葬儀屋は微笑む 006
思わぬ寄り道となったが、その後は真っ直ぐと〈ドラゴン・ハート〉に辿り着くことができた。そして、幸か不幸かエルザの知人の姿はどこにもなかった。
エドがいるのは当然だ。彼のバイト先であるし、シフトを把握するようなことはしていない。いてもいなくても構わないものだ。彼を避ける理由はない。
尤も、まだロメオらがふらりと現れる可能性もあるし、以前のギエナのこともある。しかし、エルザもそう長居をするわけでもない。
「なんか、あんたが来ると嫌な感じがする」
グラスを置いてぽつりとエドが言う。
「あら、客に文句を付けるの?」
エルザは挑発的に彼を見詰めてみる。
エドはバーテンダーで、エルザは客だ。嫌な予感とは失礼である。尤も、エルザは否定しない。
「仕事、する気は?」
酒場の歌手〈ファイブ・インチ〉としての活動のことだ。
「ない」
今日はそんな気分にもなれずにエルザは即答する。
あると言ってしまえば彼はすぐに奥からギターを持ってくるだろう。
エルザが一人でここへ来るのはそういう仕事の時だった。一人でない時は常連のロメオなどがいる。元々、エドから頼まれてこの店にも流れ込もうとする悪い物を断ちに来た。店に来るのは抜き打ちチェックという意味もあるが、今日はそうではない。他に行き場がなかったと言えば彼は迷惑に感じるだろうか。
用意した楽園に目もくれずあの世に飛び込んだ猫にレクイエムを捧げようなどとはエルザも思わない。そういった柄ではない。もうこの世にいなくなってしまった彼らに届くはずもない。
「で、また失恋か?」
問うエドは呆れているのか。
以前、エルザが来た時はマリア・ヴェントラが死んだ後だった。結局、ロメオやギエナがやってきてしまったわけだが。
デュオ・ルピやアル・ディバインのことをほのめかし、それを恋愛に喩えた。
一方的にラブレターを送ってきながら絶対に返信させてくれないようなアル・ディバインと突然現れるものの会いたい時には絶対に会えないデュオ・ルピ。二人には今もやきもきさせられている。
「かもしれないわね」
肯定的なのはエルザ自身わからないからだ。
「失望したっていうか、距離を置きたくなったっていうか」
「マジの恋愛っぽく聞こえるぞ、それ」
変な物でも見るようにエドは顔を顰める。
「どうかしらね」
エルザは肩を竦めてみせる。
互いの感情がそこにあるとして、本当に愛などと呼べるかはわからないものだ。
だが、それをエドに打ち明けて相談しようとは思わない。彼も深入りはしたくないだろう。
「失恋って言えば気になることが」
エルザは話を変えようとした。しかし、彼は妙なことを言われると思ったのか、眉間に皺が寄ったままだ。彼はなかなかに鋭い。嫌な予感がしているのなら、実際気のせいではないだろう。
「なんだ?」
「前にアナタが話したこと、どこまで作り話なのかと思って」
無理矢理〈カニス・マイヨール〉に連行しようとする彼から逃げ出そうとエルザが動揺を誘うようなことを言ってみた時のことだ。あまりにあっさりと質問に答えられてしまった。真実にしても、そういう時のために用意された話にしても、彼はただ者ではないとエルザは感じている。
「何の話だ?」
「アナタの初恋とか初体験とか」
「あー、全部本当かもしれねぇし、嘘かもな」
やはりエドは簡単にボロを出す男ではないようだ。
「うわー、ミステリアスな男ってサイコー」
全く心のこもらない言葉がエルザの口から出た。
「いくらでもいるだろ、あんたの周りには」
「うんざりするくらいにね」
エドの言う通りだった。程度の差異はあるが、謎めいた男ばかりなのは否めないこと。皆、大きな秘密を抱えている。
だから、自分はその中でも大したことがない方だとエドは言いたいのだろうか。組織のことに詳しく、平然と話しているからこそエルザも時折勘違いしそうになるが、彼は一般人である。ただのバーテンダーというには疑問が残るが、本人がそう主張するのならその先には踏み込めない。
「……少なくとも初恋の話はマジだ」
諦めたのか、何を思ったのか。
認めるとは少し意外でエルザはじっとエドを見た。きっと上手くはぐらかして自分のことは語らないのだろうと予測していた。
「一目惚れして一瞬で散ったっていうあれ?」
「ああ、それだ」
エドは頷く。
『覚えてるのは十の時、年下の金持ちのご令嬢に魂が痺れるほどの劇的な一目惚れをするも視界にすら入らず一瞬で叶わないことを知った』
