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24/7 - Twenty Four/Seven -  作者:
第三章
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静穏の檻 005

 新しい歌姫はす ぐに評判になった。

 前より客が増え、ディバインの歌姫を不審がっていたマスターもすっかり機嫌よく接してくるようになっていた。

 ある日、リゼットはある視線に気付いた。

 自分を見詰める強い眼差しは射抜かれそうになるほど真っ直ぐだ。ステージから見てその男は浮いていた。こんな酒場には似合わない男だ。

 カリナが言うように寂れた酒場はあまり品が良いとは言えなかった。

 小神はきっちりとした身なりで腰まで届く髪は下ろされ、気品さえ感じられた。酒を飲む時でさえ外さない革手袋だけが異質であったが、ワケ有りだらけの街では些細なことだ。

 安い酒を楽しむタイプには見えない。もっと高級な店が似合うような男だ。

 その後も何度か店にやってきた。マスターが勝手に喋ったことによればこれまで見なかった顔であるらしい。

「お前さんに惚れたんだろ」

 マスターは笑ったが、リゼットは曖昧に微笑み、信じようとしなかった。


 彼はある日、裏口にいた。

 彼ほど上品な男が人身売買に関わる人間だとは思えない。それが手口なのかもしれないが、そういった空気は感じられなかった。常に周囲を警戒する用心深さはあったが、珍しくない種の人間だ。

 カリナの言葉を借りれば皆ワケ有りであり、エルザに言わせれば組織の人間などそこら中に落ちているということになる。

 彼は何も言わずに花束を差し出す。小振りだが、美しい花束は彼の誠実さを表していたのかもしれない。だが、お礼を言えない代わりに微笑む間もなく、彼は去って行ってしまった。引き留めることすらリゼットには許されなかった。


 やがてリゼットは向けられる視線の中に彼とは違うものを感じ取るようになった。

 張り付くような悪意、獲物が罠にかかったと確信していた。

「リゼット、お前と話をしたいという人が来ているんだ」

 ある日、控え室に戻ったリゼットにマスターが言う。ついに来た、確信だった。「失礼のないようにな」

 そう言い残し、マスターは出て行く。カリナも今は一人でピアノを弾いている。邪魔をする者はいないはずだった。

 やってきたのは壮年の男、黒々とした髪、メタルフレームの眼鏡、高級そうなスーツに身を包み、潔癖そうな印象の男だった。だが、その脇の下には銃が吊られているとエルザは見抜いていた。

「初めまして、わたくし、サイモンと申します」

 その口調は丁寧であったが、上辺だけのものであることを見抜くのは容易い。

 そして、サイモンは一方的に話し出した。間を与えたところで無駄だと思っているのだろう。初めから考える余地を残すつもりはないのだ。元の歌姫が戻れば、リゼットの行き場はなくなる。そんなタイミングで彼はやってきた。歌うことしかできない哀れな女が身寄りもなく、働き口を必要としている。自分達のバーで倍の値段で雇うと彼は言った。

