荊棘の道 003
要件は伝えてもまだヴィットリオの話は終わらないらしい。
「個人的な質問をしてもいいか?」
「いくつ?」
「えーっと……」
試しに聞いてみれば、ヴィットリオは指を折って数え始め、面倒臭い男だとエルザは溜息を吐く。それは必ずしも悪い意味ではないのだが。
「好きなだけ聞きなさいよ。答えたくないことには答えないから、遠慮なくどうぞ」
ヴィットリオがそれほど答えにくいことを聞いてくるとも思えなかった。
「あの美人のファイル見たんだけどよ……大丈夫なのか?」
「ルカ? アナタより大丈夫だと思うけど」
誰のことかはすぐにわかった。
エルザの一派に入って、まず同じ一派の人間のことをヴィットリオなりにきちんと知ろうとしたのだろう。
だが、ヴィットリオの安全性も他人から見れば怪しいものだろう。利用されていたとは言っても、セルペンスにいたのだから。
「そりゃあな……って、違うだろ! 俺は滅茶苦茶大丈夫な男だ」
「力説されても、アナタって前科持ちって感じだし」
「うぐっ……」
彼に絞められた首をこれ見よがしに撫でれば、ヴィットリオが息を詰める。
しかし、彼もそれで引くわけでもなかった。
「だってよ、おかしくねぇか? まだ高校生だろ? いくら自警団の活動があるって言っても、今時の奴は学校で銃を習うのか? 素質があるなんて普通じゃねぇ。そもそも、そんな奴をひょいとスカウトしてくるなんて、俺としてはどうにも……」
「それって、イグナツィオ的思考よね」
ヴィットリオが並べ立てることは尤もではあるが、別の男をエルザに思い起こさせる。
やはり血は水よりも濃いのだ。楽観的で危なっかしい男でもあの男の双子の弟なのである。
「茶化すな。これは俺じゃなくたって疑問に思うだろ。いきなりあんたの一派に入ったりして……」
顔を顰めたヴィットリオは自分の意見に自信があるようだった。
「彼は自分の正体を知らない。だから、それを探しにきてるのかもしれない。もちろん、アタシにもわからない。彼が悪魔でも死神でもユダでもなんでもいいのよ。真実を知る手助けはするし、どれほど残酷なことでも、彼が受け止めるなら見守るわ」
本家にあるルカの資料は完全ではない。特に父親に関する記述が抜けているが、エルザはその不足分を補おうとは思わない。
「二つ目、〈顧問〉のことなんだが、あの人、そんなに悪い人か?」
彼はマックスに〈上〉対策マニュアルを売り付けられたのだろうとエルザは推測する。
〈顧問〉のロレンツィオはアンダーボスであるエルザと敵対関係にある。エルザが一方的に彼を敵視していることになっているが、当然のことだとしか言えない。
「アナタってお幸せな人よね……本当に、とってもお幸せな人。あの人は旧幹部……膿をまとめてるような人なのよ? アタシの敵よ」
ロレンツィオはいつだって対エルザ用の態度を取る。他の者達には良い〈顧問〉でしかないが、エルザにとっては敵だ。
彼の力をレナードは認めている。エルザも〈顧問〉としての今の彼の力を否定するつもりはない。それでも、受け入れられずにいるのだ。
「それが、全部、あんたのためだとしたら? 俺には、あの人があんたを守るために悪になってるようにしか見えねぇんだよ」
もし、そうだと思えたらどれほど良かっただろうか。
もし、彼が父親になってくれていたら。
きっと一番助けてほしい時に味方であるよりも敵であることを選んだから、今でもエルザはロレンツィオを許せない。味方面をされても信じることができない。
「彼のことはわからない。彼はアタシが彼の敵になってるって言うけど、アタシにはそれしかない。人間になれるチャンスを与えていると言うけど、アタシを獣にしたのは彼らで、野生に戻らなければ彼らを仕留めることはできない。アタシから大切な部下を取り上げるくせに、煩わしい部下を当て付けてきたりする……あの人はそういうイヤな男なのよ」
それがロレンツィオの仕事なのだから、仕方がないとエルザも理解しているつもりだ。
彼もまた罪から逃れることはできないのだ。
「大切な部下……伝説の野獣のことか?」
「そう。一年もダンジョンに幽閉されるなんておかしい。アタシを追い出したと言って彼を出せば暴れるのがわかってるくせにそうやって謹慎を長引かせたり、アタシが彼をそそのかすっていう理由で面会を許さないくせに、自分は世界の名作とか言って主人公が脱獄する小説とか与えてるのよ?」
自分達がしでかしてきたことを全て棚に上げて、ラサラスがしたことは今の組織のあり方としてはあるまじき残虐行為だ何だと尤もらしく聞こえることを並べ立てる。
彼に与えられたものが世界の名作としか聞かされていなかったエルザは後からマックスに内容を知らされて憤った。何を考えているのかわからない。
けれど、結局のところ、彼らはラサラスという男に組織にいてほしくないのだろう。
「酸味の強いコーヒーが好きで、豆にこだわって自分でブレンドするような、ある意味病気っていうか変態よ? イグナツィオは羨ましがってたけど、嫌がらせ意外の何物でもないわ」
