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24/7 - Twenty Four/Seven -  作者:
第三章
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静穏の檻 004

 シルバーの高級車、クラシックの名曲、流れていく窓の向こうの景色、座り心地の良いシートに身体を預け、エルザはぼんやりしていた。

 この日、星海が来ているとフレディから呼び出しを受けたのは昼過ぎ、それからエルザは急いで〈カニス・マイヨール〉に駆け付けた。

 エルザを待つ間、彼はまた革手袋をしたまま、コーヒーを飲みながらチョコレートケーキをどこか幸せそうに食べていた。エルザが胸焼けを起こすような甘ったるさが漂っていた。

 彼はエルザの存在に気付くと、『フィリップ様が貴殿との面会を承諾した』と言った。

 そして、今に至る。


 星海の運転は丁寧であった。

 彼の横顔を見ながらエルザが思い出すのは別の男のことだった。あの男もこうして車を運転するのだろうか、どんな車に乗るのだろうかと思えば不思議な気分になる。

 まるで恋をしている乙女のようだが、そんな馬鹿げたことはありえない。

 この前はそんなことを考える余裕がなかった。だが、狭い車内に二人きりとなれば、どうしても探ってしまう。

 自分のことに気付かれるのではないか、問い詰められるのではないかという考えが脳裏を過ぎるが、そんなことは問題ではなかった。騙していたことは事実でしかないのだからエルザは言い逃れをするつもりもない。

 黒髪、黒い目、黒衣、革手袋、たったそれだけの特徴だ。顔も系統としては似ているのかもしれないが、同じとは言えない。ただその身に纏う匂いとでも言うべき何かが似ているのだ。

 考えたくないのだ。彼と彼の繋がりを肯定し、全てが偶然ではなく必然なのだと、仕組まれたことだと認めてしまいたくないのだ。

 彼と出会ったのは偶然だったはずだ。フォーマルハウトの人間だとは知らなかった。いや、本当はわかっていたのかもしれない。


 見覚えのある景色が過ぎていき、エルザの心には暗雲が立ちこめるが、スピードは緩まない。

 同じ街でも区域によって違う表情がある。南に住んでいたエルザにとって北は穏やかでとても同じ街とは思えない。

 中央に近い北に住むギルバートは伸び伸びとして、組織の子供として生まれながら、そんな空気を感じさせない。彼の弟であるシルヴィオも二人の祖父でありボスであるアルフレードも、屋敷の人間は皆争いなど知らないかのようであった。

 エルザは常々ガニュメデスは全体的に変だと思っているが、それぞれ支配する組織の色が街にも出ているのは間違いない。

 北はどこよりも穏やかだからこそ、エルザは来る度に拒まれているように感じていた。

 それでも、ここにも悪の種は蒔かれていた。

 ポケットの中、硬く冷たい感触を握り締めながらエルザは思い出す。彼と出会ってしまった日のことを。


 その頃のエルザは家に帰らないことが多くなっていた。

 元々、レグルスは居心地が良かったわけではない。

 しかし、国外に逃がす予定だった対象を死なせ、頼りになる味方はダンジョンに囚われてしまった。次第にエルザは仕事や情報収集を理由に隠れ家に籠っていた。

 エド達には絶対的なボスである兄レナードに反発して家を出たと言った。それは嘘でないにしても決定的だったのはデュオ・ルピの登場だった。

 レナードからヘルクレスには関わるなと何度も言われた。エルザが依頼を受けた関連の仕事は全て他に回されていた。怪我をした時には軟禁されることさえあった。

 全て自分のせいなのだから仕方のないことだとエルザは半ば諦めていた。

 だが、デュオ・ルピの登場はその考え方を根本から揺り動かし、エルザに決意させた。

 守るために遠ざかることを、終わらせるために優しい腕から抜け出すことを。そして、その腕で殺められることさえ覚悟させたのだ。


 レグルスを通さず、一人で仕事をすることはエルザにとって難しいことではなかった。〈黒死蝶〉の名がなくともできた。その名を轟かせたのも兄とレグルスのためになると信じていたからに他ならない。