「あなたにはこれからオーナーに会っていただきます」

 サイモンは言うが、リゼットは困惑した素振りを見せた。話が急すぎるのだから自然な反応だ。

 眼鏡の奥で細く吊り上がった目が一層細められ、空気の変化をエルザは感じ取った。サイモンの手が懐に伸び、拳銃を取り出す。

 悲鳴をあげる必要はなかった。それさえリゼットには必要ない。ただ怯える素振りを見せるだけで彼は満足したようだった。

「来てくださいますね?」

 頷くことしか許さないようにサイモンは冷笑を浮かべ、リゼットは頷く。元々、拒否するつもりもない。まずは相手を満足させることからエルザは始める。


 互いにうまくいったと内心ほくそ笑んでいるところだっただろう。

 両方にとって想定外の事態が起きたのは、二人が裏口から出た時だった。

 先日のように彼はそこにいた。花束こそ手にしていなかったが、待っていたのだろう。

 何事もないように通り過ぎるはずだったが、彼の存在は完全なる誤算だった。

 彼もまたサイモンの懐に気付いてしまった。彼の持つ不穏な空気さえ感じ取ってしまったのだろう。

「彼女をどうする気だ?」

「ビジネスの話です。あなたには関係ありません」

 とんでもない誤算だ。エルザはどうするべきかを即座に考えようとしたが、様子を見るしかない。

「最近、身寄りのない者が行方不明になる事件が続いている」

「この街ではよくあることでしょう? 身寄りがなければ尚更と言うもの。それが、わたくしとなんの関係が?」

「貴殿によく似た人物が目撃されている」

「言いがかりはよしてくださいよ」

 サイモンはしらを切ろうとしたが、彼は退かなかった。

 沈着な態度は警察のようでもあり、エルザもリゼットとして下手に動くことはできない。

 ふと、エルザは不穏な気配を感知し、サイモンが小さく笑った気がした。彼の背後に鉄パイプを振り被る影があったのだ。

 本当は逃げてと言いたかった。けれど、リゼットのプログラムはその喉が言葉を発することを拒絶した。荒事になって困るのはエルザも同じだ。これまでの努力を無駄にすると言うかのように声は音を伴わず、体さえ動かすことができなかった。

 彼の身体が揺らいだ時、リゼットも首に手刀を打ち込まれ、意識を手放した。



 目覚めたのは倉庫らしき薄汚い建物の中だった。

 隣には彼が転がっている。特に目立った外傷もなく、息はあるようだ。室内に人の気配はなく、彼が目を覚ます前にどうにかできるかもしれないとエルザは考えた。

 元々、リゼットは存在しない人間である。アル・ディバインも手掛かりを残すようなことはしない。

 しかし、エルザが行動に移ろうとした瞬間、彼が身じろぎした。

 切れ長の目が開かれ、エルザは本当に困った。

 巻き込まれてしまったこの男がただの一般人であればまだ良かっただろう。リゼットであることをやめ、正体を明かしてしまうこともできた。警察関係か組織かわからない。エルザとしてはこの男とやり合うような事態には発展させたくはなかった。

「貴殿は自分が必ず」

 覗き込む目が不安げに見えたのか、彼は言う。守ると言うのだろう。本当はその必要などなかった。エルザにはこの男さえ守れるだけの力があった。

 今の時点ではすぐに動かなければならないだけの緊急性はない。その境界を見誤ればどちらも命を落としかねないが、エルザは己の感覚を信じていた。天性のものというよりは幼少の頃より積み重ねられた経験によるものであった。


 カツカツと足音が響き、悪意の気配が濃くなる。サイモンと男が二人近付いてくるが、まだ奥に潜んでいる気配がある。

「まったく、煩わせてくれましたね」

 彼の胸倉を掴んでサイモンが言う。しかし、彼の心を折ることはできなかった。

「貴殿の悪事もここまでだ」

 強い瞳は彼に策があるということか。

 けれど、思考はサイモンの張り付くような笑い声が中断させた。

「おかしなことを言いますね。あなたは生きて帰れない。誰もわたくしを裁くことはできません」

「傲慢だ」

「あなたにはわたくしの邪魔をした罰として、相応しい死に方を用意しましょう。生きたまま死を切望するほどの苦痛を与え続けられながら死んでいく。わたくしはその様を収めたビデオで儲けさせてもらいましょう」

