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24/7 - Twenty Four/Seven -  作者:
第十七章
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破滅の胎動 007

 エルザの前には化粧品の数々が並べられている。

 普段使う物ではなく、持ち主はアレックスだ。

 ただの歓迎会兼送別会ならば普段通りの化粧で問題ないのだが、事情が変わってしまったのだ。

「久しぶりだな。こういうの」

 アレックスの声は弾んでいて、表情を見なくともわかる。

 仕事場であるが、そんな緊張感は一切消し飛んでいる。

 会場へ向かうためにエルザはアレックスにメイクを施してもらっているところである。そして、彼はひどく上機嫌だ。親友の影響か、どうやら彼はこういったことが好きであるらしい。

「昔はよくやってもらったっていうか、やらせてあげたわね」

 そんなこともあったとエルザはぼんやり思い出す。

 彼にそうされるのはエルザとしても嫌ではないが、行く場所が問題なのだ。だから、全く気乗りがしない。

「やっぱり一回ぐらい顔出しておかねぇと罰が当たるって。恩師なんだから。それに情報が手に入る場所だぜ?」

 アレックスは笑うが、そう簡単に割り切れないのだ。

「そうかもしれないけど、どれだけ磨り減るか知ってるでしょ?」

 エルザとしては一度も行かないまま中央に戻りたかったのだが、呼び出されては拒否することもできずにこうして大人しくメイクが終わるのを待つしかない。

「それに――」

「ん?」

「この前、呼び出されてる。アナタには内緒で」

 言いにくいことだが、目を伏せるわけにはいかない。

 レッド・デビル・ライが動き出した頃、二人がエドに吹き込んだことのおかげでエルザは彼女に会わなければならなくなった。

 〈シレーナ〉のアンドレア、アレックスの親友である。

「だから、旅行に行かされたことも知ってた。こんなに寂しくなってるなんて思わなかったけど」

 アレックスは黙したままだったが、エルザは続けた。

 けれども、口止めをしたわけではない。

「……親友と母性、どっちが大切かってことだろうよ」

 溜め息混じりに吐き出した言葉からは落ち着きが感じられる。

 納得しているということだろう。

「親友で母性が大事だったんじゃないの? あの人、アナタの保護者っぽいから」

 エルザに対する母性などアレックスに対するものの比ではないだろう。天秤に乗せるまでもない。

 エルザのことは放っておけばいい。けれど、彼は放っておけない。

 ヘラヘラしているようで、アレックスの精神は脆弱さを抱えている。彼の心を弱くしたのは紛れもなく自分だとエルザは思っている。

 自分が彼の父親を殺しさえしなければ、と。

「俺があいつの保護者なんだけどな」

「そう思ってるのはアナタだけじゃないの?」

 アレックスは彼女を養っていると思っているかもしれないが、精神的に全く逆だとエルザは考えるのだ。

「ほんと、変な関係だよ」

「俺も同意だ」

 ルカが呟けば、マックスが大きく頷く。

 ただの変な関係ならば良かったのだ。エルザは心から思う。

 こんな関係があってはいけないのだ。

 自分が生きている以上、彼が苦しむ。それなのに、義務感で側に居続けるのだ。

 そう思う度に早く死なせてくれ、と願わずにはいられないのに、まだ先は見えない。

 すぐ側に敵がいるのに、触れられない。



 歓迎会兼送別会の会場になってしまった店の前でエルザは小さく溜め息を吐いた。

 ここへ来る時はいつだって夜、バーとして経営している時だ。

 〈シレーナ〉――美しい歌声で船乗りを誘って舟を難破させる半人半鳥の海の精セイレーンのことか、それとも人魚のことか。

 どちらにしてもエルザはその名の由来を聞きたいとは思わなかった。

 できることならばこの場所にはきたくないというのが本音である。

「あら、待ちくたびれたわよ、エルザ」

 腰まで届く黒髪に猫を彷彿とさせるような黒い瞳を持つ美貌の主は不機嫌そうに出迎える。

「アンドレア、すぐに来られないのはわかってるでしょう?」

 緊急と言われても即出動は無理だ。それを承知で呼び出したくせに、ひどいものである。

 そして、彼女は当初の目的を忘れてしまっているのではなかろうかとエルザは思う。

 その目は真っ直ぐにルカへと向かっている。

「新しい子? とっても可愛いじゃない」

「このすげぇ美女がアレックスさんの女っスか?」

 見つめられたルカの方も満更ではないようだ。

 さすがにクールビューティーとして人気を誇る彼が無様に鼻の下を伸ばすことはなかったが。

