一人ですか、当てが外れました」

 見回してもそこにいるのはロレンツィオ、ただ一人である。拍子抜けである。否、彼が既に逃がしたのだろう。それならば、エルザは彼を倒して追うだけだ。

 そうして、傘を握り直したことにロレンツィオも気付いたようだ。

「待て、君が何を考えているかわかる。私がシモーネ・デ・サンティスらを逃がしたと思っている」

 いつだって彼は『君の悪事はお見通しだ』という顔をしている。

「私がこの部屋に彼らを入れると思うかね?」

「ええ、思います。もちろん」

「なぜだ?」

「ここに〈聖母〉がいるから」

 言いながらエルザはその肖像画に目を向けることができずにいた。祖父や曾祖父、初代レオポルド・レオーネにまで遡る錚々たる者達の中で彼女だけは異様だ。

 母セレナ・レオーネの肖像画でさえエルザは直視できない。

 重い沈黙が続いたが、やがてロレンツィオは頭が痛いとばかりに手を当て、ある肖像画を振り返る。

「……俺はエドアルドが死んでから彼らをこの部屋に入れてやったことがない」

 ロレンツィオの視線の先にある肖像画の人物こそエドアルド・レオーネ、前ボスであり、エルザの父である。

「鍵を変え、この部屋を俺とボスだけの物にした」

 ならば、エルザが使った合い鍵は何なのか。〈藪医者〉とロレンツィオがグルだったということか。

 否、こういった場合、エルザは不用意に情報を明かそうとはしない質である。本人がそのことに触れない限りは。

「なぜ、そんなことを?」

 エルザにはロレンツィオの真意が読みとれずにいた。この男は何を考えているのか。

「俺は君の味方だ」

「信じません」

 だろうな、とロレンツィオは肩を竦める。信じられなくしたのは彼の方だとエルザは思っていたかった。

『俺は君の敵になりたいわけではない。君が俺の敵になっているんだ』

 前に言われた言葉が蘇る。シモーネ・デ・サンティスらの上に立つこの男の〈顧問〉としての力量はエルザも認めている。部下達からの信頼の厚さが物語っている。

 だが、エルザの前に彼は立ちはだかる。監視し、邪魔をする。〈上〉を庇う。

 本当にそうなのだろうか。こうしてエルザはわからなくなっていた。惑わされているのか。

「君を死なせると俺は彼らに呪い殺されることになる」

 彼らとはこの場の肖像画の者達のことか。亡霊ではある。しかし、怨霊ではない。

「あなたがそんなものを信じるんですか」

「俺がこの世で最も恐れる亡霊は血に塗れた聖母だ」

 彼はそちらを見るわけでもなかった。エルザのように直視できないわけではあるまい。背を向けてもエルザが切りかからないことを彼はわかっているはずだ。

「私が三代目を襲名したらどうします?」

「まもなく俺は心臓発作で死ぬだろう」

 冗談なのか、本気なのかわからずエルザは笑えない。また妙な間が空いてしまった。

「いや、この話は後にしよう」

 ロレンツィオはまずいことを言ったとでも思ったか。エルザとしては更に疑わしく思うことがあった。

「後があるのかと言いたげだが、もう俺が君から逃げ隠れする必要はない」

 この男に見透かされているというのはエルザにとってあまり気分の良いことではない。

「ただ一つだけ言わせておいてくれ。俺の忠誠は友エドアルド・レオーネと彼が愛したものにある、と」

 真っ直ぐと自分を見つめる瞳に偽りはないとエルザは直感しながらわからなかった。彼は真実を語っていると確信しているのに、これまでの自分の思考が邪魔をする。

 彼を敵に仕立て上げたいのか、自分の感情の行き場がなくなるのが嫌なのか。

 反論することも認めることもエルザにはできない。ただ、次の彼の言葉を待っているのかもしれなかった。

「仕事部屋に行けば良い。友が君を待っている」

 屋敷に戻ってからエルザは自分の部屋にも仕事をする部屋にも入っていない。余裕も用もないと思っていた。直属の部下がどうなったかも考えないようにしていた。

 友が誰を意味するかはわからない。問いかけても「行けばわかる」としか言わないのだろう。

「そして、君は自らの椅子にふんぞり返って命令すれば良い」

 また冗談か、それとも彼はエルザが本当に自分の執務室で椅子にふんぞり返っていると思っているのか。

「シモーネ・デ・サンティス一派を一人残らず生け捕りにして差し出せ、と」

「あなたのせいで、まだ彼らがこの屋敷にいる自信がなくなりました」

「奴らは決してこの屋敷から逃げられない。この俺がいるのだからな」

 まるで自分が番人であるかのような口振りのロレンツィオにエルザはもう何も言わない。考えることをやめた。もう理屈ではない。

「俺は一足先に狩りを始めるとしよう。構わないな?」

 ノーと言われることなどまるで想定していないかのような口振りである。

 彼は普段からシモーネのように武器を見せびらかすわけではない。彼が戦えない人間でないことはエルザも察している。武闘派というほどではないだろうが、護身術は心得ているだろう。頭脳と口だけが武器ではない男だ。

「今は理由も問わずに許可しましょう」

 もし、偽りだった時は後で断罪すれば良い。それだけのことだ。彼はエルザの父の親友であると言う。エルザは彼も例外なく〈聖母〉の信奉者であったと思いこんでいる。だから、その肖像画の前で嘘を吐いたならば容赦のない裁きを与えられる。

「では、失礼」

 そうしてロレンツィオが部屋を出て行き、エルザは少しだけ前に進んだ。彼がいなくなったからと言って調べようと言うのではない。

 一瞬、レオポルド・レオーネの肖像画を仰ぎ見て心の中で問いかけた。今の自分は正しいのか、と。

 答えが返ってくるわけでもなく、出せるわけでもない。

 たくさんの先祖達に見られているような気がしながらエルザは俯き、その部屋を後にした。再び鍵をかけて。

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