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24/7 - Twenty Four/Seven -  作者:
第三章
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静穏の檻 006

 エントランスで エルザを待っていたのは穏やかな笑みだった。彼こそフィリップ・アールストレムなのだろう。

 ギルバートは彼と星海が似ていると言ったが、エルザから見ればまるで雰囲気が違った。

 確かに髪の色、目の色、年齢、背格好、外見的な特徴は似ていると言える。内面的なものは正反対に感じられるのだ。

 一目見て苦手なタイプだとエルザは直感する。どれほど嫌悪されてもエルザ自身がそうすることは少ない。相応の理由がなければエルザは無暗に他人を嫌ったりはしない。

 だが、彼に関して言えばその理由がエルザにもはっきりとはわからなかった。

 歩かないとギルバートが言った通り車椅子に座った彼はメイドに押されて、ゆっくりと近付いてくる。

 逃げ出したいとさえ思うのは北の支配者を前に緊張しているからではない。今まで裏社会の大物と接したことはあっても怯むことはなかった。時に強気に交渉を通したこともある。

 それなのに今は何か悪い予感がエルザの中で渦巻いているのだ。〈ロイヤル・スター〉は格が違うということでもない。

「やあ、初めましてだね。私はフィリップ・アールストレム、ギル君みたいにフィー君と呼んでくれて構わないよ」

 柔らかな声が侵蝕するかのようでエルザの身体は強張っていく。なぜ、そうなるのかは理解できなかった。

 危険だからではない、けれど、危険なのだ。言葉ではうまく表せないような、ひどく感覚的なものである。

「エリザベス・レオーネ、エルザとお呼びください」

 震えないようにしたつもりだったが、エルザは自身の声の硬さを他人事のように感じていた。心がどこかへ逃避しようとしているようでもある。

「堅苦しいことはやめにしよう。私は今や隠居だからね」

 フィリップは笑う。張り付くようなものではないが、心地よくはない。

 空気は穏やかでありながら、おかしな世界に迷い込んだかのような錯覚に陥るほど居心地が悪い。

 否、おかしいことはあるのだ。いるはずのない人間がそこにいるのだから。

「まだまだお若いのに?」

 エルザは笑おうとしてできなかった。おそらく三十歳前後であろう彼がそんなことを言う理由は足だけが理由ではないような気がしていた。

「先がないからね」

 フィリップは苦笑し、エルザは自分が抱く感情の正体がわかった気がした。それは不快感だった。全てに嫌悪している。

「君がここに来た目的はただ一つだとわかっているよ。だけど、まずは私に付き合ってくれないかな?」

 黙るエルザにフィリップはにこやかに続けた。

 客人であるエルザは結論を急ぐこともできない。彼の機嫌を損ねればここへ来たことも全てが無駄になる。アルド達の命がかかっているのだから無責任な行動はとれない。



 案内された部屋で目の前に置かれたのはティーカップと色とりどりの菓子だ。それを見るだけでエルザとしては胸焼けがするものだ。

 星膿が甘党である理由はこれだろうか。

 どうでもいいようなことが頭の片隅で浮かんでは消えるが、エルザはどうやり過ごすかを考えなければならなかった。

 エルザは紅茶も菓子もあまり好きではない。一日に何杯も飲むほどのコーヒー好きだが、紅茶を飲まないのは嫌なことを思い出すからだ。

 優雅なティータイムは自分には似合わない。そう考えていた。

「君を見て、正直驚いたよ。星海から聞いてはいても、こうも……」

 フィリップはどこか幸せそうであった。会いたいと思っていた人に、もう会えるはずのない人に会えた喜びのようなものだろうか。

 エルザとしてはその先は聞きたくはなかった。想像はつくような気もするのだ。こういった言葉や視線を向けられるのは初めてではない。

 そして、どんな言葉が続こうと不快感が押し寄せてくるのはわかりきっている。

「こうもセレナ様の生き写しでいらっしゃるとは」

 続けたのはフィリップではなく、メイドだった。

 エルザにとって最も聞きたくない言葉を彼女は躊躇いもなく吐き出し、満面の笑みを浮かべている。

 エルザは罵声を浴びせてやりたい気持ちを必死に抑え込む。ここで冷静さを欠くべきではない。

 無理矢理に笑顔を作ろうとしても、全くうまくいかなかった。

 その名前はエルザにとって禁句なのだ。それを言われてしまえば平常心ではいられなくなる。それほどまでに破壊力を持っている。

「マリア、君はもう下がっていなさい」

 フィリップに言われ、マリアと呼ばれたメイドは笑みを浮かべた。出過ぎた真似を恥じるわけでもない。

「あらあら、それはずるいで御座いますわ、フィリップ様。わたくしもエルザ様と楽しいお話がしたいですのに」

 マリア、その名前さえエルザには苦しいものだった。嫌なことばかりを思い出させるのだ。

 彼女はただのメイドというには物騒なオーラを纏っている。楽しい話などできるはずがない。わかっていながら、エルザを挑発しているつもりなのだろう。

「マリア、下がりなさい」

 窘めるようにフィリップが先程よりも強い口調で言う。

「……わかりました。何かあったらお呼びくださいませ」

 マリアは渋々と言った様子で出て行く。全く反省していないことは明白だった。


 マリアが出て行ったのを確認してフィリップが溜め息を吐く。

「君に嫌な思いをさせるつもりなんてなかった」

 フィリップは客人の気分を害したことを悔やんでいるのだろうか。困ったような顔をしている。メイドがあれでは主人の程度が知れるというものだが、彼女にメイドらしさを求めることがそもそもの間違いであるだろう。