最早、悪口である。エルザ自身も幼稚だと思うが、ヴィットリオもこの話は良くないと悟ったようだ。
「それとな……この前思い出したんだが、カーニバルって何だ? 何か祭りでもあんのか?」
「それ、誰が言ったの?」
エルザには全く心当たりのない言葉だった。
「いいや、わかんねぇ。突然思い出したんだ。『カーニバルにはまだ早い』ってな」
「どっかの変な記憶と混同してるんじゃないの?」
「かもしれねぇな。いつ、どこで、どんな奴に言われたかもわかんねぇのに、言葉だけ覚えてる。男か女か若いか年寄りかそんなこともわかんねぇのに、あんたに繋がる言葉だって思う」
実に不可解な言葉だった。本当にエルザに関することであれば、不穏なことであるのは間違いない。
「ここからは重要な証言だ。聞き逃すなよ」
「一体、何が言いたいのよ?」
急にヴィットリオは真面目な表情を見せるが、エルザはそろそろ間怠さを感じ始めていた。
自分をお茶目だと思っているマックスのようなタイプは自分の会話が妙に機知に富んでいると思い込んでいる。シリアスな話さえ、まともにできないことがある。だから、時に面倒なのだ。
「俺にはセルペンスに協力した時の記憶が微妙にない」
「なんですって?」
いよいよ物忘れの神様にでも取り憑かれたのではないだろうか。
けれど、本当に深刻なことだとエルザが感じるのはファウストが姿を消してしまったからだ。
「何かファウストの他にシナリオ屋がいた気がするんだよな。それで、カーニバルがどうって聞いた気がするんだよ……ファウストじゃなくて、別の誰かが……あと、死天使って言葉が妙に焼き付いてて……」
裏切り屋ファウストではない謎のシナリオ屋、消えた記憶、そして、彼の口から出るはずのない言葉にエルザは自分の体が急に熱を失ったように感じた。
元々、暖かいとは思っていない。だが、冷たい液体が流れ込んで骨まで凍り付かせたように感じるほど言葉を失ってしまった。
〈死天使〉――エルザが施設にいた時のコードだ。名前を奪われた者達に与えられるのは番号、他人を殺して生き抜いたものだけがコードを持つことが許されるエルザの最終的なコードが〈死天使〉だった。
全てが仕組まれているような感覚に襲われるのはエルザにとって初めてのことではないが、近付いているのがわかる。
恐ろしいほどに接近している。けれど、彼も〈キョーダイ〉ではないのだろう。
「カーニヴァル……カーニバル……」
ヴィットリオは気付かないかもしれないが、エルザは同じようで違う二つの言葉を呟く。
もし、彼が聞いたのが『祭り』ではなく、『共食い』であったなら……
そう考えたところで全貌が見えてくるわけではないが、何か恐ろしいものが水面下で胎動しているのはわかる。
「いや、でも、そいつらがヤバイ奴だったら俺の命危ねぇよな? 記憶消してくような奴だし……こうやって微妙に思い出しちまったし、守ってくれるか? 守ってくれるよな?」
急にヴィットリオは不安がるが、標的は彼ではないのだとエルザは確信する。
「多分、口封じに殺しにきたりはしないわよ。その男達が本当にヤバイ人間ならこれも計算の内、こうしてアタシの命を握っていることを思い知らせてる」
「女の勘か?」
ヴィットリオは茶化すが、そんな言葉で済むものでもなく、それもこれも結局は全て罪であり、まともなことではないのだ。
彼はわからないよりはわかる方が良いと思うのかもしれない。けれど、わかりすぎてしまうことは良いことではない。
「アタシにしかわからない臭い、かしらね」
「やっぱりあんたはすげーな」
そんな尊敬のような眼差しを向けられるのは、エルザにとってあまり気持ちの良いものではなかった。
自分が狂っていることをどうしようもなく思い知らされてどうしようもなくなる。
本来、彼のような明るいタイプとは相性が悪いのだ。エリック・アストン、ウェーズリー、既にこの世にいない二人もそうだった。
ヴィットリオもまた消えてしまうのではないかとエルザは恐怖を感じる。自分の中の闇を痛いほどに思い知るのもまた辛かった。
「それで、アナタはこの後どうするの?」
これ以上、彼の質問には答えられそうになかった。自分が不安定になっているのがわかる。だから、エルザはそろそろ、彼の質問大会を終わりにしたかった。
「泊めてくれるか? 手料理御馳走してくれるか?」
「無理」
エルザは即答する。なぜ、そこまで彼の面倒をみてやらなければならないのか。
「冗談だって。でも、何か食わせてもらおうと思って。あ、俺、噂の〈カニス・マイヨール〉にも行ってみたいしな。ケーキでいい」
「どうしようもない男ね……」
ヴィットリオは目を輝かせている。
エルザはまるで厄介なペットを押し付けられたような気持ちになりながら、望み通りケーキを食べさせてやらないとこの面倒は終わらない気がしていた。
それが更なる面倒を呼ぶとも知らずに。