彼はそう言った。全く本気でなかったエルザの質問攻めに対する答えが真実である必要はなかった。他はどうだったかは知らないが、これだけは本当だとエルザは確信していた。
「実はその相手とは最近になって再会したんだ」
続きがあったらしい。
「年下の金持ちのお嬢様だったっけ?」
「今にして思えばあまりに格が違う相手だった」
どういうシチュエーションだったのか、身分違いの恋だったのか、詳しいことをエルザは聞いていない。きっと話さないのだろうと聞くことを諦めている。暇潰し、興味本位といった程度のことだ。意味はない。
「没落して物乞いになってたとか?」
「まさか、それはありえない」
即座にエドは笑い飛ばす。
「じゃあ、もう結婚して子供までいたとか」
年下というのが何歳差かもエルザにはわからないが、そう離れてもいないのだろう。法律では十四で結婚ができる。だから、あっても不思議ではないことだ。
「いいや……」
エドの否定に陰りは見えない。
「でも、世界が違うのは今も同じだ」
どこかでは世界が交わっていることを窺わせる言い方だ。差異を見せ付けられても確かに同じ世界に生きている。
「やっぱり、視界に入れないわけ?」
「入ってるんだか、入ってねぇんだか」
何とも微妙な答えである。最近のことであり、近くにいるのではないかと勘繰らずにはいられなくなる。
「それでも忘れられなくて未だに彼女作らない童貞なわけ?」
「マジでモテねぇってだけだ」
彼は自分がモテないということをどうしても通したいらしい。
「まあ、アタシもアナタが男にモテてるところしか見たことないわけだけど」
「嫌な言い方をするな」
肩を竦めるエドだが、あの店では出会いがないのも無理はない。それこそ組織の男御用達という面があり、一般人の出入りは少ない。エドとジムくらいだと言ってしまえばアルドは泣き出すかもしれないが。
「あの悪魔の双子のお気に入りだし」
ロメオとファウストも初めは女装して来ていたというのだからエルザは彼が哀れに思えてならなくなることがある。
「最近は来ないが」
来られない事情が彼らにはある。今は二人揃うこともない。自分で言っておきながら、エルザも内心「しまった」と思っていた。それをごまかすように意地悪く笑んでエドを見上げるのだ。
「寂しいの?」
「非常にありがたい常連客だが、関わらない方が幸せな世界の人間だとも思ってる」
軽蔑ではないが、嬉々として関わるべきではないというのはエルザも頷かざるを得ない。
だが、関わらずにはいられなくなってしまったからこそ、彼は幸せになれないのか。クールに振る舞う彼からは悲壮感も感じられない。
彼は自分の立ち位置がわかっていて、上手く立ち回ることができる。
「もしかして、アナタの初恋の相手もこっち側の人間なの?」
同じ空間にいて言葉を交わしてもエルザとエドは別世界の人間だ。隔てているのはカウンターではない。
彼が妙に組織に詳しい理由としてないとも言い切れない。
「どれだけ引っ張るんだ、その話」
「別に詮索したいわけじゃないけど……」
初恋の話は本当だと言っても今も真実を話しているとは限らない。彼は話したくないことは、上手くはぐらかす。
だからこそ、エルザは彼との話を楽しむことができる。やすらぎを与えてくれるからこそ、ここへ来たのかもしれない。
「でも、アタシがアナタにとって好ましくない人間ってことは間違いないわよね。迷惑ならもう来ない」
エルザとしては依頼主の意向を尊重したいとは思っている。関わりすぎて破滅させてしまった前例もある。
「あんたにはやってもらわなきゃいけないことがある」
エドの声音が低くなり、重みを増した。思い出させるように。
エルザとて忘れたつもりはない。忘れられるはずがない。
ウェーズリーの無念を晴らす使命があるからこそ、エルザは彼らと繋がりを持っている。
「それが果たされるまでは?」
「別に迷惑とは思ってない。客は客だ。来たければ来ればいい」
「他のお店だと金蔓みたいに言われるのに」
ロバートはエルザが来ると厄介なことになると思っているらしい。それでも何かあれば容赦なくエルザに請求する強かさがある。
「できるなら、仕事してくれ。その方が店のためになる」
「じゃあ、今度ね」
今度があるかもわからないのにエルザは笑ってみる。エドも確約など望んでいるわけではあるまい。
どうしても今はそんな気分にはなれない。彼も無理強いはしない。
そうして少しだけ心が軽くなったのを感じながらエルザは店を後にした。