 レグルスを離れてすぐに仕事を提供してくれるパートナーも現れた。アル・ディバインと名乗る人物は街に芽吹く悪の情報をエルザに流してきた。東も西も南も北も中央も、大きなものも小さなものも関係なく、あらゆる情報を。

 連絡はいつだって一方的なメールだった。エルザは顔も声も知らない。まず本名でもあるまい。男なのか女なのか、老人なのか若者なのか、一人なのか複数なのかもわからない。

 タイミングも良すぎたが、エルザとしては躍らされても構わなかった。

 求めているものを与えてくれたからだ。そのやり方は自ら直接切り込むエルザの主義と一致していた。

 北での大仕事もアル・ディバインがもたらしたものだった。人身売買を行う組織の情報、エルザがするべきことは囮となって組織を暴くことだった。

 舞台も全てアル・ディバインが用意していた。それが彼劉星海と出会った酒場だった。


***


 普段よりも薄く落ち着いたメイクを施して長い黒髪のウィッグを被る。青いドレスの胸には詰め物をして大人に見える表情を作る。

 そして、エルザはその人格にリゼットという名を与えた。長い仕事になる時の儀式だ。エリザベスという名の数あるニックネームの中から選ぶのはたとえ他人を演じても自分を忘れないためなのかもしれなかった。


 アル・ディバインが指定した日時に酒場に向かえばマスターが待ち構えていた。

「あんたがディバインの歌姫か?」

 問うマスターにリゼットは黙って頷くしかない。

 弱い女に見せるためか、歌姫は喋らないとアル・ディバインは伝えていたのだ。

「わかってるさ、喋れねぇんだろ?」

 困っているように見えたのか。マスターは言うが、怪訝な表情を隠そうとはしていなかった。あまり品の良いタイプではない。

「こっちは前の歌姫が暫く来れねぇって言って困ってたんだ。そんで、ディバインの紹介を有り難く受けることにしたわけだが、随分と一方的な奴だったなぁ。電話一本だけだ。一体、ディバインってのは何者なんだ? やべぇ奴じゃねぇだろうな? お前さんもワケ有りみたいだしなぁ……」

 マスターはアル・ディバインとは繋がりがないらしい。

 ぶつぶつと言うマスターにリゼットは困惑していた。

 自分で設定したことならば良いが、全てを仕組んだのはアル・ディバインであり。エルザも何も知らないのは同じだ。疑わしげに見られても、心に傷のある女という面倒臭いオプションを付けたのはエルザ自身ではない。

 アル・ディバインを恨めしく思いながらリゼットを演じるだけだ。


「そんなことを言ったら、折角来てくれたのに失礼だよ」

 その声はリゼットにとって救いだった。

 振り返れば若い男が立っている。

 明るいブラウンに染められた髪は胸元近くまで届き、長い前髪が左目を隠していたが、陰気な様子はない。

 清潔感のあるパリッとした白いシャツに黒いズボンというシンプルな装いがよく似合っている。美男の部類に入るだろう。一見女性のようにも見えるが、男性であるようだ。

「こいつは、うちのピアニストだ」

「カリナって言うんだ。素敵でしょ?」

 マスターが紹介すれば、カリナはニコリと微笑む。

「女みてぇなナリで女みてぇな名前だが、ついてるからな。気ぃ付けろよ」

「マスター、いくら俺が並の女が嫉妬するほど綺麗な女顔だからって、下品なことはやめてよ。それに、俺だってワケ有りだってこと忘れた? っていうか、この街にいるのなんてみんな面倒臭い奴ばっかだよ。何せ、掃き溜めの街だよ?」

 カリナは不満げに顔を顰める。彼がナルシストだということはよくわかった。エルザはもっと美しい顔を知っているからこそ、それほど綺麗だとは思わない。

 何も言えないというのは不便だと思っていたが、この時ばかりは密かに感謝した。

「ねぇ、何が歌えるの? まさか、口パクじゃないよね?」

 これから仕事をするパートナーとしてお互いに実力を見極めるのは重要なことである。

それを見せつけなければマスターもこの男も納得しないとわかっていた。これはアル・ディバインからの第一の試練なのだ。

 自分のレパートリーを書いた紙をリゼットが見せれば、カリナは真剣な表情になる。

 エルザにとって歌は特技だった。人前で歌うことに抵抗はなく、それなりに自信もあった。幼い頃から大人達を喜ばせるために特訓させられ、今でも知り合いの店に行けば歌わされる。そうしてチップや情報を得て本来の仕事をしている。

