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24/7 - Twenty Four/Seven -  作者:
第二十二章
202/245

青い血の騎士 002

 マイアの運転する車に乗ってブラックバーン邸に着いた時、エルザの気分は悪くなる一方だった。

 けれど、こうして来てしまった以上後戻りもできない。全ては心の問題だ。それを押し殺すことだってできる。


 エントランスに入ればすぐにトールがやってきた。

「マイア、アトラス、どこへ行っていた?」

 トールは前を歩く長身の姉弟の影に隠れるエルザの姿には気付いていないらしかった。その声音は冷たい。おそらく二人は黙って出てきたのだろう。咎められて当然のことをしている。

 だからこそ、エルザはマイアの後ろから顔を出す。

「アタシのところ」

「……エルザ」

 久しぶりに見るトールの顔は歪み、苦々しく名前が吐き出された。

「ほら、やっぱり歓迎されてないじゃない」

 予想はしていたが、エルザは少しばかりショックを受けた自分に驚いていた。

 彼に愛されているのは今でも自分だと思い込んでいただけなのかもしれないと感じるほどに。どこかでは喜んでくれるなどと思っていたのか。

 そんな自分をも嘲けるように笑んでエルザはマイアを見る。眉根に皺を寄せている彼女は何を期待していたか。

「アナタの年増の妹に脅されたの。でも、借りを返せるなんて思ってないから安心してよ」

 隣に立つエレクトラに睨まれたが、エルザは気にしなかった。

「それは悪かったな。部下と妹が勝手にしたことだ」

「わかってて笑いにきてあげたの。アナタに責任を問うつもりはない」

「本当に悪いが、帰ってくれ。あんたには関係のないことだ」

 それは彼の本心だろうか。

 はっきり言われてエルザは自分の中の黒い感情の存在に気付く。もう踏み込んでしまったのだから、後は勝手にやるだけだ。

 彼から好かれているだとか、自分も本当は憎からず思っていることなど気にするべきではなかったのだ。エルザは自嘲したい気分だった。

 いつから甘くなったのだろうか。彼のように公平な人間になれるはずもない。存在がアンフェアであり、タブーだ。

 そして、武力と権力を持っている。彼らを纏めて容易く踏み潰せるほどの。調停や監査などが仕事でもある。

「トール様!」

「関係なくないはずです!」

 マイアとアトラスは同時に非難するような声をあげる。

「余計なことをするな!」

 トールの鋭い一喝に二人がビクリと肩を震わせる。

 彼が怒るのを見るのはアルテアの件以来になるか。エルザはぼんやりと思い返しながら、あの時以上の余裕のなさをトールから感じていた。

 けれど、エルザとしては許されなくとも構わないのだ。元々が許されない存在なのだから。

「アタシのことは気にしないでよ。少し見物したら勝手に自力で帰るから」

 こうなってしまえばエルザは好きにやるだけだった。止められようとも関係ない。やりたくないことをやる踏ん切りだって付く。

「頼むから、今すぐ帰ってくれ!」

 主人の怒りに触れてもマイアはエルザを帰す気などなさそうである。あるいは想像以上の事態に動けないか。エルザもトールに怒られたからと言ってすごすごと帰ってやるわけにはいかない。

 まだ獲物が食いついてきていないからだ。

「トール様! 急にいなくならないでください」

 緊迫する空気野中、場違いなほど明るい声は不意に響いた。

 そして、トールが振り返る。

 ピンク色のワンピースを着た人形のような少女がトールへと走り寄ってきた。

 彼女こそミラ・ボーテスである。

 しかしながら、人形のような、というのは服だけのことだ。全体的にふっくらとしているせいで少し窮屈そうで、似合っているとも言い難い。頭に大きなリボンを付けて何か勘違いしているのではないかと思わずにはいられないほどである。

