女達の聖戦 007
立ち上がったエルザは服の汚れを払う。
「眠くなりそうだったわ。アタシが間抜けみたいじゃない」
実のところ、三発の銃弾はエルザを貫かなかった。ジャケットの下に着込んだ防弾コルセットが全て受け止めている。
丸腰とは言っても身を守るための準備はしてあった。おかげで穴あきにはならなかった。全くダメージがないというわけにもいかなかったが。
「時間を稼いで差し上げたので御座いますわよ。感謝なさいませ」
恩着せがましいマリアにエルザは感謝など微塵も感じていなかった。礼など言えるはずもない。
すぐに起き上がるはずが、彼女の乱入のせいでじっとしている羽目になってしまったのだ。
インターバルにはなったが、そのまま終わればいいと思ったのも事実だ。最早、全てが茶番でしかなかった。
寝たふりはあまりに苦痛だった。
「出て来るのが遅いのよ、クソババア」
「まあ、口の減らない御方ですこと! 大体、またそんな格好をなさって! 女の子はヒラヒラでなければなりませんわ」
「アナタの趣味には付き合ってられないわ」
わけのわからない理由で喚き散らされる理由もなかった。全てはマリアの理想の押し付けに過ぎない。
「アレシア、頭を撃たないからアナタは甘ったるいのよ」
エルザは自分の頭を指さす。弾の防ぎようもなく無防備に曝されているその場所なら仕留められた可能性がある。尤も、彼女の射撃の腕はそれほど良くはないのだが。
「そんなんで愛しのマリオ・ジェラルディのカタキが討てるとでも? 覚悟が足りないんじゃないかしら?」
アレシアの表情は一変した。先程までクールを装っていた彼女を崩すのは簡単だった。
「あんたがその名前を口にするんじゃないよ!!」
恋人の名にアレシアは簡単に激昂した。
エルザに関わったがために命を落とした軍警の男マリオ・ジェラルディ――今やマックスと名乗る男の本名である。
「アタシはマリオの望みを叶えてあげただけ。彼は、本当は、いつでもアナタから逃げたかったのよ」
マリオを殺したのはエルザではなく彼本人であるのだが、それを言わないのが彼との約束だった。だから、エルザは自分が彼を殺したこと思われて構わなかった。死のきっかけを与えたのは間違いない。
どちらにしてもアレシアが愛したマリオ・ジェラルディはもうこの世にはいないのだから同じことだ。
マックスはアレシアとは関係のないレグルスの男だ。
「あんたに何がわかるって言うのさ!?」
アレシアは今度こそエルザの頭を狙って銃を構えた。
エルザは自らゆっくりと間合いを詰め、銃口は眉間に付かんばかりになるが、恐れなどない。彼女のトリガーフィンガーは動かないとわかっていた。もう撃てない。殺せない。一度しくじって彼女の心は折れたと言えるのかもしれない。恐怖を感じているのは彼女の方だとエルザは見抜いていた。不死身のように思われるのは甚だ心外ではあるが。
ただ激情だけが彼女を空回りさせている。虚しいばかりだ。
「わかるわよ。だって、アタシはマリオに聞いたもの。『彼女は正義を愛していただけだ。俺じゃない』って」
「でたらめを言うな!」
確実に頭を撃ち抜ける距離だというのに彼女は反対の手で殴りかかってくる。既に銃は飾りでしかないということだ。
エルザは避けずにその勢いで背中から地面に倒れ込む。衝撃は一瞬だった。
素早く馬乗りになってきたアレシアにジャケットの胸倉を掴み上げられても銃口を向けられても一向に恐怖を感じることはない。それが感じられるのなら撃たれて何とも思わないはずがない。
だから、エルザはじっとアレシアを見上げるのだ。
「アナタは彼の悩みに気付きもしなかった。ただ正義を貫くことを強要した」
「それがあたし達の約束だった!」
「自分の正義を押し付けることであなたは愛していると思い込んでいただけ。実際は彼を束縛していただけに過ぎない。気持ち悪い自己満足だわ」
「あたし達は同じ未来を見ていたんだ! それを……それをあんたが引き裂いた!」
彼女が語らなくともエルザは二人のことを知っている。マリオ本人から聞いたのだ。二人の話は矛盾することもあるが、エルザはこの件に関しては彼の味方でなければならなかった。
「なら、なぜ、マリオ・ジェラルディはアナタに何も残さなかったの?」
エルザが頼まれたのは決してアレシアをいたずらに傷付けることではない。