 そんなことさえアル・ディバインは知っていたのかもしれないが、エルザは深く考えようと思わなかった。罠であっても、どんなことがあっても、切り抜けられると信じていたからだ。

「よし、この曲にしよう。いいね?」

 暫くしてカリナはテストするための曲を決めた。エルザが得意とする曲でもあり、誰もが知るようなものではないが、知る人ぞ知る名曲というものである。

「そんな歌、やったことねぇだろ」

 マスターはカリナの選曲に眉を顰める。

「やれるわけないでしょ」

 カリナは溜め息を吐いてみせた。それはどういう意味だったのか。


 耳より上の髪を結い上げ、腕をまくったカリナは先程とは別人のようだ。穏やかであったが、先程の明るさを動とするならば今の彼は静なのかもしれない。

「喋らなきゃいい奴なんだがなぁ……」

 マスターがぼやくのが聞こえる。

 ピアノの前に座り、カリナは目でリゼットを舞台へと促した。それは逆らえない空気を纏っていた。


 カリナの奏でる旋律は繊細で静かながらも力強さを孕んでいた。音が空気に溶け、彼の意思を伝えてくる。求めている音がわかるのだ。その音にリードされ、紡ぐ歌は心地よかった。

 彼の音をどこかで知っているような気がしたが、思い出せない。エルザはすぐに考えることをやめた。それさえも奏でる音から見抜かれてしまうような気がしていた。


 歌が終われば解放されたような気分にもなる。

 どこか檻にも似ていたのかもしれない。彼が作り出す音に支配されていた。打ち勝つこともできないわけではないが、不快というわけでもない。

 心に傷のある女であるリゼットがそうするのは不自然というものである。必要なのは救われるために歌うという逃避の意思だけだ。

「俺は、あの雌豚より断然いいと思うけどなぁ。むしろ、なんでこんな寂れた店に来てくれたのかわかんないくらい」

「雌豚とはひどい言い草だな。つーか、さりげなく寂れたとか言うな」

 前の歌姫を雌豚などと称するカリナはピアノの前では人が変わるタイプの人間なのか。

「寂れてるのは事実だし、あいつ、マジむかつくんだよ。ちょっと歌が上手いからって傲慢で俺に指図するし、趣味合わないし。正直、もう戻ってきてほしくないね。いやね、俺はちょっと容姿が良くて歌が上手いからって歌姫って持て囃すのはどうかと思うんだよ。ね、そう思うでしょ? 同じ歌姫とか思われたくないでしょ?」

 思ったことをはっきりと言うナルシスト、それがカリナという男らしい。

 前の雌豚を知らないが、気持ちはわかる気がした。エルザもあまり他人に対して優しいことを言うタイプではない。

 リゼットとしてはどういった反応をすべきか困るところではあるが。

「っていうか、お名前何?」

 カリナは散々まくし立てた後、問いかけてくる。

 リゼットは名前を書いたメモを見せた。いくつか必要になると思われる情報は事前に書いてある。

「リゼット、ね。君とはいいパートナーになれそうだよ」

 微笑を湛えたカリナはリゼットを高く評価しているようだった。

「よろしくね」

 カリナの男性らしい手が差し出されるが、リゼットは自らの手を差し出すことを躊躇った。心の傷のオプションがそうすることを抑制していた。

「お前さん、怖がられてるぞ」

 マスターが笑えば、カリナは肩を竦める。その様子は気分を害したというようでもない。自分もワケ有りだから、わかっているということなのだろうか。

「マスターのせいだよ。俺ほど安全な男もいないのに」

 嘆息してカリナはすぐに真顔に戻る。

「打ち合わせしよう」

 その顔は仕事をする人間の顔である。

 カリナという男はエルザにはよくわからなかった。

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