「……すまない」

 苦々しいトールの声音に彼女は気付いていないのだろう。

 何があったのかと不思議そうに一同を見る。ふと、その大きな目がエルザを捉えた。

「あら、その方も部下の方? 随分、若くて可愛らしい方もいらっしゃったのね。そうね、わたくし、あの方にお世話をお願いしたいわ。そちらの方はお堅過ぎて嫌なの」

 トールを可愛らしく見上げているつもりらしいミラはどうやらマイアに不満があったらしい。マイアもいよいよ嫌気がさして逃げてきたか。

 エルザとしては苦笑するしかなかった。まったく、このお嬢様は無知らしい。

 そんな時に慌ててミラに駆け寄ってくる少年がいた。彼女の従者だろう。

「いけません、お嬢様! あの女は……!」

 彼は主人の危機を察したか。けれども、残念なことに手遅れなのである。

「もう決めたの。口出ししないで、イザル」

 イザルと呼ばれた少年は不満げだが、エルザは前に出る。

「ご指名頂き光栄だわ。お嬢様」

 獲物が餌に食いついて来たのだから後は釣り上げるだけである。逃がすつもりはない。

「近くで見るととても綺麗ね。わたくしはミラ・ボーテス。あなたのお名前は?」

「エリザベス、エルザとお呼びになって。お嬢様」

 エルザは跪き、ずんぐりした手の甲に口づける。

「素敵なお名前ね」

「光栄です」

「お嬢様、今すぐ離れてください! その女はアルデバランの人間ではありません。エリザベッタ・レオーネ、あのレグルスの悪姫と呼ばれた女です!」

 イザルが悲鳴のように叫ぶ。エルザは肩を竦める。

「そんな呼び名があったなんて知らなかった。〈呪われ子〉、〈災厄の獅子〉、〈世界一危険な女〉、〈金髪の悪魔〉、烙印ならもう押す場所がないほど押されたと思ってたけど」

 生まれた時から散々な言われようだった。しかし、エルザにも把握できていないものもあるということなのだ。噂とはそういうものである。エルザが上げた呼ばれ方でさえ微妙な差異があることが多い。

「では、トール様の部下ではないの?」

 不思議そうにミラが見上げてくるのをエルザは内心嘲笑った。本当に何も知らない。大した組織ではないが、ボーテスのボスの娘とあろうものが笑えるほどだ。

 レグルスの一構成員でしかなかった男でも息子に幼い頃から組織の人間としての教育を叩き込んだ。そういった意味ではアレックスは英才教育を受けている。

 それなのに、この少女ときたら脳天気なものだ。彼はこの歳には既に泣きながらも逃れられない運命というものを悟っていたはずだ。

「彼にとっては不本意な知人よ。今すぐ帰れって怒られたから帰るところ」

 チラリとエルザはトールを盗み見る。彼は唇を引き結び、拳を握り締めている。おそらく彼にとっての最悪の事態に裏切りだと感じているか。

「そう……なら、わたくし、屋敷に帰ります。エルザ、一緒に来てくれるわよね?」

「お嬢様!」

 主の宣言にイザルが悲鳴のような声を上げる。よほど自分を屋敷に入れたくないのだろうとエルザは察する。そうなれば、どうなるかミラと違って聡い彼はわかっているのだろう。

 だから、エルザは無視するわけだ。

「もちろん、アタシは切り落としたい手首にしかキスをしないから」

「トール様、お騒がせいたしました。では」

 これまで居座っていたらしい彼女のあまりにあっさりとした引き際にマイアもアトラスもエレクトラも唖然とした様子だった。

 その間抜けとも言える顔を見ながらエルザは険しい表情のトールを見て、ニッコリと当てつけのように笑むのだ。

「悪いわね、トール。お嬢様は心変わりしたみたい。アタシが代わりに美味しくいただくわね」

 その心変わりを責める理由は彼にはないだろう。

 エルザもこうして介入してしまった以上、好きにやるだけだ。取り繕ったところでどうしようもない。だからこそ、トールを挑発したりもする。悪になろうと構わなかった。

 イザルは全く納得していない様子だったが、主人であるミラが決めてしまったなら、この場ではどうすることもできないだろう。

 勝負はあちらの屋敷で付けられるべきだ。だから、エルザは身を翻す。

「では、ごきげんよう」

 そうして、ミラと嫌そうな顔をするイザルと共にエルザはブラックバーン邸を後にしたのだった。



 ミラがあっけなく去っていった屋敷内に重い空気が流れる。けれど、それも一瞬のことだった。

「エルザさんってああいう趣味があったんですね……あれ、でも、エレクトラさんもそういう趣味の人で……」

 沈黙を破ったアトラスは不思議そうに呟きながらエレクトラを見て、混乱している様子だ。

「女は嫌いってはっきり言われたわ。特にああいう世間知らずのお譲様は大嫌いじゃないかしら」

 エレクトラはクスクスと笑い、マイアは眉間に皺を寄せ、思案していたのだろう。

「何か、ありそうですね」

「くそっ……」

 トールにはただ悪態を吐くことしかできなかった。

 ここ最近の悩みの種は消えたが、必ずしも喜ばしいことではない。

 少なくともトールにとっては最低最悪の事態である。しかし、勝手なことをした部下や義妹を責めることもできない。

 自分のふがいなさを呪いたくなるばかりだ。全て自分が悪いからこそ彼女達が動いてしまった。

 結局、自分は口先だけ、顔だけの男なのだと痛感させられてトールは強く唇を噛む。そんな痛みも血の味もわからなかった。

 このまま何もしないわけにはいかない。このまま騎士が決着を付けるのをただ待つだけの姫になどなれない。男女が逆転したままではいられない。挽回できるほどの能力があるとは思えなくとも、動くしかない。

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