「美女だなんて嬉しいわ。名前は?」

「ルカっス」

「アタシはアンドレア、アレックスには長いことフられ続けているわ。親友といったところかしらね」

 アンドレアもすっかり気分を良くしたようだ。

「なんて勿体ねぇことしてるんスか。それとも、アレックスさんってマジロリコンっスか?」

 すっかりアンドレアを気に入ってしまったらしいルカにエルザは眉を顰め、マックスはそこから少し距離をとって傍観を決め込んでいた。

 それを仕組んだアレックスは自分が話題から逃れられないこともあってか、楽しいのか楽しくないのか複雑な表情をしていた。

「あのな……ルカ。お前、そんなに美人なお姉さんに可愛がられたい願望があるのか?」

「アタシで良ければいくらでも可愛がってあげるわよ?」

「お前は誰でも良いのか。軟派と見せかけて実は硬派で、でもやっぱり軟派なのか」

 ここまで何の疑いもなく騙されているとなると、アレックスも不安になったのかもしれない。

「別に誰でも良いってわけじゃねぇっスよ」

 挑発的な笑みを浮かべるアンドレアに笑顔で返しながらルカは主張するが、エルザもついに黙っていることができなくなった。

「なんでも構わないなら止めないけど、観賞用に留めておいた方がいいわよ」

「何か、含みのある言い方」

 ルカは首を傾げる。無理もないだろう。彼は彼女が『彼女』であることを全く疑っていない。

「余計なことは言わなくていいのよ、エルザ。昔からそういう悪い癖は抜けないのね。すぐに噛み付いてみせる」

 水をさしたとアンドレアは咎める。

「狼の毛は生え変わるけど、その悪徳は変わらないもの。それに、アタシの部下に手を出して命があると思って?」

 エルザの言葉には刺がある。単に同性嫌いというよりは因縁めいたものがあるように感じながらルカは彼女の忠告の意味やそれぞれの言動を考えた。

「ま、まさか、オカマさんっスか……?」

「落とせると思ったのに、エルザのせいね」

 恐る恐る問うルカに対し、アンドレアは残念そうだった。即ち肯定である。

「言われなきゃわかんねぇっスよ。そこらの女よりよっぽど女らしいっていうか……」

「そうよ。アタシはそこらの女よりもずっと女なの」

 ルカは真実を知ってもまだその美女が元は男であると信じられずにいるようだ。

 それほどまでにアンドレアには大人の女性という魅力があり、本人もそれを自覚している。

 尤も、この場合は裸同然の格好で誘惑してこないだけまだ品位があると言うべきなのかもしれない。

「美人は本物に限るって」

「アタシは夢を売っているのよ」

「悪夢の間違いよね」

 アンドレアは崇高な仕事だとでも言いたげだが、エルザは即座に反論する。

 決して男を巡って争っているのではなく、男達が知らない理由が二人にはある。

「アナタは再教育が必要ね」

 妖艶な笑みをアンドレアが浮かべるが、物騒な状態もすぐにエルザが退いたことで終わった。

 それはエルザが負けたのではなく、不毛なことは先にやめた方が勝ちだというアンドレアの考えに基づいている。

「アナタって案外女に取り入ろうとするわよね」

「可愛がられる秘訣だよ。美女には愛想良くってな」

 彼なりの処世術のつもりだろう。本能的なものではなく、わざとらしくも感じる。

「女に生きる奴は女に死ぬのよ」

 本望だよ、と笑いながらの答えも本気ではないと感じる。

「アタシの下にいる気なら腹上死なんて嫌な死に方はやめてよね」

 仰せのままに、とルカは微笑むが、どこか挑発的である。

「アタシは仕事があるから、せいぜい楽しんで」

 エルザはルカの肩を叩く。くだらない話をするために来たわけではない。

 忘れていたわけではないが、少なくともエルザは一つ面倒なことを片付けに来たのであり、これ以上彼に構うことはできないのだ。

「あんた、アンドレアさんのこと嫌いなんだ? 似たような雰囲気なのに」

 ルカは先程から気になっていたのだろう。

「前にアレックスと話してたの忘れた? 超スパルタ教育の話。アタシはあの人からレディらしさってのを教え込まれたのよ。思い出したくないほど強烈にね」

 アレックスと話していたことをエルザは思い出させる。

 それ以上は聞くなという意味を込めて言えば彼なりに納得したようだ。

「トラウマなんだな」

「そういうことにしておいて。当時は手術してなかったんだし」

 区切りを付けるようにエルザが最も恐ろしい事実を口にしてやれば、ルカは顔を顰める。想像してしまったのだろう。

 今の姿であればエルザのダメージも少なかったかもしれない。しかし、当時は紛れもなく男だった。

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