「人が来るのは久しぶりでね、ギル君もすっかり寄り付かなくなってしまった」

 フィリップは寂しげであるが、エルザからすればギルバートが遊びに来ても面倒なだけだ。大量の菓子を与えてやらなければならないし、我が儘放題である。

 かつて彼と遊んでもらったというギルバートも組織を継がないと決めてからフィリップとの接触を断った。それまでは親戚のお兄さんくらいにしか思っていなかったのかもしれない。

 尤も、そのギルバートもエルザとレナードにはすっかり懐いているのだから、シルヴィオほど徹底されていない。

「彼もシルヴィオも組織の男にはなりたくないと逃げ回ってるわ」

「彼らは若い。それにもう我々の争いの時代は終わったのだよ」

 彼らがなりたくないと思うのなら、それでも構わないとフィリップは思っているのだろう。最早組織が存続する理由もないと言いたいのかもしれない。

「フィリップ・アールストレム、アナタが本気でそう思っているのなら、アタシが今日ここに来たのは間違いだったってことね」

 彼が真なる支配者であるならば、そんなことを言うはずがない。エルザとしてはそう思いたかった。

 押し付けでしかないのだろうが、今だからこそ組織が必要なのだ。

 エルザは苛立ちと不快感で一気に紅茶を煽った。紅茶の味などわからなかったが、おそらく高級なものなのだろう。品など気にしてはいられない。そうでもして飲み込まなければ余計なことを言ってしまいそうだった。

 余計なものが溶け込んでいることは初めからわかっていた。

「私はね、もう長くはない。病でね」

 フィリップが吐露するそれこそがエルザの不快感の正体であったのかもしれない。

 彼は病に冒されているが、その事実を受け入れているというよりは、生きることを諦めているように見えた。そういう気配にエルザは敏感である。

「だから、星海に全てを託したつもりなのだよ」

「アナタが生きている限り、彼は自分で決断しようとしない。多分、アナタが死んでも同じこと」

 ほぼ全権を委ねられているとは言っても彼はまだ承伏しかねているようである。

 ボスとして一方的に押し付けたに違いない。星海にとって納得のいくものではなかっただろう。彼は権力を前に自分はそんな器ではないと思うような男だ。

「私はね、争いのない内に死にたいと思う。生まれ育ったこの家で死んでいきたいんだ」

 フィリップの切なる願いだっただろうが、エルザにはまるで理解できなかった。

 組織の人間全てが戦いの中で死ぬことを美徳だと思っているわけではない。

 しかし、彼はエルザとは正反対なのだ。だから、理解したくもない。心が無意識の内に彼を拒絶するのだ。

 そして、争いがないというのは大きな間違いである。エルザは誰よりもそのことを知っているつもりである。

 争いでなければ自分が巻き込まれているのは何か。自分の全てを否定されているようでさえあった。

「病によって死に至るというのなら、それが私の宿命なのだよ。だから、静かに受け入れたい」

 そんな宿命などない。そう言ってやりたい気持ちを抑えてエルザは瞳を伏せる。

「私の話は退屈だったかな?」

「いえ……」

 クスクスと笑いながら問うフィリップにエルザは困惑したような表情を浮かべ、また瞳を伏せた。

「本当は知っている。この街が平和でなくなっていることぐらいね。わかっていながら、私にはどうすることもできない。戦いを知らない。だから、星海が適任だと思うのだよ」

 誰もが中央は平和だと思っているが、それさえも誤りだ。治安が悪いと思われている外側の方が本当は安全なくらいだ。特に一番危険とされる南が一番安全であるかもしれないというのは皮肉ではあるが。

 支配されないということは目が行き届かないということでもある。そんな些細な干渉でさえ今の組織同士は許さず、小さな悪の芽を許し、大きな悪さえ通してしまった。

 フィリップも歯痒さを感じながらも、自分にはその力がないと見て見ぬ振りを続けてきたのだろう。

 星海が自分と同等以上の力を持っていることをエルザは知ったが、彼だけでもどうにかなるわけではない。一人のヒーローではこの街を守ることなどできるはずもない。

「君は随分と頑張ってくれたね。この街を一人で守るのは大変だったよね?」

 フィリップでもエルザが今までしてきたことに気付いているようだ。

 街のことに関与していなければ、わざわざ〈ロイヤル・スター〉を召集する目的でフォーマルハウトに接触する必要はない。

 だが、彼はわかっているわけではない。エルザは決して一人ではない。全てのことは多くの協力と犠牲の上に成り立っている。

 エルザは肯定も否定もしないまま、ゆっくりと瞬きを繰り返した。

「少し休んだ方がいい。でなければ、君が壊れてしまうからね」

 その声に誘われるようにエルザはそのまま体の力を抜いて、目を閉じた。全ては彼の望む通りに。

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