しかし、こういうやり方しかできないことは彼も了承済みだ。マリオはアレシアのことをよくわかっていて、マックスはエルザのことをよくわかっている。だからこそ、エルザに生温いことを強要しない。好きにしてくれと言うだけだ。それは遺言でしかないのだから。
「なん、だと……?」
アレシアの瞳が揺らいだのを認め、エルザは更に続ける。
「だって、彼はアナタに形のあるモノは何一つ残さなかったじゃない。命でさえ」
忘れ形見は存在しない。アクセサリー一つ買ってやったことがなかったし考えたこともなかったと彼は言った。それを悔やむこともない、と。
「それは……あいつは、急にお前に殺されたから、だから……!」
「『君は俺の悪だ。だが、俺は君の悪でなければ正義ですらない。君は彼女の悪で、俺は彼女の正義だが、彼女は君にとってなんでもない。俺には俺の正義、彼女には彼女の正義……君には君の正義があるなら教えてくれ。君が戦う理由を教えてくれ。そして、君の正義の中で、彼女の悪の中で俺を死なせてくれ』――それが、あのお馬鹿な軍警の長ったらしい最期の言葉だった」
マリオとエルザは戦いの中で出会ったが、彼は巻き込まれたに過ぎない。それでも、彼は逃げ出そうともせず、軽傷を負いながらも自分の話をした。
エルザは色恋沙汰には興味がなかったが、彼の瞳に死が見えたからこそ聞いてやったのだ。
彼と交わした言葉を今でも一字一句違わずに覚えているのはいつかこうしてアレシアに告げる日が来るとわかっていたからだ。嘘だと否定されようとそれは紛れもない事実であった。ねつ造してこじらせる趣味はエルザにはない。
「嘘だ……あたしは騙されない! あんたなんかに……!」
もう一度、同じ箇所を殴られ、口の中に鉄の味が広がるが、それで彼女が満足するのならばエルザにとってはどうでもいい痛みであった。
「嘘なんか吐かないわ。あんな台詞、どうしてアタシが創作しなきゃいけないのよ。殺した人間のことは忘れないだけよ。でも、これでよくやく忘れられる。終わりだわ」
「あたしは許さない! 絶対に許さないぞ! エルザ・レオーネ」
「『俺はもう彼女を愛してやれない。彼女のところには戻りたくない。共に始まり、共に終わることはできない。残酷な毎日だ。正義から始まった愛は愛になれなかった。否、一度も愛していると言うことができなかった。いつかは言えると思っていたが、俺はもう彼女の悪だ』」
残酷なメッセージはエルザとしてもできれば伝えたくないものだった。それ以上のトドメはないと感じるからだ。
二人の関係があまりロマンティックではなかったと窺わせる。彼が苦痛を感じて、それでも離れられずにいたのだとわかる。離れなければならないと悟って彼は死を決意した。
「あたしは……あたしは……!」
アレシアは気付いただろう。それが真実であることに。彼女の知るマリオ・ジェラルディの言葉であることに。
だからこその叫びだっただろう。
たとえ、エルザのことを信じなくとも、マリオ・ジェラルディのことは彼女が一番知っているはずだった。
感情が爆発し、アレシアは銃口を自分のこめかみに向けようとする。だが、それを止めるのはエルザでない。
彼女の手首を掴んだのはロベルタだった。アレシアの視線を受けて首を横に振り、彼女をその胸に引き寄せエルザの上からどかす。
「あぁぁぁぁっ!!」
アレシアはロベルタに縋り付いて泣いた。周りを気にせず子供のように泣きわめく。マリオが死んでから初めて他人の前で流す涙だったのかもしれない。
そうしてこの舞台の悲劇のヒロインだったはずのロベルタは彼女を家族のように抱き締めて宥める。
仰臥したままのエルザを見下ろすのはマリアンナだ。
「気はお済みになりまして?」
マリアンナの表情には呆れが色濃く出ている。
「アナタ次第よ」
今のエルザは殴られたせいで、うまく笑みを作ることもできなかった。
「エルザお嬢様はどうしようもない大馬鹿者で御座いますわ」
マリアンナは大仰に肩を竦めてみせる。
「わかってる」
エルザは否定しない。
けれど、それは彼女だって同じことだ。言いたいことは一言では済まないが、もう限界だった。
「ヴェナンツィオさんが来た。立てるか?」
ルカが問いかけてくるが、首を振ると意識を遠のくのを感じる。
「エルザ!」
何人もの声にほとんど同時に名を呼ばれたのに、彼の声だけははっきりと聞こえた気がした。
狭まる視界の中で心配そうにしながらも入ってこられないでいる弱くも優しい少年の姿がエルザには見えた気がした。