 サイモンは人身売買に手を染めている。彼もリゼットも商品かそれ以下でしかない。サイモンの目は人を金儲けのための物としか見ていなかった。

 しかし、自分自身が最早人でないことに気付いてはいなかった。神にでもなったつもりだろうが、その心は腐りきっている。

 もう一度、彼が気絶してくれればどうにかなるが、願うわけにはいかない。

 アル・ディバインが助けてくれるはずもない。助けなど必要ないのだ。彼が傷付く前にプライドを捨てるか、好機を待つか、選択肢は少ないのだが。

「人を弄ぶことが人に許されると思うな」

 彼の強い正義を感じる言葉は、まるで人に弄ばれることを知り、嫌悪しているかのようだ。

「見捨てられた者に行き先を与えてやっているのですよ」

 サイモンは極めて傲慢な態度を崩さない。

「あなたに何ができると言うのですか?」

「人に人を縛ることなど許されない」

 見下す眼差し、サイモンの嘲りにも彼は動じなかった。冷めやかに言い、立ち上がる。腕は自由になっており、はらりとロープが落とされた。

「なっ……なぜだっ! き、貴様、何をした!?」

 サイモンは驚倒する。作り上げた体裁をかなぐり捨て、ヒステリックに喚き出す。

 それからは一瞬のことだった。サイモンの側に控えていた二人がナイフを構えて動くが、すぐに床に転がされることになる。

 役に立たない部下にサイモンが焦れ、残りの男達を呼ぶが、無駄だった。

 彼の動きに無駄はなく、多人数を相手にしても怯む様子は微塵もない。勇敢なのか、恐怖を感じないのか。

 どちらにしてもエルザの仕事はなくなってしまった。ただリゼットらしくおろおろと見ているだけだ。

 サイモンが銃を抜こうとすれば彼は即座に察知し、踏み込むと強烈なパンチを鳩尾に叩き込んだ。


 彼は男達全員を拘束すると、リゼットの元に戻ってきた。

「痛むところはないか?」

 乱れもなく、問う声は穏やかでリゼットはただ頷くしかなかった。

 彼が何者かはわからない以上、なんとかこの場を自然にやり過ごすしかない。

「送っていこう。住まいは?」

 リゼットは首を横に振った。家がないわけではない。仮の隠れ家はある。言えるならば大丈夫だと言いたかった。こうなればリゼットであり通すしかない。

「こんな時間に女人を一人で帰らせるわけにはいかない」

 彼はどこまでも実直な男だった。呆れるほどに自分を疑う様子のないその男には折れるしかなかった。


 北の隠れ家は簡素なものだった。リゼットとしての仕事を終えるまでの居場所に過ぎない。もう明日には引き払って出て行かなければならない。

 アル・ディバインが失敗だと言うかはわからない。エルザとしては想定外の中での最良の選択をしたつもりだった。

 エルザにとってサイモンはハズレであった。たとえ、尋問したところで、上へと辿り着くことはできないだろう。自ら獲物を手にかける彼は組織のトップではない。

「これを、貴殿に」

 差し出されたのは青い輝き、吸い込まれるような深海の色をした美しくもシンプルなペンダントだった。

「昔、自分に生き方を教えてくれた人がくれたものだ」

 そんな大切な物は受け取れないと首を横に振る。自分は騙しているのだと言えれば良かった。そんな資格はないのだと。

 それはプライドという名の魔法なのかもしれない。自分にかけた暗示にエルザは苦しんでいた。

「どうか、貴殿に持っていてほしい」

 腕が首元に伸ばされる。その手が喉元を絞め上げてくれたならばどれほど良かっただろうか。二度と歌えないように、言葉を発さなくていいように、もう二度と誰かを惑わさないように、息の根を止めてほしかった。

 そして、残されたのは青、胸元に輝くそれは目眩がするほどに青く、恐ろしかった。

 気付けば、その背は闇の中に溶け込むように消え、助けられた礼を言う暇さえなかった。


***


 あの後、サイモン達がどうなったのかをエルザは知らない。アル・ディバインは後日『上出来だ』とメールを送ってきたが、意図はわからなかった。サイモンさえ潰せればそれでいいのか。それとも、彼と引き合わせたかったのか。

 彼がくれた青は今もポケットの中に入っている。

「エリザベス殿」

「ゴメン、凄く乗り心地が良かったから」

 控え目かけられた声でエルザは現実に引き戻された。いつの間にか車は停車していた。

「エルザでいいって言ったのに、お堅い人ね」

 エルザは他人にエリザベスとは呼ばせなかった。いっそ、その名前を捨ててしまいたかったが、それもできない。

「エリザベスって名前、本当は嫌いなの。でも、それがアナタの流儀なら強制はしない」

 信用されていないのは仕方がないが、エルザにとってその名前はいつだって胸に暗い影を落とした。今は彼に対する後ろめたさもあったのかもしれない。

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